最終更新:

31
Comment

【934992】そろばん 公文 高速計算

投稿者: 教育    (ID:mvwOGXdB8uk) 投稿日時:2008年 05月 26日 10:20

年長児の子どもがいます。
最近気になったのですが、百ますもふくめて、そろばん 公文などを9歳以下の子どもがたくさんするのはよくないと何かでみました。
よく五年生くらいから塾にはいって トップクラスなんて聞くのはまさにそれかな?と思ったりします。つまりそれまでは思考回路系を鍛えているからそのほうが伸びるのではないかと。

そろばんも公文も3,4年まで行って後は塾に切り替えていくそうですが、それまで計算ばりばりで、そういう子どもの中学受験のみならずもっとその後の伸びが気になります。

私の知っている限りでは、そろばんや公文はかじっただけ、もしくはいったことがなく、でも中学、高校数学から頭角を現し、医学部へ行った。東大へ行った。という人が多く、そういう人に聞くと必ずといってよいほど、自分の子にまだ小さいころから習わせることはないといわれるのです。

しかしこの提示版をみていると皆さんすごくがんばっていらっしゃいます。
すばらしいことだと思いますが、そういった幼児からの特に計算や暗算が極端に早くなることについて、3,4年以降また中学以降の伸びについてどう思われますか?
また、終了組みの方たちにもご意見いただけたらと思います。
逆に3,4年生の二年間位で計算だけ6年範囲まで進めて積極的に鍛えたら十分という考えはあまいですか?

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「中学受験 算数に戻る」

現在のページ: 4 / 4

  1. 【978637】 投稿者: 花鳥風月  (ID:/HPkW8Ea/8E) 投稿日時:2008年 07月 12日 11:32

    誤解なさってませんか?さまへ


     まったく同感です。情報を収集する際には偏見などのフィルターを通さず収集すべきですが、収集後の分析には注意が必要と思います。その分析に必要となるのが人間としての常識、広くて深い知識、論理的態度と思います。私たちが中学受験をする子供に求めているものです。


    >その見究めを、情報分析のプロではない人間が行うのは難しくなって来ています。


     プロほどの広くて深い知識がなくても可能なのでしょうけどね。逆に知識だけがあっても、人間としての常識、正常な感情がうまく育っていない人には、そうした見極めは大変困難でしょう。たとえば、この掲示板で私たちが求めている情報は「子供の学力向上のためにはどうすればいいのか」ということです。


     ところが、自分の子供のことなのに、何が子供のためなのか、何が子供のためではないのか、このことを分かっていない親御さんがおられることに危惧を感じます。子供のためになることはちょっと分かりにくいものだど思いますが、子供のためにならないことは子供の様子を冷静に客観的に観察していればすぐに分かることだと思うのです。たとえばひどく嫌がっていればためにはならないことなのです。


     特に人間として必ずしも必須ではない、人それぞれのことであるにも関わらず、それを絶対しなければならないなどと親が思い込んで、子どもがひどく嫌がっているのに無理やりさせるのは子供のためになるはずはなく、害悪しかないと思います。たとえば中学受験やなにかの習い事を子供がひどく嫌がっているのに無理やりさせるというのが好例でしょう。これらのことは人間として必須のことではないので、無理にする必要はまったくないものです。それが分からないような親にはならないように、ことあるごとに反省して気をつけようと私は思います。


     まとめ。公文式であろうが、正反対の手法たるど ん ぐ り方式であろうが、私はいかなる学習メソッドもそれぞれにいいところがあり、参考になることがあると思っていますので、大いに情報収集しています。そして、参考になるところを自分の子供向きにアレンジして適用しています。それができるのは、特定のメソッドだけを研究している学校の先生や塾の先生ではありません。広く偏見なくメソッドを研究できる立場であり、子供の親という立場である私たちなのです。

  2. 【979235】 投稿者: 誤解なさってませんか?  (ID:LWIPHfpaxAg) 投稿日時:2008年 07月 13日 02:21

    花鳥風月 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    >  情報を収集する際には偏見などのフィルターを通さず収集すべきですが、収集後の分析>  収集後の分析には注意が必要と思います。その分析に必要となるのが人間としての
    >  常識、広くて深い知識、論理的態度と思います。私たちが中学受験をする子供に
    >  求めているものです。


