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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【5116227】 投稿者: ちはやふる  (ID:6vwPvlvWzAs) 投稿日時:2018年 09月 16日 05:37

    お早うございます。
    日本を離れている間、関西、北海道と立て続けに起きた自然災害に、驚いております。北海道では全域停電だったとか。
    発達したインフラも、自然災害の前には無力です。でも、これらと同じくらい破壊力、想定外の人的破壊が9.11。
    いまだに1000人以上の方々の、身元が不明だそうです。

    ニューヨークの美術館、博物館巡りも良い思い出になりました。友人宅に滞在してたので、予算も削減出来たし、ウフ。
    朝食はブルックリンのパン屋さんで、ちょっと贅沢したけど。

    私は無知で知らなかったのですが、天皇陛下が訪米されたとき、当地のロックフェラー家に招かれたそうです。ロックフェラーと言えば、東大や一橋大学に多大な寄付をした篤志家ですが、ちょっとネットで見ると、都市伝説みたいな陰謀論ばかり。
    私邸に招かれ、天皇陛下がその民間人の招きに応じたくらいですから、やはり、特別なご関係がお有りなのかしら?
    ネット記事を鵜呑みにはしませんが、実際はご関係に興味がございます。

  2. 【5116623】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:3xwY.sgFb9o) 投稿日時:2018年 09月 16日 14:55

    ちはやふる さん、お帰りなさい。

    ニューヨークはいかがでしたか?美術館・博物館めぐりとは羨ましい限りです。
    ブルックリンのパン屋といえば、赤レンガのAlmondineあたりが有名ですが、あそこのバケットはわたしも米国滞在中にはよく買っていました。
    ともあれ無事に帰国され、まずは何よりです。

    ロックフェラー家にまつわる都市伝説といったものは存じませんが、昭和天皇、今上天皇ご夫妻のご訪米の折には、晩餐会が公式日程として組み入れられていたのは確かなようです。もっとも昭和天皇のご訪米時、ネルソン・ロックフェラーは副大統領でしたからそれほど違和感がないとしても、今上天皇ご夫妻もとなると、ロックフェラー家も経済力を通じてパクス・アメリカーナを体現した「戦略家」たる一面が垣間見え、少し疑問が生じるかな、、

    さて、ロックフェラー家といえば単なるフィランソロピーというのみならず、戦後、米国の対日文化政策に果たした役割も看過できず、(私見ですが)その意図したところは反共リベラルの醸成で、いわゆる戦後「知識人」と呼ばれる人たちへの防波堤構築と言えるかもしれません。
    昭和天皇ご訪米の数年前に米中国交正常化交渉が始まり、封じ込め政策の大転換に至ったにも関わらず、ヘゲモニー国家維持のため地政学的に、米国にとって軍事面のみならず経済面でも、日本の重要性は増していったということでしょう。

    それは、ちはやふるさんが言及された、一橋大学とロックフェラー家との関係にも一例が垣間見えます。
    例えば1950年代、同財団のノーマン・S・ブキャナン(経済学)は経済学の方向性として我が国には、1890年以降、独の「新しい歴史学派」の影響下にあるもの、ひたすら著名な文献の解釈を試みて批評するもの、翻訳家、そして数学を用いて経済学を語るものの4つを分類した。
    対日文化政策を振興するロックフェラー財団にとってもっとも好ましいのは、最後の集団で、マルクス主義経済史と文献解読からの「決別」、近代経済学のフェローシップを得た学者らが、一橋大学の主流派を為していったことを鑑みると、一応、彼らの目論見は成功したかも知れません。

    もっともヘゲモニー国家として、1980年代、彼らの「富の象徴」とも言えるロックフェラー・センターが日本企業に買収されるとは予測し得なかったのでしょうが(現在は2~3棟を残しているだけ?)、、
    しかもその企業グループ、一橋大学の就職先として強いことは夙に有名ですから、これもまた面白いものです。

