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【2861578】私立中学の価値-ゼロワン

投稿者: 適性   (ID:5fxiNQDWvtM) 投稿日時:2013年 02月 14日 12:48

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

特別の条件はありません。

ただ。

「アンフェア」な議論方法や、「人」への誹謗中傷は「なし」でお願いします。

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  1. 【2871031】 投稿者: ロム大阪市民  (ID:ybTV59t36TI) 投稿日時:2013年 02月 21日 09:12

    どうやら「武士道」は

    その定理が時代とともに変遷しているように感じる

    底辺にあるものはきっと同じ

    そこから何を抽出するか・・・?

    ということだろう

    私は、ここでこの話題を語るには

    皆の認識する「武士道」がいかなるものかを理解する必要があると思った

    それで少々調べてみたのだが

    「はてなキーワード」の解説が端的でわかりやすいように思うので、

    とりあえずコピーしておく


    ***


    武士道(ぶしどう)


    新渡戸稲造『武士道』などで説かれる「日本人」の「美しい」とされる生き方。

    ちなみに"bushido"は外国でも知られる言葉である*1。

    「武士道」は戦国が終わって江戸時代になって太平の世とともに、軍事的な緊張の弛緩した中で、実質的なものというよりも理想主義的な精神的倫理として成立した。主要なものは「武を本分とし勇敢さに最大の価値を置くこと」および、「主君、あるいはむしろお家に忠義をつくし、自己を顧みない」という点であった。これは武士の軍事的練度や緊張の弛緩という傾向と、「お家」を単位とした武士の世襲官僚化の実態が背景にある。やがて、これらの武士的倫理にくわえて朱子学的な為政者としての倫理として経世済民の思想も唱えられるようになった。この観点からは「お家」への忠義は相対化されることとなる。

    明治になって、あたらしい国民的倫理の必要を考えた支配階級の中から、かつての為政者の倫理として武士道が想起され、やや変質した形で理想化されて論じられた。その代表的なものが新渡戸稲造の「武士道」であり、そこでは武士の倫理は「卑劣な行為を忌む義」「敢為堅忍としての勇」「惻隠の情たる仁」「礼儀作法」「信実としての誠」「名を惜しむ」「忠義」「克己」からなるとされた。

    そこには必ずしも武士だけのものとはいえない朱子学的儒教倫理と近世当時にあっては一般的なものとはいえなかった「葉隠」的な観念的な過剰な忠義の倫理が混在していたが、以後、武士道はこの線で理解されることとなった。

    当然ながら、現代の自称先進国の「人権」「近代」「民主主義」や、江戸時代の実際の儒教道徳、明治時代の「テンノーへーカバンザイ」、イスラーム、キリスト教、仏教などの宗教、常識、国家主義やマルクス主義などの世俗のイデオロギー、これらと同様、この「武士道」も社会の上部を固めるための幻想としての言説にすぎない。

    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%F0%BB%CE%C6%BB

    ***


    また「ヤフー百科事典」には以下のように記されている


    ***


    武士道(ぶしどう)
    [ 日本大百科全書(小学館) ] .

    武士の道義的精神を意味するが、古くは「もののふの道」「ますらをの道」、ややくだっては「兵(つわもの)の道」「弓矢の道」「武者の習(ならい)」「弓矢とる身の習」「弓矢とる身の嗜(たしなみ)」、さらにくだっては「侍道(さむらいどう)」「武士の道」「武士道」「士道」などといい、明治以後はほぼ「武士道」に統一されている。バジル・ホール・チェンバレンは、明治の末から大正の初めごろ(20世紀初頭)「新宗教の発見」The Invention of a New Religionと題する論文を書き、武士道は明治以後――それも10年か20年前にようやく知られるようになったもので、それ以前にはinstitution(制度)あるいはcode of rule(道徳律)としてかつて存在したことはなかったと説いた。確かに武士道という語が一般的になったのは1897年(明治30)ごろで、新渡戸稲造(にとべいなぞう)の英文『武士道』がその一つの契機になったとみられる。ところが新渡戸の武士道は、副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本精神一般を説いたもので、狭義における武士の道と同じではなかった。それで新渡戸の『武士道』に触発されて説かれた日本武人の道は明治の産物とみるほかはなく、明治武士道とよんで他と区別したほうが妥当であろう。

