マルチリンガルを目指せる女子校
古文漢文要らない
大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)
文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。
ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?
これは以前にも何度か記したことゆえお許し願いたいが、私は部活をやり、そのうえで一橋現役合格を目指していた。しかしあるとき、友人に誘われ偶然に出かけた学祭にがきっかけで志望校をそこに変更した。また率直に言えば、現役合格にこだわるあまり東大を射程から外したことが祟り、ときに「東大コンプレックス」と揶揄されることもある。
さきほどまで『資本論』第3巻25章の「信用と架空資本」の部分を読んでいた。そこで、思わず唸った。マルクスは今日の銀行における当座預金を用いた信用創造まで見事に解明する。あいにく私自身が、企業経営者でもなければ銀行員でもないことが残念。もし多少の実務経験あれば、さらにその構造がリアルに理解できたはずなのに。マルクスは本当に天才だ。
但し、「マル経」の学者らに一言。彼らは、それぞれ訳出するにあたり自ら専門用語を新たに創造する傾向がある。したがって、それぞれの翻訳により異なる「単語」が記されるときがある。たとえば、ある本では「貨幣収束」といい、他方では「貨幣受払い」と訳す。だが、専門外の者には語感的に異なる概念のように見えてはしまいまいか。
その点、「自白」という名詞が原文では女性形であるにもかかわらず、「自白は証拠の『王様』」と訳した先人の「仕事」をそのまま使用し続ける、わが法学の世界のなんと鷹揚で義理堅いことよ。
> 君のこれまでの数々の書き込みやその「さすが数弱」なるHNに象徴される姿勢・考え方に、数学万能論のごとき自惚れが濃厚に見て取れる。
それは君の読解力がないか、勝手に思い込んでいるかのどちらかだね。もうどこにあるのかわからないけど、もう一度読み返してみたら。
> 政治哲学とかだとやっぱり多少はそういうのに耐性がないと読むのは大変だと思います。
昔の受験生は中堅クラスの大学でも英標や解釈教室に取り組んだのに、もはやこれらは最難関クラスしか必要なくなっていますからね。これらの問題集では著名な人が書いた抽象度の高い英文を扱っているのですが、最難関クラスしかなじみがないと、たいていの人は英語で書かれた思想・主義に関する評論文は理解できないですね。英語の話す、書くに比重を置くのはいいけど、帰国子女が有利になるだけで、英語で物事を概念的に捉える力が落ちるのは心配ですね。
あのさあ、二俣川さんはあなたの数学へのこだわりを「数学万能論」の信奉者だからだと、かなり好意的に解釈して評価してくれているんですよ。
でも、本当のことを言うと、そんな大層なものではない。
ただ、俺は入試で数学のあるところの大学の学部の出身だから「数弱」ではないというケチなプライドにすぎないのですよ。
「数学万能論」でも主張するのであれば、まだ見込みはあるが、そんなんじゃダメですよ、という遠回しのアドバイスなんですよ。
みっともないからやめなさい。