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投稿者: そこまで言って委員会 (ID:GbXpJovx0M2) 投稿日時:2010年 07月 02日 20:33
そこまで言って委員会をみてたら、田母神さんが、管さんの奥さんに叱られたと話してました。未だに、戦犯を祭っている靖国神社に参拝してるから当然だけど。彼は面白いけど、子供っぽくって成長しない人だね。
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【1842873】 投稿者: そこまで言って委員会 (ID:RGVFvHDKeoo) 投稿日時:2010年 09月 06日 20:39
>私には、昭和天皇が退位すべきだったという論拠がわかりません。
まああれだけの犠牲を出したんだから、自分で責任を感じて、自分で退位すべきだったけどね。
TOPなんだから取り巻きがうだうだ行っても何も始まらない。
TOPは自分で判断すべき。
今は、TOPの器ではない男だったということしか分からない。 -
【1843049】 投稿者: あのー、 (ID:6i8Yd4BBJ5Q) 投稿日時:2010年 09月 06日 22:29
明治憲法読んだことありますか、「委員会さん」?
TOPが自己判断で何でもできるようなシステムじゃなかったんですけど、大日本帝国は?
憲法なり皇室典範なりを無視して、TOPが自分の判断で行動することの方がむしろ問題なんです。
そもそも、退位論って、明治国家というのは、天皇の退位なんて想定してないんです。現在もその点は同じです。
昭和天皇のとき、退位論を天皇にぶつけたバカな記者がいましたが。
憲法なんか無視しろ、結果オーライだ! 「委員会」さん、あなたのおっしゃる「器」を持ったTopとはそういう人物だということになりますが?
ご自分のおっしゃってることを、自分なりにちゃんとご理解されていますか? -
【1843313】 投稿者: 知ってるつもり (ID:w8/6C7olpKE) 投稿日時:2010年 09月 07日 07:35
お若いのか?、耄碌爺さんなのか?分かりませんが、今時希少な人ですね。
僕のお祖父さんは昭和天皇の近衛兵をしていて金鵄勲章も受けていたから、天皇を崇拝していた人の気持ちは分かりますが。
昭和天皇の退位は、対外的な道義的責任で言ったのではありません。
「占領から独立後にでも」と書いたように、日本が軍国主義から平和国家に生まれ変わり、それを象徴する新しい天皇となるためです。
今後、憲法に天皇は国家元首と規定するなら、神道と日本文化の象徴として儀礼的な政治だけをすれば良いし、首相は大統領的な公選制にして権力を強化すると良いと思う。
そもそも、戦前に北一輝が「国体論」で、明治憲法で確立された天皇制国家の矛盾性と危険を鋭く指摘していた。
「天皇が現人神として無謬の神として国民道徳の最高規範として君臨することと同時に、天皇は元首として過ちと失敗を繰り返さざるを得ない政治権力の最高責任者に位するものと定めた明治憲法の二元性」(この批判があまりにも正当なものだったために、発禁処分になった。)
古来、日本の中で天下取りの戦をしていた限りは、勝てば官軍、天皇は勝ち馬に付いていれば良かったが、天皇が現人神として国家統治の元首かつ軍を統帥する大元帥であることは、日本が国家間の戦争においても不敗でない限り、敗戦すれば天皇は戦争責任を負って失墜する運命だった。
戦前は、昭和天皇は天皇機関説を支持してたのに、軍部が国体明徴運動で天皇主権を利用して、「天皇の名により」って国民に命令して従わせていたように、天皇は為政者に利用されてきた。
ドイツ帝国ワイマール憲法を模範とした大日本帝国憲法とイギリス立憲君主制式の「君臨すれども統治せず」の狭間で、2.26事件鎮圧の勅諭以来、政治への不関与を悩みながら、やっとポツダム宣言受諾して戦争を止められたのも昭和天皇の聖断だった。
終戦の前日8月14日朝、鈴木貫太郎首相は御前会議で昭和天皇の聖断を仰いだ時、昭和天皇は、原爆投下に至って「これ以上戦争を続けることは無理だと思う。…自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」と涙したと伝えられている。
戦勝国のアメリカの世論も、英連邦オーストラリアのウェップ裁判長も、天皇の極刑を強く求めていたが、マッカーサーが謁見した天皇の言葉に感銘し、日本の占領統治に天皇が必要だと説得したり、ウェップ裁判長も東京裁判の過程で、「天皇には法的・政治的責任はない」と断言して天皇は不起訴になったから、それで良いでしょう。
ただ、天皇に戦争責任がいささかも無いわけがないし、それは昭和天皇自身が感じていたでしょう。
昭和天皇裕仁の「国民への謝罪詔書草稿」
http://www.jrcl.net/frame0377d.html
敗戦を迎える中で、近衛文麿元首相らによる「昭和天皇退位工作」はありました。知らないわけでは?
