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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4693695】 投稿者: 現実  (ID:XP1rnQSNAz.) 投稿日時:2017年 09月 06日 18:55

    冷静にかんがえるとさん

    感謝申し上げます。
    ひじょうに納得できた。その論証に至る学説なども、貴殿の知識に入っているのだろう。だが、そのレベルになると、もはやここの主さんでなければ、応じ切れんだろう。
    また、他スレで叱られてしまったが、不躾な質問、ご容赦。
    私もしばらくロムに戻るが、貴殿の書き込みを楽しみにしています。

  2. 【4693781】 投稿者: 神話  (ID:7lJGvQ.il4U) 投稿日時:2017年 09月 06日 20:01

    >つまり「文字」にされる以前の古代人の「規範」が、男系継承を意識していたのかという「父性」回帰への実証が可能か、ということを意味する。
    わたしはここに「疑似自然的」という言葉をあてはめ、あたかも可能であるかのように単純に考えていたのだが、これは実際には不可能です。
    可能とすること自体がすでにイデオロギーに囚われていることになるのではないか。


    おっしゃるとおり。

    それは日本王朝というイデオロギーでしょうね。
    中華文化圏では王朝は男系で承継、そして王朝名は国号です。

    男系が崩れたときには、
    日本王朝、天皇制の危機かもしれない。
    歴史的実証性よりも神話が重要なんですよね。

    だけども、

    近代も神話じゃないですか。
    近代思想も所詮フィクションかもしれない。

    神話を軽視してよいかどうかは難しいところです。

  3. 【4693840】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:qxg80pfFzuQ) 投稿日時:2017年 09月 06日 20:55

    神話 さん

    >神話を軽視してよいかどうかは難しいところです。

    おっしゃるとおりですね。
    前掲書よりの引用になるが、「文字には記録として残らない記憶があり、文字の記録利用に先立つ見えない体験があるはず。後に神話、伝承とか呼ばれまとめられたものがそれであり、そこをやり過ごしてしまっては一民族の歴史は見えてこない」(147頁)。
    つまり先の書き込みの続きとなるが、文字媒体によってエクリチュール化された「神話」を解釈し、そこから共通体験を読み出す作業を通じて、「生きた体験」として我々日本人の歴史的意思を創り出していく。
    おそらくこういったことなのでしょう。
    そしてご指摘のように男系継承を論じる際、ここが大きな論点になることは確かです。

    一方、古代人の「人間性」というものを、例えば独の人文学者やロマン派と同型的に捉え、これらを現代に再生させるといったような作業には、どうしても「文字」の集積体から「活きた体験に基づく自然な人間性」というものを引き出す作業が必要になると思います。そしてその「活きた体験」こそが例えば祭祀、埋葬儀式、それを主宰する「ヌシ」の存在と血縁の適格性。
    仮に男系という規範を「神話」に求めるならば、この「文字」の集積体をどうのように評価するか、、
    パロールとエクリチュールの対比で考えれば、この集積体が活きるかどうかは、有体にいえば作為、政治的意思を排除したものでなければならない。
    「神話」の評価の難しさ、ではないでしょうか。

  4. 【4693917】 投稿者: 通りすがり  (ID:y3koP8uuy/M) 投稿日時:2017年 09月 06日 22:14

    パロール(話し言葉)

    それが、「作為・政治的意思を排除する」という意味でエクリチュール(書き言葉)に勝るか?となると、現代社会を見ていて疑問を持たざるを得ないのですが、いかがでしょうか?そういうお話でなければ、失礼いたしました。ご放念くださいませ。

  5. 【4693967】 投稿者: 神話  (ID:7lJGvQ.il4U) 投稿日時:2017年 09月 06日 23:03

    >パロールとエクリチュールの対比で考えれば、この集積体が活きるかどうかは、有体にいえば作為、政治的意思を排除したものでなければならない。
    「神話」の評価の難しさ、ではないでしょうか。



