最終更新:

67
Comment

【1592669】実母との関係

投稿者: 40代主婦   (ID:8w1Ye.m78y6) 投稿日時:2010年 01月 29日 14:01

私は44歳ですが、この年になって、いまだに母とのことで悩んでいます。(お恥ずかしい)
決して、虐待でも放任でも鬼のような母でもなく、世間一般には、「いい母」と言われるような
タイプで、外から見れば 今まで私たちは仲のいい親子と思われてきたでしょう。
実際には、そうしてきたと思います。
でも、子供の頃から母のことが重たくて重荷で、最近そうして ずっと たまっていたものが
きれてしまったような感じがします。

母は、精神的に自立しておらず、ずっと過保護、過干渉でした。
「あなたが心配だから」「あなたのため」と言って、何でも干渉されるのが 嫌でしたが、言えずに
きたところが あります。
姑と うまくいかず、いつもピリピリして気持ちに余裕がない人だったため、いつも私は親の顔色を見て
感情を抑えてきたと思います。
言いたいことも言わず、感情を抑圧し、顔色を見て、いつのまにか自分の意見が言えない子になって
いました。
母は価値観も狭く、自分の価値観以外は認めないので、だんだん私も争いをさけるように余計なことは
言わなくなりました。
私が 母の意に沿わないことをすると、不機嫌な顔になったり、嫌味を言ったりするんです。
小さい頃から、親にほめられたり認められることもなく、いつも否定されてきたと思います。
大人になっても、否定されてばかり。
何かしようとすると、足をひっぱったり邪魔をされる。
40歳前後くらいから、精神的に 息苦しくて 耐えられなくなってきました。

そんな時に、母に 「いとこの〇〇ちゃんは、△△大学(難関大学)を卒業して、キャリアウ-マンなのに、
あなたは ねえ~」と言われて、今まで我慢してきたものが、ぶちっと切れたのです。
私は 高校は進学校でしたが、そこで落ちこぼれて三流大学しか入れなかったのです。
でも、私は今は結婚して幸せに暮らしていると自分では思っていました。
母にとっては、なにげない一言だったのに、私は全否定されたように不快になり、その後、口をきいていません。
第一、40すぎた娘にそんなことを今更言っても、今から人生をやり直すわけにもいかないし、仕方ないこと
だと思うのです。
世間体ばかり気にして、見栄っ張りで、自分というものが ない人なんです。
主人は、「そんなことくらいで大人気ない。」って言うんですが、
子供の時から、肯定してもらえず、否定されてきたので、今までの不満が爆発してしまったのだと思います。
大人気ないって言われれば、そうなんですけどね。
母はいつも悪気はないんです。ただ、ネガテイブで、なんでも否定的に見てしまう性格で、意識せずとも
否定的な言葉ばかり出てきてしまうんです。
自分では、悪いとは思っておらず、自分は子供のために一生懸命な母親と思っているらしいですね。
でも、いつも否定されるのが、そろそろ限界なので、もう会いたくないというのが 今の気持ちです。
きっと、私のことを所有物だと思っているんでしょう。
干渉が嫌と何回も言いましたが「いくつになっても自分の子供は心配なのは当然でしょ。」と逆ギレ。
こちらが何を言っても聞く耳もたず。
思い込みが激しいので、自分の感情だけで行動するのです。
自立してほしいのですが、友人も趣味もなく、家にひきこもっているような人で、子供と孫しか興味が
なく、私にとっては ちょっと うっとおしいのです。
しばらく口をきいていませんが、こういう母とは どうやって付き合っていくのがいいのか、アドバイス
して頂けると嬉しいです。
これって、俗にいう、アダルトチルドレンにあてはまるんでしょうか?

