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【2861578】私立中学の価値-ゼロワン

投稿者: 適性   (ID:5fxiNQDWvtM) 投稿日時:2013年 02月 14日 12:48

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

特別の条件はありません。

ただ。

「アンフェア」な議論方法や、「人」への誹謗中傷は「なし」でお願いします。

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  1. 【2870763】 投稿者: ピース  (ID:cmJssxrJgaY) 投稿日時:2013年 02月 21日 00:12

    連投すみません。
    葉隠のある意味盲従的な主君への忠誠を説く部分は
    逆にその時代に一般的にはそうでなかったからこその筆者の強烈な意志なのではないかな、と感じています。

    楠木は確か陽明学の信奉者だという説があったのではなかったでしょうか。
    陽明学が主君と決めた人への忠誠を説いている部分があるらしいので
    その思想に影響を受けて後醍醐への忠誠を尽くしたのだと。

  2. 【2870767】 投稿者: 老眼  (ID:2sl6GbT4N/M) 投稿日時:2013年 02月 21日 00:18

    弱点さん
    >>「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
    >これは聞いたことがあります。


    ワオ。
    わたしくしは、てっきり、チャン! に出てくるセリフかと思いました。
    ところで、
    適性さんの・・・どうだろう、にロムさんがどうお応えになるか、
    無常感さんの有事説とピースさんの平時説、
    どちらの展開も興味津々であります。

  3. 【2870881】 投稿者: 無常感  (ID:bGU5YUUuYMw) 投稿日時:2013年 02月 21日 06:49

    「武士道」は王権に対する忠誠心、「ノブレスオブリージュ」は高貴な者の奉仕義務、を指しているから、全然、違うものなんですね。それが、なぜ李登輝さんのなかで結びつくのか・・

    私は、李登輝さんの本を読んだことはなく、その思想を推理するしかないのですが・・多分、その「王権」をキリスト教の「神」に置き換えているのではないかと想像します。

    「王権=神」に対する絶対的な忠誠心・・こういう置き換えで、武士道の精神を理解したのではないのか。

    そう考えると、キリスト教における博愛主義、平等主義が、ノブレスオブリージュとかみ合っていくわけです。

    武士道とノブレスオブリージュ・・本来、関係の無いものですが、李登輝さんのなかで、キリスト教がつなぎ合わせた・・そういうことではないでしょうか。

  4. 【2870900】 投稿者: 適性  (ID:7duNY33cDYI) 投稿日時:2013年 02月 21日 07:28

    あまり時間がないので・・

    ■新渡戸稲造

    国際連盟事務次長までした人ですが。概略だけです。

    Wiki
    **********
    岩手県盛岡市に盛岡藩士で、藩主南部利剛の用人を勤めた新渡戸十次郎の三男として生まれ南部藩藩校 作人館(現・盛岡市立仁王小学校)に入る。
    **********

    適性補足

    父は、江戸留守居役で、西洋の品物は、幼少から触れる機会があった。
    マッチなどもあったという。西洋への関心を強めたのだろう
    その後、幕末 南部藩は賊軍となり敗けた武士となる。

    そこまで、
    「武士家庭」での教育であり、「藩校」での教育で・・武士の教育・武士の精神性は身につけられた。

    西洋への関心と、お金が、あまりかからない?という理由もあり、札幌農学校に。


    Wiki
    **********
    札幌農学校(のち北海道大学)の二期生として入学する。農学校創立時に副校長(事実上の校長)として一年契約で赴任した、「少年よ大志を抱け」の名言で有名なウィリアム・クラーク博士はすでに米国へ帰国しており、新渡戸たちの二期生とは入れ違いであった。
    ***********

    適性補足

    既に、クラークの勧めによって、1期生は、キリスト教に入信しており。
    2期生も、入信することを、1期生から進められ、入信。
    そういう、雰囲気であったのだろう。

    この環境は、かなり特殊で、英語教育、ディベートまであった。
    キリスト教 英語力 発言力の教育は、その後の、重要な武器となる。
    社会に出るまでを、教育というなら、かなり、自由で、特殊な環境ということがわかる。

    Wiki
    **********
    「太平洋の架け橋」になりたいとアメリカに私費留学し、ジョンズ・ホプキンス大学に入学。この頃までに稲造は伝統的なキリスト教信仰に懐疑的になっており、クエーカー派の集会に通い始め正式に会員となった。クェーカーたちとの親交を通して後に妻となるメアリー・エルキントン(日本名・新渡戸万里子)と出会う。
    **********

    適性補足

    クエーカーとは、華美ではなく、神父もいない、信者と神の直接のやりとりと、信者同士の語り合いを、主とする、宗派?を気に入った。

    「武士道」を書くことを、勧めたのは、妻のメアリーであるという話もある。

    日本が国際連盟脱退した後、日米開戦の直前には、戦争回避、日本への理解をもとめ、アメリカで100回?以上の講演をこなしたという。

  5. 【2870905】 投稿者: 無常感  (ID:bGU5YUUuYMw) 投稿日時:2013年 02月 21日 07:34

    朱子学と陽明学は、ともに王権への忠誠心を教えとするのですが、その違いは朱子学がよく知って行動すべきとしたのに対して、陽明学は知ることと行動は同じである、まずは主観的な行動が必要であると説くことです。

