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投稿者: 帝国の誇り (ID:A0oB71cwQ4M) 投稿日時:2010年 10月 01日 00:43
首都圏男子校トップの筑駒と首都圏共学校トップの日比谷。
戦後長きに渡りライバル校として切磋琢磨してきました。
どちらも伝統、進学実績両方で申し分ない素晴らしい学校だと思います。
国内最高峰の2校の歴史や様々な交流について語りましょう☆
今後交流が深まり、筑駒・日比谷カップルが沢山増えたりするといいですね。
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【1905413】 投稿者: 比べるまでもない (ID:MTvvh3Brehc) 投稿日時:2010年 11月 02日 23:57
日比谷の昔なんかどうでもいい。
筑駒と比べるなんておこがましい。
満場一致で「筑駒の圧勝」。これ常識。 -
【1905529】 投稿者: 学校群制度の前と後で日比谷は別の学校 (ID:4vVoWOrvdVw) 投稿日時:2010年 11月 03日 06:39
過去だけで現在と将来を語るのは間違っているが、過去をしっかり認識したうえで現在と将来を語るのは間違ってはいない。
1964年の東京オリンピックの年、日比谷は同校から戦後最高の、193名の東大合格者を出した。以降も181人、128人、134人でトップを維持するも、1967年の東京都の学校群制度が、現在に至るその後40年の同校の凋落を決定した。まだ学校群導入前の入学者であったはずの1968年に初めて灘に抜かれ(それでも132人)、1969年は東大紛争で中止、そして学校群制度導入後最初の卒業生を送り出した1970年に、ついに100人割れの99人となり、灘(153)のみならず筑駒(136)、筑附(105)にも抜かれた。過去の栄光ある『日比谷』の名前にはしばらくは一定のバリューがあって、1971年は57、72年は52と、それでも50人超を維持していた。
本格的な凋落は1973年、29人に終わった年からである。この年は学校群制度導入の6年前、つまり、学校群による都立の教育低下を想定した首都圏の保護者が中高一貫を指向し国立や私立に押し寄せた、その最初の卒業生の年である。トップの筑駒の134人をはじめ、国立3校と灘が100人超え(開成はまだ74人)。日比谷は、以降、24、16、17、14、14、13、9と減っていき、1981年には上位100校から姿を消した。この間、ほんの15年に過ぎないが、旧制府立一中の面影はなく、明らかに違った学校になってしまった。
日比谷栄光の時代の大先輩は、1970年卒業のころまでの人々で、今は一番若い人で58歳、今後10年で各界の第一線から退いていくばかりである。その後には灘、筑駒、開成、麻布といった国立・私立に早慶附属を加えた人材が、日本を引っ張り、支えていくことになろう。
さて、日比谷の将来はどうか?2005年、14人の合格者を出して、日比谷が25年ぶりに上位100校に戻ってきた。以降、12、28、13、16、そして2010は37人と、麻布の半分を伺う勢いである。東京の祖父母の世代には日比谷のネームはまだ絶大であろうし、抜群の立地を考えると、15年で凋落した日比谷が15年で相当のレベルに復活してくることは、十分に可能性がある。10年後の2020年、現在の横綱開成、ひとつ前の横綱の灘、筑駒(合格率や他の難関まで入れれば相変わらずこの2校が東西横綱だが、そこは話の流れの中で東大合格者だけできており勘弁願いたい)に、かつての日比谷がどう絡んでくるか、楽しみである。
最後に、日比谷で学んだ、あるいは日比谷を回避して国立や私立で学んだ子供達やその保護者には、その時々でそれぞれのベストを選んできたのだから、どうこう言うつもりはない。ただ、東京都の導入した学校群政策がいかに浅はかで愚かだったかは反省しておく必要がある。
