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【2861578】私立中学の価値-ゼロワン

投稿者: 適性   (ID:5fxiNQDWvtM) 投稿日時:2013年 02月 14日 12:48

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

特別の条件はありません。

ただ。

「アンフェア」な議論方法や、「人」への誹謗中傷は「なし」でお願いします。

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  1. 【2875211】 投稿者: 老眼  (ID:Zac1fHeEMqk) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:15

    『もし歴史が吾人に何ものかを教えうるとせば、部特の上

    『もし歴史が吾人に何ものかを教えうるとせば、武徳の上


    『武徳』でした。稲造先生スミマセン。

  2. 【2875228】 投稿者: 適性  (ID:CDx550WenvE) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:31

    ■老眼さん

    同じく最終章のp161に、
    『もし歴史が吾人に何ものかを教えうるとせば、・・・

    ですが・・・

    ****************************
    もし歴史が我々に何ものかを教え得るとすれば、武徳の上に建てられたる国家は、スパルタの如き都市国家にせよ、或いはローマの如き帝国にせよ、地上に於いて「存立し続ける都」たることはできないと云うことである。人の闘争本能は普遍的且つ自然的であり、又高尚なる感情や男らしき徳性を生むものであるとはいえ、それは人の全てを理解するものではない。戦いの本能の下に愛に通ずる神聖なる本能が潜んでいる。

     我々は、神道、孟子、及び王陽明が明白にこれを教えていると判ずる。然るに武士道その他全ての倫理の武的な養成所は、疑いもなく直接の実際的必要ある諸問題に没頭する余り、往々にして右の事実を正当に力説するのを忘れた。(ブルジョア的)生活が後の時代になればなるほど益々成長しつつある。今日、我々の注意を要求しつつあるものは、武人の使命よりも更に高貴にして広き使命である。増幅せられたる人生観、平民主義の発達、他国民他国家に関する知識の増進と共に、孔子の仁の思想は、仏教の慈悲思想も又これに付加すべきか、それらはキリスト教の愛の観念へと拡大せられるであろう。
    *************************

    さらに、引用箇所に、続いて、「様々な思想」の価値を論じていますね。

    さらに、つつみこむ、思想があるということを、伝えています。

  3. 【2875232】 投稿者: 南無阿弥陀仏  (ID:8KRdpk7OSCU) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:32

    飽きてくるとはじまるみたいだな。

  4. 【2875240】 投稿者: コピペ  (ID:47E3QRLLxp.) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:37

    「武士道」なんて持ち出せば、お花畑の井戸端会議で済むはずがないことは火を見るより明らかなことだったのです。橋本市長が改革しようとしている対象は、まさにその精神だったのですから。そのために、桑田さんを招聘したのです。ゼロスレでのこの一か月間の激しい議論も、そこが論点の中心にあったのですから。

  5. 【2875253】 投稿者: 適性  (ID:CDx550WenvE) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:47

    柔道について。

    柔道の父・嘉納治五郎は「反暴力」を教えていた(玉木 正之) という記事

    ************

    日本人は今こそ、スポーツ(柔道)の真の理解を!

    柔道は、武術から生まれたスポーツである。

    武士が刀や槍などの武器を持たずに闘う「組み討ち」には、様々な流派の柔術があった。それらはすべて戦場で戦う手段で、最終的には敵を殺す技術だった。

    そのような柔術を、嘉納治五郎は明治時代に、「柔道」と名付けて各流派を統一。「精力善用」「自他共栄」を目的に競技としてスポーツ化した(柔道という名称自体は、それ以前からあったが、嘉納が新たな意味を付与してスポーツ化した)。

    たとえば大外刈りという技は、柔術(武術)では相手の襟首や袖を掴んで引き付け、脹ら脛の下部にある急所(指で押さえられる程度で、強い痛みを感じる場所)を踵で蹴って失神させ、相手を後頭部から倒す(落とす)のが「最善の技」とされた。

