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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【5012236】 投稿者: ちはやふる  (ID:Ay9.84HcXcA) 投稿日時:2018年 06月 01日 20:19

    冷静にかんがえると様

    はい、ノルウェーの遊牧民が自分達の家畜を区別するための、焼き印が語源といわれてます。
    お話は○○大学ブランドでございますね?
    前監督さんは常務理事、理事の辞表を出したそうですね。あの反則は指示されたものだったのでしょうか? 私は大学アメフトは全く存じませんが、アメフトにも実業団みたいなものが、あるのでしょうか?
    総長が企業採用の悪影響を心配して、文章を公表してますが、大学生アスリートのキャリア形成に、良くない影響があるとすれば、あの前監督やコーチらの責任は、やっぱり大きいと思います。

  2. 【5012610】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:dKfrd5qfvCY) 投稿日時:2018年 06月 02日 08:40

    ちはやふる さん

    社会人リーグの構成はされていると思います。実業団かクラブ・チームか、あるいは混合か、、
    アメフトのようにコアなファン固定層だと、クラブ・チームが多そうですね。
    同僚に関西地方の国立大出身、アメフト経験者がいますが、「〇〇をつぶせ」とか「やってしまえ」とかいう指示はふつうにあるそうです。但し、それが競技ルールを逸脱するものであれば、やはりパフォーマンスとしては論外。
    一般的に、「攻撃性」はネガティブなパーソナリティとして、心理的な良好・健全な状態とは対極に置かれているものとして捉えられていますが、心理臨床ではむしろ高次の「創造的活動」と捉える考え方もあるようです。フロイトが「攻撃性」を自我機能と関連付けたことも影響しているのでしょうね。

    個人の主体性が自己実現あるいは自己表現といったワードと結び付いた結果、「攻撃性」は熱意の表れとか強いエネルギー・パフォーマンスとして、特にコンタクト系スポーツにおいて肯定的に定義付けられて、指導者の中にはこれを競技場面での推進力として、選手らの競技参加、パフォーマンス向上の動機付けに用いる者もいる。例の前監督、コーチらがまさにそうではないかと思います。
    つまり、過度に精神論(らしきもの)として選手らに推奨した結果が、あのプレーとして顕れたのではないかと推測します。
    一方で、米国などではいわゆるタックルに伴う頭頚部への重篤な後遺症例も報告されており、我が国ではそういった症例があるか否かは存じませんが、それでも脳震盪を引き起こすくらいのコンタクト・ケースは多々ありそうです。

    最近ではヘルメット機能の向上もあり、そのようなリスク軽減にはある程度効果が認められるものの、反面、同僚曰く、タックル技術指導が軽視されているように思えるとのこと。もとよりどのような動きを見せるか予測のつかない被攻撃者にタックルを仕掛けるには、攻撃者の頭部打撃リスクを少しでも軽減するべく、ヘッドアップが望ましいとされるものの、画面を見る限り、件(くだん)の選手は頭部から下向きに突っ込んでいったように見える。技術指導がきちんと為されていないのではないか、とのこと。

    なるほどアメフトに限らずですが、過度な精神論はその反面、技術指導が伴わなければ、戦略的観点からは競技離脱のリスクなど全体としてチーム・パフォーマンスにとってマイナスとなる可能性もある。団体競技おける個々人の動機付けは指導者にとって諸刃の剣ともなり得ることは、一般の組織運営にも参考になること多々あると、改めて認識させられたところでした。

  3. 【5013474】 投稿者: ちはやふる  (ID:wABc6b03mzY) 投稿日時:2018年 06月 03日 05:17

    冷静にかんがえると様

    調べて見ましたら、アメフトの社会人リーグでXリーグがありました。おっしゃるように、実業団とクラブチームの混成で、クラブチームが多いようです。

    せっかくの機会ですから、本当はアメリカ、北朝鮮関連の見通しとか、ご意見を伺いたかったのですが、スレのお題からかけ離れてしまうので、控えます。

    有難うございました。

  4. 【5020334】 投稿者: 六国史  (ID:iUVk./HnswU) 投稿日時:2018年 06月 09日 01:52

    みなさま、初めまして。
    横レスで失礼申し上げます。
    いつか書き込みしたいと思ってましたが、皆様のお話が専門的過ぎて躊躇しておりました。
    お伺いしたいのですが、皆様は中高時代に、こちらで話されているような古代史、古事記とかいったものを授業で習われたのですか?差し支えなければ、学校はどちらだかお教え頂けないでしょうか?
    学校名が無理なら、私立か公立・国立、使用教科書などをお教え頂ければ幸です。
    あと、よく言われる欠史八代が実は5人で、500年間、5人の天皇で代を繋いだことはあり得ないといった学説があるようです(他スレで、そう言っている方がいます)。
    そんな学説があるのでしょうか?
    いきなりでご無礼は承知していますが、お時間あるときにでも、宜しくお願い申し上げます。

  5. 【5021244】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:KuxIhRZDrJ6) 投稿日時:2018年 06月 09日 20:57

    六国史 さん
    はじめまして(ですよね?)

