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投稿者: 大学通り (ID:5/BTtHcjj5g) 投稿日時:2010年 01月 31日 09:17
歴史を振り返ります。
桐朋の前身は、太平洋戦争勃発の昭和16年10月に設立された山水(さんすい)中学校にまでさかのぼります。当時、船舶王として君臨した山下汽船(現商船三井)の創業者でありました故山下亀三郎氏が私財1千万円を寄付し、山水中学校創設の礎が築かれました。山水中学校は、主に軍人の子弟を教育する学校でありました。
敗戦後、山水中学校は廃校の危機に陥りましたが、関係者が奔走して、東京文理科大学・東京高等師範学校(のちの東京教育大学、現在の筑波大学)の姉妹校として昭和22年に桐朋として再出発しました。
「桐朋」という名称も、東京文理科大学の校章が「桐」であり、その「朋」という意味から付けられています。
山下氏には、「船は一代、教育は末代(=永遠)」との信念がありました。
戦争下という当時の時勢の要請に従って「いくさ船(=軍艦)」を造るべきであるという周囲の意見を退けて、人間形成の「学び舎」を建てることに踏み切らせたのは、正に「永遠なるもの」を求めた山下氏の教育への信念の結果でありました。
「船は攻撃されたら沈んでしまうが、教育は未来永劫続くものだ。次代の若者を教育する学校をぜひ造って欲しい」と。
そして、この永遠なるものは、「他から与えられるものでは無く、自ら作り出すべきものである」と。道は、自分自身で切り開くということだと思います。
後日、ご子息の山下太郎氏は、「1千万円あれば、1万トン級の船が十隻造れるとの理由から極力造船の方へ廻して欲しいと頼んだが、今、考えると、その時、船を造ったとしましても、大戦中に全部海底に沈んでしまったことでしょう。この様な立派な学校になっているので、父の事業も永遠に世に残るでしょう。」と桐朋関係者に述べられています。実に感慨深い後日談です。
蛇足ではありますが、生前、山下翁は、「オレには人徳がない。死んだ後は墓参りにくる者もないだろう」と口癖のように漏らしていたといいます。今は、多摩霊園に眠られておられます。
いやいや、私たち保護者にとっては、このような素晴らしい学校の礎を築かれた先人には感謝の念が絶えません。
そして、初代校長として桐朋の基礎を築かれたのは、東京文理科大学の学長であった務台理作氏です。
戦後、教育勅語に代わるものとして教育基本法が施行されました。
その作成に当たった教育刷新委員会の主要メンバーの1人が務台校長であり、桐朋の教育目標である「自主的態度を養う」「他人を敬愛する」「勤労を愛好する」の三つは、教育基本法の前文と1条、2条から取ったものです。
務台校長は、「教員自身が良心を持つ」との考えから、
「きちんと責任が取れるなら、自分の良心に基づいて何を教えてもよい。中学生が学ぶ初歩的な内容であっても、将来ある若者には、学問的なものを教えなくてはいけない。程度の低いことをやってはいけない」との考えがあったといいます。
桐朋の高度のアカデッミックな授業は、創立当時からの務台校長の考えによって現在まで継続しているものと私は考えます。
そしてこの創業者の教育に対しての考えが、「たくましく成長した樹齢70年の樹となっている」と片岡校長先生も述べられていらっしゃいます。
自主と創造性の校風は、脈々と受け継がれており、校長先生や理事も学校の現場から選出されているのがこの学校の大きな特徴でもあります。
話は大きく脱線してしまいました。
時代の変化に対応し、変えなければならないものは変える。
しかし、時代が変わろうと、変えてはならないものは変えない。
だから、桐朋という学校は、
その歴史的経緯から、
変えてはならないものは、変えてはならないと思います。
また、変えることはできないと思います。
桐朋に対する期待は大きく、心から、ますますの躍進を願っております。
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【2564243】 投稿者: 大学通り (ID:jPMe0pppNZ.) 投稿日時:2012年 06月 02日 11:21
今朝、愚息に催促して、今日から始まる桐朋祭のプログラムをやっと見せてもらいました。本当はもっと前からもらっていたはず。
「今年のは、見やすくて、評判いいよ」と愚息。
テーマは、「粋」。
プログラムの表紙絵解説は、「オブジェクトから光が四方に拡散している様ですが、実はこれ、光を吸い込んで居ます。・・・・・・・・・・」
桐朋が掲げる、「創造的なエネルギーと柔軟かつ豊かな発想力」の一端が見られます。
プログラム委員は6名と巻末に記載されていました。絶賛です。全ページ、統一感があって、とてもいい感じになっています。
