最終更新:

1370
Comment

【1787177】未だに靖国神社?

投稿者: そこまで言って委員会   (ID:GbXpJovx0M2) 投稿日時:2010年 07月 02日 20:33

そこまで言って委員会をみてたら、田母神さんが、管さんの奥さんに叱られたと話してました。未だに、戦犯を祭っている靖国神社に参拝してるから当然だけど。彼は面白いけど、子供っぽくって成長しない人だね。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「ニュースに戻る」

現在のページ: 49 / 172

  1. 【2537916】 投稿者: 元A級戦犯だよ  (ID:LH/zXggzmB2) 投稿日時:2012年 05月 11日 15:55

    二俣川さんに、A級戦犯もA級戦犯容疑者も「元」だよと教えてあげたんだよ。あなたは起訴されなくても無罪になっても刑を赦免されても、一生犯罪者呼ばわりするみたいだけど。
    そもそも、国内法に「A級戦犯」という名称はあるんですか? ちゃんと答えてね。
     
    二俣川氏
    > ところで、この連中の言う「本土決戦」とは、何であったのか。
    > 1945年8月10日午前2時半に終わった御前会議後に、昭和天皇は木戸幸一内大臣(のち極東国際軍事裁判でA級戦犯・終身禁固刑)にこう述べたという。
    > 「本土決戦というけれど、一番大事な九十九里浜の防御もできておらず、また決戦師団の武装すら不十分(中略)飛行機の増産も思うように行っていらない。
    > いつも計画と実行とは伴わない。これでどうして戦争に勝つことができるのか『木戸日記』」。
    > この時期、昭和天皇は九州の防備もまったくできていないという事実を知り、落胆した発言も行っている。
     
    昭和天皇が木戸内大臣に、本土決戦の防備ができていないと語ったと言うけれど、昭和天皇は誰から教えてもらったの? 自分で視察に行って調べたの?? そして天皇が木戸に教えてやったの???(笑)
    天皇に、そう知らせたのは誰だったのですか? 自分で調べて。

  2. 【2537996】 投稿者: ふふ・・・  (ID:wZchfF5wgc2) 投稿日時:2012年 05月 11日 17:02

    >たしかに、ポツダム宣言受諾に反対する陸軍クーデター派に対し、梅津が同調を拒否したことは事実だ。しかし、それはすでになされた昭和天皇の「聖断」に反することを畏れたからであると考えられる。
    梅津自身の本心も、陸軍省の考え通りポツダム宣言受諾反対であったとみるのが自然だ。むしろ、ここは自分へのテロや内乱の危険を冒してでも即時終戦することを決断した昭和天皇の決断こそが、この戦犯らが引き起こし、ダラダラと続けた戦争による破滅から日本を救ったのである。」
    >
    ふーん。
    勉強になるなぁ(^^)

    でも、そもそも梅津参謀総長は「特に国体の根基たる天皇の尊厳を冒涜しある」ということで、「国体維持(天皇制維持)」にこだわってポツダム宣言の受諾に反対していたんじゃないのかな?
    決して、勝てる見込みや戦争継続の意志があって受諾拒否をしていたわけではなく、国体・天皇制を守るため、すなわち日本を日本として残すため(おおげさ?)に反対していたんじゃないの?
    勝てる見込みがあるなら、昭和天皇が何と言おうと本土決戦をもっと主張したのでしょうし、天皇制の維持を考えていたからこそクーデターを止めたんじゃないのかな?

    結局、アメリカは象徴にしたとはいえ天皇制を維持した訳だし、結果的には梅津参謀総長の考えどおりになったということですよね?

    そう考えると、
    >戦争継続に与した梅津に宣せられた東京裁判での終身禁固刑は妥当である。
    >
    戦争継続に与したっていうのはどうなんでしょうね。
    終身禁固刑が妥当っていうのもよくわからないかな。
    私は当時の軍部や内閣を決して正当化するつもりはありませんが、そんな風に思います。

    私が、わかろうとわかるまいと二俣川さんには関係ないでしょうから、気になさらずにm(__)m

  3. 【2538542】 投稿者: 二俣川  (ID:LzLARSZGdcM) 投稿日時:2012年 05月 12日 07:06

    >二俣川さんに、A級戦犯もA級戦犯容疑者も「元」だよと教えてあげたんだよ

    だったら、別なHNを用いなさい。知らない方は、君自身が「A級戦犯」だったと勘違いするだろう。


    >そもそも、国内法に「A級戦犯」という名称はあるんですか? ちゃんと答えてね。


    自分で、使っているではないか。矛盾している。私だったら、「元『A級戦犯』だよ」とでも表記する。



    >昭和天皇が木戸内大臣に、本土決戦の防備ができていないと語ったと言うけれど、昭和天皇は誰から教えてもらったの? 自分で視察に行って調べたの?? そして天皇が木戸に教えてやったの???(笑)
    天皇に、そう知らせたのは誰だったのですか? 自分で調べて。


    おいおい、まず御前会議で梅津がその「極秘資料」を見せた、との立証が必要だろ。君自身が書いたんだぜ、
    そのときに生まれていない、立ち会ったわけでもない私に、それがなかったとの証拠を出しようがないのだから。
    君自身が、その出典を明示しなければならない。

