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【74557】昔の中学受験・今どきの中学受験

投稿者: 懐古派   (ID:uxn7JQFf10E) 投稿日時:2005年 04月 10日 22:01

3年後の子供の中学受験に向けて、情報を集め始めたところです。その際に、ど
うしても「自分が体験した中学受験ではこうだったから、今もそうなんじゃな
いか」と考えてしまいがちです。30年も経って大きく変化していることは一応
わかっているつもりですが、もう少し具体的にどこがどう違うのか、知りたい
と思っています。

自らの体験と子供の体験を比較できる方、ぜひいろいろと教えて下さい!

ちなみに私自身の場合は、小学校5年生から2年間中堅の進学塾に通いました。
6年生からは、日曜日のテスト・授業のために、活躍していた野球クラブもやめ
て勉強に専念。国立大学附属中学を1校だけ受験しましたが、残念ながら失敗し、
公立中学へ進みました。その当時、小学校のクラスの中で中学受験したのは、
5人ぐらいでしたね。

これだけ書くと、クラスの受験人数以外は、今もあまり変わらないような気も
するのですが・・・いかがでしょうか。

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  1. 【76507】 投稿者: ゆとり  (ID:Zrqe.CfqoI6) 投稿日時:2005年 04月 14日 10:02

    懐古派 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > というのも、かつては5年生、6年生から始めていた受験勉強を4年生から始める
    > のが主流となっている理由を知りたいのです。

    学校で教わる内容と入試で出る問題のギャップがあまりに大きくなってしまったからでしょう。

    私自身中学受験しませんでしたが、受験する子が多い小学校だったので友達につられて(『面接ごっこ』やって遊んでいる同級生を見て、なんか塾とか講習会とか行ってみたいな〜!って羨ましく思っちゃったもんで・・・)城南学園の冬期講習とか行ったり、どこのだか忘れましたが模試を受けたりしましたが、名前が載っちゃったりしてそこそこの成績でした。
    (それまで学校の勉強以外はしていなかった・・・)

    でも今同じ事を6年生でやったら問題用紙見た途端ちんぷんかんぷん???!!!なのではないでしょうか・・・

  2. 【76524】 投稿者: 校歌懐かしいです  (ID:G7ONlVe3uII) 投稿日時:2005年 04月 14日 10:41

    私も30年ほど前、四谷大塚に通っていました。
    4年の秋か冬に入室テストがあり、700人入れるところに
    5000人くらい受けに来たとの事で、すごい人ごみだったのを
    覚えています。
    ちょうど、「中学受験の大衆化」のはしりの頃だったのかも
    しれませんね。入室テストの順位も出て、ぎりぎりで合格した
    記憶があります。
    日曜テスト後の解説授業は、上智大学の階段教室で100人以上で
    受けていましたが、男の子でも騒ぐ子もいなくてとても静かでした。
    先生方も授業がしやすかったんじゃないかな。
    今時の小学生の塾では、ひとクラス100人なんて考えられないですよね。
    6年の夏期講習で、確か西武新宿線の中井で理科実験教室があり、
    楽しかったのを覚えています。
    当時は2科で受けられる学校がたくさんあり(特に女子)、
    結局2科受験の学校に進学したので役には立たなかったとも
    言えるのですが、6年夏に実験・・・なんて今とは比べ物にならないほど
    のどかでしたし、何よりみんな勉強を「楽しんでいた」と思います。
    今、6年の一人息子が塾に通っていますが、あまりに詰め込みのカリキュラムに
    「ぼくは勉強が嫌いだ!」と言うようになり、内心かわいそうに思っています。
    でも、みなさん頑張っているんですものね・・・。

  3. 【76533】 投稿者: 私は四谷大塚  (ID:P/56xRRJlvI) 投稿日時:2005年 04月 14日 10:52

    昔あった日本進学教室OB さんへ:
    -------------------------------------------------------

    >  一方の四谷大塚進学教室は、有名な予習シリーズを作り、中学入試の
    > 難問を丁寧に解説しました。したがってより多くの子供でもついていくことが
    > 出来ました。子供がテストを受けている間、母親を対象とした勉強会が開かれ
    > これが、親をも巻き込んだ現在の受験産業の幕開になるのです。

    四谷大塚と日本進学教室とは、対象学年だけでなく、指導の方向性も全く違っていたのですね。
    長年の疑問が氷解しました。

    私のころは、親の勉強会あったのか?少なくともうちの母は参加せず、私は四谷大塚のおかげで一人で電車に乗れるようになりました(帰りの切符を行きに買うというのも、このころ覚えた習慣)。

    予習シリーズを読んで理解しようとするのは楽しかったし、もしそのとき自分が親だったとしても、何かテキストをもとに勉強していける四谷大塚の方が、自分で適当に勉強していくスタイルよりも良いと思って、四谷を選択しただろうと思います。
    しかし、それが現在に繋がるなら、皮肉ですね。

    現在は、塾の大衆路線もさることながら、公立を信じられないという風潮が大きいと思います。
    学校で教えることが少なすぎて、学校と塾とのギャップも大きいし。
    またいくつも受けてでもどこか合格しないと、みたいなプレッシャーもあるのが、つらい。
    ダメなら公立、みたいな気楽さがなく、公立に行くには「リベンジ」みたいな気負いがあるような。
    指導要領がまた変わってきているようですから、少し変化するかもしれませんが。

