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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4686788】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:Iq9Gkt5oN.M) 投稿日時:2017年 08月 30日 19:25

    イワサキさん、長期出張お疲れ様でした。
    旧盆を契機に戻ってまいりました。イワサキさんがおられない間、現実さんのお誘いに従い、受験版の方に寄せて頂いていた次第。懐かしい香りのする方々とも巡り合い、イワサキさんも戻られ嬉しく思います。
    またこちらの方にも書き込みをさせていただきます。

  2. 【4687132】 投稿者: 現実  (ID:HzAAraI5TpY) 投稿日時:2017年 08月 31日 05:33

    スレ主さんが戻って来て何より。
    冷静にかんがえるとさん、受験版の誘いに応じてくれて、有難うございます。
    ところで9月3日に眞子さまと小室圭さんの婚約会見が行われるらしいが、お二方は例の女性宮家について、どう考えておられるのだろう?
    エデュ切っての歴史知識をもつお二方にぜひ意見を伺いたいと思います。

  3. 【4688621】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:L1QJAxbvlyU) 投稿日時:2017年 09月 01日 21:18

    現実 さん、お誘いありがとうございました。

    秋篠宮家の眞子内親王と小室圭さんお二方のご婚約については、わたしも帰国後、最近のニュース等で目にしたくらいであまり情報を持ち合わせていません。ただ比較は適当ではないかも知れませんが、悲劇的結末となった愛新覚羅慧生と大久保某との純愛物語風から、最近では小室圭さん個人の属性、家族関係にネガティブな視座がマスコミの一部に台頭してきている様子、古代ギリシャのポリスにおいて発展してきた「演劇」という名の言論空間を思い起させます。
    「大衆=役者」と擬制すれば、ある公的領域を構成するほぼ全員が古より伝承されてきた言論を通して「神話=物語」を演じるというポリスの構図と似ている。まあその役柄は「舅・小姑」といったところですが、、

    女性宮家の是非については以前、(ご存知かもしれませんが)ひまわりさんという方が積極的に論陣を張っておられたが、わたし自身は否定的だったものの肯定的(というより中庸)に転じた経緯があります。
    例えばかつてベストセラーとなった「父性の復権」(林道義 著、中公新書)など「父性」というものの根源を遺伝子レベルに求めて、それが人類の当為であるといった論証の仕方が、逆に「父性」のジェンダー的性格、つまり歴史的・文化的な我が万世一系という「事実」の主張を封じ込めてしまう諸刃の剣である、ということに気が付いたのが主な理由です。
    憲法論を別として、その主張は大統譜、皇統譜から解き起こして、歴史、特に古代史についてさまざまな視点からなされるべきであって、女性宮家創設もそのコンテクストで語られるべき。そういった意味で、かつてわたしが主張した疑似自然的といったような「事実」のみで正当(統)性を説くのは無理だなあ、と思っています。

  4. 【4689014】 投稿者: 現実  (ID:rBbEELDWljM) 投稿日時:2017年 09月 02日 11:47

    冷静にかんがえるとさん

    >「大衆=役者」と擬制すれば、ある公的領域を構成するほぼ全員が古より伝承されてきた言論を通して「神話=物語」を演じるというポリスの構図と似ている。まあその役柄は「舅・小姑」といったところですが、、

    レス頂戴し有難う。
    なるほど、「舅・小姑」か。
    しかし、事は皇族の結婚、身分に関わること故、我々国民がお相手について懸念することも当たり前だと思うが?
    将来、眞子さまが女性宮家となった場合、お相手の小室圭さんも皇族となるわけだから、その適格性を心配する国民の声を代弁しているようにも取れるのだが?

  5. 【4691147】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:lT5y/tfy/yU) 投稿日時:2017年 09月 04日 12:32

    現実 さん、レスありがとうございます。

    >しかし、事は皇族の結婚、身分に関わること故、我々国民がお相手について懸念することも当たり前だと思うが?
    将来、眞子さまが女性宮家となった場合、お相手の小室圭さんも皇族となるわけだから、その適格性を心配する国民の声を代弁しているようにも取れるのだが?

    まず内親王のご結婚については皇室会議の儀について、具体的規定がありません。少なくとも秋篠宮親王ご夫妻がこれをお認めになり、天皇・皇后両陛下に紹介を済まされた以上、我々国民がお相手について立入った評価・論評をするべきではないと思います。
    なぜか、、眞子内親王はご結婚を機に皇族のご身分を離れるからです。仮に何某の懸念があるとすれば、黒田慶樹・清子さん夫妻がご婚約後、戦前の皇室婚家令に則って執り行った儀式、これを踏襲した場合、納采の儀から朝見の儀に至る一連の儀式に小室家が耐え得るか、この点くらいだと思います。詳しくは知りませんが、結納品として真鯛(あるいはその代料)、清酒、絹地などを贈るのが慣わしだったような、、
    お作法、支出もろもろ、黒田家、千家と違い小室家は普通のご家庭ですから、これらを滞りなく執り行う為の負担は大きなものとなるでしょう。まあ、宮内庁式部職がお膳立てはするでしょうから、実際は「ご懸念無用」といったところかな。

