マルチリンガルを目指せる女子校
校則の厳しさは一番かも!?
噂で聞いていた以上に、相当徹底されていますね。
髪型、服装、時間厳守、登下校時のルート等厳格に決められております。
当然ながら、喫煙や飲酒等は発覚次第即退学でしょうね。
何か発覚すると、直ぐに親が学校に呼び出されるとの事。
そういえば、以前に子供が言っておりました。
久我山を受験時、各教室では複数の先生方が鋭い眼光で全受験生を入念にチェックし、メモを取り続けていたとの事。
そこまで有り得ない他校と比較して、格段にプレッシャーを感じつつ試験に臨んだそうです。
受験時の得点のみならず、受験時の態度や休憩時間時の発言・素行等全てチェックした上で合格・不合格を出している可能性が高いです。
STクラス様
私も「同じく久我山ファン」様と同じような疑問を感じておりました。
うちの子もSTクラス(男子)に在籍しておりますが、担任から「何が何でも東大へ」という
ような指導がされているとは申しておりませんが…。
担任が「東大と書かないと口をきかない」なんて本当におっしゃったのでしょうか?
お子さんがそのようにお話しされているだけでは?
あまり詳しく書くと、特定されてしまうので、あまり書けませんが。
子供が大袈裟に言ってるのではありません。子供の友達もみな最近はやれやれ・・・という空気になっているようです。
STがみなそうではないとすれば、やはりうちの子の担任が特別なのでしょう。
あまりに東大ばかり連発するので、何かノルマでもあるのかと勘ぐってさえしまいます。
今年のブログをコピペします。
これこそが 学校の教育方針、真実そのものです。
本当に教師として生徒に愛情があるのなら
涙を呑んだ生徒のことこそを思いやるものでしょう。
発表当日に このような文章
普通は書けないと思いますが?
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さあ!・・・
今日3月10日は、最難関国公立大学合格発表の日。
「A君が旧帝大の医学部に現役で合格だ!」
「T工大に○人入ったぞ!」
次々に届く朗報に昼過ぎあたりから職員室は興奮を隠せません。
そんななか、夕方近くになっていよいよT大の「ダルマ」も開眼の知らせが!
現時点で文系3名(うち浪人1名)、理系2名の計5名から喜びの声が届けられました。
そのうち、B君は中学時代に辛い時期がありましたが、その鋭敏な感受性を武器に最後は見事にSUMMITへ到達!
一方、C君は堅実な歩みを重ねた一人でした。
あらためて、彼が中学一年時の「えんま帳」を開いてみますと・・・
年間8回行われる漢字テストは、上級生と競い合うところの「統一テスト」を除き、あとはほとんどパーフェクト。こうした定期試験以外のいわゆる「小テスト」の類にもベストを尽くすことがいかに大切かを物語っています。(肝に銘じてくださいよ、後輩諸君!)
そんな一見冷静沈着で物静かな印象を受ける彼も、中1の「新俳句」の作品では・・・
さあ餃子四人で争う武器ははし
ほのぼのとしたご家庭の中にあって、実にいさましい一面を感じさせる十七音を残していました。
今思えば、「感動詞」から詠み始めるという思い切りのよさが原動力となったのかもしれません。
今宵、C君のお宅では、お祝いの「餃子」パーティーかな? (笑)
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人間的な成長なんかより、とにかく大学合格実績を伸ばしたくてしょうがないんでしょうね。
こんな文章載せてるんですか。
よほど嬉しいんでしょうね…。
こんな文章に誰も待ったを入れない、結局みんなそんな教師なんでしょうね。
なるほどです。
久我山中学に興味がありこちらのスレを開いてみました。
先生方も勉強を熱心に教えて下さるのは大変ありがたいことですが、
ぜひ、生徒さんたちの「人間的成長」(言葉が適切かわかりませんが)の面にも目を
向けて、バランスのとれた教育を期待したいものです。
卒業して、5,6年ほど経つ卒業生です。
私はどちらかというと校風が合いませんでした。
教職員の指導が絶対的(熱心ともいうのかもしれません)で、
生徒の主体性が芽生えない環境だと感じながら生活していました。
こうした校風がよく分かるのが体育祭や学園祭です。
他校と比べると、どこかかしこまっていて、おとなしい印象に感じるでしょう。
こうしたおとなしさの背景には、日頃の熱心な指導が生きています。
校則の運用は機械的で、個別の事情などが反映されることほぼありませんでした。
いじめで停学になった友人がいましたが、
その際には、双方に責任があり白黒つけられる話でなかったのにも関わらず、そういうことはお構いなし。
また、進学指導でも受験間際に大学を変更したいと行った生徒の意見を聞かず、
当初の大学を不本意に受験、進学し、結局退学した友人もいます。
こうした熱心な指導が重なって生徒は自主性を失っていきます。
先生や学校の言うことに従っていれば良い、自分達で何かしてはいけないんだと。
生徒の自治組織である生徒会は、学校からの決定事項を運用する下部組織となっていました。
よって、学園祭や体育祭では、自発的な行動が生まれてこず、
ある種の義務行事となり、付き合いで行事に関わるという受動性だけが出てきます。
だから、おとなしい印象をうけるのです。
全部が全部そういうことではありません。
私自身、すごくお世話になった先生もいますし、
学生の言うことを聞いてくれようとする先生もいました。
しかし、こうした先生よりも発言力があったり学校内で立場が上な先生ほど、
非常に熱心な指導をして下さるのです。
こうした校風に合わない人は他に行けばいい、
リサーチ不足が悪いんだという意見もあるようですが、
私は、こうした意見がでること自体がこの学校の校風だと思って居ます。
要するに、多様な生徒や保護者の価値観を摺り合わせながら、
それぞれの生徒が気持ちよく学校生活を送れるようにしようというよりは、
学校が考える生徒像に向かって生徒を教育していくスタンスなのです。