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【1787177】未だに靖国神社?

投稿者: そこまで言って委員会   (ID:GbXpJovx0M2) 投稿日時:2010年 07月 02日 20:33

そこまで言って委員会をみてたら、田母神さんが、管さんの奥さんに叱られたと話してました。未だに、戦犯を祭っている靖国神社に参拝してるから当然だけど。彼は面白いけど、子供っぽくって成長しない人だね。

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  1. 【1840369】 投稿者: 知ってるつもり?  (ID:w8/6C7olpKE) 投稿日時:2010年 09月 04日 10:15

    そろそろ靖国問題にも繋がる話を。
     
    クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」が話題になった。
    硫黄島戦は、米軍が5日で落とせると見込んだ硫黄島を、日本軍は36日間も守り、太平洋戦争で唯一、米軍の死傷者が日本軍のそれを上回った最大の激戦地だった。
    戦闘を盛上げる勇ましい音楽やわざとらしい演出はなく、ドキュメンタリーのように事実を淡々と描いていて、とにかく痛ましすぎて涙も出なかったが、見る人に戦争について考えるべきことを提供してくれる意義深い作品になっていた。
    クリント・イーストウッドは、原案の『「玉砕総指揮官」の絵手紙』を読み込み、硫黄島の生還者や遺族に取材もして、「日本兵は、あの戦争で十中八九生きては帰れないことを知りながら戦った。彼らのことを忘れてはいけない。」と述べていた。
    日本人キャストを演出しただけでなく、日本人の心情によくここまで迫ったものだと、その手腕に驚いた。渡辺謙が、栗林忠道中将の人柄もにじませながら、武士道を知る智将を見事に演じていた。
     
    栗林中将は陸軍大学校でも成績優秀で卒業時に恩賜の軍刀を授与され、米ハーバード大学?留学経験でアメリカの国力を良く知り、アメリカと戦争しても勝てるはずがないと実感していたが、陸軍中枢から煙たがられ、硫黄島任務を命じられた後は、軍人として決死の覚悟で赴いた。
    映画の中で栗林中将が言った。「我々の子供達が日本で1日でも長く安泰に暮らせるなら,我々がこの島を守る1日には意味があるんです!」
    硫黄島が米軍の手に渡れば日本本土への空襲が容易になってしまうため、栗林中将は、ただ1日でも長く米軍を硫黄島に引き留めておく事を考えていた。実際に、東京・大阪など大空襲の前に多くの人が田舎に疎開できた。
     
    栗林中将は、玉砕する「バンザイ攻撃」という無駄死にを認めず、最後の一人までゲリラとして戦い、「各々が敵を10人以上殺すまで死ぬことを禁ずる」と命令した。
    彼がゲリラ戦による持久戦を選んた背景には、当時の日本より兵士の命と世論の力が格段に重い米国社会に厭戦気分を高め、和平交渉に一分の望みをかけたと推測される。
    (東条英機首相や阿南惟幾陸軍大臣は、あくまで本土決戦・1億玉砕徹底抗戦を主張して和平案に応じず、次の鈴木内閣・東郷外相は、ヤルタ会談で対日参戦を密約したソ連に和平仲介を頼む愚の骨頂)
     
    栗林中将が辞世の句を読む場面が胸に迫る。
     
    国の為 重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
    仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生まれて矛を執らむぞ
    醜草の島に蔓るその時の 皇国の行手一途に思ふ
    硫黄島総指揮官 栗林忠道辞世歌
     
    当時、訣別の電文は大本営によって「散るぞ口惜し」と改竄して新聞に発表されたという。
    「悲しき」の言葉に、どんな思いが去来したか。無謀な戦争に捉われ、たくさんの部下の命を散らせてしまったことを悔恨しながら、自分が死んだ後の祖国の行く末を念じている。
    彼は、手紙でしきりに墓のことを訪ねる妻に対して、「遺骨は戻らぬ可能性が高いし、何より靖国があるから心配するな」と書いている。(墓のことなど心配する妻も、その答えも、なんだか時代的)
     
    「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」
    映画のように最後は自ら先頭に立って戦い、米軍に大将の死を悟られないように階級章を外して出撃したので、遺体はついに発見されなかった。
     