プログラムひとつとって見ても、頑張りと発想のセンスには目をみはります。
桐朋祭委員は、昨年9月に結成され、今日から3日間のため、準備に準備を重ねてきたと思います。お疲れ様でした。成功を祈ります。
愚息は、相変わらずのグランドの部活組です。
まずは、自分の目で学校を見ることです。桐朋に触れることです。
ご承知のように、ネットの情報ほどあてにならないものはありませんから。学校HPとかは別ですが。
毎年、先生が交代で待機しているコーナーがあります。そこで、ご質問していただけるのが、一番いいと思います。
特に受験生をお持ちの保護者の方にはいいチャンスでしょう。
「凋落」とか「低迷」の判断基準とはなにか。東大合格者数とか中学偏差値なのだろうか。
新校舎建替最終は、2017年12月。完成後の人気回復は十分予想がつく。V字回復を期待したい。
桐朋の「人間教育」は変えてはならないもの。進学実績はその先にある。
プログラムは、愚息に「俺のだから。欲しかったら、(桐朋祭に)来ればいいじゃん。」と取り上げられ、持っていかれた。
これから、見に行きます。 -
【2564449】 投稿者: 明日行きます (ID:NkMWkEefWCk) 投稿日時:2012年 06月 02日 14:56
桐朋祭如何でした?一年生の愚息は既に帰宅しておりますが特に語らず。(反抗期)
私は明日覗いてみようと思います。
プログラム素敵ですね。「粋」と言えば江戸を連想しますが(粋な深川,鯔背な神田・・・)多摩の「粋」に期待しています。配色のセンスもいいですね。左上のオブジェクトから四方に角さんされた光が実は光を吸いこんでいるのですね。
ついでに学食で何か食べてみようと思います。(笑)
お勧めのイベントや展示等ありましたら教えて下さいませ。 -
【2565251】 投稿者: 富士見通り (ID:60cPTqiRIU2) 投稿日時:2012年 06月 03日 11:37
校舎は汚くて、校則はあって無きがごとく、受験指導もなくて、塾にもいかない。
なのに偏差値が高くて進学実績もよい。
かつての桐朋のかっこよさは、そんなところにあったと思います。
(桐朋の人間教育って????)
そんな時代のOB達は自分の息子を受験させるのでしょうか?
今はギョウセイやシバのような学校になったのですね。 -
【2565317】 投稿者: プラネタリウム (ID:Y.M3KoMYVwE) 投稿日時:2012年 06月 03日 12:53
昨日、幾つか展示を拝見しました。
その中でも、やっぱりプラネタリウムは圧巻でした。
地学部員の説明がとても上手でした。展示の方も良かったです。
数年前、愚息を連れてプラネタリウムに感動し受験を決めました。
久々のプラネタリウムはその時の気持ちを思い出させてくれました。
今日はOBの方も大勢いらしているのではないでしょうか?
以前のことはわかりませんが、私は桐朋、好きですよ。 -
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【2565583】 投稿者: 富士山 (ID:PyfWzLBZ19Y) 投稿日時:2012年 06月 03日 18:02
桐朋祭、人がたくさん来る土日の天気が心配されましたが、
なんとかもちましたね。良かった!
土曜日に行きましたが、質の高い展示や楽しいパフォーマンスに
感心しました。
プログラムは表紙・裏表紙あわせて、36頁あるのですが、
富嶽三十六景がモチーフとなっており、各頁のどこかに
富士山が見え隠れしています。
プログラムも展示もとても工夫されていて、創造力が発揮されて
いると思います。
才能あふれる若者達がのびのび楽しんでいるようでうれしく思いました。 -
【2565695】 投稿者: 行って来ました (ID:imgHi20Z1sw) 投稿日時:2012年 06月 03日 19:41
プラネタリウム,良かったです。その他の展示(地学部)も素晴らしく,説明が丁寧で分かり易く「こういうのが文化祭だな~。」と感心しました。愚息が入学するきっかけとなった「生物部」の展示も素晴らしかったです。ただこちらは説明が足りず少々残念でした。
学食のカレーも食べてみました。安くて美味しかったです。日替わり定食は残念ながら売り切れだったのか食べられず・・・。
今日は結局地学部と生物部を見て回っただけでした。明日も足を運んでみようかしら。
来年は愚息も部員として活躍するのかと思うと今から楽しみです。 -
【2566263】 投稿者: 多摩住人 (ID:COItzK/T9kU) 投稿日時:2012年 06月 04日 08:46
「多摩住人さんへ」様
>多摩地区の優秀者層の集客力は今後もあり続ける
今後も??