岡田啓介(元首相・重臣)や米内光政(海軍大臣)、皇室の東久邇宮稔彦と三笠宮崇仁など。あなたの言うゲス野郎の最たるものですね。
終戦と「昭和天皇退位工作」
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050812A/
吉田裕氏の『昭和天皇の終戦史』(岩波新書、1992)
近衛文麿の天皇退位論
●日米交渉で、中国大陸からの日本軍の撤兵を受け入れ、対米戦を回避しようとするが、東条英機陸相の強硬な反対により、第三次近衛内閣総辞職(1941.10)。対米開戦問題で孤立、「上奏」まで天皇への拝謁を許されず。
●日米開戦の日に、細川護貞に「この戦争は負ける、どうやって負けるかお前はこれから研究しろ」(1941.12.8)
●1945.1.25 京都の陽明文庫に岡田啓介(重臣)、米内光政(海軍大臣)、岡本慈航(仁和寺)を招き、天皇の退位と出家(落飾)を話し合う。事実上の天皇幽閉計画。「落飾した天皇を裕仁(ゆうにん)法皇と申し上げ、門跡として金堂にお住みいただく計画」(仁和寺)
●1945.2 近衛の上奏。「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候」。敗戦後、共産革命による天皇制崩壊を憂慮。天皇「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」
●対ソ交渉特使。「和平交渉の要綱」。明治憲法の改正と天皇退位を視野に。
近衛の「国体」観
●戦争責任を軍部に押し付ける。
●天皇退位による、国体の護持という発想。
「敗戦の暁、どうして国体を護持できるか、私は陛下にお願いして、連合艦隊の旗艦に乗っていただいて、最後の決戦に艦と運命を共にしていただく、これこそが天皇制を護る道ではないかと思っている」(側近の富田健治に)1945
●東久邇内閣・国務大臣として、マッカーサーと会談。「軍閥と極端なる国家主義者が世界の平和を破り、日本を今日の破局に陥らせた」「皇室を中心とする封建的勢力と財閥」は「軍閥勢力の向上を抑止するブレーキの役割」。皇室と軍閥の温存を主張。(1945.10.4)
●皇室典範の改正による「天皇退位手続きに関する条項」の可能性(AP通信東京特派員によるインタビュー)(1945.10.21)
●1945.12.6 逮捕命令。12.16 巣鴨拘置所出頭予定日に服毒自殺。
●死後、「近衛公手記」。天皇が対米戦回避のため積極的に行動すべきだったと主張。
皇族からの天皇退位論
●東久邇宮稔彦 「天皇は、戦争に対し道徳的、精神的な責任がある」(AP通信東京特派員によるインタビュー)(1946.2.27)
●三笠宮崇仁 「今にして政府が断然たる措置を執らなければ悔いを残す虞れありと思う」(1946.2.27の枢密院本会議)
→天皇退位、高松宮摂政論
GHQと宮中グループによる天皇免責工作へ
●「人間宣言」(1946.1.1)
原案作成:ハロルド・ヘンダーソン(GHQ、CIE顧問)
●マッカーサー極秘電報(アイゼンハワー陸軍参謀総長宛て 1946.1.25)
「終戦時までの天皇の国事へのかかわり方は、大部分が受動的なものであり、輔弼者の進言に機械的に応じるだけであったという、確かな印象を得ている」=天皇の政治利用の判断
●東京裁判への対策
ボナ・フェラーズ准将「東条(英機)に、次のことを云わせて貰いたい。「開戦の御前会議において、たとい陛下が対米戦争に反対せられても、自分は強引に戦争まで持っていく腹を既に決めていた」と」(東久邇発言を受けて、米内光政へ 1946.3.6)「天皇=シロ」を日本側で論証せよ、の圧力。東条への責任転嫁を示唆。
●「天皇独白録」の作成 (1946.3 聞き取り)
「天皇の開戦責任に対する弁明」を目的とする
「平和のために苦悩する天皇」像の作成
●日本国憲法の公布 1946.11.3
象徴天皇制の確定 -
【1844086】 投稿者: 繰り返しいいますけど、 (ID:awnQzbG9jHI) 投稿日時:2010年 09月 07日 20:22
>昭和天皇の退位は、対外的な道義的責任で言ったのではありません。
>「占領から独立後にでも」と書いたように、日本が軍国主義から平和国家に生まれ変わり、それを象徴する新しい天皇となる
>ためです。
あのー、あなたのお父様がどうのこうのなんてどうでもいいんですよ。
それよりも、天皇退位論の法的根拠はどうするのですか? 明治憲法も、現在の憲法も、退位なんて想定していないんですけど? 皇室典範も同様です。
とりわけ、戦後の法体系において、国事行為すら、それを行うか行わないかの選択権のない象徴天皇が、まったく法規定のない退位を選択するなどあり得ないことですし、もしそれをすれば違憲、違法になるわけですけど?