    終戦から60年余りを経て、アメリカにとって理解し難かった敵国日本は、映画史上、この「硫黄島からの手紙」で総括された感がある。
     
    硫黄島戦四十周年の日米硫黄島戦没者合同慰霊祭の慰霊碑より・・
    「かっての日米軍人は本日ここに、平和と友好の裡に同じ砂丘の上に再会す。
    我々同志は死生を越えて、勇気と名誉とを以て戦った事を銘記すると共に、硫黄島での我々の犠牲を常に心に留め、且つ決して之れを繰り返す事のないように祈る次第である。」
     
    こうして国のために死んでいった多くの英霊を祀り鎮魂する靖国神社を、天皇はもちろん、国として首相や閣僚・政治家も参拝するのは当然のことだと思う。政治家は政教分離の問題があるなら私的参拝で構わない。
     
    硫黄島の映画が公開された頃、年少兵として硫黄島から生還されたお爺さんが「世界で一番受けたい授業」だったか?に出演され、生き地獄のような体験を話されながら、
    最後に「それでも軍隊は必要だと思いますか?」と質問されて、「必要だ。守らなきゃならん。」と答ていたのが印象的だったのを覚えている。

  2. 【1840386】 投稿者: 知ってるつもり?  (ID:w8/6C7olpKE) 投稿日時:2010年 09月 04日 10:34

    「硫黄島からの手紙」には、栗林中将と共に戦った海軍の市丸利之助少将も登場し、渡辺謙が「市丸君」と呼んでいる場面があったが、彼のエピソードは描かれてなかった。
     
    市丸少将は、死の突撃前に土豪で、アメリカ大統領宛てに「ルーズベルトニ与フル書」(A Note to Roosevelt)という手紙を書いていたことにも驚かされた。
    「フランクリン・ルーズベルト君に致す」、その気骨と、アメリカが勝った後は世界人類を平和・幸福に導いていって欲しいと願う晴眼さ。
     
    市丸少将のルーズベルト大統領への手紙
    http://j15.org/yukoku/letter.html
    対訳 ルーズベルト大統領への手紙
    http://www.chukai.ne.jp/~masago/roosev.html
    初出は、「昇る太陽-日本帝国滅亡史」(1970年、ジョン・トーランド著)
    海軍少将・市丸利之助
    http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog185.html
     
    この手紙は、硫黄島で海軍将兵への訓辞として読まれ、村上治重大尉が日本語と英訳文を腹に巻いて出撃した。
    発見された手紙は米軍の検閲にかかり、終戦前に急死したルーズベルト大統領には届かなかったが、後にアメリカの新聞に全文掲載され、この手紙をめぐる解釈は、ルーズベルトの政策を批判した米国共和党リーダーのフィッシュ下院議員や、米陸軍参謀本部のウェデマイヤー大将らにも、多大な影響を与えたとされる。
    「我々は、戦う相手を間違ったのではないか?」と。
    その後、市丸少将が危惧した通り、中国は共産化して、アメリカはソ連と対峙し、朝鮮戦争が起き、日米は同盟した。
     
    ベトナム戦争、東西冷戦...、イラク戦争。 今もアメリカは、過ちを繰り返していそうだが。

  3. 【1840678】 投稿者: うーん  (ID:r8oedahswPE) 投稿日時:2010年 09月 04日 17:06

    >日本は、日清・日露戦争までは「坂の上の雲」を目指して、世界の一等国になった。しかし、
    >満州事変から日中戦争への大東亜戦争やアメリカとの太平洋戦争に至る日本の過ちは、世界
    >の潮流を見誤った政治家の無能と、軍部の暴走と無責任のためだ。戦争を煽った大新聞や徳
    >富蘇峰や蓑田胸喜のような右翼的思想言論人にも責任があるだろう。

    全く同感です。ずいぶん前にも記しましたが、このような国策を誤った人物に尊崇の念を抱く
    ことはできません。ただ、どなたかが書かれていたように、誤った政策の責任者と誤った政策
    の犠牲者が一緒に祀られていることを問題と感じているわけではありません。そうした主観的
    なレベルの問題ではなく、政策を誤り国を滅ぼした「英霊」に参拝したくないのです。不敬を
    恐れず申し上げれば、ご親拝あるいは行幸が途絶えているのもここに理由があるのではないか
    と思っています。


