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【2896524】神奈川の公立高校生についてのんびり語りませんか?

投稿者: 保護者1   (ID:eUn0S0DBCPQ) 投稿日時:2013年 03月 13日 23:39

独特とも言われる神奈川の公立高校についてのんびり語りましょう。
 
目的は長かった高校受験が終わったことを喜び、のんびりするためです。
議論は避けましょう。
真剣にアドバイスがほしいなら別スレをお勧めします。
 
2レスにスレ主ルールを書きます。

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  1. 【3658469】 投稿者: 伊予かん  (ID:4IB47ViBA7k) 投稿日時:2015年 02月 05日 22:54

    大学入試改革は大学だけの問題じゃない さん

    とても、賛成します。

  2. 【3658524】 投稿者: 伊予かん  (ID:4IB47ViBA7k) 投稿日時:2015年 02月 05日 23:40

    私が学生の時です。

    磁石のN極とS極が引かれると言う授業。
    私は素直に、そもそも何故引かれるかを授業中質問をしました。
    今でも忘れませんが、教師はその時、あたかも私が教師に答えられない質問を
    わざとしたかのように授業妨害するなと烈火の如く怒りました。
    それ以来、その教師の授業から興味が失せました。知的好奇心を潰したわけです。

    また、私の知的好奇心を満足させてくれた教師もいました。
    国語の授業で、文学者が出てくる度に、その文学者の家族構成から生い立ち、一生、
    またそれぞれの作品がうまれた背景(時代背景も含めて)から書評の紹介など手作りプリント
    で授業してくれました。
    私はその度に貪るように、それら作品群全てを読破しました。
    先生は空手有段者の強面教師でしたが尊敬してました。

    先生もイロイロですよね。

  3. 【3659142】 投稿者: ミント  (ID:wjpmOiqOrQw) 投稿日時:2015年 02月 06日 14:19

    うちの高校も、もっと勉強させてほしという保護者の声が
    あがっているようです。どの程度なのか、具体的には
    わかりませんが。
    私は勉強うんぬんよりもまず、生活面じゃないかなと
    思います。子供の生活面が落ちている原因のひとつは、
    スマホなんじゃないかと。
    スマホについては学校に行くたびに、校長先生から、
    どの先生からも言われています。保護者の方からも
    夜遅くまでラインをしていて、困っているという声も
    きかれます。子供に言えば「時代が違うからしょうがない
    じゃないか」と。うちは困っているほどではないですが、
    高三になったら、もう一回話あってみるつもりです。
    家にいるときに、スマホが気になるようでは、やはり
    良くないと思うのです。

  4. 【3659294】 投稿者: にんじん  (ID:OLDUZMwa2UU) 投稿日時:2015年 02月 06日 16:29

    入試改革はいつものようにハズレだと思います。
    しかし、私はそういう議論は苦手なので、微妙にパスさせてもらいますね。(^^;)
    お好きな人はどうぞ。
     
    N極とS極。
    生徒の質問に激怒で返すのは先生失格ですね。
    私なら「人間だって、男女の方が引き合うだろ?」と答えて、あとで査問に
    かけられるかもしれません。
     
    スマホ。
    怖いです。
    私は、あれは、生活面というより脳を破壊する装置のような気がします。
    インターネットもそうですが。
     
    我が子は、最近、行事準備で早起きしたり、忙しくて睡眠時間が少ないようです。
    私の中では、「夜の睡眠 < 勉強 < 行事」なのですが、子供の中では、
    「行事 < 勉強 < 夜の睡眠」のように見えます。
    ただ、わざわざ「夜の睡眠」と書いたように、夜の睡眠は削るのですが、
    授業中の睡眠は削ってないそうです。orz

  5. 【3659297】 投稿者: にんじん  (ID:OLDUZMwa2UU) 投稿日時:2015年 02月 06日 16:31

    不等号逆でした。涙。
    私の中では、「夜の睡眠 > 勉強 > 行事」なのですが、子供の中では、
    「行事 > 勉強 > 夜の睡眠」のように見えます。

  6. 【3659630】 投稿者: きりん  (ID:GSDX7KSfLQY) 投稿日時:2015年 02月 06日 21:15

    書き方が悪かったのだと思うのですが、偏差値の話で、私が言いたかったのは
    同じ大学が、20年前は模試等で偏差値60じゃないと入れなかったのに、10年前は50で入れるようになった、ということではありません。

    20年前の偏差値60と、10年前の偏差値60は、同じではない。
    同じ大学に通う学生で、10年前の学生が20年前の学生と一緒に模試を受けたとしたら、偏差値にして10は下と、各大学の教授が語っていた、という話です。

