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【1787177】未だに靖国神社?

投稿者: そこまで言って委員会   (ID:GbXpJovx0M2) 投稿日時:2010年 07月 02日 20:33

そこまで言って委員会をみてたら、田母神さんが、管さんの奥さんに叱られたと話してました。未だに、戦犯を祭っている靖国神社に参拝してるから当然だけど。彼は面白いけど、子供っぽくって成長しない人だね。

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  1. 【2538872】 投稿者: 二俣川  (ID:LzLARSZGdcM) 投稿日時:2012年 05月 12日 13:18

    >投稿者: 目(ID:Ix/U5ADFRds)さん


    いえいえ。
    ぜひ、あなたのお話もお聞かせ願いたい。

  2. 【2538942】 投稿者: 元『A級戦犯』だよ  (ID:L6tZ.jxutOg) 投稿日時:2012年 05月 12日 14:32

    二俣川さん、1945年8月10日の御前会議で昭和天皇が本土決戦の防備ができていないと述べたと書いたのは、あなたの方だよ。
    僕は、梅津美治郎の上奏は6月11日だったと書いたが、あなたがいう6月9日は、下記の本によると木戸内大臣が「時局収拾案」を天皇に提出した時のようだね。
    僕が「極秘資料」と書いたのは、あなたが「極秘で報告した」と書いたのと同じことを指すと思うが。察しが付かない? 口頭で話しただけで資料は無かったんですか?
    (さっきは一所懸命書いたけど、あなたのように暇じゃないから、Amazonからコピーでご容赦下さいな。)
     
    六月九日、内大臣木戸幸一は「時局収拾案」を天皇に提出した。続いて参謀総長の梅津美治郎は天皇に向かって、本土の戦いとなる以前に戦争を終結しなければならないと遠回しに言上し、その三日あと、海軍戦力査閲使の長谷川清は本土防衛のための特攻戦備には欠陥があり、弱点があると言上した。
     
     
    鳥居民の『昭和二十年』シリーズは、敗戦の年1945年一年間の社会の動きを重層的に描くドキュメント。鳥居民は歴史作家・評論家、1929年生まれというから御年83歳。2006年に第12回横浜文学賞を受賞。
     
    昭和二十年 第一部 (9) 国力の現状と民心の動向【5月31日~6月8日】:鳥居 民 :草思社 (2001/12)
    http://www.amazon.co.jp/dp/4794211120
    米も塩も石炭もない。海上輸送は壊滅状態となり、航空機の生産は水増しして発表される。新官僚たちがつくった「国力の現状」の報告書を中心に絶望的な状況に陥った6月初旬の日本を描く。
    毛里英於莵、美濃部洋次、迫水久常は、資源や食糧の危機的状況を、御前会議に提出する「国力ノ現状」にまとめ、民心が局面の展開を求める方向に向かっていることも明らかにする。
    朝日新聞ベルリン特派員の守山義雄は敗戦ドイツの実相を報じた。戦争とはなにかを初めて明示したこの記事を、枢密顧問官南弘、元外相有田八郎、石橋湛山、志賀直哉ら七人の日記から解き明かす。
    徹底抗戦の主張がむなしく響くなか、鈴木貫太郎、米内光政、梅津美治郎ら政府・軍首脳はなにを考え、なにをしたか。木戸幸一は自分を内大臣の座から逐おうとする計画をどう叩きつぶしたか。広田弘毅はソ連大使マリクとの箱根での会談でなにを説いたのか。皇太后は戦争終結のためにいかなる役割を果たしたのか。六月八日、その地位を逐われようとした木戸幸一は終戦の計画をつくる。
     
    昭和二十年 第一部 (10) 天皇は決意する【6月9日】:鳥居 民 :草思社 (2002/11)
    http://www.amazon.co.jp/dp/4794211767
    天皇は何を考えているのか。その日常と言動、さらには態度決定の仕組みなど、戦争終結へ向かうまでの核心部分にせまった天皇論。沖縄では絶望的な戦いまだが続いている。
     
    昭和二十年 第一部 (11) 本土決戦への特攻戦備【6月9日~6月13日】:鳥居 民 :草思社 (2003/12/10)
    http://www.amazon.co.jp/dp/4794212704
    6月上旬、梅津、長谷川、木戸らの言上により、天皇は、戦う方途はもうこれ以上ないと悟る。どのように行動をはじめるのか。他に桜花などの特攻兵器の開発の現状を描く。
    六月九日、内大臣木戸幸一は「時局収拾案」を天皇に提出した。続いて参謀総長の梅津美治郎は天皇に向かって、本土の戦いとなる以前に戦争を終結しなければならないと遠回しに言上し、その三日あと、海軍戦力査閲使の長谷川清は本土防衛のための特攻戦備には欠陥があり、弱点があると言上した。
    政府と軍の首脳、重臣、宮廷高官、そして天皇が密かに期待していたとおり、国務長官代理ジョゼフ・グルーは大統領トルーマンに向かって、日本に和平を呼びかけるときがきたと説いた。
    沖縄戦が終末を迎えようとし、関東、阪神の各地が爆撃にさらされ、日本海が潜水艦と機雷によって封鎖されようとするこのとき、鈴木内閣と宮廷は戦いを終わりにすることができるのか。