    次に将来、仮に女性宮家創設となっても、小室さんが必然的に「皇族」になるわけではありません。ここは押さえておく必要がある。

    民主党野田政権時の「皇室制度に関する有識者ヒアリング」で、京都大学 大石眞教授が、女性皇族(内親王・女王)に婚姻後も皇族の身分を保持いただく、という方策について、「皇族の身分を保持する」ことの意味が、
    1、いわゆる宮家を立てるという趣旨か、2、婚姻後もなお皇族の出自を示す尊称(内親王・女王)を認めるという趣旨かを分けて考える必要がある、と述べておられます。
    わたしが注目するのは1、の宮家創設の意味合い。
    従来、女性宮家創設というと、専ら女系への懸念云々という観点で論じられてきたが、「皇族」の機能としてみれば、女性宮家創設は数多ある天皇・皇后両陛下の公務削減のひとつの方策にもなり得るのではないか。つまり江戸時代の藩屏制の役割を担う為の女性宮家創設、こういった観点も看過出来ぬのではないか、ということ。
    件(くだん)のヒアリングでは、女性宮家創設に賛成の論者が専らこのような機能面に言及していたのに対し、反対論者は女系への懸念のみ重視していたような印象。

    今、眞子内親王のご婚約に際して仮に女性宮家創設を関係付けるなら、わたしは1、の機能面に着目します。
    この点で、巷間言われる小室圭さんの経歴、事実であれば遜色ないものと受け止めているところです。

  6. 【4692088】 投稿者: 現実  (ID:SoAPHLzfsmM) 投稿日時:2017年 09月 05日 08:58

    冷静にかんがえるとさん

    ご丁寧なレスに感謝申し上げます。
    貴殿は歴史・文化というコンテクストにおいて、女系問題も考えるべきと述べておられるが、正にその文脈で万世一系の男系が続いて来たのが、今の皇室ではないのか? 女系に移ることはこの皇統の変革を意味し、歴史・文化を否定することにならないだろうか?

  7. 【4692289】 投稿者: 現実  (ID:SoAPHLzfsmM) 投稿日時:2017年 09月 05日 12:12

    冷静にかんがえるとさん

    唐突でご無礼だが、HN.無常感という方をご存じたろうか?
    もし貴殿がやりとりした事があれば、どこのなんというスレか教えて下さい。

  8. 【4693654】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:WRLLjy11hQU) 投稿日時:2017年 09月 06日 18:27

    現実 さん

    HN.無常感という方は存じません。いや、どこかで拝見したかも知れないが、直接レスをやりとりした記憶は有りません。

    >歴史・文化というコンテクストにおいて、女系問題も考えるべきと述べておられるが、正にその文脈で万世一系の男系が続いて来たのが、今の皇室ではないのか? 女系に移ることはこの皇統の変革を意味し、歴史・文化を否定することにならないだろうか?

    わたしは疑似自然的な「父性」観念が、>歴史的・文化的な我が万世一系という「事実」の主張を封じ込めてしまう諸刃の剣である、と書きました。「事実」を括った意味はこれらに至る論証作業を封じ込めてしまう惧れがある、と言った意味です。
    では「事実」を事実として論証するべきことは何か、、
    ざっと思いつく限り述べますが、

    1、欠史八代の事績、2、継体=応神五世孫説、 3、神功と森羅王朝(天日槍)との関係、
    4、男系継承が何某の規範的意味合いを持つとして、藤原不比等の政治的思惑などなど。

    そしてこれは以前に書いたことですが、記紀といっても古事記・日本書紀ではその性格も異なり、律令を契機として古事記は収束、日本書紀は発展(規範)に向かう。となれば仮に男系継承が規範的意味を持つためには、特に古事記について「話ことば」と「言語」、パロールとエクリチュール、つまり古層の活きた「規範」をどう再現するかという根源的な問題がある。
    これは我が国の文化の核というものが大陸文化よりの「漢字」を通して形成され、古代日本史を記述してきたことを所与のものとして、「話ことば」を放念してよいのか(「国民の歴史」西尾幹二 著、文春文庫)という問題。つまり「文字」にされる以前の古代人の「規範」が、男系継承を意識していたのかという「父性」回帰への実証が可能か、ということを意味する。
    わたしはここに「疑似自然的」という言葉をあてはめ、あたかも可能であるかのように単純に考えていたのだが、これは実際には不可能です。
    可能とすること自体がすでにイデオロギーに囚われていることになるのではないか。

    かくして、我が国古来よりの男系継承なる「規範」の再現性は、膨大な学術的作業を伴うことになり、巷間、これがあたかも我が国の歴史・文化に基づく「当為」として男系継承を唱えることは前提が間違っているのではないか、、これがわたしの考え方です。

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