  4. 【2538588】 投稿者: 二俣川  (ID:LzLARSZGdcM) 投稿日時:2012年 05月 12日 08:27

    ちなみに、昭和天皇は戦時中は侍従武官や軍にいた弟宮・皇族の軍人(当時、皇族男子は軍に入ることになっていた)らから、詳細な報告を受けていた。

    「昭和天皇は太平洋戦争期、作戦についてかなり細かい指示や要望を統帥部にしばしば出していたことが明らかにされている。古川隆久『昭和天皇』(中公新書)」。
    同教授は、その史料として山田朗『昭和天皇の軍事思想と戦略』(校倉書房、2002年)を参考にしている。
    その他、側近だった『木戸日記』、『城英一郎日記(山川出版社)』など。

    最近の研究成果や新たな史料での天皇の発言を読むと、従来の「天皇は何も知らされていなかった」との説が妥当でなかったことが分かる。
    むしろ、思うようにならぬ戦況に苛立ち、軍を叱咤している。その結果、ポツダム宣言受諾拒否を主張し、戦争継続を訴える陸軍中央を制し、
    「聖断」でもって戦争終結を決断したものである。この辺りは、多くの研究者も異論ないところであろう。

  5. 【2538629】 投稿者: 二俣川  (ID:LzLARSZGdcM) 投稿日時:2012年 05月 12日 09:07

    一言だけ(あなたにしては、「珍しく」まともなお尋ねなので。)


    >結果的には梅津参謀総長の考えどおりになったということですよね?


    その梅津の考えが不明である。それゆえ、私も
    「梅津自身の本心も、陸軍省の考え通りポツダム宣言受諾反対であったとみるのが自然だ」との表現を用いた。

    ただ、ポツダム宣言が、日本の軍国主義勢力の除去(戦争犯罪人は処罰されること)と民主主義の実現(民主主義=国民主権へ変えられること)を内容としていただけに、
    これが当時の戦争指導者らにとって直ちに応諾し難いものだったことは分かる。
    なぜなら、ポツダム宣言受諾こそ、自らの戦争責任の問責への道を許し、また万世一系・天皇絶対・神格化との狭義の国体論の否定を意味するからである。
    その意味で、現在の象徴天皇制はけっして梅津ら戦犯らが望んだ国家体制ではない。

    また、戦争指導者の処罰を求めた同宣言を正式に無条件受諾した以上、
    陸軍参謀総長でありその後の降伏文書の調印式にも全権として臨んだ梅津美知郎に対する極東国際軍事裁判での有罪判決
    (侵略戦争を計画・遂行した『平和に対する罪(A級戦犯=戦争犯罪人)』に該当するとした終身禁固刑判決)は妥当なものであった。

  6. 【2538797】 投稿者: 元『A級戦犯』だよ  (ID:L6tZ.jxutOg) 投稿日時:2012年 05月 12日 11:59

    > だったら、別なHNを用いなさい。知らない方は、君自身が「A級戦犯」だったと勘違いするだろう。
     
    そんなわけないだろ。何歳や?
     
    明治憲法では軍隊を指揮・命令する統帥権は天皇の大権だったが、実際には陸軍は参謀総長、海軍は軍令部総長の権限であり、昭和天皇への戦況の上奏は、当時の参謀総長の梅津美治郎と軍令部総長の豊田副武が行った。
    本土決戦の防衛準備ができていないなんて「極秘情報」に決まってるでしょ。
     
    陸海軍とも侍従武官を貼り付けていたから、両軍から戦況報告は毎日行われ、海軍索敵機などが獲得した最重要情報はほとんど速報の形で戦況上奏に盛り込まれていた。戦果は誇大気味だったが損害については正確だった。海軍の戦況上奏は、各方面で展開している作戦の進捗状況、戦果と損害、輸送船の損害状況、各戦線における空襲情況が上奏された。
    特に重要な上奏は、陸軍参謀総長、海軍軍令部長が直々に上奏し、「奏上書綴」の書面が添付されており、戦果と被害状況などが一覧表で示され極めて詳細なものだった。
    要するに、戦果こそ誇大気味ではあったが、天皇は陸海軍の損害について遅滞なく知り得た。天皇に正確な情報が届かず蚊帳の外だったという話は正鵠を欠く。
     
    1945年6月11日梅津美治郎参謀総長上奏
    6月8日最高戦争指導会議(御前会議)で「戦争一本」の路線、すなわち本土決戦が改めて確認された。天皇はまだ戦争継続の主戦論だった。
    梅津陸軍参謀総長は天皇に、在満支(満州・中国)兵力は皆合わせても米の八個師団分位の戦力しか有せず、しかも弾薬保有量は近代戦の一会戦分より少ないと上奏した。この段階で天皇は本土決戦への望みが絶たれたことを知り、既に天皇は侍従武官の大部分を6月3日・4日九十九里浜の防備実態を視察させ実状を把握していた。 よって梅津の上奏と侍従武官の報告を総合した日本軍の総合戦力・防備の全容を認識した。
     