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「親子関係に戻る」

現在のページ: 2 / 9

  1. 【1601096】 投稿者: 生きてるからこそ  (ID:v3MJbLHFgNY) 投稿日時:2010年 02月 03日 23:50

    スレ主さまと同じ44歳で、実母は12年前に他界しました。

    自分が親として成長すればするほど、実母の粗が見えてくるんでしょうね。

    自分がそういう親にならない様にする。実母にも親がいて、そうならざるを得ない

    生い立ちがあったんだと理解して、少し距離をおいた関係になるしかないです。

    亡くなって時間がたっている私には、温かい母親の思い出しか残っていません。

    生きているときは、確かにいろんな思いがありましたけれど。

    そんな私も、甘える親がいない分、子供に甘えてる時があるかもしれません。

    うっとおしい親の典型かも。今は友達親子みたいだけれど、将来、嫌われる時がくるかな(笑)

    とにかく、感情をぶつけられるのも、生きていらっしゃるからこそです。

    どうか親孝行していただきたいです。

  2. 【1601750】 投稿者: ばなな  (ID:cWH4AQ5lByo) 投稿日時:2010年 02月 04日 12:02

    スレ主さま、他みなさまと同じ様な実母です。
    実の娘にこんなひどい仕打ちをする人間は母だけだと思っていましたが、
    似たような経験をお持ちの方が多くびっくりしています。

    私も40代ですが、40を堺に母が原因のストレスは激減しました。
    30代まではよく母と衝突し、傷つき、母からまた暴言を吐かれ眠れない日も
    ありました。基本的に子供の頃から変わらず、私の人格(容姿含む)全否定です。
    結婚し、夫と子供に恵まれ、経済的にも不自由なく、幸せな家庭生活を送っています。
    しかし、母の私への攻撃は結婚後、ますますひどくなりました。今思えば自分より
    幸せになることが許せなかったんだと思います。(しかし父は健在ですし、経済的に
    不自由はなく、ことさら母が不幸という訳ではありません)
    娘が生まれた時、「あんたの顔にそっくり」と笑われ、その後も娘に会うたびに
    顔が可愛くないというようなことを言うので、娘のためにも頻繁に会うことはしなくなりました。
    (それまで会いに来いとうるさいので、ちょくちょく実家に行ってましたが、会うと
    私の人格否定、そして娘まで否定するようなことを言うのです)
    今はお盆とお正月しか会わないようにしています。(車で30分の距離ですが)

    40才になった時、私は自分の心の中で、母を自分の母だと思わないようにしようと決めました。
    母だと思うから、何とか自分を認めてもらおうと思うから、苦しくなる。
    近所に住む老人だと思うのです。それだけでかなり楽になりました。
    私を産んだ母はもういないと思うことにしています、悲しいですが、その方がずっと楽になれるのです。
    私には、妻として認めてくれる夫がいて、母として認めてくれる子供たちがいる。
    それで十分だと思いました。

    現在母には、ご近所のご老人に接する程度の親切をするようにしています。
    罪悪感?はありません。母と気が合い、可愛がられている姉が仲良くしていますから。
    二人でいつも私の悪口で盛り上がり楽しくしているようです。
    生きているからこそ様のおっしゃる、母の温かい思い出って何だろう?思い出せません。

  3. 【1602302】 投稿者: 生きてるからこそ  (ID:v3MJbLHFgNY) 投稿日時:2010年 02月 04日 18:42

    実母が生きているからこそ、より寂しい思いをすることもあるのですね。

    私は30歳のときに、64歳の母を亡くしましたから、自分が子育て真っ最中で、
    母親とはゆっくり向き合えない時期の、突然の別れだったので、
    ある意味、きれいな別れ方ができたのかもしれません。
    死の直後、
    幼少期の楽しい親子の感覚がよみがえった事
    「母親の作る料理がもう食べられないんだ・・」とショックを受けた事を
    昨日の事のように覚えています。

    40代の今でも、母がいたらなと思う事はあります。
    母に孫の成長を見てほしい時、年老いた母の手助けをしてみたいと思う時、
    一緒に買い物や旅行したい時、あ~涙が出そう。

    親からされた嫌な事は、我が子にはしない。
    認め、包み込んであげるあったかい母さんになりたいな。

  4. 【1603856】 投稿者: ばなな  (ID:cWH4AQ5lByo) 投稿日時:2010年 02月 05日 16:08

    生きているからこそ様

    ここで悩んでおられる方は、子供の頃からの母との関係の積み重ねが原因
    であって、母とゆっくり向き合える時期だから、とかそうでないかは関係ありません。
    私は、母との温かい思い出はありません。悲しい時に抱きしめてもらったことも、
    優しい眼差しをかけてもらったことも。思い出せないと書きましたが、ないのです。