    このスレはヤタローさん(スレ主)とわたしがたまに書き込むくらいで、どなたも興味を示すことなく、ましてやロムされている方が居られようとは、、
    思いも及びませんでした。
    さて、お尋ねの件。
    わたしは都内中高一貫(私立)出身です。校名はご容赦ください。
    記紀についてはかるく触れられた程度で、本格的に授業で扱われたという記憶はありません。ただ、これは以前にも書きましたが、わたしの中等時代の教師は、雀南善の「物語朝鮮の歴史」をまともに信じているような方で(さすがに金錫亨の「分国論」は信じていなかったようだが)、当時は小生意気なわたしの求めに応じ、よく議論の場を設けてくれました。高等部の先輩らに交じって放課後、喧々諤々とやったものです。その頃から日本史、特に古代史に対する興味も深まり、大学はその分野に進もうと本気で考えてたくらいでしたから(結果は違う学部進学でした)。
    そういった意味では、興味を引き出してくれたことに感謝をしております。

    次に欠史八代のお話ですが、、
    すみません、よく意味が把握できていません。
    つまり記紀の第二代綏靖天皇から第九代開花天皇までの八代が実は五代でしかなく、その五代で都合500年の御代を繋げた、ということですか?
    う~ん、そのような学説は存じません。というより、これが要するに欠史八代創作説の論拠になるというわけですよね? 結論が創作説に至るなら、わざわざ八代を五代にまで落とす必要などないと思いますが。

    そもそも記紀の歴代天皇在位の実年数は虚実入り混じっているというのが、一般的な解釈です。ですから欠史八代の通年500年という解釈自体、疑ってかからねばなりません。
    有名な隅田八幡鏡銘文の「癸未年論争」をみてお分かりのように、この虚実の選り分けるためにはまず、「干支」の仕組みを知る必要があります。
    例えば書紀によれば、応神天皇没後二年間の空位を経て313年に仁徳天皇即位とありますが、没年は399年己亥の年となっています。いっぽう古事記では仁徳天皇は丁卯の年に83歳で崩御とあるだけで、干支が分かっても西暦何年に亡くなったまでかは特定はできません。没年干支が記紀で一致しているのは、神武天皇から推古天皇までの三十三代に限っても、わずか4人だけです。
    推古天皇没年干支の628年の戊子年を実年代として、例えば干支一運(60年)内の相当干支を求めた場合でも、仁徳天皇没年の西暦は367年、427年、あるいは487年の可能性もある、といった具合です。

    歴代天皇の在位期間は初代神武天皇から十五代応神天皇までに限っても、書紀によれば年齢100歳以上が15人中10人、在位50年以上に至っては11人もいることになる。第十一代垂仁天皇に至っては99年の在位、没140歳という数字になってしまう。
    記紀の記載年数を「西暦〇〇年から〇〇年までの〇〇年間」とまともに受け取る学者はいないと断言できます。
    もっともまともに受け取ること自体、記紀の記述信じているという論理矛盾に陥ることは少し考えれば分かることですが。

    六国史さん、こんなところでよろしいですか?

  6. 【5021313】 投稿者: 六国史  (ID:GQun754OZ9I) 投稿日時:2018年 06月 09日 22:10

    冷静に考えるとさん

    よく理解できました。不躾な質問で恐縮してしまいます。
    私も歴史好きで、こちらの書き込みは楽しく拝見しています(全部理解できませんけど)。
    日本書紀の西暦年月を信じてアレコレ批判すること自体が、すでに論理矛盾。
    仰る通りで、目から鱗です!
    また、お邪魔することがあるやも知れませんが、少しは対等にお話できますよう、私も勉強してみます。
    有難うございました。

  7. 【5028789】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:jFFCa4sZXUc) 投稿日時:2018年 06月 16日 13:35

    今月末のボーナスを当て込んで一足先の散財、以前より欲しかったスマートウオッチを買い求めた。A社とS社で価格は約一万円違いだったが、迷った挙句に高い方にしたのは、A社製がデジタル式だったからである。

    さて、去る6月10日は「時の記念日」。
    書紀によれば、いわゆる「時報」というものが初めて用いられたのも天智朝で、時を刻んだのは水時計、いわゆる「漏刻」と称されるものであった。
    斉明朝、中大兄皇子のとき既に十九階に分類して官僚組織の拡充を図り、更に白村江以降はこれを二十六階に改めた。官僚らを効率的に動かすために遷宮先の近江大津宮に初めて「漏刻」を設置したとされる。
    それにしてもと、つらつら考えてみると、、
    「時間」というものを掌握しこれを司るということは、実は為政の根本を為す専権事項ではないか、と思えてならない。