  3. 【2538964】 投稿者: 元『A級戦犯』だよ  (ID:L6tZ.jxutOg) 投稿日時:2012年 05月 12日 14:50

    梅津美治郎は終戦前まで(陸軍将校達に突き上げられて)本土決戦派だったけど、本土の防御準備ができていないことを上奏したのは、ポツダム受諾前の御前会議の時じゃなくて、もっと前からだよ。
     
    >梅津美治郎(陸軍大将)が終戦前の御前会議で陸軍代表としては本土決戦を主張したが、個人的には不可能だと考えており、昭和天皇に本土決戦の準備ができていないことを示す極秘資料を提示“していた”。
    と書くべきだった。

  4. 【2539100】 投稿者: 遠山の金  (ID:ew1iGDSCDys) 投稿日時:2012年 05月 12日 17:30

    >投稿者: 目(ID:Ix/U5ADFRds)さん

    >いえいえ。ぜひ、あなたのお話もお聞かせ願いたい。

    例の件については諸般の事情で保留にします。ところで、二俣川先生が彼を誘致するのは自由だけれども、歌舞伎町大学のOBとして一目連君に一言(ひとこと)言っておきたい。

    不特定多数に向かって「テメエラ」「オマエラ」などと言わないように。

  5. 【2539183】 投稿者: 二俣川  (ID:W2clv4oPdP6) 投稿日時:2012年 05月 12日 18:48

    >。僕が「極秘資料」と書いたのは、あなたが「極秘で報告した」と書いたのと同じことを指すと思うが。察しが付かない? 口頭で話しただけで資料は無かったんですか?


    梅津が天皇に会って関東軍の惨状を報告した際は、だれも入れず、口頭で話した。ただし、その内容は天皇が木戸に打ち明けた(『木戸日記』)。
    当時の日本軍は軍規は乱れ、部隊から離反する者も多かったようだ。
    天皇は、心底落胆したのではないか。


    ところで、あなたはさすがに理解しているだろうが、実証的史実と私の考え(私見)との表現上の区別を理解出来ていない者がここにいる。我々は作家ではないのだから、史実で明らかでないものについては、「~と考える」「のではないか」と表記せざるを得ない。確認出来ない事項には、勝手な断定はしない。意見はそれとして、表記上で明らかにする。こんなこと、大学生のリポートで指導される次元なのに。

  6. 【2539976】 投稿者: 元『A級戦犯』だよ  (ID:LH/zXggzmB2) 投稿日時:2012年 05月 13日 12:32

    二俣川さん
    僕は、史実(記録がある)ものについて自分の解釈や意見は述べますが、史実で明らかでないものについて「~と考える」「のではないか」と推察は述べません。証拠なく推量しても意味がないから。
    「もし、あの時に日本や誰彼がこうしていたら歴史は変わっていただろうに」と推理することは楽しいものですが。
     
    一目連君って、中高生くらいかと思ったら大学生? 歌舞伎町大学ってどこ?
    目くんは、ほとんど戦争当時の実情は知らないんでしょう。
    「戦争は悪だ、戦争した奴は皆戦犯だ」などと今の価値観で言うのは簡単ですが、日本はどうしてそんなバカな戦争をしてしまったのか?を理解しないと、本当に歴史の教訓を得ることにはならないでしょう。まず知ることですね。
    二俣川さんは、自分の主張に合わないことは知ろうともしませんが。
     