    しかし、皆様は多分(私もそうですが)、自分の子供を心から慈しみ、愛情を持って育てています。
    母にされた嫌なことは我が子にはしない?当たり前です。

    優しいお母様との思い出は、他のスレで語って下さい。

  5. 【1604833】 投稿者: 全く同じ・・・  (ID:3Lrk8tUrmHc) 投稿日時:2010年 02月 06日 08:40

    前ページで全く同じと返信したものです。
    生きているからこそ様のお母様はきっと良いお母様だったのでしょうね。
    うちは健在であっても、
    「母に孫の成長を見てほしい時、年老いた母の手助けをしてみたいと思う時、
    一緒に買い物や旅行したい時、あ~涙が出そう。 」
    こういうことに、私自身憧れています。仲の良い母子の方が羨ましい・・・
    何度も旅行や買い物にも誘いましたが、そんな気になれないと断られ。
    たまに孫を連れてどこかへ行っても、母は疲れると途端に機嫌が悪くなり、
    楽しく過ごすことが出来ないのです。
    子供達の発表会や行事ごと、何度も誘いましたが、理由をつけては断られます。
    きっと、私達に対してもそうだったように、子供が余り好きな人ではないので、
    孫もそれほど可愛くないのだと思います。
    自分が子供の頃も、遊園地やいろんなところに連れて行ってくれるのは父で、
    母は余り出かけるのが・・・というより私達子供と一緒に出かけるのを嫌がって
    いたように思います。
    それほど遠い距離ではないのですが、あちらから来ることはありません。
    子育てで困った時、みんなおばあちゃんが子供を見てくれるという話を聞き、
    とても羨ましかったです。産後は市の産褥シッターさんの派遣、その後も困った
    時は保育園の一時保育などに預けて、子育てには母の手を一切借りていません。
    月々、母にはかなりの金銭的な援助をしていてもですよ!
    やれ、具合が悪いとか精神的にああでもないとか、理由をつけられるので、
    母を頼るのは諦めています。
    そんなことにも、何も文句を言わない主人には心から感謝をしています。


    これだけしてても、文句ばかり言われます。
    実は私には姉がいるのですが、姉に対する仕打ちはもっと酷いものでした。
    私にも姉の悪口をたくさん言い、私達姉妹の中も数年の間、裂かれてしまいました。
    しかし、最近、私と姉は和解し、仲良くなり、それからというもの、いけないのですが、
    母のことをお互い愚痴ることでなんとか、癒されています。
    子供の時から今までの間、お互い辛い思いをしてきたので、この40年以上もの間の
    ことを姉と言い合うことで、なんとか自分達を慰めているのだと思います。
    でも、私達が仲良くしているのを知った母は、とても不機嫌です。
    私は我が子達が仲良くするのを望むのが、親だと思うのですが、自分だけ疎外感を
    味わっているようです。三人で仲良くするのが一番いいことなのに、どうしても誰かを
    仲間はずれにしたい人なのだと思うと、悲しくなります。


    私も姉も、普通の親子みたいに、楽しく買い物に行ったり旅行に行ったりしたいのです。
    それが出来ないからこそ、とても寂しく悲しいのです。

  6. 【1604996】 投稿者: 40代主婦  (ID:hwy2jxU7.sI) 投稿日時:2010年 02月 06日 10:38

    スレ主です。

    私も 母との暖かい想い出がある方が 羨ましいです。
    「家族が大好き」という人が 昔から 羨ましかったです。
    親子で 仲良く過ごしている仲良しの母娘を見ると、胸がチクッと痛みます。
    本当は そんな仲良し親子に憧れているのに、そうなれないことで心に傷を
    持って悩んでいるのです。
    誰だって親子は仲がいいのがいいと思っているのは当然です。

    私の母の想い出は、いつも不機嫌そうな顔をしている母の顔色ばかりうかがって
    いたことです。
    同居していた姑とも仲が悪く、いつも ストレスを抱えて 気持ちに余裕が
    なかった母。
    母が不機嫌ではないかと、いつも顔色をうかがって、感情を抑圧して自己主張も
    しないで過ごしてきました。
    いつも悪気なく、私を否定したり嫌味を言う母に、傷つけられてきました。
    家にいると息苦しくて、窒息しそうでした。