    昨今の所謂、「働き方改革(高プロ)」しかり。さらに言えば、複雑な国際関係においても、時間というものが対外交渉ツールとして占める割合は大きい。
    例えば核兵器廃棄の段階的プロセスと制裁解除については、当に時間というものが重要なツールとなっている。
    歴史的と称される米朝会談で、朝鮮半島の非核化方針は一応、合意をみた。
    先代の故金正日政権から米との直接交渉を通じた体制及び安全保障は、彼らの悲願であった。国際社会を欺き核開発に邁進してきた甲斐があったと、内心でほくそ笑んでいるはずだが、次ステージはこの段階的プロセスをどのように構築していくか、である。
    ボールは金正恩氏にあるといってよい。
    もっともトランプ政権もさすがに二度目の過ちは犯すまいと、豊渓里の放棄(隠された坑道)実施よりまず、運搬手段であるミサイル発射実験施設(東倉里)の処分に注目しているはずだ。

    さて仮に東倉里、あるいはその他のミサイル発射実験場を廃棄したとしても、次に来る大きな問題は核兵器の解体と核物質処分のプロセス、実現性である。
    こちらの方は、それこそ気の遠くなるような「時間」を我が国も覚悟せねばなるまい。我が国は1990年代初頭に対CIS諸国非核化支援として、ミュンヘン・サミットを契機に取り組んでいる。解体によって生じるプルトニウムがMOX燃料加工を通じるなどして、例えば軽水炉燃料として商業利用が可能か、これらをどこに移転するかなど問題は山積みである(北朝鮮国内の突発的な政変がなかったとして)。

    それでもこれらはやがて「時間」の解決する問題である。

    その一方で、我が国にはその「時間」を数十年前に止められた方々が、いまだ居られることも忘れてはなるまい。そして現実として残された「時間」も長くはない。
    時間を掌握し司るのが為政の専権事項ならば、これほど有意義に「時間」を意識した交渉事は他にあるまい。まずは止まった「時間」を動かすことが先決。
    安倍政権の外交に期待したいと思う。

  8. 【5042207】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:lXM5fx/5fk6) 投稿日時:2018年 06月 30日 12:40

    対ポーランド戦、最後の10分間、海外メディアも含め批判あるものの、まずはサムライ・ブルーの決勝T進出を素直に喜びたい。
    さて、高円宮家絢子女王のご婚約報道に些か隠れた感があるが、憲仁親王妃久子殿下ロシアご訪問、対コロンビア、セネガル戦を日本サッカー協会名誉総裁として、選手らの激励も含め観戦されたという。皇族のロシア訪問は実に102年ぶりだそうだ。

    102年前と言えばロマノフ朝、ニコライ2世の帝政ロシア時代、まさにロシア革命の頃であるが、そのような時期に皇族の訪ロが実現されたとは、わたしも勉強不足で知らなかった。いったいどなたが行かれたのか調べてみると、どうやら大正天皇従兄弟であった閑院宮載仁親王とのこと。
    1916年日ロ協約締結を機に同年秋にペトログラード(現サンクトペテルブルク)及びモスクワをご訪問された。当時の階級は近衛師団長を経たのち、陸軍大将・軍事参議官である。
    形式上は、1915年大正天皇ご即位祝意のため来日されたゲオルギー・ミハイロヴィチ大公との相互訪問の格式であったようだが、日ロ協約締結後あまり日を経ずとあれば、おそらく協約締結後の実質的な軍事同盟までをも視野に置かれていたのではないかと推察し得る。結果として正式な軍事同盟には至らなかったものの宮中、府中双方を悩ませ、あるいはその5年後の摂政設置を鑑みれば、(当時としての)外交センスは充分備えておられたといえよう(あるいは寺内正毅あたりの助言・進言があったや知れぬが)。

    外交センス、、
    些か政治マターで恐縮だが、英仏独中露の対イラン核合意を未だ支持しつつも、離脱した米国、セカンダリー・サンクションをちらつかせるトランプ政権の禁輸要求に、イランと友好関係を保ってきた我が国の安倍政権、さてどのような戦略を思い描いているのだろうか。
    冒頭引用したサムライ・ブルー、決勝T進出への戦略としてであれば、納得は出来ぬがまあ理解はできる。だが然したる外交戦略、着地点も見出せぬままの時間稼ぎ、「無駄」なパス回しだけは勘弁願いたい。
    国民生活に影響を及ぼすことは必至ゆえ、対米追従もここまでかと各国の嘲笑を誘う前に、「No」ならその意思をはっきりと伝えるべきだと思う。

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