    が、嘉納の柔道では踵で蹴ることを禁止。足を掛けて相手を背中から倒す技に変えた。

    このように殺人にも通じる武術(マーシャルアーツ)から相手を死に至らせたり身体を傷つける行為を排除し、ルール化し、ゲーム化したスポーツが格闘技なのである。

    従って、柔道もその一種である全ての格闘技には、「殺すな!」「傷つけるな!」という反暴力・非暴力のメッセージが強く込められているのだ。

    とはいえ暴力的な行為から生まれたスポーツだけに、格闘技は暴力と強い親和性を有し、格闘技の本質を正しく理解していない格闘家は、自分の強さを誇示し、暴力をふるう危険性が高い。

    そこで嘉納治五郎は、柔道で重要な稽古として「形(かた)・乱取り・講義・問答」の四つの要素を挙げた。「講義」と「問答」は言葉と対話によって柔道の技を磨き進歩させることでもある。

    が、加えて、「柔道とは何か?」「武道とは何か?」「スポーツとは何か?」……といったことを先人の「講義」から学び、質疑応答(問答)を通じて、柔道の価値や、柔道を行う意義などを理解する行為でもある。

    ところが日本の柔道界は闇雲に金メダルを獲ろうとするあまり、身体的技術ばかりに目が行き、嘉納治五郎の教えも、「反暴力」という柔道(スポーツ)の教えも忘れ(あるいは最初から学ばず)、五輪候補選手の指導者という日本柔道界の頂点に立つ人物までが暴力行為に手を出してしまった。

    しかも、これは柔道界だけの問題ではない。我が国の体育教育ではバレーボールの「バレー」や、「サッカー」という言葉の意味すら教えず、「オフサイドは何故反則か?」「バスケットボールでは何故ボールを持って3歩以上動いてはいけないか?」といった理由も教えず、「スポーツとは何か?」という疑問も持たせず、ただルールを鵜呑みにさせて身体技術ばかりを教えてきた。

    その結果が、スポーツでは絶対にありえない「体罰(暴力)」の容認につながったのだ(いまなおスポーツにおける「体罰」を肯定的の捉える人まで存在する!)。

    今回の日本柔道界の一件が、世界柔道連盟から「嘉納治五郎の教えと異なる」と指摘されたのは、日本人として本当に恥ずべきことである。

    また、それが五輪招致に悪影響を及ぼすとも言われるが、重要なのは、これを機会に日本のスポーツ界から暴力を一掃することである。

    そして真のスポーツ理解から「反暴力」のメッセージを世界に発信することこそ、五輪招致にもつながるはずだ。

    ************


    柔道を作った、嘉納治五郎の頭には、
    「武」を「こえる」思想が、柔「道」にある。

    ということです。

    今回の体罰が「道」であることをもって、発生したというより。

    「道」を忘れたことによって、発生したということだと、私は、理解しますが。

    まあ、結論は、人それぞれで。

  6. 【2875257】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:LkM/3kPO.g2) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:48

    >橋本市長が改革しようとしている対象は、まさにその精神だったのですから



    コピペさんへ


    私はゼロの桜宮議論を詳らかに読んでいるわけではありませんが・・・・・これは本当ですか?


    武士道精神が体罰に関係していると橋下市長が言ったんですか? ニュース見ている限りでは・・・・・・・・・・武士道精神という言葉はなかったと思いますが。

  7. 【2875259】 投稿者: 無常感  (ID:z57q5pJLBBQ) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:49

    新渡戸武士道を、個人の自由で精神の修養として読む・・
    結構なことです。私は何度も申していますね。

    だけども、武士道を100%礼賛されたら、
    ちょっと、考えてくれよ・・

    そのように言う自由がないと、それはそれで困るわけです。

    武士道礼賛者のみなさんが、気持ちよく書いていることを
    気持ち悪く読んでいる人もいる・・そのことに敏感になる方が
    よろしいのでは?

  8. 【2875268】 投稿者: 無常感  (ID:z57q5pJLBBQ) 投稿日時:2013年 02月 24日 13:55

    みんなが気持ちよくレス出来るように、
    無駄な長文コピペは、やめてほしいですね。

    オリジナル文なら、長文は結構なのですが、
    長文コピペ・・自分の意見が無いのでしょう。

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