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【3747670】自分がない子は危うい

投稿者: どうしたら?   (ID:DNK0CgRkGj2) 投稿日時:2015年 05月 24日 07:22

中学受験で身につけた「試験になると満点を目指す習慣」「一番を取るべく自動的に作動する戦闘モード」は危うさを秘めていると思います。


親も塾の教師もいい点を取ると褒めてくれる。自分も成績優秀者に名前が載り嬉しい。こういう生活を子供の頃からずっと続けていると「試験のために勉強する」ことが当たり前になってしまう。

勿論、大学入試などたやすく突破する。問題はそれからだ。進学振り分けもいい点を取り第一志望に進んだはいいが、ある時点ではたと「本当に自分がやりたいことは何か?」「これじゃないのでは?」という疑問が湧いてくる。

学部延長のまま大学院に進もうとするのだが「これじゃない」という意識が澱のように沈殿し悩みは深くなる。周りの言うように突っ走ってきた今までからすると何をどうやっていいかわからなくなったのは初めてだ。

なまじ能力があるのにこういう過程をとる人は本当にもったいない。一体どこに問題があったのか? 試験の成績ではなく自分の適性、性分、性向をじっくりみつめる時間が中学、高校時代になかったのか?

中学高校時代に、あれこれ考え悩む時間を持たずに毎日が予習、復習や中間期末テストの準備、部活に追われてきたことも大きいと思う。深刻な疑問がわきそうな時はそれを意識の外に追いやってきた。それに囚われると勉強時間が取れなくなるためだ。勉強以外の本は(文学、趣味)ほとんど読まなかった。大学に受かったらそういうことを考えればいいと教師には言われてきた。


それゆえ根源的な問いかけ(自分は何者か? 何のために生まれてきたのか? どうして今こういう生活をしているのか?)を避けてしまった。


元々能力があるのでそこそこ何でもこなせてしまうのも適性を見出しにくくした原因だ。努力は苦ではない。惜しまない。試験には全力で取り組む条件反射が形成されている。結果としてペーパーテストは全科目できてしまうので理系も文系も本当のところ何が好きで自分にはどんなことが向いているのか分からない。受験はとりあえず理系で合格した。


皆さんの周りにこんなお子さんいませんか? いい子ゆえに自分がない。
デコボコがない何でもできる故に本当に自分のやりたいことが分からない。
こういう子に相談を受けたらどうアドバイスをすればいいと思いますか?


こんなふうに育ててしまった親に責任があるのか、本人が自我の発達が弱く自分自身を確立できない性格なのか?  もっと遊ばせればよかったのか?

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  1. 【3748476】 投稿者: ぽち  (ID:ajRZLeotY6A) 投稿日時:2015年 05月 25日 08:15

    教育評論家さま


    >とてもよいお心がけだと思います。
    > 大学受験に際しても、見栄やブランドでなく、
    >ご子息ご本人が学びたいことをしっかり確信して臨まれれば、
    >きっとよき道を進まれることでしょう。

    おみくじで大吉をひいたようなお言葉をありがとうございます。

    エデュでは中学受験組(御三家・難関校の学生)の目標が東大(特に理三)や医学部と思われてる方が多い
    ようですが実はそうでもなかったりします。
    わが子などは「医者になる人は他者を思いやれる人であってほしいから自分は自分自身が一番好きで優先順位も
    一番は自分だから無理」と言います。自己分析ができています。
    自分の適性はわかっているのでわが子の場合はおそらく消去法で将来を考えていくでしょう。
    絶対これになりたい、ではなく自分のできる事から選んでいくと思います。
    そういえば子供の周囲は秀でた特技を持つ子は多く(主に芸術面)、わりと大学はその方面を目指す子が多いですよ。

  2. 【3748491】 投稿者: 女子は  (ID:EAMH1mXSDCM) 投稿日時:2015年 05月 25日 08:30

    高学歴を目指すことは当たり前のことではなく、選択しているので、意識が高い気がします。東大男子と東大女子を比べると、女子の方が意識が高く、自分の将来しっかり考えていると思う。

  3. 【3748507】 投稿者: 真面目な子ほど危ない  (ID:oB/iIk5bGBQ) 投稿日時:2015年 05月 25日 08:48

    真面目で素直な子ほど自分を優先させるより試験でいい点を取ることを義務のように考えてしまうようだ。


    さぼったり手を抜いたりができない。 一種の強迫神経症かも知れないが自分を縛って不自由にしていることが甚だしい。どこかで自分をまず作る世間から離れた時間が必要だ。その上で自分を作り直す。周りが望む自分ではなく内発的に湧いてくる自分の本当の気持ち、情念を大事にする。

    優等生からの脱却は生きるうえで大事だと思いますよ。自分を取り戻す。受験で刷り込まれた価値観ではなく。

  4. 【3748514】 投稿者: いやー さんに1票  (ID:HnVedkhtP.k) 投稿日時:2015年 05月 25日 08:56

    芸術やスポーツが好き。
    虫を追いかけるのが好き。
    漫画が好き。
    ゲームが好き。
    スマホが好き。
     ↑
    これで、生きていけますか?
    ゆとり生活を求めるがゆえ、勉強生活になってしまうのが現実。

