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【3840042】古文漢文要らない

投稿者: 役に立たない   (ID:3TMvxx6K0DE) 投稿日時:2015年 09月 05日 13:40

大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)

文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。

ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?

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  1. 【6777795】 投稿者: 同②  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 15日 11:35

    (続き)そして何より指摘しなければならないことは、現実の世界では拒否されている人間的本質が「アップロードされた意識世界」なるもので満たされると信じることの失当である。そこでは意識されないけれども、そこで疎外されているのは現実世界ではじき出されている、あなたご自身の本質的願望ではあるまいか。その結果、そうしたあなたの願望を拒否する現実への正当な抗議のエネルギー的原資たるべきはずの苦悩が、倒錯された形で「アップロードされた意識世界」なる幻想生産へのエネルギーに不当にも転化される。まさに、権力者にとってのみ都合のよい在り方だ(かつての『一億総中流社会』幻想の如く)。

    しかし、それが実践を伴わぬ虚構の世界である限り、いつしか幻想は崩壊する。そして、そののちに現れるものはあなたの願望をはじき出すリアルな世界であり、その厳しい現実を認めねばならぬあなたご自身の意識である。そうであるからこそ、先に例示した北朝鮮においても、いかに独裁者が権力と情報操作で「地上の楽園」幻想(「アップロードされた意識世界」だ)を人民に吹き込もうと、今日も命を懸けての脱北者らが後を絶たないのである。

  2. 【6778150】 投稿者: シンギュラリティ  (ID:Z8yDJGiUFJ6) 投稿日時:2022年 05月 15日 16:47

    残念ながら二俣川さんとやりとりする意思はありません。
    時間の無駄なので。

  3. 【6778187】 投稿者: 何だ逃亡かね  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 15日 17:30

    せっかく観念論とすらいえぬ次元ながら、「大演説」をぶってくれたのに。しかも、当方から議論の材料まで提供したにも関わらず。意気地がない。

    もっとも、とうに結着はついていた。「アップロードされた意識世界」なる欺瞞的幻想も、ひとたび実践を認識の基準に置く限り、虚しい幻想の巣たることを暴露せざるを得ないからだ。たとえ、いかなる豪勢な馳走を食した妄想をなそうと、次の瞬間空腹ゆえにお腹が鳴れば、即現実に引き戻されざるを得ないのである。それがあなたの力説する「アップロードされた意識世界」なるものの正体である。

  4. 【6778285】 投稿者: 夢を見ている夢  (ID:yYcWx8CZKdM) 投稿日時:2022年 05月 15日 18:57

    二俣川さんは映画『マトリックス』をご覧になったことはないのかな?
    近い将来、技術的に可能になるかはおいておくとして、もし意識だけがアップロードできるようになったなら、身体はないのだから空腹もまたなくなるでしょう。意識を存続させるために電気だけは必要かもしれませんけどね。
    思考実験なのだから、空腹を持ち出すあなたの方が逃げているように思えますが。

  5. 【6778413】 投稿者: 岡目八目  (ID:HMAWz2YuM1o) 投稿日時:2022年 05月 15日 21:02

    >たとえ、いかなる豪勢な馳走を食した妄想をなそうと、次の瞬間空腹ゆえにお腹が鳴れば、即現実に引き戻されざるを得ないのである。

    「社会的な存在が人間の意識を規定する」ということが言いたのだろうが、消費のための生産物を投入すれば経済は回っていくと考えるのは、資本主義経済の現実を詳細には把握していない証拠ですね。
    市場経済が消費するものは素朴な生産物だけではありません。
    ガルブルイスの依存効果やヴェブレンの顕示的消費などの分析を見てもわかるように、消費者は宣伝や広告やキャンペーンなどによって膨らまされた商品に付加された価値を消費している側面が大きいのです。
    言ってみればみれば即物的な生産物を消費しているのではなく、生産物に付加された幻想を消費しているのです。
    人々が高級食材を食するのは空腹を満たすことが目的ではなく見栄や美意識みたいな幻想によって形成される満足を追求したいからでしょう。
    クルーグマンやマンキューのみたいな最先端の経済学者は、インフレやデフレが発生する原因は単なる通貨供給量みたいな物質的な条件だけではなく、インフレ期待、デフレ期待という人々が抱く幻想の影響が大きいとする理論を提唱しています。
    最先端の経済学では、「人間の意識(幻想)が社会的な存在を規定する」という考え方が主流なのです。
    『アップロードされた意識世界』が社会的な存在を規定することだって十分あり得る。