    合祀ができるのに分祀ができないという教義がどうしても理解できません。何とかならないか
    なと思います。

  4. 【1840764】 投稿者: 知ってるつもり  (ID:w8/6C7olpKE) 投稿日時:2010年 09月 04日 18:53

    > 合祀ができるのに分祀ができないという教義がどうしても理解できません。何とかならないかなと思います。
     
    面白い方ですね。靖国に祀られた名簿があるだけですよね。
    神道では分祀は不可などというが、所詮、神様ではなく人が考えた決め事でしょう。魂も現代科学で濾過でも分離でもすればいいのに。
     

    日米戦争は、東条英機首相が独裁的に先導して起こしたのではなく、日本が米国による経済封鎖と石油禁輸で追い込まれた結果、窮鼠猫をかむような開戦だった。
    しかし、東条英機首相ら戦争最高指導者や軍部は、真珠湾攻撃の大成果から初戦の連勝に浮かれて、「まだ勝てる」と戦争を続行して戦線を拡大し、ミッドウェー海戦で大敗北して一気に形勢悪化に逆転した後は、停戦和平交渉の機会を逸して戦争終結の落としどころもなく負け戦を続け、膨大な戦死者や国民の犠牲者を出し原爆まで投下され、ついに日本を無条件降伏による敗戦に至らしめた責任は極めて大きいと思う。
     
    東条英機は戦陣訓を発布し、この中で「名を惜しむ」の「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿(なかれ)」の一節が、太平洋戦争中の日本軍の玉砕・全滅や自決を推奨し、降伏を禁ずる原因だったと今では理解されている。(武士道的だが)
    日本兵に退路を断ち、日本兵の九割が戦闘ではなく「病死、餓死、自刃、特攻」と言う過酷な死を兵に課した責任もある。圧倒的に劣る軍装備と補給体勢で、過酷な前線は精神論ばかりで戦わされた。
     
    敗戦の折、阿南陸軍大臣は切腹して自決した潔さに比べて、戦陣訓を出した当の東条英機は、逮捕にやって来た進駐軍の目前で短銃自殺に失敗して一命を取り留め、巣鴨プリズンに収監されて、東京裁判の法廷で有罪とされ、絞首刑にされた。ただ、敗軍の将が生きて虜囚になれば、いかに恥辱を受け汚名を残すかを、自ら示したとも言える。
    「お国の為に死んで来い。」と演説していた首相が、切腹も出来ず拳銃でも死に切れないような情けない男だった。まさしく陸軍の官僚的な軍人。
     
    それでも、東条英機は、日本の無罪を主張して弁論し、東京裁判で天皇の戦争責任と処刑を回避するため一切の戦争責任は自分にあるとした上で、戦犯として処刑された。
    だが、松岡洋右元外相のように軍人でもなく、監獄中(病院)で病死して死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしい。昭和天皇も、外務大臣・松岡洋介らの外交失策には不満があったんだろう。
    元戦犯でなくとも、彼らにも靖国合祀の資格があるだろうか?
     
    死者は語らないが、「あんな戦争指導者と靖国に合祀されるのは無念」と思う英霊は多いかも知れない。果たして英霊達が、処刑された元A級戦犯も悲劇の殉難者として合祀された状態で、安らかに眠れるのだろうか? 
     
    元A級戦犯の靖国合祀問題は、外圧で参拝の是非を論議する前に、純粋に日本国内問題だと思う。
    靖国神社は、できるものなら、元戦犯を分祀するか、合祀前の霊を祀ることを保留する宮司預かりの状態に戻すと良いと思う。
    そして、靖国神社に眠る数多の英霊を鎮魂するために、天皇は参拝すべきだし、首相・閣僚も政治家も公式参拝は不可なら私的参拝すべきだと思う。
     