  4. 【76563】 投稿者: 四谷→日進OG  (ID:.wbuStvToy6) 投稿日時:2005年 04月 14日 11:47

    >現在は、塾の大衆路線もさることながら、公立を信じられないという風潮が大きいと思います。
    >学校で教えることが少なすぎて、学校と塾とのギャップも大きいし。

    先日、大拍手というHNで書き込んだ者です。

    確かに、どちらの進学教室にしても、あとから学校の授業で必ず基本が出てきたり、授業とそう乖離していなかったように思います。

    当時は学校の授業で理解したこと、予習シリーズ(当時は白黒刷りだったような・・・)や自由自在などで勉強したことを頭の中で組み立てたり応用発展したりして答えを出せるような、学校ベースだったのが受験だったのではなかったでしょうか(OO算は別だったと思いますが)。

    かと言って、進学教室の内容が簡単だったかと言うと、どなたかがおっしゃったように、決してそうではなかったと思います。

    特に日進は授業はバババッと解説、教室にはびっしり100人近い生徒、授業が終わってから今ひとつすっきりしないところを質問に行こうと思えば、帰る生徒を掻き分けて先生を追いかけても「もうお帰りになりました」だったこともあります(代々木のどこかの予備校を借りていたような記憶があります)。
    今のように友達を塾で作るなどという余裕はなく、たまたま仲良くなっても授業中一言二言話していたら、何が何だか解らなくなりそうでした。

    今は面倒見がいい、と言うのが塾や学校のセールスポイントになっています。
    解らないところを手取り足取り、ではなく、モチベーション、進路の相談などで生徒を引っ張ってくれるのが我が家では理想ですが、学校も塾も内容・レベルとも、昔とは本当に違いますね。

  5. 【76631】 投稿者: 本郷  (ID:/YB/8xDX/gU) 投稿日時:2005年 04月 14日 14:52

    日進が懐かしい元桜蔭生 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 日進も5年からありましたが、6年から入る子も珍しくなく、
    > それで十分間に合いました。

    同じ頃の方、もしくは私の方が少し年上だと思いますが、日進は6年になる
    ちょっと前からだったと記憶しています。

    > 当時1日入試の雙葉が別格で、2日入試だった桜蔭・女子学院は

    2日入試だったことなんてありましたっけ?

    4つ下の弟の受験のときは、四谷の方が勢いのある状態でした。
    ちょうど端境期だったのでしょう。
    原宿の会場には、私も一時通いました。「社大」会場ですね。その他通った
    のは、代々木の「第一経理」、駒場の「駒場東邦」。
    行っていませんが順心会場というのもありましたね。懐かしいです。

  6. 【76635】 投稿者: レスを読んで  (ID:LkIGPtk10wo) 投稿日時:2005年 04月 14日 14:59

    いくつか疑問。
    35年ぐらい前はもう女子御三家は2月1日受験だったと思います。
    ただ日曜日にぶつかると、JGは2日になってたのでは。
    女子の最難関は、教育大附属か御茶ノ水、やはり抽選があって落ちちゃったから
    御三家(特に桜蔭)という子が結構いませんでした?国立が全てそうだったかわからないけど、
    学芸大附属は以前は抽選が試験後だったのですよ。(当たりは2分の1ぐらい?)

    真偽は定かではありませんが、
    実は日進と四谷の経営者は義理の兄弟か何かで、
    前者が健康上の理由(?)で、経営ノウハウを全て後者に託して辞めてしまったために
    急に四谷が成長したという話。日進の元講師経由できいたことがあるのですがねえ。

    確かに御茶ノ水のどこかの(千代田?)予備校校舎・・・だったかは日進から急に四谷大塚になったような。

    その時四谷に移らなかったメンバーがいろいろ塾を開いたと
    いうもっともらしい話もありましたっけ。

  7. 【76668】 投稿者: 日進が懐かしい元桜蔭生  (ID:ZKiePioDjW.) 投稿日時:2005年 04月 14日 16:08

    本郷様
    記憶違いでごめんなさい。桜蔭・女子学院が1日で、雙葉が2日でした。
    私自身を含め、雙葉残念組が多かったのですが、たまたまその年だけの
    ことだったのでしょうか?
    社大会場です。懐かしい。代々木の第一経理で受講したこともありました。
    あの頃の週一回テストで後は自宅学習のペースなら、受験前も放課後近所の
    お友達と普通に遊んでましたし、無理の無い勉強量でよかったです。
    ちょうど学区の公立中学で校内暴力が吹き荒れていた時で、小学校のクラス
    の女子の半数近くが受験組でしたが、本当に皆のんびりしていました。

  8. 【76680】 投稿者: 校歌懐かしいです  (ID:e4fSiPEONGQ) 投稿日時:2005年 04月 14日 16:44

    日進が懐かしい元桜蔭生様

    同じ年かどうかわかりませんが、私が受験した三十数年前も
    確かに雙葉は2日でした。
    社会・理科がとても難しく、今まで暗記してきた勉強では太刀打ち
    できないような問題で(今流行りのその場で考えさせる問題だったのかも)
    見事に落ち、1日の2科受験(当時)の大学附属校に進学しました。
    今でも偏差値表で雙葉の名前を目にすると、ちょっぴり心の傷が
    疼きます(笑)。

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