    梅津は対米戦争に最初から反対で参謀総長就任も本意ではなかったが、天皇の意向に黙し難く止むを得ず就任した。豊田は、終戦派の米内海軍相から本土決戦論派の阿南陸軍相と梅津を説得させようと任命されたが、豊田は陸軍対海軍の対立になるのを心配して本土決戦に同調した。そして御前会議は、ポツダム宣言即時受諾派3人対一撃和平派3人の同数となり、天皇のご聖断を仰げるようになった。
     
    ご聖断が下ると陸軍首脳者会議が開かれ、梅津の内々の指示による河辺虎四郎参謀次長発議の「皇軍ハ飽迄御聖断ニ従イ行動ス」との陸軍の方針が決定され、阿南陸相・梅津参謀総長・土肥原賢二教育総監の3長官と、畑俊六元帥・杉山元元帥、河辺正三航空総軍司令官が署名した。この文書作成後は、これに反する者は反乱軍となった。陸軍のクーデター計画を未然に防いだ最大の功労者は梅津だった。
     
    梅津がA級戦犯にされたのは、ソ連が日ソ中立条約を破り日本へ侵略したのを糊塗するために、ノモンハン事件を引き合いに日本こそ対ソ侵略の準備をしていたとして、関東軍総司令官だった梅津と駐ソ大使の重光葵の起訴を主張したのだ。
      
    昭和天皇 原 武史/著  岩波書店 2008年1月発行
    大元帥 昭和天皇 山田 朗/著 新日本出版社:刊 2002/3/25第10冊

  7. 【2538832】 投稿者: 目  (ID:Ix/U5ADFRds) 投稿日時:2012年 05月 12日 12:40

    「ポツダム宣言が、日本の軍国主義勢力の除去(戦争犯罪人は処罰されること)と民主主義の実現(民主主義=国民主権へ変えられること)を内容としていただけに、
    これが当時の戦争指導者らにとって直ちに応諾し難いものだった」。
    「ポツダム宣言受諾こそ、自らの戦争責任の問責への道を許し、また万世一系・天皇絶対・神格化との狭義の国体論の否定を意味する」。
    「その意味で、現在の象徴天皇制はけっして梅津ら戦犯らが望んだ国家体制ではない」。

    「戦争指導者の処罰を求めた同宣言を正式に無条件受諾した」

    もっとはっきり言えば
    一番の戦犯は昭和天皇、靖国神社は戦犯を祭る神社(だから公人として参拝することは、戦争に対する反省の色なし。戦犯など、日本人の恥であり唾棄すべき存在であっても、祭ってやる価値無し)

    悪いな、戦犯をかぼう人達。安倍晋三みたいに、ぺちゃぺちゃと喋っても、根本的な上記のことが分かってないから、歴史は零点だな。
    戦争に負けたということは、国の運営が駄目だったということなんだから、責任取って引退なのは当たり前だろ。俺から言わせると、天皇はじめ、軍部の肩書ついてたのは裁判しようがしまいが、全員戦犯だよ。昔の価値観は全否定なんだよ、こと戦争に関してはな。分かる?まあ本人が反省していれば心情的には許してやるがな。

    欧米やアジア、つまり日本以外の国の人達と対等に付き合うには倫理と道徳と責任については煩いんだよ。
    分かるか?対等という意味が?

    二俣川先生

    お年を召しているのか知らんけど、立派だよ。
    これから国境の垣根が低くなる中、あなたみたいな先生は絶対必要だよ。

  8. 【2538869】 投稿者: 二俣川  (ID:LzLARSZGdcM) 投稿日時:2012年 05月 12日 13:16

    >投稿者: 元『A級戦犯』だよ(ID:L6tZ.jxutOg)

    すぐにHNの表記をあらためめるところは、素直だね 笑


    >本土決戦の防衛準備ができていないなんて「極秘情報」に決まってるでしょ。


    あのね、君が主張した御前会議での梅津による「極秘資料」の件は、どうしたの?
    まず、その件に答えるべきではないか。

    梅津はね、1945年6月9日の大連出張後に天皇を訪ね、関東軍の戦力が低下し、戦備が整っていない実情を極秘で報告している。
    その時点で、天皇は「内地の部隊は関東軍より装備で劣るから、戦にならない」と嘆いたという(『高木日記』『木戸日記』)。
    したがって、ポツダム宣言受諾を決めた御前会議以前の沖縄戦終了以前の時期からすでに詳細(その前日には、木戸内大臣から
    沖縄戦の敗北見込みを報告されている)を知っていた。君は、それとこれを勘違いしていないか。
    昭和天皇は、戦況を承知していて、統帥部にあれこれ具体的に指示を出している(たとえば、沖縄戦でも)。


    >昭和天皇 原 武史/著  岩波書店 2008年1月発行
    大元帥 昭和天皇 山田 朗/著 新日本出版社:刊 2002/3/25第10冊

    単に、どこかからのコピペをするのではなく、
    自分の意見を論証する手段のひとつとして引用を用いるべき。
    コピペだけでは、君がいったい何を言いたいのかが分からない。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す