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投稿者: ゴルゴ・サーディーン (ID:dz5n292fn06) 投稿日時:2011年 03月 04日 22:31
算数の掛け算の応用問題では、式の順序が重要のようですね。
(1)式は(1つあたりの数)×(いくつぶん)という順番で書く。
(2)「1つあたりの数」は、「自然な見方」で決めなければいけない。
「屁理屈な見方」で決めたらバツ。
というルールがあるようです。
私は疑問に思い、こんな問題のときはどうするのかと先生に質問しました。
■問題1.ゴルファーが100人いて、全員が同じ組み合わせの 14本のゴルフクラブを持
っています。ゴルフクラブは全部で何本ですか?
■問題2.ゴルフ道具の工場で14人の人がゴルフクラブを作っています。1人が1種類の
クラブを100本ずつ作ると、全部で何本のゴルフクラブが出来ますか?
先生は、第1問は 14×100=1400 第2問は 100×14=1400 で、それぞれ、逆ではバツ
にするかも知れないと言いました。
100セットのゴルフクラブという同じ物なのに、並び方によって マル と バツ が入れ
換わるのは変じゃないですかと言ったら、
「君はもう質問しに来るな。」
という意味のことを言われました。
その先生は、別の機会には、麻雀牌の数を求めるときは 4×34 でなければならない、
逆はおかしい、と言っていました。
私は、それは変だと思います。
麻雀牌は、麻雀をする前に整然と並んでいるときは、4×34 という式で表せるようにす
る事も出来ますが、麻雀をしている時はバラバラになってしまいます。
それでも 4×34 だと言うのは、並んでいる時のことを思い出して式にしているのだと
思います。
( しかも、箱にしまった状態は、4×34 という式にふさわしい並び方ではありません。 )
だったら、ゴルフクラブも、14人の職人さんの席に100本ずつ置いている時も、それが
箱詰めされた時の様子を思いうかべる事は出来るし、逆に100人のゴルファーのバッグに
しまわれている時に、「ドライバーが100本」「3番ウッドが100本」・・・と見なす事だ
って出来ると思うのですが、こういうのはダメなのでしょうか?
-
【2374636】 投稿者: メンドウダガ (ID:nLCbS.KTzvQ) 投稿日時:2012年 01月 05日 21:52
↑ 答えの部分は すべて まちがい。
で
>解釈は日本語の部分で、式には単位がない。どうにでも取れるので、正しく解釈していると
判断すればいいのです。これを意地悪く解釈して、間違っていると教えるから、
訳が分からなくなるのでしょう。考え方まで押し付けるのは、おかしいです。
「どうにでも取れる」というところが まちがい。 -
【2375798】 投稿者: ゴルゴ・サーディーン (ID:h5NOG6M4X0A) 投稿日時:2012年 01月 06日 23:37
では、第1問は
「
『 ドライバーが100本 』
『 3番ウッドが100本 』 (*)
:
『 パター が100本 』
と考えて、100×14 」
というのは、駄目なのですか?
.
*…「2番ウッド」は、あまり使われていないそうです。 -
【2375928】 投稿者: 呑助@深夜食堂 (ID:nLCbS.KTzvQ) 投稿日時:2012年 01月 07日 05:56
■問題1 ゴルファーが100人いて、全員が同じ組み合わせの14本のゴルフクラブを
持っています。ゴルフクラブは全部で何本ですか?
第1問とは これですな。
この問題へのただしい答えは やはり
14×100
であろうな。
サーヂン氏おたづねのような 考え方を敢えてする のは
この問題に対して テキトーでない。
バツテンされても 文句は言えぬ。
なぜなら 問題で
>同じ組み合わせの14本のゴルフクラブ
と書かれている時点で ゴルフクラブの中身が 捨象されている からである。
それを
>ドライバーが100本 3番ウッドが100本 ・・・
パター が100本
と考えるのは 一旦捨象されたもの を 具象化し直している ことになる。
問題では
具象化せずとも 普遍的に 成り立つ答えを 求めている
のであるから それを具象化し直して考えたバヤイ
スベテの具象化のシカタに よらぬ答えを出している てふことまで言わぬと
考え方として テキトーでない。
したがって 上のよーに考えて 100×14 とするのは マチガイ。
お分かりイタダケただろうか? -
【2376182】 投稿者: ゴルゴ・サーディーン (ID:h5NOG6M4X0A) 投稿日時:2012年 01月 07日 11:50
これはある小学校の指導案で、「掛け算の正しい順序」を
教える方針の物です。
http://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/286.pdf
(pdf を小文字に変えてください)
.
これの最後のページに「チャレンジ問題」があります。
>はこが4はこあります。
>どのはこにも,ちがうしゅるいの
>おかしが5こずつ入っています。
>おかしはぜんぶでなんこありますか。
>A さんは「4×5=20 20こ」
>と,考えました。
>A さんの考えをせつ明しましょう。
.
つまり、「
『 大福が 4個 』
『 最中が 4個 』
『 酒饅頭が 4個 』
『 どら焼きが 4個 』
『 黄金芋が 4個 』
と考えて、4×5 」
なわけですね。
.
お菓子だと、この様に考えることが「チャレンジ問題」であり、
他方ゴルフクラブでは「適当でない」となる。
その理由は何ですか? -
-
【2377097】 投稿者: ゴルゴ・サーディーン (ID:h5NOG6M4X0A) 投稿日時:2012年 01月 08日 10:12
>この問題がチャレンジ問題とされている意図は
>Aさんのような考え方もあるが菓子の組合せなど考えず
>普遍的な答えを出す式が
>5×4=20
>であってそちらのほうがすぐれていることを理解できるところが
>挑戦的なのであろうと考える。
.
