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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4698408】 投稿者: 雲居  (ID:y3koP8uuy/M) 投稿日時:2017年 09月 10日 23:35

    ソシュールの時代にはエクリチュールの概念がない、と指摘されていらっしゃられていたことに対する反論を見て、です。そういう言葉がなくても、そのようなものが存在したことまでは否定できないかな、と。あくまで素人の意見で。素人の表現にもご寛容にあられますことを願って。

  2. 【4698429】 投稿者: 雲居  (ID:y3koP8uuy/M) 投稿日時:2017年 09月 11日 00:03

    「概念」を表現法として表現したことは謝罪します。「そのようなもの」はあった。

    【4697801】
    ソシュールは「史実≒パロール≒エクリチュール」と考えているのである

    この表現で、批判されていらしたわけでしょう?その点について、です。

    ちなみに、ソシュールの『一般言語学講義』はそれほど出来の良いわけでもない(すみません!私が言っているのではありませんよ!)学生のノートから起こされたものなので、、、というお話は有名ですよね?

    すみません、家飲みですが、酔いが回りすぎてきましたので、失礼します。おやすみなさい。

  3. 【4698911】 投稿者: 玲仁  (ID:oJ150kqCNeE) 投稿日時:2017年 09月 11日 13:35

    こちらの非科学的古代妄想主義は、本居宣長の病状をも凌駕するかのようだ。
    あの福沢が、儒学や国学を罵倒した理由も分かる。
    以下の本は、東大社研の宇野教授になるものだ。社会科学者の意見も聞いて、
    少しは熱を冷ましていただきたい。一気に読み通せること請負である。

    「福田が日本と対峙するのは、ヨーロッパである。宗教改革やルネサンスからヨーロッパの近代が始まったとしばしばいわれるが、その両者も単純な過去からの断絶ではなく、中世以来の漸進的な変化の帰結である。ヨーロッパに特徴的なのは統一性であり、キリスト教を中核にその一貫性は近代にまで続く。これに対し、日本における過去を振り返れば、端的にそこには歴史性が欠けていた。日本の近代で否定すべき神はなく、明治維新で天皇制が持ち出されたのも、ある意味でその空虚さを埋めるものでしかなかったと福田はいう。

     福田にいわせれば、進歩主義の自己欺瞞は、そのような断絶を正面から認めなかったことにある。『戦前から戦後への転換には連続はない。連続がない以上、それは進歩ではない。進歩主義の立場からは、それを革命と呼びたいであろう。が、事実は征服があっただけだ。征服を革命とすりかへ、そこに進歩を認めたことに、進歩主義の独りよがりと甘さがある』(『進歩主義の自己欺瞞』)。福田にいわせれば、戦後改革は占領軍による『征服』であったが、それを直視しなかったことにこそ進歩主義の誤りがあった。

     福田はさらに、進歩主義にとって、『征服による切断を乗り越えて、なんとか連続を見出し、その架け橋を造ること、言ひかへれば、征服による疑似革命を進歩の中に吸収せしめること、それが一番大事な仕事ではなかったか』(同前)と指摘する。福田の見るところ、戦後の進歩主義はそのような仕事を引き受けるどころか、むしろ反動的であるとして退けてしまったのである。

     とはいえ、このような福田の議論には、実は丸山の保守主義論と通じるものがある。両者はともに、日本の歴史を貫く思想的連続性の欠如に着目し、結局のところ、明確な伝統が形成されなかったとする点で一致しているからである。その限りでいえば、しばしば対照的に捉えられる二人の人物は、同じコインの表裏の関係にあったのかもしれない。宇野重規『保守主義とは何か』中公新書」162頁以下

  4. 【4699300】 投稿者: 神話  (ID:Y6aFDZMIptg) 投稿日時:2017年 09月 11日 20:52

    >記紀が神代まで遡って万世一系たる男系の規範力を持つためには、編纂以前の「広く民衆の間に語り継がれ信じられて」いる伝承、「事実」なりの痕跡らしきものを、パロールとして漢字エクリチュールから復活させる必要がある。これに挑んだのがご存知の通り、本居宣長の「やまとごころ」、あるいは「太古の活きた言葉」への憧憬を著した日本浪漫派思想だった。