  5. 【3748518】 投稿者: 親御さんは  (ID:NWemHjvWxzY) 投稿日時:2015年 05月 25日 08:59

    ご家庭で、お子さんの将来についてご本人と話し合ったりしないのでしょうか?それこそ、ここで話すようなことではない、本音で。それは親自身が青年期に何を考え、どう選択してきたかを白日のもとにさらすことでもあり、それを子どもと話さないで親は何を話すの?と、私などは思うのですが。
    偏差値あげろあの学校は進学実績が素晴らしいなんて親でなくても誰でも言えることです。
    でも万が一、親自身にその価値観しか本当にないとしたら、そしてその後も子どもが青年期に悩まないとしたら、もうそれはそれで周りが言っても仕方ない、それこそそういう家庭であり、個々の家庭の価値観…だと思います。
    子どもは良し悪しは別にして、結局その家庭の価値観を最初素直に身につけてしまうと思いますが、中高時代の青年期はまさにそれを自分と照らし合わせて悩み選び抜く年代と思います。
    そのときに親でなくて、周りに同じく悩み、悩むまでいかなくても話し合えたり、話し合わなくてもその姿を見てモデルに出来るような子がいることは子どもにとって幸せであり、親としてあえて難関校をめざすのは、うちはそういう偏差値に直接現れない、先生や友人を得てほしいからです。中堅以下の学校にそんな子が皆無だと言いたいわけではありませんが、偏差値を出口で20あげてとにかく難関大の実績を作らないといけない学習環境と、そこまで受験に特化しなくていいという学習環境は、学校の教科などではないところでの余裕がちがうかなやっぱり、と、思います。うちはね。

  6. 【3748522】 投稿者: 意情知  (ID:Hiy8mBLiYaE) 投稿日時:2015年 05月 25日 09:05

    知情意という言葉があります。
    すべて大切ですが、
    この順番の教育(幼いころから知識教育)には危うさがあるということでしょう。

    順番的に、意(意思、意欲)、情(感情)、知(知識)の方がたくましく、根が太く育つので、子供のころの遊びが大切と言われるのでしょう。

  7. 【3748529】 投稿者: ぽち  (ID:ajRZLeotY6A) 投稿日時:2015年 05月 25日 09:19

    >芸術やスポーツが好き。
    > 虫を追いかけるのが好き。
    > 漫画が好き。
    >ゲームが好き。
    >スマホが好き。
    >  ↑
    >これで、生きていけますか?
    >ゆとり生活を求めるがゆえ、勉強生活になってしまうのが現実。

    これらと勉強を並列にするのはおかしいと思います。
    うちは虫とゲーム以外はそれなりにやりますが、勉強とは同じ括りにはしませんよ。


    食事・睡眠・運動・トイレ=やらないと生きていけないもの
    勉強=(たぶん)やったほうがいいもの、やり方によってかけがえのないものとなる
    スマホ、マンガ=やってもやらなくてもいいもの、ただしやり方によってはやっててよかったもの

  8. 【3748585】 投稿者: どうかな  (ID:E5I/8JyUkOA) 投稿日時:2015年 05月 25日 10:33

    本当に彼彼女に才能あればどこかで目に止まり注目されるものですよ
    今はわりと活動の発表の場はネットなどで簡易ですし

    芸術の世界こそ、ドロドロで世襲が強く○会員に入ってないと駄目とか
    ○教授を師事しないと評価されないとか○才までに○賞貰っておかないと間にあわないなど
    なのに何かの名声得て有名人になってみればかいたイラストがもてはやされたり
    不透明で不平等で理不尽なものですよアカデミックと呼ばれるものはとくに

    御三家にはいって東大がーなどいってる場合じゃないことは確かだけど、
    どうも隣の芝生青い状態に教育評論家さん陥ってるだけのような気もします。
    中には自分のやりたいこところして良い大学入ってみたものの気づけばやりたいこと無かった
    て子もいるかもしれません。でも、それ以上にやりたいこと見つけてその道に入ってみたものの
    才能以外の軋轢や需要の無さで少ないパイの取り合いに疲れ、または一生の仕事に出来るほど才能ないと
    気付いたが多いと思いますが。
    後はその道の教職員の道を必死で掴むくらいでその世界と繋がっている自分を良し出来れば運が良い。
    昔から中受関係なしに芸術の道そういうものでしょう。
    私は少し夢をかじって少し関わる仕事できましたけど、夢って飽きるんですよ膿むこともあります。
    教授に人間国宝の方いましたけど、その人でさえ言ってましたもの同じ事やってると人間飽きるって。
    芸術関係の教科の教職員の方はかつて夢をみて来られて挫折も経験されているかとおもいます。
    そういう方は、かつての自分と才能ありそうな生徒さんみると同一視してしまうことありますよ
    自分の果たされなかった夢の肩代わりしてほしいみたいなね。あまり影響されるのもどうかと。

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