    朱子学が知識中心であるのに対して、陽明学は主体的な行動を重視するのですね。へ~ゲルに対するマルクスに似ています。

    江戸幕府にしてみれば、知識中心の朱子学・・都合がよいわけです。王権への忠誠心を植えつけ、幕府に対する反抗心を骨抜きにしてしまえ・・だから、官学にしたわけです。

    ところが、ペリー来航の混乱のなか、王権とは幕府のことなのか?・・そういう怒りが沸騰してきたわけですね。

    覇権とは実力による支配、王権は正当な支配を指しますが、幕府は覇権、天皇が王権である、権力を天皇に帰すべきである!・・との考えが主流になっていきます。

    そこで、朱子学から、主体的な行動を重視する陽明学に転化していったのが、幕末の浪士の過激な行動です。

    徳川慶喜は、朱子学を重視する水戸家の出身です。王権(天皇)への尊敬・・これが背景にあります。結果、戦わずして、自主的に天皇に政治を帰すことになる・・これが大政奉還ですね。

    この国では、武士道・・王権への思いは、平時には必要ないのですよ。戦争、革命、そういうときに、王権の力が必要になります。

    我々、国民が注意しなければならないのは、この王権を悪用する輩が出てこないか・・それを監視することではないでしょうか。

  6. 【2870972】 投稿者: ピース  (ID:cmJssxrJgaY) 投稿日時:2013年 02月 21日 08:34

    武士道…王権への思い、という部分がわかりません。

    何故覇者である徳川から志士達が王者と見なす天皇家に忠誠の対象が移ったのか、が
    どう武士道の論理(と言ってよいのかわかりませんが)で説明出来るのかをお聞きしたいです。
    葉隠は「主君」への服従は説いていますが…。
    (葉隠は鍋島潘の為の書だから潘主という「主君」への忠誠を説いているのだと思っていました。江戸期、潘外では存在を知られていなかったのではなかったでしょうか)


    あと、的外れかも知れませんが
    柔道も剣道も皆、最初は柔術、剣術と呼ばれていますよね。
    それが「道」と呼ばれて礼節的なものも含まれた印象になるのは
    それが直接的な命のやり取りから遠ざかった時からです。
    死に至る関節技とかも禁止されますよね。
    そして礼に始まり礼に終わる、と戦い方が整理されてくる。

    だから「道」が使われている以上、武士はこうある「べき」という概念?も平時に生まれたものであるという傍証にならないかなあ、なんて思います。

  7. 【2870981】 投稿者: ピース  (ID:cmJssxrJgaY) 投稿日時:2013年 02月 21日 08:44

    武士道が有事にこそ必要とされる、かどうかはケースバイケースでしょうね。

    武士道=主君への忠誠、と捉えるか
    武士道=武士としてのあるべき姿、と捉えるかで
    違って来ると思います。

    このあたりは難しいので私にはお手上げです(>_<)
    どなたかに教えていただきたいと思います。

  8. 【2871016】 投稿者: 弱点  (ID:0CO/X.SL80U) 投稿日時:2013年 02月 21日 09:04

    >わたしくしは、てっきり、チャン! に出てくるセリフかと思いました。(老眼さん)

    そこに出てきましたか。
    じゃ、そこかな。見てないけど、そこなのかも。
    おおもとを知らなくても、知っている言葉は結構ありますね。
    論語なんて、ほとんどがそう。
    親から躾として教えられていたりしますね。
    昔は論語を、幼い子に意味もわからず暗唱させていたからでしょうか。

    >逆にその時代に一般的にはそうでなかったからこその
    >筆者の強烈な意志なのではないかな、と感じています。(ピースさん)

    そうですよね。私もそう思います。
    キリスト教も仏教も論語も、
    現実があまりにもそうじゃないから生まれたんだと思います。
    だから、内容が似ている。
    ということは、やはり平時の武士はぐうたらということ?

    >この国では、武士道・・王権への思いは、平時には必要ないのですよ。
    >戦争、革命、そういうときに、王権の力が必要になります。(無常感さん)

    その精神の発揮は、平時は不必要、有事は必要であっても、
    平時にその精神を伝えておかないと、有事に発揮することはできません。
    そういう意味では、平時に必要とも言えません?

    >我々、国民が注意しなければならないのは、
    >この王権を悪用する輩が出てこないか・・それを監視することではないでしょうか。

    この王権を天皇とするならば、平時の今、その重要性はほとんど伝えられていませんね。
    若い頃なんて、税金で優雅に暮らす人たち、という感覚しかなかったです。(汗)
    だからというわけでもないんですが、この悪用は心配ですね。
    何となく伝統を変えることの危うさを感じます。

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