    養老孟司さんの 唯脳論からの引用。

    聴覚言語と視覚言語はどちらが先か
    「本居宣長、小林秀夫という系譜を追うまでもなく、われわれは、言語はもともと聴覚言語だという主張にぶつかる。フランス人なら、それは当然だと言うであろう。」(145頁)

    聴覚と視覚を「無理に」つなぐ
    「ひょっとすると、ヒトの脳は、視覚と聴覚という本来つなぎにくいものを、いわば「無理に」つないだのではないか。その「無理」が、意識的な考察では年中顔を出す。われわれは聴覚言語と視覚言語のとういつは当然だと考えている。当然だと思っているからこそ、そこに心身論、構造と機能、粒子と波動といった逆理が顔を出す。」(151頁)

  5. 【4699325】 投稿者: 神話  (ID:Y6aFDZMIptg) 投稿日時:2017年 09月 11日 21:13

    同じく、養老孟司さんの「小説を読みながら考えた」

    小林秀夫「本居宣長」に対して、福田恆存の「この本が本当にわかるのは、自分だけだと思った」といっていることについて「文学的批評の典型である」「客観性もクソもない」と酷評。
    理科系の養老氏からすると「文学者というのは、根本的には度し難い人種なのである」ということらしい。

  6. 【4699336】 投稿者: 神話  (ID:Y6aFDZMIptg) 投稿日時:2017年 09月 11日 21:26

    まあ、しかし、

    >【巨編に挑む】小林秀雄「本居宣長」 「古事記」に感じる古人の語り
    産経ニュース 2014.9.17 10:09
     若いころから小林を敬愛していた評論家の福田恆存(つねあり)は昭和55年秋、この大著を2週間かけて味読した。そのあいだに何も予定を入れず、この本を読むためだけの時間だった。そして、「これを読みたるは我独り也(なり)と思はせる本」という書き込みを残した(現物が神奈川近代文学館にある)。そう考えると、切れ切れの時間で読むというのは、もったいなかった。福田のように十分な時間を用意して、うまい酒に酔うように小林の語りに浸ること。それが、この本の最良の読み方かもしれない。



    福田は、小林秀夫「本居宣長」の愛読者だったわけですね。

  7. 【4701413】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:.TvVhR0MNR2) 投稿日時:2017年 09月 13日 12:36

    神話 さん

    >若いころから小林を敬愛していた評論家の福田恆存(つねあり)は昭和55年秋、この大著を2週間かけて味読した。そのあいだに何も予定を入れず、この本を読むためだけの時間だった。そして、「これを読みたるは我独り也(なり)と思はせる本」という書き込みを残した

    そう言えば本居宣長が源氏物語論として著した「紫文要領」のあと書きに、「この本は繰り返し『源氏物語』を読んだ経験を基にして書いたもの」であり、批評は「この(源氏)物語を直に読んだ上でやってくれ」と書いているそうです。
    つまりイメージとか予断なく、実際に読み味わった経験を基に批評なり何なりをして見せよ、といういわば読みの態度といったようなものですね。
    おそらく真淵入門前のことだと思われますが、後の「古事記伝」も同様、自説に疑問があるならあなた自身、「古事記」の本文と引き比べてみよといったそう(西郷信綱 横浜市立大名誉教授、「日本史探訪16ー国学と洋学」角川書店より引用)。
    読みの経験といった基礎力が彼の自信に繋がっているのでしょう。
    福田恆存もご自身のこのような読みの態度といったようなものに、本居宣長のそれを意識していた可能性がありますね。

    >ちはやふる さん

    いえいえ、鋭いご指摘ありがとうございます。
    とはいうものの、神武以前の神代でも古層の確信らしきものが、口承なり規範なり何らかの痕跡があるはずと申し上げたのは、あくまで万世一系の男系を前提にと言った意味で、手法それ自体の有効性まで否定しているわけではありません。
    この点は誤解なきようにお願い致します。

  8. 【4701434】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:.TvVhR0MNR2) 投稿日時:2017年 09月 13日 12:55

    それにしても、、
    「ちはやふる」さん、「奥都城」さん、「雲居」さんと皆さん「古(いにしえ)」流のセンスあるHN.ですね。
    荒ぶる神、天叢雲剣、出雲本殿、、お三方は別人でしょう?
    これが偶然性というものかも知れませんね。

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