    そうなんです。
    情報に限らず、何らかの事象と対峙した時、そこから何を読み取り、如何に分析し活用
    するか…という命題は、実は親が子供の成長過程でそれを正しく身に付けて欲しいと
    願う能力の一つなんですよね。
    そして、その能力を会得するには、花鳥風月 さんがお書きになってらっしゃる様な、
    様々な要素が必要なわけです。
    これらの要素はそう簡単に体内で醸成されるものではありませんから、ある意味、
    親の導きが必要ではないかと思います。
    しかし、その親本人がそれらの要素を保持しているにも関わらず情報に騙されて
    しまうということが、現代においては増加しているのではないかという懸念を
    私は抱いております。
    それは、発信される情報があまりにも巧妙化しているからです。


    公文式に関して否定的なネット上の情報なども、(公文式ではない)塾関係者が
    立場を隠して発信している場合があります。
    こういった場合、その人物は公文式をやっていた子達と塾等で接触があるので、
    そういった経験を通して公文式そのものを理解した気になり、公文式に関する情報を
    発信します。
    (これは、肯定的な情報においても同様でしょう。)
    しかし、それは結局、公文式に関してのある一面を見たに過ぎないわけですが、
    発信される情報においては、一面か全面かが明示されておらず、受け手如何でどの様にも
    解釈出来る、もっと言えば単なる一面の情報が全面の情報であるが如く受け取れる様に
    なっていたりするのです。
    こういった情報を受け取る場合、それが単なる一面の情報であるということを
    察知出来る親と出来ない親では、当然、違いが生じてくると思われます。
    そして、察知出来ない親が必ずしも親として未熟というわけでもなく、
    単なる「信じやすいタイプ」である場合も、往々にしてあるのではないかと想像します。


    この点において私は、察知出来ない親をどうこう言うよりも、「明示しない」発信者側が
    「明示しない」ということのリスクをどの様に認識しているのかが気になります。
    ある種の操作性を意図した情報だからこそ「明示しない」のでしょうが、「明示しない」
    がゆえに、その情報の受け手の心証に逆作用を起こす可能性を排除出来ません。
    そして、ネット上の公文式情報に関しては、しばしば、それが起こっている様に
    私には感じられます。


    >  特に人間として必ずしも必須ではない、人それぞれのことであるにも関わらず、
    >  それを絶対しなければならないなどと親が思い込んで、子どもがひどく嫌がっている
    >  のに無理やりさせるのは子供のためになるはずはなく、害悪しかないと思います。


    同感です。また、しばしば、中学受験を検討されてらっしゃる親御さんが公文式が
    中学受験に必須であるが如く思い込まれていらっしゃる場合がありますが、
    中学受験というものにおいてさえ、「絶対的に必須」というものは無いのではないか、
    というのが私の考えです。
    子供の数と同じ数だけ、中受の方法も存在すると思っております。
    そもそも、「絶対的な何か」というものの存在を私自身が信じていないからかも
    しれません。
    ま、それは置いておくとして、子供に合う方法を探すのは親の役目でしょうね。
    合わないものを無理に合わせようとすれば、どこかで歪が生まれるでしょう。
    今は合わなくても、将来的に合う場合もありますし、そこまで待ってもいいのでしょう。


    >  まとめ。公文式であろうが、正反対の手法たるど ん ぐ り方式であろうが、
    >  私はいかなる学習メソッドもそれぞれにいいところがあり、参考になることがあると
    >  思っていますので、大いに情報収集しています。そして、参考になるところを
    >  自分の子供向きにアレンジして適用しています。それができるのは、特定のメソッド
    >  だけを研究している学校の先生や塾の先生ではありません。広く偏見なくメソッドを
    >  研究できる立場であり、子供の親という立場である私たちなのです。


    正に我が意を得たり、という気持ちです。
    オートクチュールは無理でも、既製品を組み合わせておしゃれさせてやるくらいは
    親でも出来るということなのでしょうね。

  3. 【979545】 投稿者: 公文について  (ID:mIFrIbrKbgA) 投稿日時:2008年 07月 13日 14:54

    我々の子供のころ、算数の授業で保健室にいくお友だちが沢山いました。
    できない子にとって、算数は一種のアレルギーであります。
    それを解決されたのが、公文です。頭が痛い思考力を排除し、ワンパターンの
    問題を条件反射でやらせる。大人になれば誰でもできることを教えているだけです。
    でも、これが普通の日本の多くの親御様が求めていたものでしょうね。


    結局子供のころ苦労した親御さんが、公文にいかせているのが実態ではないでしょうか。
    スレ主さんのおっしゃるとおり、東大に行かれた親御さんは、無意味であることは
    瞬時に分かります。


    公文生と通塾生の大きな違いは、通塾生は学校とは習うことは全く別物と考えています。
    公文生は授業の延長と考えているため、時に学校の授業において調和を乱すお子さんが多いことです。具体例はさけますが、先生にとっては悩みの種です。