    実際に20年前の中堅大学の学生の学力は、学生によっては、今のMARCHレベルの学生と遜色ない場合もあったと思います。

    ただし、子供の大学受験を経験して感じたのは、だからといってMARCHぐらいとか、今の早慶はなんて甘くみていると、ところがどっこいの場合もおおいにあるだろうな、ということです。子1の学力はそこまで高くないので、そんなのも杞憂ですが、同級生などで模試なども常に安定の高得点だったのにセンターの国語にやられて・・なんて子もいましたし、試験は水物です。


    ところで、教育学部について、色々書かれていたので、少しだけ。
    別に横浜国大の肩を持つつもりはありませんが、教育学部の質が悪いだ、云々の前に、今、教師という仕事に学生が魅力を感じるか、というところにも問題があるように思います。

    地方なら、それでもまだ地域によっては大卒学生の就職先がそれほど多くなく(首都圏や大都市圏と違って企業等が少ないので)、公務員や公務員の範疇である教師が就職先として一定の需要があったりします。

    更に公立小中の保護者の中に、難関国立大卒、難関私大卒の保護者がゴロゴロいる首都圏や都市圏とは、さすがに違うので、なんだかんだいっても先生を立てる文化が残っているのところもあります。

    もちろん、どこの地域でも保護者の感情というのは共通するところもあるし、いわゆるモンペのような保護者は都市部も地方も関係ないでSっほうし、困った先生に頭を抱えるのは同じだと思います。

    ただ、首都圏・都市圏には、子供を教えている教師より、保護者の学歴の方が上だったりして、そうすると、
    「先生なんて、一流企業に就職できなさそうな子が安定した就職先として、考えることも多いよね。○先生なんて○○大学だし、△先生も◇◇大学なんだって!それじゃたいしたこと教えられないのも無理ないわね」などということを平然と言う方もいるわけで。(実際居ましたよ。)

    実際、そういう目で見ているわけではなくても、こういったところで、国立大学の教育学部の現状についての議論ができる保護者がたくさんいるわけですよね。首都圏の保護者には。Sそれがいけないというわけではないのですが、なんというか、今の先生って本当に大変だな、と思います。

    口に出さなくても、そういう目で見ている保護者は、もっといると思われるし。公立小学校だと、学校の教育なんて・・という目でみる保護者もいらっしゃったり。

    子供も親のそういう議論を聞いてなくても、肌で感じるものがあるわけで、これでは、教師に夢を持って、教育学部に進んで教師にぜひなりたい、とはなかなか思えないでしょうし、大学受験ともなれば、ほぼ本人の意思ですが、子供の進路に、多少、いやかなり口出す親もいるわけで、そしたら、きっと教育学部→教師をすすんで薦める保護者は、あまりいないのではないでしょうか。私も、子供が教師になりたいと言ったら、諸手を上げて大賛成、という気持ちにはなれないかも、と思います。



    まして都市圏であれば、就職先も何もわざわざ先生にならなくても、地方よりは星の数ほど企業も会社もあるわけで、大企業の正社員じゃないと、と考えると今でも学生の就職活動は、それなりに大変でしょうが、どこでも良ければ、とりあえずの就職先は何かしらあると思います。

    その点が地方とは違うので、教育学部を取り巻く状況が素晴らしくないのも、うなずけます。

    それでも、国立大ということで、受験校として考える子(家庭)もいることでしょう。私の友人は、どうしても上京したくて、でも学費等の関係で、親に1人暮らしするなら国公立、自宅通学なら私立でも、という条件をつけられていた為に大学にも学部にも全く興味がなかったのに、とある大学の教育系の学部に進学しました。

    結果、2年目に中退。あまりにも、興味がない勉強ばかりで、大学に通う意義を見失ってしまった、友達は出来たが趣味も合わず・・というのがその理由。
    偏差値で輪切りにしての受験の弊害でもあります。

    もちろん、経済的に余裕がない家庭でも、学校の勉強だけで国公立に進学できるような学力が身につく教育が理想ということには、なんの意義もありませんし、おっしゃる通り、と思いますし、今回の大学入試改革大賛成とも思いません。

    でも・・・。社会全体に余裕がなくなって、先生の成長も見守れない、学校教育にも批判的な保護者も多い、では、そりゃ魅力ある学校も、魅力ある教師もなかなか生まれないでしょう、と思うのです。