という事は、今も集客しているという事ですか?
あなたのお子さんが通う塾では、まだ優秀層が桐朋を受験しているのですか?
私が聞く限りでは、NもYもSも優秀層は既に桐朋を選んでませんよ。
「第二の武蔵…云々」も大きな勘違いです。
武蔵こそ実績的には凋落しても、絶対的なブランド力があるのでまだまだ根強いファンの優秀層が集まっています。
それは今もこれからも変わらないと思います。
60を切るような状態にはならないでしょう。
でも桐朋は違います。
Yの入試結果グラフを見ればどれだけ優秀層から避けられているか分かります。
偏差値62以上の入学生はいません。
59では、合格非進学の数が合格進学の数の2倍です。
つまり、合格者偏差値=進学者偏差値ではありません。
2017年の新校舎完成で人気回復という意見もありましたが、
その年の進学実績を出す学年は昨年の入学生です。
入学者平均偏差値が50台前半の学年なのです。
このレベルだと、東大合格者数が一桁になっている可能性も高いでしょう。
そんな中堅校に、校舎が新しいからとか近いからという理由で優秀層が集まるとは思えません。
巣鴨のように学校が一丸となって生徒を鍛え上げれば結果も違うのでしょうが、
生徒の自主性に任せるような校風の桐朋では巣鴨のような「お買い得感」はありません。
どなたかも書かれていますが、小学校も併設されている暁星が似ている学校なのでは?と思います。
中・長期的には多摩地区の、お金はあるけと成績は今ひとつのお坊っちゃまが通う学校としての地位を確立すると思います。 -
【2566724】 投稿者: 「多摩住人さんへ」さんへ (ID:5Ps/xYatB5.) 投稿日時:2012年 06月 04日 15:22
高校生保護者です。
書き込まれた内容を拝見して、受験生保護者とされましては多面的に冷静に判断されていると思いました。
確かに入学者偏差値・志願者偏差値が低下していることは認めます。
しかしそれは学校が凋落することとは必ずしも同義ではありません。
偏差値が低下し、進学率も低下し、活気がなくなり、学校に対する魅力がなくなれば、それは凋落といえるでしょうが、私はそうなる可能性は低いと考えています。以下理由を記します。
1)まずは現在の校長がさまざまな改革を実行に移していることです。進学にかける熱意も並々ならぬものがあります。名校長であった鈴村先生以来の人材ではないかと期待しています。すでに必要な改革(治療?)は始まっているのです。
2)ご指摘の通りOBの人材・人脈は半端ではありません。長年かけて築きあげてきたものはそれなりの重みがあります。つまり、治療を受ける「体力」は十分にある学校だということです。
3)これもご指摘の通り、多摩地区のしかも国立に位置するという、恵まれた環境にあることです。
当然ですが、中学高校はあくまでも通過点で最終学歴ではありません。結果として、難関国立大に行ければいいのです。問題は、学校にそのノウハウがあるかということですが、自主教材のレベルを見てわかるとおり、十分なものがあります。うちの息子を含めて、後は本人がどれだけ頑張るかにかかっています。ですから、息子の友人にもわざわざ時間をかけて都心に通うより桐朋で頑張ろうと、余力を持って入ってきた優秀な子が少なくないのです。あとは、学校の校風に合うかどうかですね。これは重要なことです。
他にも細かい理由はありますが、この辺にしておきます。
偏差値が下がるということは無視できないことで、これまでの実績に胡坐を書いていた部分がなかったとは言えません。しかし、より良い学校に変わるためのきっかけになれば良いわけで、桐朋はそのつもりでいることは確かです。別にだめな学校になったわけでも何でもありません。昨日の桐朋祭を見れば如何にポジティブなエネルギーに満ちた生徒たちであるかが判ります。
ですから、偏差値が下がったことは事実ですが、本来の意味での凋落とするには早計でしょう。現時点では「入りやすくなった」とするのが、日本語として正確な表現だと思うのです。