    あたたかく優しい母だったらいいのにと、思ったものです。
    明るくて大らかで優しくて、私のことを包み込んでくれる。
    家族全員が仲良く明るい家庭。
    いつも憧れていました。

    仲良くしたくても、出来ずに、そのことで罪悪感に かられて更に悩んでいるのです。
    お幸せな方の悪気のない言葉は、時として、私たちを傷つけるのです。

    子供の時から、沢山の積み重ねがあって、今に至っています。
    人を許さなければいけないことは、承知しています。
    でも、そこまでいくのに、時間がかかるのです。
    だから、もがいています。
    子供の頃に 人格を否定されたことは、大人になっても 深い心の傷になって
    簡単には癒えません。

    少しでも早く、この葛藤から逃れて、前を向いて歩けるように、傷つきながらも
    頑張っている最中なのです。
    「親不孝な娘」と言われることが、一番つらいです。
    同じ経験をしなければ、なかなか 理解するのは難しいかもしれません。
    だからこそ、いつも誰にも言えずに悩んでいるのです。

    ばなな様。
    おつらかったですね。
    お孫さんまで否定されるなんて、悲しいですね。
    お嬢さんを守ってあげて下さい。
    会うことで不愉快になるのだったら、心の平静を保つためにも距離をおくしかないと
    思います。
    そうするしかないのだと思います。
    誰も あなたを責めることは 出来ませんよ。
    子供は親を選べませんから。
    大丈夫です。
    今の ご家庭の幸せを大事にして下さい。

    家族同士で 悪口を言い合うなんて本当に悲しいことですね。
    本当に本当に。。。。とても悲しいです。

  7. 【1605220】 投稿者: 人間だもの  (ID:a6nVdeAKIVc) 投稿日時:2010年 02月 06日 13:19

    スレ主さま、そして実母との関係で悩み苦しんでいらっしゃる皆様、
    お気持ち痛いほどよくわかります。
    私も皆様同様、世に言う母親の愛情というものに接することなく育ちました。


    いつもいつも母が重かったです。
    小学生の頃には、母親を背負って走り続ける悪夢で飛び起きるようになっていました。
    成績が少し下がったといっては怒られ、学級委員にならなかったと言っては「恥ずかしい」と罵られ、
    リレーの選手に入れなっかったと言っては運動会のお弁当を作ってもらえず・・・・。


    私には年子の妹がいます。母は妹と私の扱いを大幅に違えていました。
    小学校の下校時刻に激しい夕立が降り始めた日、
    下駄箱に傘を持って立つ母の姿がありました。
    嬉しくなって駆け寄ったところ「さっさと帰って待ってなさい」。
    母は妹の傘だけを持っていました。
    そこで食い下がったら、帰宅後が怖い。
    ズブ濡れになりながら、涙を雨で隠して帰りました。
    そして「こんなに濡れて!」と散々怒られ、自分で全て片付けました。


    夫が好きで結婚したのか・・今でもわかりません。
    とにかく実家を早く出たかったです。
    あの家にいるのが、たまらなく嫌でした。


    父は優しい人でした。ただとても出張が多く、帰宅も遅くて顔を合わせるのは週末くらいでした。
    週末の母は、父と私を二人にするのを極端に嫌がりました。
    私が告げ口すると思っていたのでしょう。
    そんな心配なかったのに。そんな気力はありませんでしたから。
    私はビクビクと告げ口をするより、父と楽しく穏やかに過ごしたかっただけです。


    その父が10年ほど前に他界しました。
    我儘勝手に育った妹は、今や40過ぎのパラサイトで、実家で母と二人暮らしです。


    私には息子が二人いて、上の子は国立大学に進学し、勉強に青春に充実した時を過ごしています。
    下の息子は兄と同じ大学を目指して猛勉強中です。
    母親の愛情を知らない私は、試行錯誤の育児でした。
    私と同じ目に遭わせてはいけない、かといって妹のようにしてもならない・・・悪い手本しか無い状態でした。
    とにかく兄弟平等に扱うこと。自分の考えの前に、子供の意思を尊重すること。そして子供が自ら離れるまでは、抱きしめて育てること。これだけを心がけました。
    今、息子達は私のことを「一番厳しくて、一番優しい人」と言います。
    これで良かったのか、まだわかりません。
    ですが、穏やかに過ぎる家族の時間は、私の宝物です。


