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【1480359】関関同立と早慶・MARCHのレベル

投稿者: 受験生母   (ID:d4V816jytCI) 投稿日時:2009年 10月 25日 20:46

教えてください。

友人の旦那さんは中央大(法学部じゃない)出身です。
本当は同志社に行きたかったけど、ダメだったそうです。
友人は「同志社は早慶と同じレベル。だから落ちた。」と言います。

私のイメージでは、関関同立はMARCHと同レベルなんですが、
実際はどうですか。

ちなみに友人の旦那さんは、25年ほど前に大学に入学しています。
その頃のことも聞きたいですが、
今のレベルを教えていただきたく、お願い致します。

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  1. 【1586038】 投稿者: 通りすがり  (ID:XtMpkbzwsOY) 投稿日時:2010年 01月 25日 12:34

    会社の昼休みにウィルコムから書き込みます。

    私の父は、京都育ちで1958年に東大文2に入学していますが、私立の受験校は早稲田の政経だけです。
    当時、関西には難関国立大受験者の受け皿となるような私立はなく、同志社ですら「どうやん」とバカにしていたそうです。
    早稲田政経は当時から私立文系最難関であったと聞いていますが、先ほどの旺文社のデータとは整合性がとれません。
    1961年といえば、全国的に模試が広まりつつある途上段階だったと思うのですが、1961年のデータって母集団という観点でみて信頼できるのでしょうか?

  2. 【1586039】 投稿者: ワイ・ゼット  (ID:EwqII5TBBEo) 投稿日時:2010年 01月 25日 12:36

     あまりにも大学イメージ氏と言っていることが似ているのでね。違うなら誤るよ。ただ、ここの論争はそんな50年も前の時代でないし、模試の点数論争でもない。もう一度最初から読み直して欲しいな。それと俺も某チャンネルの学歴スレは良く見ているし、関学話題も目を通しているが、このデータはまったく気づかなかったですな。そんなに有名なデータとは知らなかった(笑)

     50年前と言えば大手予備校はまだ地元の一予備校時代。全国展開の予備校などなかったし、全国模試も実施していなかった。偏差値概念もなかったように記憶している。東大は日比谷、京大は北野、天王寺、大手前の大阪御三家、阪大はそこに住吉が入っていた。全国模試も旺文社(学研)くらいで、それも高校の教室を借りて実施していた。採点・集計も答案用紙を集めて、人手で電卓片手が主流の時代。札幌南、仙台一、日比谷、戸山、西、旭丘、大阪御三家、修猷館、小倉などの進学校は、もっと信頼できる校内模試で進路指導をしていた。旺文社模試も国立文系・理系、私大文系・理系の簡単な4パターンで数学必須の私大は国立文系を受験するしかなかった。当然ながら東大文二は慶應経済を京・阪・神の経済志望者は関学を併願するというより、第二志望、第三志望校欄にはその私大名を書く。当然、数字は上がりますわな。
     早稲田文系は確かに数学必須ではなかったが、高学歴層から相手にされなかった記憶はないな。当時も「早慶」は私大の双璧で、また当時の早稲田は今の対慶應とは逆で、私大の中では圧倒的に進学する者が多かったと記憶しているが。
     50年前の一模試の数字を引っ張りだして「こんなデータもありました」なら分からないこともないが、「だから関学経済>早稲田政経の時代もありました」と主張したいのなら、ちょっと違うと思うな。それと関西経済界の関学実績は十分認めるが、この50年前の数字からそこに導くのはやっぱり無理があるだろう。ここが「大学イメージ」氏と似ているから誤解したのかな(笑)

  3. 【1586622】 投稿者: 一言  (ID:sGCeALjLHpU) 投稿日時:2010年 01月 25日 19:47

    >50年前と言えば・・・人手で電卓片手が主流の時代。


    私の10歳年上の兄が70年代前半に大学に入学しました。
    大学の授業の宿題で多数桁の計算が必要で、兄は大学生協に展示されていた「電卓」を無断で使用したそうです。
    大きさは今のノートパソコン程度はあったと昔、話していたことを思い出しました。
    ウィキで調べましたが、下記のような記載がありました。


    >1960年代に登場した電卓は重量が20-30kgもある大型のものもあったが、その後、電卓を構成する部品を真空管からトランジスタ、トランジスタから集積回路へと世代交代させることで、急速にコンパクト化していった。1970年代前半には重量1kg程度で電池駆動も可能な電卓が現れ、1980年代になると太陽電池で駆動可能なカードサイズ大の超小型・超薄型の電卓も現れる。


    >1960年代に登場した電卓は、重量が15kgから20kg以上、消費電力も50Wから100Wを超える大型の卓上計算機だった。また、当時の物価からすると電卓はまだ高価なもので、1964年頃の製品は車1台分の値段だった。


    >1963年 - 世界初の電卓 Anita Mark8(英Bell Punch and Sumlock-Comptometer)
    >真空管式の電卓。日本のメーカーが電卓を開発するきっかけとなった。


    >1964年 - 日本の電卓元年。
    >シャープ(早川電機)がオールトランジスタ式の電卓 CS-10Aを発売した。商用化された製品としては世界初。1964年6月から発売され、価格は535,000円で当時の車1台分ぐらいとされている。現在のテンキー式の操作とは異なる。