    東京裁判
    http://shupla.w-jp.net/datas/flash/KGS.html 
    李登輝前台湾総統 靖国参拝後、日本外国特派員協会での記者会見
    http://www.youtube.com/watch?v=JsZBGxpcyzg&feature=player_embedded
    http://www.youtube.com/watch?v=Z5kLyqI5QgY&feature=related
    真実はどこに・・・
    http://shupla.w-jp.net/datas/flash/sinjituwadokoni.html
    靖国神社宮司 松平永芳氏
    http://ihasa.seesaa.net/article/4244960.html

  5. 【1840772】 投稿者: うーんさんに賛成  (ID:e9yl6ajY0IQ) 投稿日時:2010年 09月 04日 18:59

    「知ってるつもり」さんは、ディテールは結構ですから、論旨を明確にしていただきたい。耄碌爺のくりごとや昔がたりではないのですから。

    それはさておき、

    国家指導者は、国家運営上の自らの責任をめぐっては、きっちりとけじめをつけるべき。これは指導者が国家を私することをゆるされた体制でなくば、当然のことで、「国家理性」の一つとして指導者のみならず国民一人一人が共有すべきものです。

    国家運営を誤った個人や団体がいつまでも権力の座にあり続けれいかなることになるのか、自民党政権の末路を見れば明らかでは? 民主党政権を支持するつもりなど少しもありませんが、政権交代がないままバブル崩壊以降繰り返された自民党政権の失政にもかかわらず、政治責任という点において同党は何らのケジメもつけずにきたではないですか。それは国家、国民に不幸をもたらしたばかりか、同党自身堕落していったのでは?

    国家運営を誤った指導者を顕彰すれば、それこそ政治責任に対する指導者の身の処し方を曖昧にし、その結果国家は堕落していきます。

    したがって、祖国に対して神武このかた始まって以来の最大の恥辱と汚点をもたらした指導者について、靖国が一宗教法人として合祀するのは自由ですが、もしかりに同神社が国家にとっての慰霊の場所と自己規定するのであれば、やはり、上述の「けじめ」には敏感であるべきではないかと。その点、やはり昭和天皇もご指摘の通り、当時の松平宮司は熟慮が足りなかったと言わざるを得ないでしょう。

    昭和天皇が個人的に東條という人間のおそらく能力ではなく臣下としての姿勢や人柄を好意的に見ていたにもかかわらず、靖国への合祀にはそれを是とされなかったのは、陛下の国家・戦争指導の最高責任者たるものとして大しくじりを演じてみせた人物の国家理性的な観点から国家・国民に対して、そして明治大帝の下された憲法に規定されるところの陛下ご自身への責任という点から、批判、糾弾を免れずと判断されたからではないでしょうか。

    そうした先帝の御判断は実に正鵠を射たものですし、今上陛下もそのお考えを継承されたということではないでしょうか。東宮殿下が皇位を継承されても、おそらくそうしたお考えに変更を加えら得ることはないのではないでしょうか。

    個人的には、私も所謂A級戦犯を「戦犯」と呼ぶを好みませんし、東京裁判自体近代の法の精神を冒涜したある種の暴挙であると考えています。しかしながら、それとは別次元において、すなわち上述の「国家指導者たるべきもの、かくあるべし」という点からすれば自国を亡国の淵に追いやった者たちを「英霊」扱いしてはいけないだと信じてやみません。その部分に関しては、個人の感情は排されなければならないと思います。

  6. 【1840790】 投稿者: それを言っては、  (ID:e9yl6ajY0IQ) 投稿日時:2010年 09月 04日 19:15

    みもふたもない。

  7. 【1840822】 投稿者: 知っているつもり  (ID:w8/6C7olpKE) 投稿日時:2010年 09月 04日 20:10

    うーんさんに賛成 さん
    > 「知ってるつもり」さんは、ディテールは結構ですから、論旨を明確にしていただきたい。
    あなたのような知識も見識もある方に細かいことはウンザリでしょうが、スレ主のような若者?か外国人?は、日本がなぜ戦争をしたのか?知っているのか分からないので、背景や経緯を「知ってるつもり」(関口宏の番組なかった?)風に書きました。
     
