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【3769874】文部科学省が国立大学に文系学部廃止を要請!従わなければ交付金停止なども

投稿者: 名無しのプログラマー   (ID:b.IcRJT5AkM) 投稿日時:2015年 06月 18日 07:26

8日の大学への通知では、人文社会科学系や教員養成系の学部の廃止や他分野への転換を求めた。
下村文科相はこの日「これらの学問が重要ではないと考えているわけではないが、現状のままでいいのかという観点から徹底的な見直しを断行してほしい」と理解を求めた。

全文は元記事で
http://www.gigadamu.com/2015/06/news1379534.html

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  1. 【6903506】 投稿者: ポストモダン  (ID:KmE1RrARASk) 投稿日時:2022年 08月 23日 13:33

    >かたや役立つ何かを生み出すことを期待され、、、、、、、、、そんなに哲学の科学方法論が凄いなら、それに則った偉人が何か一つでも人類に感謝されることを生むはずなのに、

    結局、人間に役に立つものを提供するという「価値関与性」が科学の役割であって、何が人間の役に立つかを考察する「価値評価性」は、科学には求められておらず、それは、社会思想や哲学、もしくは市場の原理の役割だということですね。
    二俣川さんが提示した「新カント学派の価値哲学」の問題意識が必要になってくるということです。
    民主主義や人権、人間の自由といった問題を考察して、近代社会を形作る政治思想の基礎を築いた、カント、ロック、ルソー、マルクスなどの思想家は今でも高く評価され人類に感謝されています。
    単にあなたが無知でそれを知らないだけです。

  2. 【6903537】 投稿者: まあ  (ID:oCF7judaABU) 投稿日時:2022年 08月 23日 13:52

    価値の評価は、中学の理科数学が怪しい哲学者になんぞやってもらわなくても、各人が行うので、余計なお世話は結構です(笑)

    同様に政治の信条も、各人が良いと思う信条を勝手に持つので、哲学者が手柄稼ぎにしゃしゃり出てこなくて結構です(笑)

    あと、ポエム哲学者がたった今も恩恵に浴している、無線通信技術を作った科学者、あなたのスマホの半導体を作った科学者、ディスプレイの科学者、快適に生活できているエアコンの科学者、水洗トイレの科学者、冷蔵庫の科学者、家の設計の科学者、安価な衣食を可能にした科学者、その他に、謙虚な気持ちで感謝を捧げてね!

    どれ一つ取っても「観察の理論負荷性」の真逆をしないと実現していなく、哲学者の言うことを聞いていたら、あなたは今も穴ぐら生活をしているはずだよ!(笑)

  3. 【6903543】 投稿者: ポストモダン  (ID:KmE1RrARASk) 投稿日時:2022年 08月 23日 13:56

    >実際、例外があります。ベル電話会社のエンジニアがノイズ電波の測定をしていたところ、全くの偶然に「背景輻射」を発見し、ビッグバン宇宙論の動かぬ証拠になりました。
     八木博士の電波指向性の発見も、学生実験におけるものでした。いずれも理論を背景とした実験ではなく、全くの偶然によるものです。新しい測定方法を適用したり、測定感度が上がると、意図しない発見が起こり得るのです。

    測定は常に理論に裏付けられた指向性を有さなければなされないということを言っているのです。エンジニアによって行われるノイズ電波の測定だって、何かの理論に基づく原理を背景にして行われるものでしょう。
    学生実験だって、何かの理論に基づく実験だったはずです。
    それらが、偶然にも、別の理論の根拠となる「事実」を発見してしまったということにすぎません。(この場合は、何かの理論に関連付けられた事実となるので、単なる中性的な感覚与件ではない)
    現象学における、指向性と対象(ノエシスとノエマ)の関係性をお勉強してください。
    意識は常に何ものかへ向けられた意識であるのと同じように、測定は常に何かの理論や原理に向けられた測定なのです。

  4. 【6903628】 投稿者: 違うと思います  (ID:TJR0cWpzzeo) 投稿日時:2022年 08月 23日 14:57

     冷静なご返答に感謝します。

     「背景輻射」の発見の時は、もともと空中を飛ぶノイズ電波の発生元を確かめることが目的でした。ここではScience的な「理論」と呼べる背景はありません。
     八木博士の学生実験も、単に電波の測定を学生に期待したのみで、電波の指向性を予想するScience的な理論の背景はありません。
     これらは、ハンソンの「観察の理論負荷性」のいう「理論」には当たらないと、私は思います。