    学生の人には、この本あたりが評判です。左翼には不満かも。
    東大の加藤陽子教授の旦那さんは、大手予備校の日本史の一番人気の講師ですね。
     
    それでも、日本人は「戦争」を選んだ: 加藤 陽子: 本
    http://www.amazon.co.jp/dp/4255004854
    かつて、普通のよき日本人が「もう戦争しかない」と思った。
    世界最高の頭脳たちが「やむなし」と決断した。
    世界を絶望の淵に追いやりながら、戦争は気まじめともいうべき相貌をたたえて起こり続けた。その論理を直視できなければ、かたちを変えて戦争は起こり続ける。
    だからいま、高校生と考える戦争史講座。日清戦争から太平洋戦争まで、講義のなかで、戦争を生きる。生徒さんには、自分が作戦計画の立案者であったなら、自分が満州移民として送り出される立場であったならなどと授業のなかで考えてもらいました。講義の間だけ戦争を生きてもらいました。
    そうするためには、時々の戦争の根源的な特徴、時々の戦争が地域秩序や国家や社会に与えた影響や変化を簡潔に明解にまとめる必要が生じます。その成果がこの本です。
    日本だけでなく、世界の人々がなにを考え、どのような道を選択したのか、 かつての人々が残した言葉をたどりながら、詳しく鮮やかに紐解いてゆきます。縦横無尽に「戦争」を考え抜く。
    歴史の面白さ・迫力に圧倒される5日間の講義録
     
    「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」
    http://www.h-yamaguchi.net/2011/01/post-4b66.html
    加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
    http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/soredemo-nihonjinha.html
     
    満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書): 加藤 陽子: 本
    http://www.amazon.co.jp/dp/4004310466/
     
    第二次大戦とは何だったのか (ちくま文庫): 福田 和也: 本
    http://www.amazon.co.jp/dp/4480423532/
    第二次世界大戦は「民衆の戦争」と呼ばれたにもかかわらず、「わずか数名の指導者が基本的な決定を下し、人類の運命を左右した戦争だった」。彼らはどのような意志をもってその時に臨み、どのようなヴィジョンに支えられて行動したか。また、そのリーダーシップはどう発揮されたのか。世界が第一次大戦前のパワー・ポリティクスに回帰しつつあるかに見える現在、指導者たちの思想と行動の分析を通して歴史の教訓を描き出す。

  7. 【2540100】 投稿者: 二俣川  (ID:LzLARSZGdcM) 投稿日時:2012年 05月 13日 15:02

    以前、他スレで私も加藤陽子教授の一連の著作を根拠に用いた。
    しかし、そこの反動らは加藤先生を「左翼」といって切り捨てた。ろくに読みもしないで。
    『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、加藤先生が日本有数の私学である栄光学園の生徒たちに対して行った特別講座を冊子化したもの。

    ちなみに、加藤先生は先に私が引用した『昭和天皇(中公新書)』を著した古川隆久日大教授の東大時代の姉(?)弟子である。
    ともに、「自由主義史観」とかいう宗教の旗頭であり、共産党転向者と聞く伊藤隆東大教授のお弟子さんたちである。
    いわば、この二人はお師匠さんの学風とは袂を分かった(ただし、実証的な研究手法は同じ)ことになる。
    賀状の交換程度はあるらしいが。


    >史実で明らかでないものについて「~と考える」「のではないか」と推察は述べません。証拠なく推量しても意味がないから。
    「もし、あの時に日本や誰彼がこうしていたら歴史は変わっていただろうに」と推理することは楽しいものですが。
     

    ちなみに、梅津が天皇に報告した様子(「書物にも出さず」「部下に知らさず」)は、『高木惣吉 日記と情報(みすず書房)』にある。
    石原千秋・早大教授『大学生の論文執筆法』では、「」自分の意見と他人の意見とをはっきり区別しなさい」「意見ははっきりと」と当たり前ながら大切なことが書いてある。
    私自身も自分と反動との間に「線を引き」、かつ二項対立を設けてアクセントある言葉を用いる手法で意見を明確にするように努めている。
    知識層なら当たり前のことだが、一部にはそれが理解できず(知らず)に理由を示さず(示せず)、ただ感情的反発をしてくる輩が散見される。
    何の勉強にもならず、つまらない。異論反論大歓迎だが、根拠理由なしではね。

  8. 【2540413】 投稿者: 二俣川  (ID:LzLARSZGdcM) 投稿日時:2012年 05月 13日 21:04

    山本薩夫化監督『戦争と人間』、小林正樹監督『人間の条件』。
    原作も読み、映画も何度見たことだろうか(後者はNHKBSでやった)。
    あらためて、日本軍国主義・帝国主義への憎悪を感じる。
    善良な息子や夫を戦地に連れ出し無残な死に至らしめた張本人はいったいだれだ。

    靖国神社参拝をする方にもぜひ見ていただだきたい。


    私が「就遊館」で感じる得体のしれぬ違和感は、徹頭徹尾自国中心であり、相手のことをまったく考慮していないところである。
    日清・日露・日中の各戦争、ならびに太平洋戦争の主戦場はいったいどこであったのであろうか。
    そこには、われわれと同じ平凡な人々が暮らしていたのではないか。彼らにいったいどのような責めがあったのであろうか。

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