その点、「委員会」さんは、どう答えるのでしょうか。
もっとも、その点についてご返答になるかならないかは、「委員会」さんのご自由ですし、今のところ、無関係な瑣末なディテールばかり書かれているということは、返答の意思なしということなのでしょうけど。
ところで、「委員会」さんの誤解を以下に指摘します。
1.北一輝
>そもそも、戦前に北一輝が「国体論」で、明治憲法で確立された天皇制国家の矛盾性と危険を鋭く指摘していた。
>「天皇が現人神として無謬の神として国民道徳の最高規範として君臨することと同時に、天皇は元首として過ちと失敗を繰
>り返さざるを得ない政治権力の最高責任者に位するものと定めた明治憲法の二元性」
これは北個人の憲法解釈であって、当時の公式解釈ではありません。あくまでも、北の勝手な解釈です。だから、「勝手に言ってろ、片目の思い込み変態オヤジ!」ってな程度のものです。
2.無関係なことは書かない
>古来、日本の中で天下取りの戦をしていた限りは、勝てば官軍、天皇は勝ち馬に付いていれば良かったが、天皇が現人神と>して国家統治の元首かつ軍を統帥する大元帥であることは、日本が国家間の戦争においても不敗でない限り、敗戦すれば天皇>は戦争責任を負って失墜する運命だった。
歴史的にどうのこうのと、法解釈は関係なし。
3.「した」と「された」
>戦前は、昭和天皇は天皇機関説を支持してたのに、軍部が国体明徴運動で天皇主権を利用して、「天皇の名により」って国民
>に命令して従わせていたように、天皇は為政者に利用されてきた。
「した」と「された」を混同してはいけません。機関説事件のとき、天皇と軍部の「機関説」をめぐる若干の論争は、ご存じですよね? 天皇が個人的に「機関説」を支持しても、軍部はそれを事実上無視して明徴運動を進めたわけです。それをしたのは軍部であって天皇ではありません。
他にも、ありますが、もう面倒くさい。
なんだかいろいろお読みですが、もう少し精読された方が良いかと思いますし、北の件が好例ですが、他者の言い分を十分検証、検討せず鵜呑みにしない、自分の都合のいいよいうに解釈しない! さもないと、もう他者との議論は成り立ちませんよ、「委員会」さん。 -
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【1844134】 投稿者: スレ主は勉強不足 (ID:eztNN55aHS.) 投稿日時:2010年 09月 07日 21:11
>他にも、ありますが、もう面倒くさい。
>なんだかいろいろお読みですが、もう少し精読された方が良いかと思いますし、北の件が
>好例ですが、他者の言い分を十分検証、検討せず鵜呑みにしない、自分の都合のいいよいうに
>解釈しない! さもないと、もう他者との議論は成り立ちませんよ、「委員会」さん。
ほんとに、この気持ち良く分ります。 繰り返しいいますけど さん 便乗お許し下さい。
真面目に書き込むほどに、スレ主のアンポンタンさ加減に呆れます。 -
【1844142】 投稿者: 知ってるつもり (ID:w8/6C7olpKE) 投稿日時:2010年 09月 07日 21:19
あの~、僕は、スレ主の委員会とは別人ですが。
明治から皇室典範が天皇の生前退位を許していなかったことは百も承知だ。天皇の生前退位を認めると、様々な政治勢力や軍事勢力が天皇の利用を画策して奪い合ったり、無理やり天皇を退位に追い込んで新天皇を擁立したり、時には暗殺したりして内乱を引き起こすなど、政治の混乱を招く危険があるという配慮からだ。
しかし、日本の敗戦は混乱の極致だ。GHQ占領下で、国体・天皇制がどうなるか?って時に、新憲法で、天皇退位などどうでもなっただろ。
屁理屈は達者だが、論旨不明、支離滅裂ですな。
では、こちらも、さようなら。 -
【1844258】 投稿者: だから、 (ID:awnQzbG9jHI) 投稿日時:2010年 09月 07日 23:03
新憲法のどこをどう解釈すれば、天皇退位が合法的に行い得るんですか?