    「50年前と言えば・・・人手で電卓片手が主流の時代」とは、見てきたような、みたいな話ですね。

  4. 【1586896】 投稿者: 三品食堂  (ID:GHO4nIUfG7A) 投稿日時:2010年 01月 25日 22:50

     50年前のたった1回の模擬試験の点数で「当時は慶應、関学、早稲田の順」と決め付けることにどれほどの意味がありますかね。100年を超える歴史の中で、1回の模試なんて1時間、いや1分の価値しかないのでありませんか。大学・学部の評価は、50年、100年スパンの中で優秀な人材の輩出や、日本を牽引する研究などに基づく伝統に裏づけされたものと思っています。歴史だけ長いが優秀な人材を輩出できず、研究力もつかなかった大学が大半の中で慶應、早稲田、関学、同志社などは十分評価に値する大学です。出世率で熱くなった自戒を込めて「今50年前の数字を貼り付けることにどんな意味がありますか」と問いたいですね。

  5. 【1587014】 投稿者: 通りすがり  (ID:s8/O7DavLhc) 投稿日時:2010年 01月 26日 00:16

    大学イメージさんは偏差値が好きではないようですが、
    1961年の偏差値が貼られていましたので、
    1977年の偏差値表を参考に貼っておきますね。

    法経<早慶マーチ・関関同立、早慶のみ商学部掲載>

    早稲田大 政経 72
    早稲田大 法学 70
    慶應義塾 経済 69
    中央大学 法学 68
    早稲田大 商学 66
    同志社大 法学 66
    慶應義塾 商学 65
    立教大学 法学 64
    立教大学 経済 63
    慶應義塾 法学 63
    同志社大 経済 63
    立命館大 法学 63
    関西学院 経済 62
    関西学院 法学 62
    明治大学 法学 61
    青山学院 法学 60
    立命館大 経済 60
    青山学院 経済 59
    明治大学 政経 59
    立命館大 経営 59
    関西大学 法学 59
    中央大学 経済 58
    関西大学 経済 55

    1977年時点での難易度は、下記のようなくくりになりますね。
    早稲田>慶応>同志社=立教>関学=立命館>明治>関西大
    (”=”の場合でも、左側の方が若干上)
    中央は法学部は断トツ、慶応法は同志社や立教よりも下なのが興味深いです。
    今は、慶応と早稲田の難易度がほぼ同じになり、立教、関学が下がった以外は30年以上前と今でも
    難易は変わっていないですね。

    参考までに旧帝+一橋、神戸の偏差値も貼っておきます。科目数が違うので本当に参考程度です。

    東大 文1 76
    東大 文2 75
    京大 法学 73
    京大 経済 71
    一橋 経済 71
    一橋 法学 70
    大阪 法学 69
    大阪 経済 67
    九州 法学 67
    東北 法学 65
    名大 法学 65
    九州 経済 64
    神戸 法学 64
    名大 経済 63
    神戸 経済 63
    東北 経済 62
    北大 文類 60

  6. 【1587071】 投稿者: 慶応法は  (ID:qFgp61uyEFs) 投稿日時:2010年 01月 26日 01:22

    慶応法の偏差値が昔低かったのは数英国社小論面接と課していた科目が多かった事や数学が入試科目にあった事が理由だと聞きましたよ。昔は私大受験もなかなか大変だったようですね。

  7. 【1587120】 投稿者: 懐かしい偏差値表ですね  (ID:5xxUVw27/32) 投稿日時:2010年 01月 26日 04:28

    この当時の受験生の感覚では、慶応の法と商は実際には、この表よりも大分下でした。
    経済は、入試まであったので伝統的に東大等の併願が多く難関というイメージでしたが法と商は数のみだったので、へなちょこ国立大志望のわたしでも楽勝でした。
    ただ、法は翌年に数学を受験科目外した途端に私学志望者トップ層が殺到し、前年二次補欠で残念組の友人達は全員一次で不合格に!ラッキーでした。
    さらに翌年…
    教授が、今年の受験偏差値で早稲田を抜いたらしいと笑顔で話してましたっけ。
    もう既に入学している身としては、関係ネーよと思ってましたが…いまでは、法が経済と方を並べてるとか?
    変われば変わるもんですね、個人的には、嬉しいような、でも「実業の慶応」として看板学部の経済に頑張って欲しいかな?
    とも。

  8. 【1587410】 投稿者: ワイ・ゼット  (ID:LxP.dUyh5EU) 投稿日時:2010年 01月 26日 10:34

    一言様

    ご丁寧な揚足取り、じゃなかったご指摘痛み入ります。ウィキぺディアまで調べていただいて感涙に咽んでおります。(涙・・・)
    ご指摘通り『電卓を両手に抱え』か『算盤片手に』に訂正させていただきます。

     ついでに申すならば「当時はコンピュータの時代ではなかったので、計算も人手でやらざるを得なかった」という意味合いのことを「電卓片手」と簡潔に書かせてもらっただけで、実際に電卓片手だったかどうかは見てきておりません。

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