  3. 【5117488】 投稿者: ちはやふる  (ID:6vwPvlvWzAs) 投稿日時:2018年 09月 17日 11:58

    冷静にかんがえると様

    いつも有難うございます。
    そうでした。お仕事柄、あちらこちらに行かれる貴方様が、ご存知ないはず、ありませんでした。

    戦後の対日文化政策に、ロックフェラー家が関わっているとは、知りませんでした。
    私は新着から、こちらのお題にくるのですが、賑わっているのは、入試に数学が導入されることの是非。
    私も斜め読みしかしませんが、経済学に数学が必要かどうかで、議論されているみたいです。
    貴方様は興味がないでしょうが、経済学に数学を導入する経緯が、反共リベラル醸成、とお聞きして、なるほど、と思いました。
    それなら、マルクス主義の方々は、反論するでしょう。
    何となく、構図が見えてきた感じです。

    ところで、他スレのお話で恐縮なんですが、秋篠宮家の皇室予算は、内廷皇族を前提にしたものなのか、あるいは、宮家のまま、予算規模を大きくしたものか、
    冷静にかんがえると様は、ご存知でしょうか?
    疑問主を差し置いて、伺うのはためらわれますが、申し訳ありませんでした。
    お教え頂ければ、幸いです。

  4. 【5119981】 投稿者: ちはやふる  (ID:jj83.k3G.7A) 投稿日時:2018年 09月 19日 19:17

    冷静にかんがえると様
    申し訳有りません。先のご質問、私、早とちりしてしまい、よく意味も分からぬまま、書いてしまいました。
    あれではさすがの貴方様も、チンプンカンプンですよね。
    すみませんが、撤回させて頂きとうございます。
    たいへん、失礼申し上げました。

  5. 【5120031】 投稿者: 奥都城  (ID:4Mf8mVkTfck) 投稿日時:2018年 09月 19日 20:22

    こんばんは!
    ちはやふる様、ありがとうございました。

    >宮家のまま、予算規模を大きくしたものか、

    秋篠宮家は皇族費を3倍、皇嗣職として50人に増員しそのまま宮家として残るようです。文仁親王殿下は秋篠宮文仁皇嗣殿下とお呼びする事になるらしいですね。
    「ようです、らしい」というのも、これは昨年報道された内容なので、譲位後秋篠宮家がどのようなお立場になるのか分からないのです。
    (私が知らないだけかもしれませんが)

    あちらでも書きましたが、秋篠宮家を存続させる為だけに宮家の皆様が中途半端なお立場になってしまうのはおかしいと思います、釈然としません。
    内廷皇族の皇太弟殿下でよいのではないかと思います。

    と、あちらのスレでちゃんと書けばよかったのですが
    文章力のない書き方で誤解を招いてしまいました、申し訳ないです。
    失礼いたしました。

  6. 【5121313】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:9jJ/ZOWxBhI) 投稿日時:2018年 09月 21日 06:02

    ちはやふる さん

    わたしはブックマークよりアクセスするので、新着の方は全く見ていません。
    拝見するのはここと奥都城さんのスレッドくらいですかね。

    数学の必要性と言えば、わたしは国際関係論専攻でしたから、ゲーム理論で感じたことはあります。もっとも応用数学の分野とされるゲーム理論も、バイブルであるノイマン・モルゲンシュテルンの著書では、効用関数を用いる前提としての公理が示されてはいるが、前提として期待効用の最大化という感覚、若しくは直感的なプレーヤーの参加動機については、議論もあるようです。
    それはともかく、部下に求める報告書では、これらがモデル化された学術論文のような長文に出くわすこともしばしば、、理解できないところは説明を求めますが、文系出身者でもかなり数学をやり込んでいる。単なるツール目的以上に、彼らは勉強しているのでしょう。わたしもついていくのにひと苦労です。

