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投稿者: 教育 (ID:mvwOGXdB8uk) 投稿日時:2008年 05月 26日 10:20
年長児の子どもがいます。
最近気になったのですが、百ますもふくめて、そろばん 公文などを9歳以下の子どもがたくさんするのはよくないと何かでみました。
よく五年生くらいから塾にはいって トップクラスなんて聞くのはまさにそれかな?と思ったりします。つまりそれまでは思考回路系を鍛えているからそのほうが伸びるのではないかと。
そろばんも公文も3,4年まで行って後は塾に切り替えていくそうですが、それまで計算ばりばりで、そういう子どもの中学受験のみならずもっとその後の伸びが気になります。
私の知っている限りでは、そろばんや公文はかじっただけ、もしくはいったことがなく、でも中学、高校数学から頭角を現し、医学部へ行った。東大へ行った。という人が多く、そういう人に聞くと必ずといってよいほど、自分の子にまだ小さいころから習わせることはないといわれるのです。
しかしこの提示版をみていると皆さんすごくがんばっていらっしゃいます。
すばらしいことだと思いますが、そういった幼児からの特に計算や暗算が極端に早くなることについて、3,4年以降また中学以降の伸びについてどう思われますか?
また、終了組みの方たちにもご意見いただけたらと思います。
逆に3,4年生の二年間位で計算だけ6年範囲まで進めて積極的に鍛えたら十分という考えはあまいですか?
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【971565】 投稿者: 花鳥風月 (ID:vKrwqQkDT5o) 投稿日時:2008年 07月 04日 22:01
あまいってさまへ
>それってどういうことですか?
>どんなことがすごいんでしょう?
>そのためにはどう育てたらいいのでしょう?
まあまあ、そんな大げさにとらえられなくても(^^)。
「あまい、あまい」さまはガウス少年のような天才のことを言っておられるんでしょう。こういう天才性は幼稚園どころか生まれる前から決まっているようなものです。一般人には無関係な話です。
しかし、私たちが目標とする中学受験クリアのためには「大人をうーんと唸らせるような頭の切れのよさ」なんかまったく必要ありません。天才である必要はなく、一般人が「普通に」努力することができれば大丈夫ですよ。まあ10歳までが勝負というのは私も感じます。それまでに学習習慣がついていないとさすがに中学受験は厳しいと思いますので。 -
【975309】 投稿者: やはり、あまい、あまい (ID:1A4Ko4Vs/7Y) 投稿日時:2008年 07月 08日 23:16
花鳥風月 さんへ:
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> 「あまい、あまい」さまはガウス少年のような天才のことを言っておられるんでしょう。こういう天才性は幼稚園どころか生まれる前から決まっているようなものです。一般人には無関係な話です。
そんなガウスのような超天才の話ではないんです。我が子の周囲には数名そういうお子さんがいます。低学年から進学塾に通ってるからこそ、そのような異常に脳が発達した子ども達の力に気付かされるわけですが。平均点40点くらいを想定した進学塾の難問ぞろいの算数でもこともなげに彼らは満点をとります。何もかも見えているかのようです、彼らには。もちろん親が勉強を必死でさせている様子は微塵もありません。20人のクラスに3人くらいそういうお子さんがいれば、一般人には無関係な話と切り捨てるわけにはいかないのではないですか。彼らが「灘中」などの超難関校に進む現状を考えれば、3才までが勝負という説もあながちデマではなさそうです。 -
【975860】 投稿者: そうかなあ (ID:8xtnKYa/UCI) 投稿日時:2008年 07月 09日 13:16
異常に脳が発達した、とありますが、果たして本当にそなのかなあ。
「脳の発達」という言葉を使うのはどうかと思います。
確かに小さいうちから「賢い」お子さんはいらっしゃいます。
逆にどんなに頑張ってもある程度までしかいかないお子さんがいらっしゃるのも事実。
私が子供時代もうすうす感じていましたが、実際子育てをしてみて、やはり「持って生まれたもの」ってあるのだな、と実感しています。
「持って生まれたもの」+「環境」の相乗効果で特別おできになるお子様が出現するような気がします。
逆に、「持って生まれたもの」があれば3歳までが勝負ではなく、その後いくらでも伸びる例をたくさん見てきましたが、、、 -
【977268】 投稿者: a (ID:peQuL/Pp93Q) 投稿日時:2008年 07月 10日 21:39
そうかなあ さんへ:
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> 異常に脳が発達した、とありますが、果たして本当にそなのかなあ。
> 「脳の発達」という言葉を使うのはどうかと思います。
> 確かに小さいうちから「賢い」お子さんはいらっしゃいます。
> 逆にどんなに頑張ってもある程度までしかいかないお子さんがいらっしゃるのも事実。