学校群導入を進めた教育長が、導入後10年の1976年に当時を振り返って『私の構想では学校群によって受験に有利な名門校を増やし、その上で学区の細分化をはかろうと思ったわけです。当時私が『日比谷を二つも三つも作る』といったのは、そういう意味だったのです。それが少しは少しは高校格差の是正にもつながるだろうと思ったのです。』『昔の日比谷は優秀な生徒を集めて自由な教育をやってきた。悪く言えば秀才の上に胡坐をかいていた。だから、学校群になって、学力の低い生徒をどう教えたらよいのかわからなくなってしまったのでしょう。』と語っているが、自分の考えが間違ってたという気持ちはみじんも感じられず、日比谷の教員に責任を転嫁しているとしかとれない発言である。本来、日比谷は日比谷であり、九段は九段であり、三田は三田である(この三校が第11群で同じだった)。
朝日新聞を初めとする、良識を標榜するマスコミが、エリートを育成する教育を問題視して世論をあおり(体制に反対することを自分の存在意義と思っているマスコミは、かつて自分がそういった教育を受けているにもかかわらず、今でも受験戦争、塾乱立、東大偏重といった言葉で国民をあおる。冷静に考えてみてほしいが、在京大手マスコミの局長以上の出身校は東大と早稲田と慶應で半分を超えているし、社員の給与は官僚はもちろん、一流銀行や商社のそれをはるかに凌いでいる)、それに抗しきれなかった東京都が各学校の個性を無視した悪平等に走った(当時都知事が革新の美濃部に変わったこともこの推進を後押しした)ことが、日比谷凋落の原因であることを、そしてこれは現在合格数トップを占める国立や私立にもいつ向けられるかもしれないリスクであることを忘れてはいけない。特に筑駒を始めとする国立は、そのリスクの顕在化の可能性が高い。
少し前の方が書いている通り、壊れるのはあっというまである。いい加減なマスコミの誘導に迷わされることなく、他の国々と伍して日本をしっかり導いていけるエリートの育成は、維持しなければいけないと思う。 -
【1905937】 投稿者: 日比谷の将来・・・ (ID:y0OnSN/cgxc) 投稿日時:2010年 11月 03日 15:44
>日比谷が25年ぶりに上位100校に戻ってきた。以降、12、28、13、16、そして2010は37人と、麻布の半分を伺う勢いである。東京の祖父母の世代には日比谷のネームはまだ絶大であろうし、抜群の立地を考えると、15年で凋落した日比谷が15年で相当のレベルに復活してくることは、十分に可能性がある。10年後の2020年、現在の横綱開成、ひとつ前の横綱の灘、筑駒(合格率や他の難関まで入れれば相変わらずこの2校が東西横綱だが、そこは話の流れの中で東大合格者だけできており勘弁願いたい)に、かつての日比谷がどう絡んでくるか、楽しみである。
日比谷は、生徒数が350人?(昔は400人以上だった?)ですか?
東大合格者では開成が多いといっても生徒数400人もいる開成が、
灘にも筑駒に勝てないように、相当のレベルまでといっても、日比谷は開成レベルにある程度近づいたとしても、
筑駒には到底無理でしょう。
私立国立受験選抜の仲間に加わるならともかく、現在の公立高校の受験選抜ではねえ・・・・・。
抜群の立地といっても、250人の麻布が160人の筑駒に勝てませんし、200人しかいない灘は首都圏にさえありません。
1500人もいて東大一位になったことのある昔の桐蔭学園のような学校ならともかく。
まあ、筑駒関係者も将来の日比谷の「相当レベルの可能性」には注目しているということで、〆ましょう。 -
【1905940】 投稿者: 日比谷の将来・・・ (ID:y0OnSN/cgxc) 投稿日時:2010年 11月 03日 15:47
>日比谷が25年ぶりに上位100校に戻ってきた。以降、12、28、13、16、そして2010は37人と、麻布の半分を伺う勢いである。東京の祖父母の世代には日比谷のネームはまだ絶大であろうし、抜群の立地を考えると、15年で凋落した日比谷が15年で相当のレベルに復活してくることは、十分に可能性がある。10年後の2020年、現在の横綱開成、ひとつ前の横綱の灘、筑駒(合格率や他の難関まで入れれば相変わらずこの2校が東西横綱だが、そこは話の流れの中で東大合格者だけできており勘弁願いたい)に、かつての日比谷がどう絡んでくるか、楽しみである。
日比谷は、生徒数が350人?(昔は400人以上だった?)ですか?