    しかし、武士道という語を使って日本武人の道を説いた文献は、新渡戸の『武士道』以前にもいくらもあった。戦国時代の末か徳川時代の初め(16世紀中葉~17世紀初め)に成立したと思われる『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』や、享保(きょうほう)期(1716~36)の著作である『葉隠(はがくれ)』や『武道初心集』などはその例である。それで、もっとも固有の意味での武士道はこれらの文献にみいだされ、古代の武人の道は「もののふの道」「ますらをの道」、鎌倉時代の武人の道は「弓矢とる身の習」「弓矢の道」、戦国時代の武人の道は「侍道」「武士の道」などにたどられるとみてよい。

    ところで戦国武人の道は、徳川時代の儒者斎藤拙堂(せつどう)によると、「おのずから道に適(かな)ったこともあるけれども、私心偏見を免れないことも多」かった。その一つ二つをいってみると、追腹(おいばら)を切るのを忠としたり、亡命の人をはごくむのを義とする類は、みな孟子(もうし)のいわゆる「不義の義」というもので、もっとも道に背いているのは、切り取り強盗は武士の習いということさえあるに至った。しかしこれでは困るので、「聖人の道をあきらめて、義の至当をもとむるこそ真の士道といふべけれ」といって、聖人の道による士道の確立を拙堂は叫んでいるが、前記の「一つ二つ」の私心偏見は『葉隠』の武士道にもみいだされるところで、その意味で戦国武人の道たる武士道と儒者の説いた士道は、まさに鋭角的に対立する関係にあった。

    [ 執筆者:古川哲史 ]

    http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93%EF%BC%88%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E9%81%93%E7%BE%A9%E7%9A%84%E7%B2%BE%E7%A5%9E%EF%BC%89/


    ***


    さて、ここで最初に「武士道」を話題にした老眼さん・・・

    ご子息の国語テストに出ていた「武士道」は

    いったいどの「武士道」を語っていたのかな?

    話の流れでは、新渡戸稲造以降の「武士道」のことだろうと推測するが?



    もし、そうなら

    適性さんが紹介した 李登輝 の書籍などは

    「現世を生きる日本人」と「武士道」をつなぎ、宗教を超えた民族性を再認識させるものであると

    推測することができる

    今、外から求められる「日本人の理想的な生き方」というものが

    どういったものなのか?

    それに通じるものなのかもしれないね

  2. 【2871032】 投稿者: ピースさんに同意  (ID:1op3/IPLZlU) 投稿日時:2013年 02月 21日 09:13

    武士道とは道徳原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの

    知識はこれを学ぶものの心に同化せられ、その品性に現れるときにおいてのみ、
    真に知識となる。
    知識そのものは道徳的感情に従属するもの。
    武士道は、知識はそれ自体を目的として求むべきではなく、
    英知獲得の手段として求むべきであるとした。

    知識は人生における実践躬行と同一視せられ、・・・王陽明は知行合一を
    繰り返して倦むところを知らなかったのである。


    ご参考のため、
    『武士道』からの抜粋

  3. 【2871092】 投稿者: ロム大阪市民  (ID:ybTV59t36TI) 投稿日時:2013年 02月 21日 09:54

    「こども武士道」というサイトをみつけた!

    おもしろい(笑)

    新渡戸稲造の「武士道」の教えを子供に分かりやすく解説している

    サイトの解説に「道徳エンターテイメントコンテンツ」と銘打っているところを見ると

    新学習指導要領の「道徳」は、このあたりに通じるものを目指しているのかも?