    つまりこれは、

    >どうしても「文字」の集積体(エクリチュール)から「活きた体験に基づく自然な人間性」というものを引き出す作業(パロール)が必要になると思います。

    という、
    その対比のなかで、

    >そしてその「活きた体験」こそが例えば祭祀、埋葬儀式、それを主宰する「ヌシ」の存在と血縁の適格性。仮に男系という規範を「神話」に求めるならば、この「文字」の集積体をどうのように評価するか

    そこで政治的意思は排除されなければならない
    という意味でしょうね。

    逆読みをすれば、

    国民の総意であっても、それは政治的意思でしょうから、
    国民の総意で女系天皇による皇位継承を認めることが
    出来るのか・・・悩ましいですね。

  6. 【4696757】 投稿者: イワサキ  (ID:xdQuXZayHyI) 投稿日時:2017年 09月 09日 12:32

    冷静にかんがえるとさん

    淡青さんと濃青さんのやり取りはレベルが高いなあ、帰国間もない私にはついていけません、笑

    私なりに過去の書き込みから古(いにしえ)からの話を展開したいんだが、
    三島由紀夫が天皇(皇室)について一言、時間的連続性の象徴と述べている
    私は、日本の文化伝統の時間的連続性の象徴が、現在の天皇、皇室であると思う

    天皇、日本を称したのは天武天皇の時代(684年前後)じゃあそれ以前はとなると、邪馬台国の時代からの名残、ヒメヒコ制が形を変えながら続いていたと推察します。卑弥呼が祭祀(ヒメ)、弟が政治(ヒコ)なんだが、風土記などの中にも大分宇佐地方のウサツヒコ、ウサツヒメ、阿蘇地方のアソツヒコ、アソツヒメ、播磨風土記ではヒメ神とヒコ神が一対になり統治したと書かれている、神社の祭神でもヒメ神とヒコ神が祀られているのがこの名残です。
    ヒメヒコ制は、兄弟姉妹、親子、甥と姪、夫婦もあったでしょう。女性が祭祀、男性は政治軍事といったところ。
    具体的にどこまで続いたか?隋書倭国伝の中に記載されている、皇帝煬帝を激怒させた、日出づる処の天子の書簡が有名だが、その中で遣隋使が倭国はヒメヒコ制をとってることを伝えている。
    煬帝は皇帝が全て司るが当たり前で、野蛮だとこき下ろした。記載あり
    推古天皇と聖徳太子のヒメヒコ制が否定された、ここか約100年かけ、天皇称し、律令を導入し、大陸何するものぞとの気概で整備した、これが歴史の流れです。最終的には、藤原氏の都合のいい形態に作り替えられていくが、、、

    例をだすと、斉明、皇極天皇と中大兄皇子、持統天皇と高市皇子、聖武天皇と藤原氏、道鏡、当初は皇族がヒコ(政治軍事)を担っていたが、やがて蘇我氏、藤原氏に変遷したのはいうまでもない。

    男性天皇を祭祀の世界に押し込んだ、これは藤原氏がヒコ(政治軍事)を独占するためで、男性天皇は女性(ヒメ)が行っていた祭祀の世界に押し込まれた
    この名残が天皇即位時に行われる祭祀、大嘗祭に色濃く残っている
    天の羽衣伝説と同じように、神聖な眞名井から湧き出る水で沐浴をし体を清め、女性の衣をまとい女装して神と食事を行う、この儀式をへて即位する。
    これは藤原氏が従来女性(ヒメ)が行っていた祭祀を天皇にやらせ、ヒコ(政治軍事)を藤原氏が完全に掌握するための完成形の儀式である

    現在では天皇は祭祀中心なので、女性が天皇になっても何ら問題がないことが古からは導くことができる。(女系天皇については割愛します)

    今現在の皇位継承順位は尊重した上での皇太子殿下、秋篠宮殿下。悠仁親王殿下
    以降の話になります。

  7. 【4696963】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:EKginrFG0c.) 投稿日時:2017年 09月 09日 16:12

    イワサキ さん

    ご無沙汰をしておりました。
    こちらのスレはROMしておりましたが、あちらから書き込みが出来ずもどかしさを感じる場面多々あり。こうしてまたキーボードを打てることが本当に嬉しく思います。スレを残して頂いて有難うございます。

    ところで濃青さんって、、やはりそうですよね。改行のされかたで、うん、もしかして?と感じたのですが、間違っていたら失礼だと思い言及しませんでした。
    神話=濃青さん、でよろしいですね?

