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【4296832】国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議

投稿者: 文部科学省   (ID:uhn5McvBnhA) 投稿日時:2016年 10月 23日 17:06

文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。

国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。

現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。

進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。

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  1. 【4644717】 投稿者: 個人的経験だと  (ID:4071bJvrRn.) 投稿日時:2017年 07月 17日 14:49

    4. 開成、麻布、桜蔭らの授業が東大入試に効果的
    がいちばん実感した利点。

    要するに教科書レベルでも良いからある程度の先取りを学校でしてくれると、学校で基礎を勉強して、塾なり自分で必要なレベルまでレベルアップというサイクルで勉強できて能率が上がるということ。学校が先取りしてくれない、あるいは最後まで終わらないかも、という状態だと、結局自力で全部手当てすることになって学校の勉強がまるごと無駄になる。

    特に理学の世界だと、科学の面白さや奥深さを自分で勉強できるよう、必要な基礎を教えるのは指導者の重要な使命だし、その基礎をしっかり教えることこそエリート教育だと思う(実際、東大をはじめとした大学でもそういう教育をする)。自分の場合は特に理科の先生はしっかり教えてくれ、かつ、実験等の経験を積ませてくれた。おかげで、自力で物理入門とか理系の化学を読んで勉強できたし、いろんな現象を目で覚えられたし、受験問題集を解いて入試の準備もすることができた。

    渋谷系の学校だと、シラバスという形で、先生が生徒にいつ何を教えるかをコミットしていると聞く。生徒が授業をうまく利用し、自分でさらに深い勉強をするために必要なことがわかっているんだと思う。逆にそれをしない学校や先生は、理学の指導者としての責任を放棄しているように思えて腹が立つ。

  2. 【4644750】 投稿者: ↑  (ID:LlDAtaeSMDk) 投稿日時:2017年 07月 17日 15:31

    教師に能力が無いから画一的なシラバスに依存するのでは?
    能力が高い教師が多い学校は、教え方も教材も全て教師の自由に任せるんだよ。

    校風と同じ。
    生徒の自由に任せられるだけの能力の高い生徒が集まる学校の校風は「自由」。
    自由にしちゃうと手に負えないレベルの学校は、校則を厳しくして「管理」。
    どこの世界でもおんなじ。

  3. 【4644776】 投稿者: 黒駒  (ID:v1wmbZlVdaY) 投稿日時:2017年 07月 17日 15:55

    >必要な基礎を教えるのは指導者の重要な使命だし、その基礎をしっかり教えることこそエリート教育だと思う

    勉強してみようという気分にさせるのが、先生の仕事。
    教えること自体は、生徒が優秀なら重視されない。
    何故なら生徒たちは面白いと思えば勝手に学んでいくから。

    30年前の筑駒は、そういう仕事をする先生が結構いた。
    生徒の学力は今ほど高くなかったけど、そこそこ進学実績もあったし、今はそれなりな仕事をしてる人は多い。

    中等教育ではシラバスが必要ない。
    生徒がそこそこ優秀ならば。

  4. 【4645185】 投稿者: 個人的な経験だと  (ID:NQBqbA7MkuU) 投稿日時:2017年 07月 17日 22:56

    先生が生徒を勉強させる気にさせるのが仕事なのは当たり前だけど、理数系の場合、かなりの基礎を身につけさせないと、その奥深さがわからなくて、勉強する気にさせられないと思いますけどね。中学生にいきなり量子力学の面白さを伝えようとしても不可能ですよね(子供だましの手段以外では)。

    その面白さを伝えるために、ある程度高度な基礎を重ねなければならないのだけど、その基礎を重ねるのにも順番がある。必要な前提知識がなければ、いくら自分で勉強しようとしても挫折するだけ。だから、小学校でも中学でも高校でも大学でも、前提知識が既習となるように学習の順番が決めてあるし、前提知識に関しては教室で教えて(あるいは自分で勉強するように指示して)、生徒が理解できるようにしておく。それを自主的な勉強にまかせたら、新しい事項を教える時に何の知識を前提にしてよいかわからず、教える方だって教えようがない。

    別に教材とか教え方を統一する必要はないけど、いつ何を教えるのかを計画しない、あるいは生徒に伝えようとしないのは、体系的に基礎をわからせる気がない、あるいは、教わるまで自分で何も勉強しなくて良いと言っているように思える。

  5. 【4645349】 投稿者: 温室育ち  (ID:G7k05h0b4BY) 投稿日時:2017年 07月 18日 07:29

    これは黒駒さんに賛成だな。
    ローマ時代ばっかりやる世界史の先生とかいたけど、シラバスのある学校ならバツでしょう。でも、ローマ時代を通じて、ヨーロッパ世界の世界観を学ぶことで歴史を面白いと感じて他の分野は自主的に(人によっては塾で、ですが)学んでいったね。学校の授業は趣味的だけど、無駄とは思わなかったな。
    理数系だとある程度体系は必要だと思うけど、でも、体系を整理して教えだけなら塾でもできる。学校の先生は学問との出会いを教えて欲しいと思います。

  6. 【4645350】 投稿者: 温室育ち  (ID:G7k05h0b4BY) 投稿日時:2017年 07月 18日 07:30

    もっとも、生徒のレベルによるとは思います。
    筑駒のような(昔の男子御三家のような)授業は生徒が一定以上のレベルじゃないと成り立たないでしょう。
    今、女子にはそういう学校はないと思います。

  7. 【4645564】 投稿者: JQ  (ID:H4eEjLzPs8o) 投稿日時:2017年 07月 18日 11:43

    中等教育でシラバスはいらんですね。

    興味関心をかき立てる、何か一事を通じて、深淵に触れることができれば十分だと思います。専攻選んじゃうとそうもいかないので、ラストチャンスなんじゃないかな。

    大学でも所謂一般教養ではそういうの多いとも思います。

  8. 【4645625】 投稿者: 黒駒  (ID:nGODo.DyMnE) 投稿日時:2017年 07月 18日 12:52

    中等教育で大切なのは、良い大学に行く準備をすることより、自分の適性を見つけることと思う。
    それを助けるのが先生の仕事だから、シラバス作って決められたことを教えるより、シラバスなしで担当科目の面白さを伝えることのほうが、中等教育では効果的と思う。
    適性を見出した生徒は、仮に東大とかに進学しなくても、充実した人生を送ることができると思う。

    シラバスなしの趣味的授業のもう一つの利点は、生徒が自分で学び理解する訓練ができること。
    親切な予備校的授業は、生徒から学ぶ姿勢を身につけることを阻害すると思う。

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