    以下「こども武士道」サイトの「あらまほしけれこども武士道」という歌の歌詞の一部・・・


    ***

    義 勇 仁 礼 誠と名誉
    義は正しい道のこと 正しいことをわかること
    勇はそれを行うこと 正しいことを行うこと
    義を見てせざるは勇なきなり

    仁は弱気を思いやり 
    仁は人(じん)なり 人であり 
    礼はそれを表すこと 礼は心のかたちなり
    武士の情けじゃ 武士の情けじゃ

    誠は言(ことば)と成(なる)でなる
    口に出したら為せばならぬ
    名誉はそれを守ること 己の名前を惜しむこと
    名こそ惜しけれ 恥を知る 知れ

    損して得とれ 勝って負けるな
    泣くな 怒るな 喜ぶな
    急(せ)くな 止まるな 留(とど)まるな
    刀は抜くな 錆びつかせるな
    武士の名折れと 人の後ろで言わるるな
    武士は食わねど高楊枝
    武士も桜も 大和に咲く花
    義 勇 仁 礼 誠と名誉

    武士に二言はあるべきや
    生まれたときから 男は武士(もののふ)
    あらまほしけれ こども武士道
    こどもから武士道
    こどもらの武士道

    ***


    この中には「王権への忠誠心」なんて、書かれていない

    「義 勇 仁 礼」を子ども向けの道徳教材に転化したからなのか?

    それとも新渡戸稲造の「武士道」が、このような精神論を説くものだったということか?

    新渡戸稲造の原本を読まないことには、そこがはっきりしないな・・・

  4. 【2871109】 投稿者: ロム大阪市民  (ID:ybTV59t36TI) 投稿日時:2013年 02月 21日 10:06

    徳川江戸幕府300年の中での「武士」は

    士農工商の頂点にあり、人の世を治める側であり、律令を守る見本的立場だった

    だから、戦国時代の「武士」とは、全く異なった精神が形成されていったのだろう


    江戸時代は長い・・・

    現代の日本人に与える影響は深いね

  5. 【2871575】 投稿者: 何が問題?  (ID:MbD8t4/V7R2) 投稿日時:2013年 02月 21日 16:47

    >「武士道」
    >つまり、 日本は、「宗教教育」なしで、どのように道徳規範が成立するのか? という疑問に、答える為ものでもあります。


    そりゃそうだが・・
    問題は、適性さんの道徳規範が成立していないってことなんだけどね(笑)


    武士道って滅私奉公だよ。
    滅私=己れを無くするってこと。


    適性さんが一番できないこと(笑)
    それでこうなってんだから
    そこんとこ承知の上で言ってんのかね?(笑)


    それはともかく、とりあえず自爆テロは不発ってことかな?(笑)

  6. 【2871600】 投稿者: 老眼  (ID:4jM9vG75ss.) 投稿日時:2013年 02月 21日 17:04

    無常観さんの李登輝氏思想への推理と武士道有事説、そしてピースさんのご意見、読み終えるのにずいぶん時間がかかりました。それでもまだ、明らかに読み手(わたくし)の問題で、理解できないところが多々あります。お二人の議論は、適正さんの推薦図書を読む際の刺激剤です。


    >平時にその精神を伝えておかないと、有事に発揮することはできません。
    そういう意味では、平時に必要とも言えません?


    これはこれで1つの大きなテーマになりそうですね。


    >ご子息の国語テストに出ていた「武士道」はいったいどの「武士道」を語っていたのかな?話の流れでは、新渡戸稲造以降の「武士道」のことだろうと推測するが?


