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【2896921】マーチレベルの大学に入れる割合

投稿者: 野球坊主   (ID:8803dYk82F6) 投稿日時:2013年 03月 14日 10:35

マーチレベルは簡単!誰でも入れる!とネット上で見ます。
医学部や旧帝大や早慶は超一流難関大学の括りで言わずと知れてよくわかります。
マーチや地方国立大の難易度について教えてください。
昔のイメージで全ての国公立や東京六大学=難しい大学の図式に頭がなっていまして。大学や学問に段階をつけるのは僭越ですがどの程度の簡単さかちょっと知りたいです。

インターエデュの書き込みはレベルが高いのでいまいち一般的なことがよくわかりません。
中学受験ではなく首都圏の普通の公立中学から私立や公立に高校受験した場合、その先マーチ以上の大学に一般入試で進学できる割合って現役生で(本当に大体で)何%くらいでしょう。
例えば・・・、公立中学が1クラス40人学級で成人式に再会したら10%?20%?半分くらい?はマーチ以上の大学に進学できますか。クラスで上位何番目にいれば目安になりますか。

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  1. 【5955795】 投稿者: やはり  (ID:jleiudN3FSc) 投稿日時:2020年 07月 23日 09:40

    東大~なんですよ

    一橋、東工大は、熱望組のみ

  2. 【5955797】 投稿者: 本当にそうですね  (ID:35W5AFOC78A) 投稿日時:2020年 07月 23日 09:41

    同意致します。
    また東京のお話で恐縮ですが
    marchの付属各校に進学した場合

    〉早慶に行けなかったから仕方なくmarchにしたんだろう
    〉都立トップ校は無理だったからmarchで妥協したんだろう

    というように決めてかかる方がいらっしゃいますが
    実際にはそうとは限らないわけです。

    当方男子、塾ではそれなりの勉強をしていたので
    持ち偏差値は高く、また内申点も取れていた事から
    早慶や都立トップ校なども合格圏内でした。

    でも、本人が共学を好み、また大学受験勉強に時間を割くよりも他にやりたいことがある
    と申しましたので、その教育理念に共感したmarchの1つに進学しました。

    付属を好む家は、偏差値や実績を第一に考えるとは限らない
    進学校に進まれるご家庭とは、学校の捉え方・考え方が根本的に違う
    という事が言えると思います。

    でもこれが、大学になるとまた変わってきてしまうのが、些か残念な気もします。

  3. 【5955803】 投稿者: 想像  (ID:l9zKapS0A/I) 投稿日時:2020年 07月 23日 09:48

    あなた自身がその辺りの学校に強い執着心を持っていらしゃるのかと勝手に勘違いしてしまいました。すみません。一般的にわざわざ地方から東京の大学に行くというのはよっぽど能力が高く志を持つ人か単に東京に憧れてという方々、どちらの割合が高いのでしょうね?ひょっとしたら後者の方が今は多いのでは?

  4. 【5955806】 投稿者: 話が堂々巡り  (ID:1Ii/tIrcr9A) 投稿日時:2020年 07月 23日 09:49

    ›私自身中部地方の出身ですが代々同じ学校にお世話になっておりました。

    なんかストンと納得しました。
    うちには東一工も早慶も、それにマーカンの人間もいます。
    だから色んな話が入ってきて、興味を持って聞いています。
    授業や講義のレベルが高いのはもちろんとして、東一工早慶には本当にいろんな人たちがいるんだと感じました。人間の幅が広いっていうのか、考え方も行動もほんと人それぞれで。
    そういった中で自分の世界も広がっていくんだな、と。
    でも同じ教育理念の中で自分と同じようなレベルの生徒たちに囲まれて過ごしていたら、子どもの世界も狭まってしまいませんか?
    大学さんはお子さんには自分を超えていってほしいとは思われないのですか?
    自分と同レベルの人間にしか育たなくても、それでよろしいのですか?

  5. 【5955809】 投稿者: 他スレより  (ID:XQ0B4feKo/.) 投稿日時:2020年 07月 23日 09:51

    ご指摘いただきありがとうございます。

    私は附属からの大学、子どもも附属なので国公立の事はよく知りもしないのに東一工と書いてしまいました。
    なるほど。一橋と東工大は熱望組なのですね。
    勉強になりました。

  6. 【5955837】 投稿者: 偏見  (ID:l9zKapS0A/I) 投稿日時:2020年 07月 23日 10:16

    ずっと同じ学校だからといって皆が同じ様な人間ではないし生き方も様々ですよ。あまり受験勉強に囚われることが無かったせいか結構のびのびしてて個性的な方々もおりました。自分の意思で別の学校を選択し受験勉強頑張っていた友人もいました。とにかくどんな人生の選択でも許されるというのか認めてくれる懐の深い学校でした。偏差値的に大したことがないからといって卑屈におもったり恥ずかしくおもうことは全くありませんでした。子供もそういった学校にご縁があることを願うばかりです。勿論且つ優秀であればより世界が広がり人生の選択肢も広がるので素晴らしいですね。ご縁のある場所で精一杯頑張るというのが我が家のモットーです!