  6. 【6778545】 投稿者: お答えしよう  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 15日 22:50

    彼ははたして「思考実験」を語っているのだろうか。私はそうとは解せなかった。今の問題を語っていたからだ。しかも、その映画も未来の姿であっても、現在の姿ではあるまい。

    ところで、この問題は、思惟と実在との関係が真の論点である。すなわち、われわれの思想はこの世界そのものにどのような関係にあるか、ということである。そして、それにつき私の答えは簡単だ。「自然科学と土台を同じくする」というものである。すなわち、物質を根源的な実体と認め、「アップロードされた意識世界」なる感覚、意識、思惟を二次的なものと認める。したがって、科学の限界が私の認識の限界とならざるをえなくなる。しかしその結果、まだ「分らぬものの」空間にそうした得体のしれぬ神秘的な空間をでっち上げるあらゆる幻想から、われわれを守ってくれることになる。

    他方で私は、科学の進歩によって、そうした「分らぬもの」「解明できぬもの」「未決定のもの」等々が、一つずつわれわれ人間のものになることも疑わない。それゆえ、現時点で「分からぬもの」については、あくまで謙虚でありたい。それを失念したとき、その「限界のかなた」は、当該「アップロードされた意識世界」の如く、たちまち野放図な妄想の巣となるからである。しかも、彼らは自然科学の世界では自制しても、こと歴史や社会、文化の世界に入ると急に羽を伸ばす。その好例が、得体のしれない似非宗教だ。

    そうした観点でもって、彼のいう「アップロードされた意識世界」なる野放図な言い分を再読してほしい。その後、どちらの態度をとるかは当然に君のご自由である。ただ、それが「経験」や「実践」の大地を離れるや否や、救いがたい混乱に陥ることは火を見るより明らかである。だからこそ、いくらその「アップロードされた意識世界」なるもので豪勢な食事や満腹を夢想しようとも、現実に口に食べ物を運ぶとの「経験」や「実践」なき限り、それは荒唐無稽な妄想に過ぎぬと私は指摘したのである。

    そうした外部の知的雑炊を何も付け加えず、まずは自然(あるいは現実)をあるがままに解釈することこそが、私の認識論的立場の前提である。

  7. 【6778574】 投稿者: 論点が異なる  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 15日 23:04

    だが、あなたに対するお答えも、上記で以て必要にして十分であろう。また、あなたのご指摘に関して言えば、宇野弘蔵が述べた「『資本論』は唯物史観によって論証されてはならず、むしろ唯物史観が『資本論』によって論証される」との主張に私も同感するとだけ、申し添えておく※。

    ※J・K・ガルブレイスは、『アメリカ資本主義』、『ゆたかな社会』の二冊しか読んだ記憶がない。しかし、なかなかの啓蒙家であったとの印象である。

  8. 【6778639】 投稿者: なお付言  (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 15日 23:45

    資本主義に固執する者は、あなたのように古くからさまざまな「批判」を企ててきた。たとえば、マルクスの労働価値説や窮乏化理論等の個々の命題や理論に対して。しかし、世界でマルクス主義の炎はけっして沈下することはない。資本主義の問題点が噴出する今日、むしろ再評価されているとさえいえよう。その理由は何か。それは何よりもマルクスが唯物史観という方法で歴史全体の動向を太く力強いタッチで描き、そこにトータルな歴史の洞察力を示したからだ。そして、現に滅びつつあるものの中から、何が起こりつつあるかを的確に解明した。

    また、われわれが生み落とされる客観的な社会は、われわれの個人的な意識とは関わりなく外部に存在するものである。これが動かすことのできない根本的な土台である。そのうえで、われわれがどのように解釈を深めても、矛盾は私たちの意識とは関係なく、社会機構の中に厳存する。そうした客観的な矛盾こそ、私たちの精神の中の混乱の根源である。かくして意識が存在を決定するのではなく、人間の社会存在が意識を決定するのである。

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