    仰る通りです。出典は、岬龍一郎『日本人の品格』でした。岬氏の、新渡戸稲造武士道第三章に関する議論から作問されていました。

    >新渡戸稲造の原本を読まないことには、そこがはっきりしないな・・・


    そうですね。
    よんでもはっきりしないときはよろしくお願いします。
    アマゾン今夜着。ますます楽しみです。

  7. 【2871826】 投稿者: 適性  (ID:QACvKFiVwQ2) 投稿日時:2013年 02月 21日 20:28

    半分雑談ですが。

    新渡戸稲造のおかげなのか、世界中で、武士道、武士、サムライは、「ある」イメージをもっている。
    現代でも、世界では、日本人のよいイメージとして、サムライ、ブシはよく使われる。
    スポーツの世界では、使いますね。
    そういえば、
    野球のWBC 日本代表は、サムライジャパンですしね。
    サッカーでも、サムライ使いますね。

    わかりやすいのは。

    ■イタリアでサッカーで活躍する、インテルの長友

    長友は、インテルのコマーシャルでは、サムライ姿で、出演。
    ゴール決めた時の「お辞儀パフォーマンス」は、イタリアで、流行。
    そして、お辞儀の角度、と意味を、さまざまなメディアが取り上げた。
    いまでは、街中で、お辞儀が見られる。
    それは、相手に「敬意」をあらわす態度と理解されるようになった。(武士の使う、お辞儀として)
    それまでは、お辞儀は、日本人ビジネスマンの「卑屈さ」として、映画に使われるぐらいだったのに。
    だいぶ、変わったようです。

    ヨーロッパでも騎士道があり、騎士も、頭を下げるが、それは、どちらかというと、「従う」態度の意味が強いので、あまりいいイメージはなかったそうです。

    イタリアでも辛辣な批評で知られるコメンテーターは、長友をこう評価した。

    「使い古されたフレーズだが『サッカーとは人生そのものを映す鏡』。長友はあますことなく彼の生き様を、また彼という人間の高いクオリティーを自らのプレーに反映させており、日本人ならではの、献身性、利他主義、誠実と謙虚さを見事に表している。これまで、ヨーロッパに渡った日本人の中で、長友は本物のジョカトーレ(サッカー選手)と呼ぶに相応しい」

    ■日本人ならではの、献身性、利他主義、誠実と謙虚さを見事に表している。

    の部分は、武士道?よい日本人の特性?のイメージそのままではないですか。

    「あるべき姿」をイメージさせるということは、教育においても、結構重要なことですからね。

  8. 【2871941】 投稿者: 適性  (ID:QACvKFiVwQ2) 投稿日時:2013年 02月 21日 21:48

    ■ロム大阪市民さん

    ***********
    どうやら「武士道」は
    その定理が時代とともに変遷しているように感じる
    ************

    そうですね。
    武士道というものの、定義が難しい。

    ************
    新渡戸稲造(にとべいなぞう)の英文『武士道』がその一つの契機になったとみられる。ところが新渡戸の武士道は、副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本精神一般を説いたもので、狭義における武士の道と同じではなかった。それで新渡戸の『武士道』に触発されて説かれた日本武人の道は明治の産物とみるほかはなく、明治武士道とよんで他と区別したほうが妥当であろう。
    ************

    >副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本精神一般を説いたもの

    はそうでしょうね。

    日本人の精神が、道徳性が、何によって作られていいるのか?

    本当は、それは、当然、武士道だけというわけではなく。
    地域の伝統であり、歴史であり、神話であり、宗教では、仏教であり、神道であり・・・・
    武士道の背景にある、朱子学であり、古学であり、さらに・・

    武士の教育を受けた「最後」の世代である新渡戸稲造は、自分の道徳観の重要な要素でもある武士道?武士としての教育を選んだのでしょう。

    「日本の精神」と「行動原理」を、外国人に理解してもらう為のもの。
    相互理解の為の書。

    と思えます。


    *************
    「こども武士道」というサイトをみつけた!

    おもしろい(笑)
    ************

    おもしろい。すばらしい~(笑)

    みなさん、是非。

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