> 私が子供時代もうすうす感じていましたが、実際子育てをしてみて、やはり「持って生まれたもの」ってあるのだな、と実感しています。
> 「持って生まれたもの」+「環境」の相乗効果で特別おできになるお子様が出現するような気がします。
> 逆に、「持って生まれたもの」があれば3歳までが勝負ではなく、その後いくらでも伸びる例をたくさん見てきましたが、、、 -
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【977273】 投稿者: 花鳥風月 (ID:vKrwqQkDT5o) 投稿日時:2008年 07月 10日 21:45
やはり、あまい、あまい さんへ:
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> 平均点40点くらいを想定した進学塾の難問ぞろいの算数でもこともなげに彼らは満点をとります。
そういうレベルの子どもさんを想定されているのですね。でも中学受験で満点とる必要はありませんね。合格圏内であればいいわけで。やはり、一般には無関係な話です。無関係という言い方が悪ければ、よそを気にしても意味がない、と言えばいいでしょうか。情報を得たうえで、その情報が自分にとって役立つものか意味がないものかを見極めるのは現代に生きる人間の基本的な生きる力です。
>何もかも見えているかのようです、彼らには。もちろん親が勉強を必死でさせている様子は微塵もありません
これは重要な示唆に富んだお話と思います。そういうご家庭は必死の努力などしていないのです。先のレスに私はわざと「普通の努力」と書きました。必死というのは普通ではないのです。普通でない努力は無理があります。そういうご家庭は、努力があまりに日常化していてことさら努力とは感じないのでしょう。あるいはさらに上のレベル、そういう努力を心から楽しんでいるのでしょう。私たちも、そういう心境にいたりたいものです。 -
【978279】 投稿者: 公文について (ID:mIFrIbrKbgA) 投稿日時:2008年 07月 11日 22:07
公文信者には、怒られそうですが。事実の話です。
上の子は小4、算数が得意なので課題が早く終わると、他の生徒の○×をつけるよう
先生から時々言われるそうです。
公文で中一の学習をされている方ですが、
18÷3 = 5 ・・・ 3
という回答があったそうです。思考力以前にいかに早く回答するか、
本当に速度しか求めていないのだと感じました。
下の子は年少ですが、公文で九九をすでに習ってできるというお子様が
いました。うちに遊びに来たので、ちょっと意地悪な質問を致しました(いやらしいですね)。
4 + 4 + 4 + 4 + 4 =
「何、こんなの分かんないよ」と、見たとたん言われました。
掛算を全く理解していないのだな、と感じました。
シャレではあリませんが、インコを飼っている方が子供に毎日九九を教えたら、
インコの方が先に覚えたそうです。
結論として、公文は算数が苦手な方が通われるところです。
算数をいかにして、暗記科目にして教えるか、それが公文の実態です。 -
【978356】 投稿者: 釣りだと思いますが (ID:mjtAgb45nss) 投稿日時:2008年 07月 11日 23:36
どなたか教えてください 様
>>計算のスピードがとても速く「僕、先生の悩みの種みたい。」と言っていました。
>>こんな時あいた時間をどうすればよいのかどなたかアドバイスを頂きたいのですが。
それは担任の先生にお聞きすれば、よろしいことです。
先生は、今まで多くのの文生・通塾生を見ていられます。
「悩みの種」とおしゃっているのは、計算が速いのではなく、別の意味があると
思いますよ。
ちなみに公文生の特徴として(一部の方でしょうが)、
・先生の説明途中に、「簡単、それ分かる」と言って、授業を妨害する。
・テスト中、書く音が大きく回りにひんしゅくをかっている。
・まともに授業を聞かず、あくびばかりしている。
などなど
本当にかしこい子は、空いた時間をどうするか自分で考えます(先生への相談も含めて)。
ちなみにうちの学校では、本読みをやらせたりしています。また他の子の採点をさせたり、
工夫しています。ただし、他の生徒さんに信頼されているお子様ばかりの様ですが。 -
【978456】 投稿者: 誤解なさってませんか? (ID:LWIPHfpaxAg) 投稿日時:2008年 07月 12日 02:20
中学受験に関する著書を何冊か書かれている熊野孝哉氏は、ネット上に出回る公文式に
関する否定的情報について、情報を受け取る側がそれをよくよく吟味する必要性を
述べられていました。
つまり、公文式に関する情報の場合、何らかのアジテーション、更に言えば、
プロパガンダ的手法による撹乱情報が含まれる可能性を排除しないように、という示唆
でもあります。
逆に言えば、受け手側の情報リテラシーが問われるということでしょうか。
ネット上に存在するあらゆる情報は、受け手側が自己の責任において判断・活用する
ことを強いられるわけですが、ともすれば受け手側は情報発信・授受に関し、
弱者となってしまう場合があります。
何が親切心によるものなのか、何が悪意によるものなのか、何が営利目的なのか、
何が非営利なのか。
その見究めを、情報分析のプロではない人間が行うのは難しくなって来ています。
日々、膨大に発信される情報を前に、特にそれを感じずにはいられません。