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【1787177】未だに靖国神社?

投稿者: そこまで言って委員会   (ID:GbXpJovx0M2) 投稿日時:2010年 07月 02日 20:33

そこまで言って委員会をみてたら、田母神さんが、管さんの奥さんに叱られたと話してました。未だに、戦犯を祭っている靖国神社に参拝してるから当然だけど。彼は面白いけど、子供っぽくって成長しない人だね。

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  1. 【2795292】 投稿者: 二俣川  (ID:4czAuhCWF6E) 投稿日時:2012年 12月 18日 18:40

    科学的に不明な事項にまで、神だ仏だの屁理屈を講じるべきではない。

  2. 【2795475】 投稿者: ひまわり  (ID:WT2WzXeEV0o) 投稿日時:2012年 12月 18日 22:22

    >「自らケジメを付けることのできなかった昭和天皇」(ひまわり)

    >その通り。
    その意味で、昭和天皇に戦争責任はある。
    貴殿もついにそれをお認めになった。
    年末最後の好ましい転向だな。(二俣川様)


    違います。
    私の言葉が足りませんでした。
    昭和天皇には、戦争の責任は無いのです。
    以前にふふ・・・様にも申し上げましたが、昭和天皇に戦争責任に該当する要素はありません。
    ただし、自己の良心からくる「道義上の罪」だけは、
    史上未曾有の敗戦を経験した君主として、一生お心に背負われておられました。
    その責任感は、どこまでも重く深くならざるを得なかったと思います。
    言葉では尽くせないような苦しみがおありだった筈なのです。
    退位されれば、その方がはるかに楽になれたかもしれないけれど、
    日本国の混乱を避けるために、その地位に留まられて、国民を励まし、社会の復興を願われたんです。

    そして、皆様ご存知のように、それは成功しました。
    でも、ご自身の良心の責任者としてのけじめとることができなかったことで、
    生涯において複雑な思いが残られたのだと思います。
    自らの有り様に怒りを感じておられたかもしれません。

    泣く泣くけじめをとら無ければならなかった処刑者の為を思って、
    靖国へ参拝なさる事がお出来になられなかったと思います。

  3. 【2797492】 投稿者: 二俣川  (ID:4czAuhCWF6E) 投稿日時:2012年 12月 21日 00:30

    >泣く泣くけじめをとら無ければならなかった処刑者の為を思って、
    靖国へ参拝なさる事がお出来になられなかったと思います。


    一人よがりで勝手な推測である。

    「私は或る時に A級が合祀され その上 松岡、白鳥までもが「中略」松平の子の今の宮司がどう考えたのか
    (中略)松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私はあれ以来参拝していない
    それが私の心だ」『日本経済新聞』2007年5月1日付朝刊「冨田朝彦宮内庁長官1988年4月28日メモ」

    このように、昭和天皇は、靖国にA級戦犯が合祀されたことが明らかとなった1979年4月以後、靖国参拝を行わなくなった。
    また、戦前も日本人の朝鮮人差別に苦言を呈し、戦後も教科書問題(中国侵略⇒進出との書き換え)に反対の考えを漏らし(『入江日記』)ている。

    ちなみに、明仁天皇も先日死去した将棋の米長が園遊会で
    「私の願いは日本中の学校全部に日の丸と君が代を歌わせること」との趣旨を述べたのに対し、
    明仁氏は「強制はいけません」と米長をたしなめている。

    現天皇も、父の昭和天皇に続き、あの侵略戦争を過ちと認め、狂信的な皇国史観や軍国主義に反対の意向を持っていることは明らかである。

  4. 【2797726】 投稿者: コピー  (ID:KVOxMcLnBUE) 投稿日時:2012年 12月 21日 10:20

    昭和天皇が,靖国神社にA級戦犯合祀後に参拝されていないのは事実ですが,A級戦犯が合祀されたから参拝していない訳ではありません。同じ戦犯でも,BC級戦犯が靖国神社に合祀された以降にも,昭和天皇は靖国神社に参拝しています。
     
     1975年,三木武夫首相が,戦後の首相としては初めて,終戦記念日に靖国神社を参拝しました。
    この時,政教分離の原則に反するのではないかとの指摘に「私的参拝である。」と言い切っています。
     
    私的参拝四原則と言うのを掲げたのです。
    1 公用車を使用しない。(実際にタクシーで行かれた)
    2 玉串料は私費から支出する。
    3 記帳する際には肩書きを書かない。
    4 公職者を随行しない。
     
     この1975年の11月21日に昭和天皇・香淳皇后が靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑に参拝しています。
     この両陛下の参拝に際して国会で議論になりました。両陛下の参拝は私的参拝か,公式参拝か。
     三木首相が掲げた私的参拝四原則ですと,天皇は,1と4をクリアできず,それ以後両陛下が靖国神社に参拝されなくなりました。1975年11月21日に参拝されたのが最後となりました。