「5×4の方が優れている」などとは、そこには書いてありません。
.
もしわたしが小学生で、このチャレンジ問題の学校で掛け算をやった後に
転校して、新しい学校でこの考え方を披露したら
「あなたは、掛け算の意味がわかってない」
と叱責されるわけですね。
.
算数って、そんな物なのでしょうか。 -
【2380603】 投稿者: K.K (ID:gZk5ZhvSqoQ) 投稿日時:2012年 01月 11日 10:46
算数という学問、そしてその親である数学という学問、その学問として考えて、ゴルゴ・サーディーンさんの考え方は非の打ちどころがありません。
先生の方が、何かわけのわからない似非数学カルトにハマっていると断言して差し支えありません。
ゴルフクラブだろうが人だろうが、算数的あるいは数学的にいえば、「物体」と一括りにできるし、そういう風に考えられるようになることが大切です。
人、個、本、枚等々は助数詞という種類の言葉です。もちろん便利ですし、注意して使えば、理科や物理での単位と同様に使えます。
100[本/人]×14[人]=14[人]×100[本/人]=1400本
100[人]×14[本/人]=14[本/人]×100[人]=1400本
こうして、[人]という助数詞的な単位は綺麗に消え、どちらも順序に関係なく、1400[本]で間違いなく、文句の付けようもありません。
もちろん、こういう助数詞的な単位は落とし穴もあります。
黒い碁石を以下のように並べたとしましょう。
●●●●
●●●●←こちらから見て3個
●●●●
↑こちらから見て4個
こういう風に4個と3個の並びですね。掛け算してみると、
4[個]×3[個]=3[個]×4[個]=12[個個] ??
碁石の数なら、12個となるべきですね。これは、こういう助数詞が単位としてだけではなく、物体の数という単位のない無次元の数だから、こういうことが起こり得ます。
また「個」と「つ」と、同じ意味で見た目の表現が違うこともあります。
ただ、これは面積として考えるなら、平方センチという考え方をうまく表しています。そういう方向へは、どんどん拡張して考えて行くべき所でしょう。
助数詞の使い方について注意するのは、そういうことだけです。便利に上手く使えそうなときは、どんどん使えばいいですし、使わないほうがいいなら使わないまでです。
道具は道具、いつでも使うわけではないですよね。 -
【2380620】 投稿者: K.K (ID:gZk5ZhvSqoQ) 投稿日時:2012年 01月 11日 11:03
大元のご質問に私としての基本的な考えはご説明しました。
今度は算数教育の問題に触れてみます。
掛け算の順序は九九でも同じ数が多数でることから、順序が自由なことに気が付くことも多いし、もちろんそれを否定することはありません。36が何種類にも分類されては、算数も数学も成り立ちません。
さらに、掛け算や足し算の順序がどうでもいいことは、交換法則として、小学校で明確に教えることになっています。
教える側の得手勝手、と言っては言い過ぎかもしれませんが、割り算まで考えると掛け算の順序があるべきとか、割られる数が割る数より小さいとき戸惑うから掛け算の順序があるべきとか、私にはまったくもって不合理な説明で、掛け算が順序可換と明白に教えた後でも、掛け算順序に固執したい人がいるのです。
そういう人が偉い立場にいたり、教科書になくても、それを使った教え方を追記した教師用の指導書に、掛け算の順序を勝手に決めて、生徒に守らせるようしたりしています。
教師の中には、それは不合理だと思っている人も多いのですが、偉い人やら周囲の圧力で、やむを得ず、そのように教えていることも少なくありません。
他には、塾などもこのことには、教え方で困っているようです。算数・数学本来の正しさを取るか、学校のテストの点数を気にするか、難しい所です。
そのため、あちこちで矛盾するような算数・数学問題が出題されます。あるときは掛け算順序を守らせたり、別の時は、掛け算の交換法則を問うような設問になったりします。
掛け算順序はどっちでもいい、と基本的な理解は崩さないでおきましょう。
そして、もしテストの点数を気にする必要があるときは、テスト問題がどうして欲しいか、少しだけ気にしてあげればいいです。この先、大学で学ぶとして、大学入試までは、数学に関わらず、受験テクニックといった、心ならずも、ちょっと嫌な面倒くさいこともしなければいけないときもあります。
もちろん、そのときまでに、こういうくだらない話がなんとかなっていればいいのですけど。私も気が付いて、手が届くところは、微力を尽くしています。
ゴルゴ・サーティーンさんも、正しい理解をされておられますので、そのお考えをどんどん周囲に伝えてみてください。 -
【2381593】 投稿者: かけうどん (ID:MWZJo8c5h4c) 投稿日時:2012年 01月 12日 08:03
掛け算の順序に執拗にこだわるべきではない理由:
掛け算には順番が単純に決められるものと、どちらでもよいもの(と恐らく曖昧なもの)がある。
どちらでも良い例は、長方形の面積。縦と横は同等に扱われるべきものであるから。
「掛け算には順序がある」ので、全てルールに従うべきだと主張するのならば、
数学の厳密さを持って
①順序の定義付けを明文化すべき。特定の例をもって説明すべきではない。
②単に2つの数の掛け算に限らず、3つ以上の掛け算、その他の演算(例えば割り算)の複合になったときに、表現の明文化
がなされるべき。
そのようなルールがいかなる教科書にも登場しないのは、おそらく明確には定義できないグレーゾーンがあることと、そして何よりも実用性に欠けるからでしょう。