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【3769874】文部科学省が国立大学に文系学部廃止を要請!従わなければ交付金停止なども

投稿者: 名無しのプログラマー   (ID:b.IcRJT5AkM) 投稿日時:2015年 06月 18日 07:26

8日の大学への通知では、人文社会科学系や教員養成系の学部の廃止や他分野への転換を求めた。
下村文科相はこの日「これらの学問が重要ではないと考えているわけではないが、現状のままでいいのかという観点から徹底的な見直しを断行してほしい」と理解を求めた。

全文は元記事で
http://www.gigadamu.com/2015/06/news1379534.html

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  1. 【6900137】 投稿者: 関西人  (ID:D.RhV3b03hU) 投稿日時:2022年 08月 20日 17:55

    生物は細胞生物学のようなミクロなのと生態系を論じ分析するマクロなのとがあるよね。

  2. 【6900301】 投稿者: さすが数弱  (ID:FRUxDz3.MHI) 投稿日時:2022年 08月 20日 20:41

    科学技術に携わった経験のない君が、科学技術の内容に関する知識のない君が、理数系の素養を持っていない君が、外野からうんちく垂れても無駄だよ。上面をなでているだけで何ら説得力がない。現実味がないから、笑われるだけ。

    だからもうやめなよ。見ている方がかわいそうになってくる。

  3. 【6900360】 投稿者: ポストモダン  (ID:fmdGYWPU8Rs) 投稿日時:2022年 08月 20日 21:28

    あのねえ、一応、私が理解している限りで解説して差し上げますと、二俣川さんは、新カント学派の価値論の観点から、科学と価値の問題との関わり合いを論じているのであって、特に科学そのものの内容を論じているわけではないのです。
    どちらかというと、科学に関わる哲学や倫理の問題を論じているのです。
    だから、哲学に無知な君がどうこう言える問題ではないのです。

  4. 【6900530】 投稿者: さすが数弱  (ID:FRUxDz3.MHI) 投稿日時:2022年 08月 21日 00:41

    > 二俣川さんは、新カント学派の価値論の観点から、科学と価値の問題との関わり合いを論じているのであって、

    テクノロジーの発達によって、人の考えも、社会の在り様も変わってきているのに、昔に構築された理論で現代の科学技術を論じることが滑稽だといっているんですよ。私は哲学が不要だとは思っていませんが、現実にそぐわない理論で議論しても何も生産性がありません。哲学も現実を踏まえて逐次アップデートしてもらいたいです。

  5. 【6900641】 投稿者: まあ  (ID:0ru6LiRFYMY) 投稿日時:2022年 08月 21日 07:39

    説得は無理ですよ。

    ①サンプル数1の個人的体験、
    ②時代の変化についていけない教祖の聖典の読書、
    ③理数わからないのに謎に自信を持っている判断力・解釈力、

    を武器に、2000年も戯言をつぶやき続けることこそが哲学の本質ですから(笑)

    "領地を守ろうと喧嘩腰になっているのは誰かと言うと、"ある文化"に属する人々、すなわちスノーが「第二の文化」と呼んだ人文系知識人、文化批評家、博識なエッセイストなどからなるグループである。「彼らは物事を一般化するのが得意で、自らの個人的体験、読書傾向、判断力をもとにして世界を論じる。癖の強い奇を衒った表現の随所に顔を出す主観性が、彼らの"文芸共和国"の法定通貨である」。これは科学とはまさに正反対の流儀であり、だからこそ第二の文化の知識人は「科学主義」をひどく恐れている。"

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  6. 【6900663】 投稿者: ポストモダン  (ID:fmdGYWPU8Rs) 投稿日時:2022年 08月 21日 08:08

    「外なる星辰の軌道の法則と内なる道徳律」ですか?確かにカントの哲学は二俣川さんと相性がいいかもしれない。
    佐々木隆治の「素材の思想」は前近代的な素朴への回帰を仄めかしているし、斎藤幸平の「脱成長コミュニズム」と並んで、新カント学派の価値哲学の復活を目指すのは、ポストモダンへのアンチテーゼとしては結構筋がいいかもしれない。
    今後のご活躍に期待します。

  7. 【6902477】 投稿者: 自然観  (ID:2DcaQYINWOY) 投稿日時:2022年 08月 22日 17:48

    近代科学は、先の確認の通り、実証的合理主義の価値観に支配されている。その深層を探ると、人間中心的な価値観に基盤を据えていることが分かる。しかしながら、この理解には近代をしてかえって自然主義的だとの反論も可能かもしれぬ。たしかに近代では、人間をして機械と見るまでもなく、自然的存在に解消する客観主義的な自然中心主義ではないかとも指摘される。だが問題は、その「自然」概念である。先述の確認のように、近代の物心二元論では、自然が機械論的な存在として観想されている。この自然観では、あるいは自然を機械という人間の被造物でかつ人間のための用具とみることによって人間の支配の対象と見る、人間中心主義の自然観のごときである。因果法則に支配される惰性的存在としての機械的自然は、ベーコンのように「知は力である」として、人間の支配の対象として利用可能な手段的存在と見ることは可能であって、それ以上に自然法則を技術的に操作可能にし、自然存在自体を使い鳴らしてしまうほどに徹底する。近代主義では、存在論的には物心二元論によって自然主義と人間主義を分別するが、価値論的には自然はそれ自体の価値は有せず、せいぜい人間にとっての手段的価値を包含するに止まる。この限りで、自然は人間にとっての用益的・手段的価値存在に過ぎず、人間存在こそ目的価値を有する中心的存在と了解されることになる。それは近代経済学に典型的にみる如く、自然物はそれ自体では価値を持たず、人間の欲求との相関で用益的価値を帯びる人間的価値中心主義が近代を支配したといえよう。もっとも、この人間価値中心主義が環境破壊・資源枯渇・人口爆発の諸危機を惹起せしめたことは事実である。

  8. 【6902493】 投稿者: 哲学の任務  (ID:2DcaQYINWOY) 投稿日時:2022年 08月 22日 18:02

    より善く生きるためにより良く知ろうとする哲学の主題にとっては、より正確な知識の探求のために、憶測や思いなしdoxaと区別された確実で明晰な知を探求することになる。それは同時に、客観的な事物がわれわれに「現れ」るのであり、これは主体的に「分かる」ということの分析となるからして、知識論の主題を認識論が担ってきた。したがって、従来の認識論は、知識の本質、根拠、限界などについての根源的な問いの研究を主題にした。しかしそれは、「知識に関する知識」を組み立てることにはなっても、なぜ、われわれは知るのかの問い、さらには知ることがわれわれが生きることに関してどのような意味・意義を有するのかとの問いについては、十分に答えることはできなかった。ここに認識論から知識論への転換への契機があったといえる。

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