    さて、奥都城さんの疑問とされるところ御尤もなれど、内廷にある皇族の範囲は皇室経済法にて定められていますから現行、皇嗣として「皇太子」、「皇太孫」でなければ難しい。秋篠宮親王がこれらを冠する為には皇室典範の改正が必要です。また、「皇太弟」という称号を用いるのも同様。そもそも「皇太弟」の事例は歴史上数例しかなかったはずで、すべて当御代天皇の授与を経たもの。
    総じて先の特例法の制定過程、皇室典範の改正自体に消極的な姿勢は、現政権に見て取れるといえましょう。
    皇嗣となられる予定の秋篠宮親王の皇族費は現行の3倍、これは特例法の附則で皇嗣職などの設置とともに新設されました。

    ご譲位後の秋篠宮「皇嗣」殿下のお立場ですが、国事行為として「立皇嗣の礼」を執り行うことによって、内外に皇位継承順位1位の格式、現行法上「皇太子」と同格であることを示すのが、政府方針となっているようです。
    今後の行事諸々については、例えばご譲位後の宮中祭祀。既に今上天皇は執り行わないとされていますから、秋篠宮「皇嗣」殿下は新天皇とともに、「皇太子」と同格のお立場で参加なされることになるでしょう。

    まあ、保守層支持基盤への「配慮」と言えるか知れませんが、皇室典範改正については安倍政権、やはり消極的な感が否めない気がいたします。

  7. 【5121452】 投稿者: ちはやふる  (ID:jj83.k3G.7A) 投稿日時:2018年 09月 21日 08:58

    冷静にかんがえると様
    有難うございます。

    私は数学は全然ダメで、あの数式を見ただけで固まってしまいます。でも私の専攻でも、統計学が必要の場合がありますから、逃げてばかりと言うわけにもいかず、もう少し勉強しておけばよかったな、と思うことが多くなってきました。

    奧都城様が「皇太弟」と書かれて、私もこの称号を存じていましたから、皇位の継承では、弟宮の場合、一般的に用いられるものだと思っておりました。
    歴史上、数例とは驚きです。
    例となる天皇の御代をご教示頂ければ、幸いです。
    皇室典範改正は女性宮家の創設も関係して、なかなか難しい舵取りなんでしょう。やはり、御家法といった性格が強いのかしら。
    いずれ避けては通れない、と思います。

  8. 【5121868】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:ZeuN/yeK3xw) 投稿日時:2018年 09月 21日 16:04

    ちはやふる さん

    「皇太弟」として詔が出された例は、わたしの知る限り、第51代平城天皇だけです。歴史上は3例あるそうですが(天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議「最終報告」、平成29年4月21日)、あとの2例は調べてみないと分かりません。
    ただ当御代の「皇太弟」として遇する(詔)となると、直系皇子がいないか、若しくは上皇院政に絡む思惑が推測されますから、平安初期から中期の御代のいずれか、ということになりましょうか。
    平城天皇の場合、在位3年余りで弟宮の神野親王(嵯峨天皇)ご譲位にあたり詔を出され、平城旧京に退かれています。ただ、健康面の不安が払しょくされると、後に「二所の朝廷」と称される分裂状態が生じ、嵯峨天皇の「皇太子」であった平城天皇第三子の高丘親王は廃太子(「薬子の変」)、嵯峨天皇の弟宮、大伴(淳和天皇)へと継承が為され、平城天皇の直系は途切れることになります。

    この事例はまた、廃太子為されるまで実は高丘親王が嵯峨天皇にとって「皇太甥」であり、同時に「皇太子」でもあったということを示すもの。
    古来では度々称号よりも実質が重んぜられたとはいえ、政治的思惑で廃太子が可能という不安定さも併せ持つことになる。ただ、現在では皇位継承にに関わるご身分の不安定さが払しょくされており、実質が重んじられるのみならず称号を凌駕していると思えば、秋篠宮親王の称号に関して、あまり拘る必要もない気がいたします。
    但し、その称号が御処遇に関わる現行の法体系では、なるほど、奥都城さんの疑問とされるところ、確かに的を射ておりますね。

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