    ご尤もなご意見で、同感です。
    ただ、もし、日本はどんなに窮地に陥ろうが、日米開戦すべきではなかったとすれば、あるいは、もっと早くに戦争を止めるべきであったなら、それを出来るのは天皇の聖断しか無かったと思います。もちろん、近衛首相も東条首相も、命がけでやるべきでしたが。
    あなたのような堂々とした原則論に立って話をするならば、あえて言いますが、
    国家元首として連合国による処刑は免れた昭和天皇も、占領から独立後にでも退位して、皇太子が即位べきだったと思います。それこそ、一番の堕落の原因かと。
    (言っておきますが、僕は左翼や共産党支持者ではありません。保守です。)

  8. 【1841044】 投稿者: 天皇退位論  (ID:e9yl6ajY0IQ) 投稿日時:2010年 09月 04日 23:24

    私には、昭和天皇が退位すべきだったという論拠がわかりません。

    対外的な道義的責任ですか? 道義というならば、本来戦争は相互的であるべきです。私は日中戦争ですら、日本が一方的に侵略者の汚名を着せられるべきではないと思っています。当時の国民政府にも大いに責任を感じてもらわねばならないし、場合によっては中国共産党もそうです。確かに我が国はサンフランシスコ講和会議で東京裁判の判決なしは裁判そのものを受け入れたわけですから、そこに立脚すれば、対外的責任はありますし、当時昭和天皇は国家元首でいらしたわけですから、対外的に日本国のした行為について「責任」はあります。

    但し、国内法、国内慣習法において天皇が責任をとやかくされるおぼえはありません。むしろ天皇に責任を負うべきは内閣であり、参謀本部並びに軍令部も統帥権の実際の行使において天皇に対して責任を負わねばならない。教育勅語的に言えば、皇運を扶翼すべき臣民も天皇に対して敗戦の責めを負うべきです。まさに、一億は陛下に対し懺悔すべきだったのです。

    国内法か国際法か、いずれが優先するのかと問われれば、いまだ専門家の間でも議論が異なるわけですが、我が国は前者を優先させる傾向にあるわけで、ならば、対外的道義的責任もおのずと一歩後退で、天皇の退位論を云々するのはおかしいのでは?

    それに東京裁判」における天皇免責は、免責以外の何物でもなく「処刑をまぬがれた」か否かは実際に死刑判決が下ったわけではないですから、「・・・になっていたであろう、いたかもしれない」くらいの憶測に過ぎないのでは? そもそも、東京裁判それ自体・・・。

    過去の評価は不変ではありません。もしや陛下はその点を配慮されたのでは? やがて、外国人はさておき我が国人が先の大戦の評価について再考するときが来ると。そのときに、もしご自身が退位されていては、それに与える影響が良からぬ意味で
    大き過ぎると。

    終戦とその後しばらくの間にしても、あの時期に退位されていたら、その理由は「敗戦」そのものよりも、「間違った戦争だった」がゆえの退位と解釈されかねないとのご配慮があったのでは?

    基本的に自国の歴史は肯定的に認識されるべきなのです。過去の否定は自己否定や卑下につながるおそれがあり、国民の元気を大いに損ねる恐れがあります。自国のために尽くすべき国民精神を育成するうえにおいても障害となります。国家のために尽くさんとの意思をもった国民の育成を拒む国家など本来あり得ないでしょう? 

    ひるがえって我が国の現状やいかに、です。自己否定的な歴史観が学校教育やメディアを通してなされてきた挙句、国家意識の乏しい国民が産まれ、普段お国のためになどと思ってもいないくせに、いざとなると国家の庇護、救済を求めて恥じないような情けない愚民の群れになり果てているではないですか。

    そういえば、某大勲位閣下もかつては天皇退位論を唱えた御一人でしたが、のうのうと「大勲位」の栄に浴しているわけですが、私は天皇が退位されなくて本当に良かったと思っています。

    もし天皇の責任云々というのであれば、臣民としての我々の曾祖父母、祖父母の世代は一体どのように陛下に対して責任を取ったというのでしょうか。陛下に対し敗戦という不忠を犯しながら、むしろ陛下の「聖断」で命拾いしたのは彼らでは? で、戦後になったら、新憲法ではもはや臣民でないからと、主権者だからと、手のひら返して陛下の責任追及や陛下への恨みごとですか? そういう輩があの世代にいたとしたら、ゲス野郎の最たるものでは?

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