しかも、占領下、天皇すらGHPの意思の下におかれた状態で、そのGHQ自体、天皇退位の方針ではなかったのですが?
それで、どう退位が可能なんですか?
もう少し、ピンポイントで議論できないものだろうか? それとも、これは所謂「ぶらかし」ですか?(笑) -
【1844378】 投稿者: 知ってるつもり (ID:w8/6C7olpKE) 投稿日時:2010年 09月 08日 02:07
あのなぁ、あんたが、
>> 国家運営を誤った指導者を顕彰すれば、それこそ政治責任に対する指導者の身の処し方を曖昧にし、その結果国家は堕落していきます。
と尤もらしく書いていたから、僕は、
> 国家元首として連合国による処刑は免れた昭和天皇も、占領から独立後にでも退位して、皇太子が即位べきだったと思います。それこそ、一番の堕落の原因かと。
と書いたまでだ。明治典範・皇室典範の法的に退位できたかどうかじゃなくて、すべきだったと思うと書いたんだよ。
終戦に向けて、近衛元首相と内閣重臣や皇室らまでが昭和天皇退位を上奏したのは、昭和天皇が最高統治者として戦争責任を引き受けることで、日本の国体・天皇制を存続するためだった。(幸い、GHQアメリカは天皇を免罪し、日本の占領行政を円滑に進めるため、また冷戦時代に共産主義に対する防波堤として天皇制を維持した。)
太平洋戦争は日本の歴史上空前の戦争で、国家総動員して闘って、敗れた。遂行する制度を支えた官僚制度は、結局は天皇と政治家の無責任の体制であり、その下で多くの命が空しく失われた。
戦後占領下の1948年にも、東大の南原繁総長が「天皇は退位すべきであると思う」との談話を朝日新聞に載せ、東大法学部7教授らが昭和天皇の戦争責任に依拠する道義的退位論を唱えて、新憲法で象徴天皇制へ移行に伴う皇室典範改正で「天皇の自発的退位」の規定を設けることを主張した。南原は熱心な天皇制支持者だった故に、天皇制を「祖国再建の精神的な礎」とするため、天皇は道義的責任をとって退位すべきだと考えていた。『「万世一系」の研究』これは筋の通った考え方だった。南原は天皇が責任をとることなく居座ることが、結局天皇制を衰退させると考えていたし、これは正しかった。
東大教授(後に最高裁長官)横田喜三郎が、過去と未来への責任から昭和天皇の政治的退位は不可欠として「天皇退位論」を読売新聞に掲載した。「過去の最高の責任者がその責任をとろうとせず、国民もまた責任を取らせようとせず、互いに曖昧のうちに葬り去るならば、どうして真の民主国家が建設されようか」。誠に正論だ。
京大の憲法学者・佐々木惣一は国家の為として天皇自身の意思による退位制度を説いたし、新憲法施行後も、最高裁長官・三淵忠彦の退位論があった。
敗戦直後の天皇への責任追及は、日本のナショナリズムの否定ではなく、新たなナショナル・アイデンティティの模索として出現したものだ。
しかし、実際には昭和天皇の退位はなかった。が、その無責任性によって、戦後から現在に至るまで天皇の権威は一般的には失墜している。
もし、昭和天皇が戦争責任を一身に背負って出家したり法皇でもなっていたら、天皇の権威は一層高まり、戦後の日本人は改めて神仏として信奉したかも知れない。それは天皇のある日本の国柄を強化しただろう。
『魂鎮への道-BC級戦犯が問い続ける戦争』(飯田進著、岩波現代文庫、2009)
現代日本のありようからいえば、その死がまったく教訓化されていないという意味で、日本軍の戦死者はまったく無駄死にだった。本当に死者を追悼しその死を無駄にしない道はただ一つ。あの戦争に向きあい、あの戦争を遂行したものの責任を暴き、責任をとらせ、人間としての道理をうち立てることでしかない。無謀な作戦計画を作った大本営参謀の責任だけではなく、昭和天皇の責任も問う。昭和天皇が終生その責任を明らかにしなかった結果、「戦争を指導した連中は、昭和天皇が責任を追及されないなら、俺たちだって免責だと考えてしまった。日本の倫理的な腐敗がそこから始まったと思う」
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