    すみません。私も、これ以上は止めます。


    異論、反論がある方もたくさんいらっしゃることでしょう。単なる私見ですのでご容赦ください。

  7. 【3659639】 投稿者: きりん  (ID:GSDX7KSfLQY) 投稿日時:2015年 02月 06日 21:24

    連投すみません。

    子供の生活面。確かにスマホは、頭が痛いものの一つです。

    ただ、スマホだけではないと思います。

    子1の時は、スマホは今の高校生ほど全員が持っていたわけではなくガラケーも多かった。

    でも、子1の同級生の方が子2に同級生より、勉強していたか、といえば、そんなこともない。
    その少し前の世代では、スマホやガラケーはメジャーではなかったですが、ゲーム脳という言葉が
    やたら、言われたこともあった。

    私の時代は、マンガやテレビでした。漫画ばかり読んでいると本が読めなくなる、だとか、
    ○カになるなどと、まことしやかに言われました。
    テレビの見過ぎで学力・視力が低下する、とか。


    もちろん、私の時代のマンガやテレビと違って、スマホやネットは、親の目のが届かない子供だけの
    世界で、いつでもどこでも誰かとつながれるというのが違います。

    でも、勉強以外のことに目がいって、のめりこみ、おろそかになる、という点は同じ。

    付き合い方じゃないかと思います。実際、子1の友達は、いくらスマホを持っていても、
    上手な活用をしていた子は現役で難関国立大に合格した子も、何人か居ます。

    彼ら、彼女らはオンオフのつけかたが上手です。自分を律することの出来る子達でした。

  8. 【3659744】 投稿者: ハンネ忘れました(大学入試改革うんぬん、です)  (ID:Nc2Sknbdlj2) 投稿日時:2015年 02月 06日 23:15

    教員養成大学の件について、もう一つ。
    さらに学校という組織についても。
    やっぱり乱文でスミマセン。

    きりんさんのお書きになった、「先生を立てる風土」というのが曲者です。
    というか、すでに時代遅れだと思うのです。

    今はどんなビジネスであっても、厳しいチェック、評価にさらされる時代です。
    昔は尊大な対応の代名詞であった役所の窓口対応でさえ、今はカスタマーサー
    ビスの理念が浸透し、随分とやわらかく変わりました。

    PDCAサイクルが、事業活動の管理手法として広く浸透してきていますが、
    この手法によって、企業・団体は経営・運営努力してきているわけです。
    「計画→実行→評価→改善」の連続的なサイクルによって、組織は絶えず自己改革
    をしながら、その生産性を向上させていく。これが今の時代の流れであると思います。

    しかし、公立の学校は、そういう流れとは無縁です。
    「教師は聖職」という時代の遺物的な考え方にしがみついているがごとく、
    「先生として(周囲から)立ててもらう」ことに固執します。
    第三者による厳しい評価の前には立とうとはしません。
    そして、評価がなければ、改善のしようもないので、いつまでたっても同じこと
    を綿々と繰り返すのです。

    私立学校の中には、こうした旧弊なあり方を改め、生徒による教師への評価制を
    導入し、授業活動そのものの質を向上していく動きが見られていますが、公立学
    校では、こうした極めてまっとうな、かつシビアな評価は実践されません。
    公立の教師は公務員なので、教師個々人に評価の差が生じることを嫌います。
    そういう人たちで作られている組織なので、組織としても同じです。
    (だから時折トンデモな先生がいても、不思議じゃないわけで)

    余裕を持って「先生を育てる」気風を、学校の中でも、保護者の間でも、持ちたい。

    しかし、そこには正当性を担保された教員評価システムと、その結果を取込みながら
    自己改革していけるような教員教育システムがなければ、何を根拠に「先生が育つ」
    のかわからない。
    そんなのは、ただのふわふわしたおとぎ話でしかないように思うのです。
    そんな定かでないものを待ってるうちに、大事な我が子は卒業してしまう。

    なぜ、公立学校だけが安穏としていられるのかが、極めて不思議です。
    本当に時代の遺物的な場所と言っても過言ではないのではないか、とさえ思います。

    高校はまだしも、公立の小中学校は本当に「こんな先生が、先生をしていていいのか?」
    と思うような先生がいます。子どもたちだって、なんかおかしいゾと思う位です。

    正当な評価が下される先生には、別に意識しなくとも、自然と「先生を敬う」ことが
    できるのです。でも、それはいいから、とにかく形だけでも「学校を、先生を立ててくれ」
    というのは、何か間違っているように思えてなりません。

    昨今の若い人が、教員養成大学を出ても、教員という職に魅力を感じない理由は、
    これら以上のこととは無縁ではないと思っています。
    つまり、どんなに自分が工夫努力したとしても、それを適性に評価してもらえるシス
    テムがない、そんな学校組織で働くことになるのですから。

    先生は大変だ~という前に、そもそも学校という組織は上から下までとっても変だ~と、
    私は思います。

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