     A級戦犯が合祀されたのは,その後の1978年です。
     
     首相が靖国神社に参拝するたびに「私的参拝か?公式参拝か?」などと議論されました。天皇が皇居外でなさる行事は全て公式行事であるため,私的参拝はあり得ず,天皇自ら参拝すると世の中をひっくり返したような騒ぎなることが分かっているので,参拝なさりません。
     
     なお,靖国神社の春と秋に行われる例大祭には,勅使が遣わされています。

  5. 【2797754】 投稿者: 二俣川  (ID:4czAuhCWF6E) 投稿日時:2012年 12月 21日 10:45

    >昭和天皇が,靖国神社にA級戦犯合祀後に参拝されていないのは事実ですが,A級戦犯が合祀されたから参拝していない訳ではありません。同じ戦犯でも,BC級戦犯が靖国神社に合祀された以降にも,昭和天皇は靖国神社に参拝しています。



    明らかに違うね。
    昭和天皇は、A級戦犯合祀に反対ゆえ、靖国の参拝をやめたのだ。
    昭和天皇の発言に関わるこの「冨田メモ」の存在・内容について、日本経済新聞社は社の威信をかけて精緻な検証を行った。その結果、これがいずれも事実であると確認をしている。
    また、日本近代史の研究者らも、一様に第一次史料としてこれを認めている。
    したがって、前述の通り、A級戦犯合祀が明らかとなった1979年4月以降、昭和天皇は自らの意思で靖国参拝を中止したものである。

    一方で、現時点ではBC級戦犯らに対する昭和天皇の意向を確認できる史料は明らかにされていない。
    したがって、昭和天皇が彼らに対する慰霊の念を抱いていたとする推測の余地はあろう。
    しかし、ここで論点となっているのは、あくまでA級戦犯に関してである。
    論点ずらしはお控え願いたい。

  6. 【2797801】 投稿者: ??  (ID:KVOxMcLnBUE) 投稿日時:2012年 12月 21日 11:36

    昭和天皇が最後に靖国に行かれたのが1975年
    A級戦犯が合祀されたのは1978年
    エ~メモを記した日にちは?

  7. 【2798399】 投稿者: 二俣川  (ID:4czAuhCWF6E) 投稿日時:2012年 12月 22日 00:46

    1979年4月19日になり、靖国が前年にA級戦犯を合祀していたことが発覚した。

    「その直後の21日の『入江日記』に、「戦後の所謂「聖談拝聴録」を長官、次長等に見せてはいかがか、
    そして宇佐美も交ぜてみんなによく呑み込んでもらってはどうか」という昭和天皇の入江への提案が記されている。
    「戦後の所謂「聖談拝聴録」」が『独白録』を指していることは確実で、その内容にはA級戦犯のうち何人かについての
    批判が記されていることを考えると、昭和天皇がA級戦犯合祀に反対である理由を側近に理解してもらうためにこのような
    提案をしたものと考えられる。古川隆久日大教授『昭和天皇』中公新書」


    さらに、同教授は、
    「靖国神社にA級戦犯が合祀されたことが明らかとなった1979年4月以後、昭和天皇は靖国神社参拝を行わなくなったことも、
    昭和天皇の平和憲法遵守を内外に明示する行動であった。『前掲書』342頁」と述べている。

    なお、東大出身の古川教授はあの共産党転向者でもって右翼で知られる某教授のお弟子さん(加藤陽子東大教授の弟弟子)であり、けっして「サヨク」ではないことを付言しておく。

  8. 【2798723】 投稿者: 認識の差異  (ID:KVOxMcLnBUE) 投稿日時:2012年 12月 22日 13:29

    1966年引揚援護局はA級戦犯の「祭神票」を靖国神社に送り付けたが、
    筑波藤麿は、天皇家や宮内庁内の空気を知っていたので合祀を差し止めている。

    筑波宮司が急逝し、後任の宮司に東京裁判否定派の松平永芳が就いて、
    A級戦犯合祀を行うことを決意する。

    合祀者名簿を天皇のもとへ持って行く。
    徳川侍従次長は、天皇の意向に基づき相当の憂慮を表明していた。
    松平はそれを無視した。

    そして、独断で合祀を強行する。
    その結果、昭和天皇は、以降靖国参拝は取り止めた。


    この内容はあってますか?



    昭和天皇がナショナリストであり、愚かな戦時指導者たちの罪と自らの責任の自覚故の自主的な決断と
    考えていいでしょうか?

    東京裁判史観批判派に反発して「しない」だけということでしょうか?

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