  7. 【5955841】 投稿者: 白百合雙葉  (ID:xIdIbtbL6LA) 投稿日時:2020年 07月 23日 10:18

    >授業や講義のレベルが高いのはもちろんとして、東一工早慶には本当にいろんな人たちがいるんだと感じました。人間の幅が広いっていうのか、考え方も行動もほんと人それぞれで。
    そういった中で自分の世界も広がっていくんだな、と。

    ここだけ切り取ると、あなたの方がお釈迦様の手のひらに乗る孫悟空のように見えますよ。

    >でも同じ教育理念の中で自分と同じようなレベルの生徒たちに囲まれて過ごしていたら、子どもの世界も狭まってしまいませんか?

    公立小でも「同じ教育理念の中で自分と同じようなレベルの生徒たちに囲まれて」過ごしますよね。文科省は一斉教育だし、同じ地域に住めば同じ生活レベルで暮らす子ども達です。生活のレベルが同等=教育のレベルも同等だと思います。
    私立の中高一貫校でも、公立高校でも、進学校でも附属校でも、入試というセレクションがあるので、周りにいるのは「自分と同じレベルの生徒たち」です。
    おっしゃっていることが矛盾してませんか?

    > 大学さんはお子さんには自分を超えていってほしいとは思われないのですか?
    自分と同レベルの人間にしか育たなくても、それでよろしいのですか?

    他人様のことながら、いちばん驚くのはこの部分です。
    子どもの成長や幸せを願わない親は存在しますか?
    誰しも、子どものためを思って日々の教育に心を砕いているのではないですか。
    私なら、人間を「レベル分け」でしか考えられない物差しを持つことこそ、恥ずかしく思います。

    話が堂々巡りになるのは単純に価値観の違いだと思います。
    横から失礼しました。

  8. 【5955851】 投稿者: 横から失礼  (ID:fC57a/qelo.) 投稿日時:2020年 07月 23日 10:28

    >国立大学創設の折には、「高等教育の場を広く・公平に国民各層に保障する役割」を担っていたかもしれませんが、今の見解では「公平に国民各層に」の部分は抜けているような気がします。 本当か嘘かはわかりませんが、「東大入学者の家庭の平均年収は1000万円超だ」と言われる時代です。
    国立大学だからといって、国民各層に公平に…とは言えないのではないでしょうか。
    そもそも、高等教育や学術研究は慈善事業ではありませんから。


    先の私の書き込みをご覧いただくと自明のように、「高等教育の場を広く・公平に国民各層に保障する役割」を担ったのは、主に戦後各地に設立された国立大学群を指す。いわゆる「旧帝」とは異なるコンセプトによる。それが団塊の世代以降の戦後進学率の上昇による過剰な浪人発生を抑制すべく、あの「二期校」との形で具体化されたのではないかと思われるのである。そして、それら国立大学は現在でも―地方の18歳人口減少化により―地元公立高校の生徒を中心に受け入れるとの形でその使命を果たしているといえる。

    しかしながら、入学者の多くが地元出身者で占められるということは、地元高校生の激減が見込まれる地域にある国立大学にとって、今後受験生のパイを増やすことをより困難にする。しかも近時の地方経済の衰退は、彼らの主たる就職先である地元優良企業の減少をもたらす。それゆえ「生き残り」をかけ、連携あるいは統合の動きが急である(国サイドからの働き掛けもあろうが)。

    たしかに「高等教育や学術研究は慈善事それゆえ業ではありません」が、けっして営利事業ではない。むしろ公益性高い存在であるからこそ、全国の国立大学は以前から経済的困窮にある入学者ならびに留学生らにつき、学納金一括免除といった特典を付与してきたのであろう(財政難の私学には到底無理な相談だ)。また憲法89条にも関わらず、その私立大学においてさえ―微々たるものとはいえ―公費からの助成がなされているのである。

    そのような意味で、東大・京大等旧帝とその他国立大学とを露骨に分断化する最近の国(文科行政)の政策意図とはまた別に、地方国立大学には独自の公共的使命―人口減少地域における高等教育の保障―が託されていると私には思われるのである。それは主たる収入源を学納金に頼らざるを得ないこの国の私立大学では担えない、彼ら自身の存在価値をかけた尊い責務である。

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