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【2861578】私立中学の価値-ゼロワン

投稿者: 適性   (ID:5fxiNQDWvtM) 投稿日時:2013年 02月 14日 12:48

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

特別の条件はありません。

ただ。

「アンフェア」な議論方法や、「人」への誹謗中傷は「なし」でお願いします。

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  1. 【2873415】 投稿者: ピース  (ID:cmJssxrJgaY) 投稿日時:2013年 02月 22日 23:36

    無常感様

    お返事をいただいたので一言だけ。
    本当かどうかはわかりませんが
    家康が水戸潘だけは勤皇であれ、徳川本家が倒れても
    徳川の血筋が残るようにせよ、という事を言ったから大日本史のような
    反逆に近い編纂事業も潘費で出来たという話があるそうです。
    その為か水戸潘だけは副将軍には成れても将軍には成れないという規則があったとか。

    本当だとしたら家康は凄いと思わされますし
    慶喜があのような役目を担ったのも必然だったと思わされます。


    では。

  2. 【2873419】 投稿者: 無常感  (ID:z57q5pJLBBQ) 投稿日時:2013年 02月 22日 23:37

    ピースさん

    そうですね。

    大老井伊直弼が、水戸藩主徳川斉昭らを処罰した・・安政の大獄の始まりです。勤王の志士たちの怒りをかったわけですね。

  3. 【2873422】 投稿者: 地域、時代  (ID:55Tl/2qKCws) 投稿日時:2013年 02月 22日 23:38

    適性様

    「微妙な訂正」
    ありがとうございます(笑)。

    ジダンの頭突き問題の当事者として有名?。

    あ!わかりました!
    あの人ですね!!

  4. 【2873436】 投稿者: 無常感  (ID:z57q5pJLBBQ) 投稿日時:2013年 02月 22日 23:46

    将軍を出せるのは尾張家、紀伊家だけで、水戸家からは出せない・・天皇と事を構えて破れたときに、徳川の血が絶えぬよう水戸家を残していく・・

    井沢元彦氏の説ですね。

  5. 【2873513】 投稿者: 適性  (ID:QACvKFiVwQ2) 投稿日時:2013年 02月 23日 01:09

    「道」ですが・・・

    武士道、柔道、合気道、剣道、華道、茶道。

    このように、「道」があるばあい。単なる技、術ではなく。

    その鍛練や、習熟において、学ぶべき、身につける「何か」があり。
    それが、「生き方」にも通じるということがあるわけです。
    それぞれの思想や考えが、前提になっています。

    それが、

    武士道であれば・・ここで、いまいろいろ語られています

    柔道であれば・・・http://news-log.jp/archives/6571

    合気道であれば・・・

    茶道であれば・・

    華道であれば・・

    と、特徴、方向性があるのでしょう。そして、その「道」の「意味」があるわけです。

    普段の生活の上で、また、やめたとしもその後も、その「影響」が残る。
    人格を作る作用があるのでしょう。

    ※そりゃ、結果、なんもない人もいるでしょうけどね。

    単なる術であれば、その術をしている以外では、方向性のある「意味」は特にないですからね。
    まあ、個人的な成長は、「なんであっても」ありますけどね。

  6. 【2873578】 投稿者: 無常感  (ID:z57q5pJLBBQ) 投稿日時:2013年 02月 23日 06:49

    ピースさんがおっしゃる武士「道」ですが、

    書いてのとおり、武士道なんていっても、
    平安武士道、鎌倉武士道、戦国武士道、朱子学武士道、新渡戸武士道・・いろいろあると思うんですよね。これが正しい武士道・・なんてありません。

    たとえば、卑怯なことはしない・・
    戦国時代の武士道は裏切り有りですね。卑怯なことをさんざんしました。卑怯なことは不可というのは、朱子学武士道からでしょう・・武士道共通ルールではない。陽明学武士道なんかからすると、まずは正しい行動が大事なんだから、闇討ち暗殺なんかも有りかもしれない・・これは卑怯な行為ではないのか。結局、私たちが、なんとなく「武士道では卑怯なことは不可」とイメージをもっているのは、フィクションであり、美化された新渡戸武士道の影響ではないのか・・

    私はそう思うのですね。

    武士道共通ルールの「道」・・それが何なのか?・・と考えたときに、そんな多くのものはないはずで、私が思うに、結局のところ、

    いざというときに、死ぬ覚悟があるか

    これに尽きるのではないかと思うのですよ。

    平安武士道は、官位のため
    鎌倉武士道は、土地のため
    戦国武士道は、家のため
    朱子学武士道は、主君のため
    水戸学武士道は、天皇のため
    新渡戸武士道は、神のため

    ・・命を懸けた。

    武士道とは、まさに、死ぬことと見つけたりです。

    そう考えると・・

    天下太平時のフィクションではあるけども、「葉隠」は、なかなか核心を突いているのかもしれません。

  7. 【2873585】 投稿者: コピペ  (ID:z7OB4qCVOic) 投稿日時:2013年 02月 23日 07:01

    >全部違いますが、多分、共通するのは、
    >いざというときに、潔く死ぬ・・ということではないか。
    >戦国だったら、家のため。
    >葉隠だったら、主君のため。
    >朱子学だったら、天皇のため。


    無常観さんのお話はとてもわかりやすいです。


    結局武士道の精神では、既存の組織社会秩序のなかで自分を殺すという倫理的方向性しか持つことができないのだと思います。
    悪い組織の中におかれてしまった場合、より広い社会性に照らして組織の悪を払しょくするという方向に、個々人の意識が向きにくいのです。


    「自分が潔く死にさえすれば、すべて丸く収まるんだ」となりがちなんです。
    「内心の自由」がないからではないでしょうか。
    それを支えるより普遍性の高いなにものかへの信頼がないからではないでしょうか。
    おっしゃるようにキリスト教にはあって武士道にはないものだと思います。

  8. 【2873600】 投稿者: コピペ  (ID:z7OB4qCVOic) 投稿日時:2013年 02月 23日 07:27

    すいません。
    また間違えてしまいました。
    無常観さん、ではなく、無常感さん、でした。

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