     さらに例外は数多くあります。
     フレミングのペニシリン発見は、ブドウ球菌の培養中に青カビの発生を見つけたことから始まっています。これも背景となる理論無しです。
     デュポンのブラケットが発明したテフロンは、ガスボンベ内側につるつるした皮膜を発見したのがきっかけです。これは理論もなく、実験結果ですらありません。

    >意識は常に何ものかへ向けられた意識であるのと同じように、測定は常に何かの理論や原理に向けられた測定なのです。

     ハンソンも「観察」を「see」と言っていて、「観察・観測」に対して(哲学的には)人間の意識の志向性(先入観と似た意味?)をかなり重要視しています。
     この点は、現代Scienceの見方とかなり認識が違います。
     それはかつて、スキャパレリやローウェルが目視観測により「火星には人工的な運河がある」と主張した(1900年前後)というような、目視観測の致命的な誤りの歴史があるからです。そのため、先入観を伴なう目視観測結果は採用されない(「see」じゃだめ、ということ)、というのが現代Scienceのオキテです。

     あなたの主張は、哲学側からの認識では評価されているのでしょうが、(私のような)Science側の人間には腑に落ちるものではありません。

     

  5. 【6903714】 投稿者: 横から  (ID:YKGPHmkn9QM) 投稿日時:2022年 08月 23日 15:48

    >哲学側が政治活動の道具となってしまったために(特に暴力革命路線はひどい。マルクスのせい?)、本来の哲学の姿を見失ってしまっているのではないかと思います。

    短絡に過ぎ、乱暴だ。その根拠はいかに。
    それであるならば、自然科学が人類に及ぼした負の側面に付き、君はどうお考えかな。

  6. 【6903720】 投稿者: 続き  (ID:YKGPHmkn9QM) 投稿日時:2022年 08月 23日 15:54

    それは単なる「偶然の産物」の件でしかなく、ハンソンに対する反論になってはいまいよ。しかも、科学哲学と自然科学とは異なる学問的領域である。それゆえ、本質的に土俵の異なるものを単純に比較対照して優劣が決まるものではあるまい。そうであるのに混ぜそのように粗雑に混同して論じようとするのであろうか。少なくとも私は、この国の理系人士につき、哲学的視点を備えてほしいと求めている。

  7. 【6903729】 投稿者: 狂信者  (ID:q.WZBEXr4JY) 投稿日時:2022年 08月 23日 16:05

    狂信者の説得は無理ですよ。

    ①サンプル数1の個人的体験、
    ②時代の変化についていけない教祖の聖典の読書、
    ③理数わからないのに謎に自信を持っている判断力・解釈力、

    を武器に、2000年も戯言をつぶやき続けることこそが哲学の本質ですから(笑)

    貴殿は社会に役立つ頭脳をお持ちなので、社会不要者の戯言に貴重なお時間を浪費するのは得策ではないかと。

    "領地を守ろうと喧嘩腰になっているのは誰かと言うと、"ある文化"に属する人々、すなわちスノーが「第二の文化」と呼んだ人文系知識人、文化批評家、博識なエッセイストなどからなるグループである。「彼らは物事を一般化するのが得意で、自らの個人的体験、読書傾向、判断力をもとにして世界を論じる。癖の強い奇を衒った表現の随所に顔を出す主観性が、彼らの"文芸共和国"の法定通貨である」。これは科学とはまさに正反対の流儀であり、だからこそ第二の文化の知識人は「科学主義」をひどく恐れている。"

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  8. 【6903736】 投稿者: ポストモダン  (ID:WKDkt18Mabg) 投稿日時:2022年 08月 23日 16:15

    現象学における指向性というのは、原理を含む広義の理論に意味づけられているという解釈です。例えば、対象のどんな属性(温度、速度、位置、硬度、濃度など)を測定するかという選択の中にもそれは現れる。目的が明確な秩序だった測定であるならば、それは何らかの原理に裏付けられていて、特定の対象を目指したものと考えられるということです。
    そもそも、測定であるならば、それは何らかの方法や原理に則った秩序だった行為であるはずです。そうでなければ、測定にならない。
    測定を基礎づける科学的な方法論がある、と言ったのはあなた方ですよ。
    特定の方法論や原理、理論に基づかない測定などあるはずがない。それが現象学で言う指向性という意味です。
    偶然、は科学ではありません。
    ということは、偶然を主張するあなたは科学者ではない。

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