東大合格者では開成が多いといっても生徒数400人もいる開成が、
灘にも筑駒に勝てないように、相当のレベルまでといっても、日比谷は開成レベルにある程度近づいたとしても、
筑駒には到底無理でしょう。
私立国立受験選抜の仲間に加わるならともかく、現在の公立高校の受験選抜ではねえ・・・・・。
抜群の立地といっても、300人の麻布が160人の筑駒に勝てませんし、200人しかいない灘は首都圏にさえありません。
1500人もいて東大一位になったことのある昔の桐蔭学園のような学校ならともかく。
まあ、筑駒関係者も将来の日比谷の「相当レベルの可能性」には注目しているということで、〆ましょう。 -
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【1905990】 投稿者: ないない (ID:dqjz4vfz/FY) 投稿日時:2010年 11月 03日 16:44
随分と描木の人を惹き付けているだけで。
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【1906071】 投稿者: いやいや (ID:PXAulEFYZQ2) 投稿日時:2010年 11月 03日 18:18
>日比谷は、生徒数が350人?(昔は400人以上だった?)ですか?
東大合格者では開成が多いといっても生徒数400人もいる開成が、
灘にも筑駒に勝てないように、
日比谷は昔は500人以上ものマンモス校だった、とウィキぺディアにありましたよ。 -
【1906140】 投稿者: 5年後にまた議論しましょう (ID:4vVoWOrvdVw) 投稿日時:2010年 11月 03日 19:07
生徒総数の議論はあるけれど、5年で37人まできたのは、なかなかと思うんですけどね。
灘や筑駒まで行かなくても、70人を超えて麻布や栄光に絡んでくれば、相当と思っていいんじゃないでしょうか?
筑駒だって、創立されてから最初の6、7年は10-20人程度だったんですよ。それが学校群の追い風で60年代後半からこうなって、今に至っているんです。だから、その学校群という前提が崩れたり、都立で中高一貫が出てくると、全く元に戻るわけではないものの、ある程度影響を受けると思いますけどね。
それがすぐ来年起きるとは思わないですが、10年という期間で考えると、あまり油断しないほうがよいのではでしょうか・・・
この話はまた10年後、それでは長いから中間の5年後にこの続きをやりましょう。どっちに転ぶにしても、その時にはもっといろいろと材料があるでしょうから。 -
【1906165】 投稿者: 5年後にまた議論しましょう(修正) (ID:4vVoWOrvdVw) 投稿日時:2010年 11月 03日 19:13
筑駒だって以降の文章で、確かな数字が分かったので修正しました。
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生徒総数の議論はあるけれど、5年で37人まできたのは、なかなかと思うんですけどね。
灘や筑駒まで行かなくても、70人を超えて麻布や栄光に絡んでくれば、相当と思っていいんじゃないでしょうか?
筑駒だって、創立されてから最初の6、7年は上位100にも入らず、初めて名前が出たのは創立10年の1957年です。それからもしばらくは10-30人程度だったんですよ。それが学校群化という追い風で60年代後半から急に伸びて、そのレベルで今に至っているんです。だから、その急伸した学校群という前提が崩れたり、都立で中高一貫が出てくると、全く元に戻るわけではないものの、ある程度影響を受けると考えるのが自然だと思いますけどね。
その結果がすぐ来年起きるとは思わないですが、10年という期間で考えると、あまり無視しないほうがよいのではでしょうかね・・・
この話はまた10年後、それでは長いから中間の5年後にこの続きをやりましょう。どっちに転ぶにしても、その時にはもっといろいろと材料があるでしょうから。