    さて本題ですが、、
    「神話」機能というものに着目すると、1、神々の物語である。2、特定の階層によって創作・編集されたものではなく、広く民衆の間に語り継がれ信じられている。3、宗教性・呪術性をもって社会生活を規制する力をもつ(「日本神話と古代国家」直木孝次郎 著、講談社学術文庫)。

    わたしが作為・政治的意思を排除したものでなければならない、と書いたのはまさに2、の部分です。
    記紀が神代まで遡って万世一系たる男系の規範力を持つためには、編纂以前の「広く民衆の間に語り継がれ信じられて」いる伝承、「事実」なりの痕跡らしきものを、パロールとして漢字エクリチュールから復活させる必要がある。これに挑んだのがご存知の通り、本居宣長の「やまとごころ」、あるいは「太古の活きた言葉」への憧憬を著した日本浪漫派思想だった。
    「漢字」という>「文字」の集積体から「活きた体験に基づく自然な人間性」というものを引き出す作業、とはこのようなことです。

    記紀、特に古事記が神代を各地伝承、「事実」を取り入れパロールを漢字媒体を通して復活させた体裁を採る以上、現代の我々はその痕跡らしきものを漢字エクリチュールから導き出す必要がある。ここを等閑にしては民族としての歴史(前掲書)は見えてこないと思います。ただ方法論らしきものを考えれば、古墳時代前期の副葬品、分布などを通してある程度に推測することは可能かもしれない。
    しかし現状、これらの研究からは女性酋長の存在が明らかになってきている(代表的な学説は今井堯、田中良之ら)。つまり記紀以前には双系制(イワサキさんご指摘のヒメミコ制)が採られていた可能性も十分にある。
    つまり万世一系たる男系を事実として導き出すことは、「神話」の面からも難しいということです。

    ここまで書いて、では現実問題として我々は女系天皇の可能性をどのように考えればよいか、、わたしは中世期以降(あるいはそれ以前にも)、我々日本人が観念した「イエ」という概念を用いることが有効だと考えるところ。
    この点については機会があれば又、書き込みたいと思います。

  8. 【4697442】 投稿者: ちはやふる  (ID:jAKpUqbMdXQ) 投稿日時:2017年 09月 10日 06:28

    イワサキ様、冷静にかんがえると様、おかえりなさい。
    こちらでのお話が再開されたみたいで嬉しく思います。
    それにしても、レベルが高すぎ!
    でも何とか私もお邪魔させて頂きたいと思います。

    冷静にかんがえると様のお説は、音声中心主義で、例えば有名な「ドイツ国民に告ぐ」でドイツ国民に文化的自覚を自然な在り方として持たせ、これとパラレルに為されたドイツの新人文主義運動ー「古典」の読解を通して古代人の人間性を復活させるーと言った、自由主義史観のオーソドックスなアプローチ方法ですね。
    神話を読み解く上でも、古代人のパロールを文字エクリチュールから抽出する手法は「愛国」教育をより自然的に施す為の教養主義の一種だと思います。
    冷静にかんがえると様は自由主義史観をお持ちだと拝察いたしますが、この文脈で万世一系の男系を考えることは、逆に自然科学的ー発掘作業などーな実証主義を、自らの人文系の専門領域に引き付け、議論を展開しようとされることで、最初から万世一系、男系の偶然性と言ったものを排除してしまうことにはならないでしょうか?
    私は男系が偶然続いたか、作為があったかは存じませんが、神武以来、万世一系、男系が偶然性をもつと考えれば、それはまさしく神話力をもつと思うのですが如何でしょうか?

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