    そんな中、母が体調を崩すようになりました。
    父が生きていた頃は、父に孫を会わせたい一心で、実家にも出向いていました。
    母と妹に会うのは、たまらなく不快でした。どんなに手土産を持って行こうとも「男の子なんて連れて来て・・はあ、食費がかかる」と、父のいない台所で毎回言われていました。
    父の他界後、当然ながら実家への足は遠のきました。
    電話もしたくありませんでした。
    元々母から電話が入ることは皆無だったので、自然に距離が広がって行きました。
    最初は「自分は冷たいのか?」と悩みもしましたが、母は私と話したいわけでもなく、私も無関係でいたいのだから、これで良いんだと納得するようにしていました。
    そんな中で母は段々老いて行き、健康不安を抱えるようになり、ある日怒鳴り込みの電話が入りました。
    「それでも娘なの?育ててやったのに」
    私の中で何かが音をたてて切れました。
    初めて母に今までの全てをぶつけました。
    でも・・・・「覚えはない」「執念深い」「自分は完璧なの?」と母は言うだけで、逆に延々私を罵り続けました。
    男手を亡くした実家の母親と妹の心配もせず、自分だけのうのうと暮らす、
    自己中心的な娘を持って恥ずかしいと。
    そして「自分と妹の面倒を見ろ。あんたが死んだら息子達が妹の面倒を見るよう、ちゃんと教育しておけ」と言われました。
    以来、実家には行っていません。息子達まで駒のように扱われてなるものですか!
    電話にはナンバーディスプレイをつけ、実家からの電話は取りません。


    母親からの愛情というのは、人間が育つ上で基本の基本でしょう。
    幼子は、母親がニッコリ笑って傍に居てくれるのが何より幸せ。
    そういう時期を通って、人は育ちます。
    それを得られずに育つと、人の好意を得るために、妙に我慢と努力をする人間になってしまうと、経験的に思っています。
    人が誰かに好意を寄せるのは、相手が役立つからだ。丸のまま誰かを好きになることなんて無いんだと思い込み、人を信用することが難しくなります。
    私はとにかく人に気を使い、勝手に疲れ果てていくの繰り返しだったと思います。
    このことに気付かせてくれたのは、息子でした。
    なぜいつも自分を追い込むのか?自分を大事にしないのか?と問われた時、
    自分の傷の深さを思い知ると同時に、人間として方向転換しなければならないと思いました。
    娘としての呪縛を捨て、一人の人間として自由に考えてみようと思いました。


    実家と無言の縁切りをしてから、少しずつ自分というものを取り戻しているように思います。
    嫌なものは嫌と言えるようになり、人さまのご好意に素直に感激できるようになりました。
    薄皮を剥ぐようにですが、私の世界観が変わってきています。


    人生の時間は限られています。
    母親との関係に悩む優しさを捨てた私が偉そうなことは申せませんが、
    同じような苦しみを味わった皆様に、
    皆様はもう充分努力された、ご自分の人生を大事にしていただきたいとお伝えしたくて、書き込みをさせていただきました。

  8. 【1607477】 投稿者: ばなな  (ID:cWH4AQ5lByo) 投稿日時:2010年 02月 08日 09:11

    スレ主様

    悩んでいるスレ主様を励ますつもりが、逆に暖かい言葉をかけて頂き、ありがとうございました。
    涙が出てしまいました。
    辛い経験をした方は皆さん暖かい方ばかりですね、しみじみ思います。
    だからこそ母親との関係に悩むのですよね。
    私も、人間だもの様と全く同じことを言いたかったのです。全くおっしゃている通りだと思います。
    私も母との関係に悩む優しさはとうに捨てました。今の自分の家族を大切にしたかったからです。

    人間だもの様もお辛かったですね、心中お察しします。私の母も父がいなくなったら同じ様なことを
    言うのが目に見えています。その時に自分の家族をきちんと守れるよう、気持ちを強く持っていたい
    と思います。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す