    どんぐりですが、私は公文以上に評価していません。基本を教えず難解な問題を
    子供にやらせています。思考力が働く訓練をせずに、無理にやらせています。
    そして公文生はできなと言っているのですが、そんな教え方では誰もできませんよ。

  4. 【984356】 投稿者: 皆様、大丈夫でしょうか?  (ID:0tPVe9qSqmI) 投稿日時:2008年 07月 19日 00:03

    最近、ネット上でも新規出版される書籍においても「公文擁護」の発言がやたらと目立つ。こうなると「情報操作」しているのは逆に公文側ではないかと勘ぐりたくなります。公文のセンセイが薦めるまま、進度のスピードを上げていけば、一部の超優秀児を除いては思考力を著しく低下せしめることは別に「情報操作」されなくても、まともな「思考力」のある保護者なら誰でも理解出来ます。


    別にネット上で、どのような考え方が主流かはどうでもよいこと。自らのアタマで何が大切なのかを考えればよいだけのことです。冷静に考えれば我が子の教育法など答えはおのずと出ます。

  5. 【984558】 投稿者: 公文と受験算数のギャップ  (ID:mozZ9zXmju.) 投稿日時:2008年 07月 19日 10:04

     することがなかったので、公文に通わせた口です。
     小5で微積までいきましたが、計算力をつける程度の公文ではあまり意味がありません。
       
     計算力は、適当な問題集を買ってきて、親御さんが横で見てあげれば済むので、塾すら不要。計算力は単なるドリルです。これは中学・高校の数学もいっしょですよね。
     そういう意味では、公文の因数分解は役に立ったのかもしれません。   

     一方で、中学受験では、際物の受験算数に翻弄されました。
     公文で習った方程式で簡単に解けるのに、算数で解くのは不合理です。
     しかし、算数で解いた方が早いので、受験には有利。
     無意識に連立方程式や二次方程式で解こうとするので、塾の算数的な説明がまどろっこしく、かつ理解しにくい一方で、解答に要する時間は余計にかかる問題も多い。
      
     まあ、受験算数とは言え、所詮、学習指導要領の範囲内で解ける問題であることが前提なので、仕方ありません。その範囲で難易度の高い問題を作るとなると、受験算数テクニックの方が有利なのは仕方ないこと。
        
     しかし、中学入学時、数学の担任が、「算数は忘れろ。数学にとって、算数の解法は有害。算数の解法で解答したものは、点数を与えない。」との沙汰。
     一次方程式の文章題は、算数で解けますから、そのとおりでしょう。いつまでも算数気分でいると、抽象度が増してくる単元でギブアップするお子さんも少なからず。
       
     公文の効果と言えば、二次関数、三角比、対数など小学校では想像できない概念への食いつきが良くなるか、代数式の取り回し(展開、因数分解、置換)がうまくなる程度です。
     それと物理の力学で微分を使えて、解答が簡単に出てしまうことくらい。
       
     小学校で英会話をやっていて、入学時に英検3級程度を持っているお子さんは少なくありませんが、中学2年くらいでその貯金を使い果たす(中高一貫のカリキュラムだと、中2の秋口には大抵英検3級を取ります)ので、この貯金にあぐらをかいて、英語を真面目にとりくまないと、急降下するのと同じでしょう。
      
     公文にせよ、英会話にせよ適当なレベルで始末をつけると、中学で痛い目に遭う場合もありそうです。

  6. 【991492】 投稿者: ラサール  (ID:iqfEgONFiZw) 投稿日時:2008年 07月 28日 21:34

    最終目標が大学受験であるなら、計算力は必要条件です。もちろん、十分条件ではありません。ラサールで数学トップだったひとは公文出身でした。そろばんでもいいと思います。

  7. 【992677】 投稿者: akim  (ID:7V1Va9y7vjk) 投稿日時:2008年 07月 30日 12:53

    ラサール さんへ:
    -------------------------------------------------------
     私も同感です。
     計算力と思考力は別物、が、円滑な思考に計算力は不可欠です。
     いわば計算力は思考力の潤滑剤でしょう。
     


    > 最終目標が大学受験であるなら、計算力は必要条件です。もちろん、十分条件ではありません。ラサールで数学トップだったひとは公文出身でした。そろばんでもいいと思います。

  8. 【1002799】 投稿者: そろばん派  (ID:ys7ESEBsQC6) 投稿日時:2008年 08月 14日 21:13

    2級、1級レベルだと、人生において、とても役に立つと思います。
    毎日少しずつの計算は、脳に良いです。
    中学受験は、もちろん、そろばんだけでは無理ですが、有利です。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す