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【5970896】2040年、半分の国立大の定員充足率が8割を切る。再編統合へのプロセスは?

投稿者: 2040年問題   (ID:1ew1XHRVinI) 投稿日時:2020年 08月 04日 21:11

18歳人口は1990年には約200万人。2020年には約116万人。2040年には88万人
今のままだと以下の府県の国立大は定員充足率が8割を切ることになります。
府県によっては複数の国立大を設置しているところがありますが、1つの場合は当該大学の充足率が下記の通りになります。
国立大
青森 72.0%
岩手 75.3%
宮城 74.2%
秋田 70.7%
山形 72.0%
福島 75.9%
茨城 79.2%
栃木 78.0%
群馬 76.6%
新潟 70.4%
富山 74.9%
石川 75.7%
山梨 76.7%
長野 76.2%
岐阜 73.0%
静岡 77.1%
三重 78.5%
大阪 79.6%
兵庫 78.3%
奈良 76.7%
和歌山73.9%
岡山 76.1%
広島 77.7%
徳島 66.9%
香川 70.9%
長崎 76.8%
大分 71.4%
宮崎 76.4%


その県の高校生が自県の大学に進学する割合(自県進学率)をみると、国公私立合わせても和歌山で約11%、鳥取で約13%など、地方の学生の多くが近隣の都市部へと流出しています。

自県進学率(2016年)
愛知 72.3% 和歌山11.2%
北海道67.1% 鳥取 13.3%
東京 65.7% 佐賀 13.9%
福岡 64.4% 奈良 15.1%
宮崎 57.4% 島根 15.9%

定員割れになる赤字私大は市場から自然と撤退することになりますが、国立大をどうするかは以下の3つしかないでしょう。
①国公立大の県の枠組みを越えた再編統合
②国公立大の定員の減枠
③留学生で補充

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  1. 【6257350】 投稿者: ?  (ID:bwgN2zRe2lk) 投稿日時:2021年 03月 13日 18:13

    >重厚長大産業分野で近隣アジア諸国との競争に敗れた支配層からの求めに応じ、情報・通信産業への転換を全国的な規模で展開するための布石だと考えられる




    何となく曖昧に書いてありますが、少なくとも「重厚長大産業分野で近隣アジア諸国との競争に敗れた」とひとくくりにするのは間違いでしょう。



    経産省HPより

    第2章 第2節 世界の中での我が国製造業の立ち位置と海外企業の取組

    2-1.各国比較から見る我が国製造業の状況

     我が国の市場規模及び世界シェアを見ると、エレクトロニクス系の最終製品は売上額、シェアともに低下している一方で、自動車及び部素材については売上額、シェアともに上昇。

     我が国は部素材において高いシェアを占める傾向にある。

  2. 【6257602】 投稿者: それは、  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 03月 13日 21:06

    実証分析(empirical analysis)の方法または形態による相違によるものではあるまいか。私の場合には、理論的見解を背景にその妥当性につき、統計データを示すとの方法をとる。他方、ご紹介の事例では事実等についての記述統計に基づく理解と課題の指摘といった分析手法をとったものと思われる。

    換言すれば、事象や実態をどのような視点から理解するのかの解釈―いかに解釈するか―、との違いである。その結果、私は「重厚長大産業」につき、近隣諸国に対する日本の優位性は喪失した、と評価したものである。

  3. 【6257676】 投稿者: エデュには、多い  (ID:085PnySh/QM) 投稿日時:2021年 03月 13日 21:48

    あなたの理論的見解を背景にその妥当性を元にした「実証分析」より、経産省の「我が国の市場規模及び世界シェア」のほうが、日本の実態を示している。


    >我が国の市場規模及び世界シェアを見ると、エレクトロニクス系の最終製品は売上額、シェアともに低下している


    家電もテレビも半導体も韓国、中国製品が多く、日本の製造業はオワコン~まず、エデュにはこの部分を見誤っている人が多い。
    このポイントは、「最終製品は売上額、シェアともに低下」であり、イコールで日本の「重厚長大産業分野で近隣アジア諸国との競争に敗れた」わけではない。

    同様に「自動車及び部素材については売上額、シェアともに上昇」だが、EVが作れないトヨタは云々と。

    エデュは、目にする最終形態のみでしか判断できない人の投稿も多く、そこが問題。

  4. 【6257720】 投稿者: 岡目八目  (ID:xWEnpokMCys) 投稿日時:2021年 03月 13日 22:14

    東アジアの複雑に絡み合った生産ネットワークの中で、最終材の組立てなどの労働集約的な部門では、中国、韓国にシェアを奪われたが、技術集約的、資本集約的な部門では、依然として日本が優位である。
    こう書くのが正解です。
    因みに、サムソンに多額融資しているみずほ銀行はサムソンがコケたらみずほ銀行もコケると言われています。

  5. 【6257738】 投稿者: エデュには多い  (ID:UsoCnQ1rCAI) 投稿日時:2021年 03月 13日 22:26

    二俣川さんに教えてあげなさい(笑)

  6. 【6257842】 投稿者: それはあなたの考えに過ぎない  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 03月 13日 23:36

    私は過去30年以上にわたる世界の国内総生産におけるアジアのシェアー8%から30%を超過するまでに成長したーに着目している。この地域の経済は既存工業諸国の3倍以上の速度で急成長してきた。その原動力はー退潮著しい日本ではなくー中国はじめ韓国・台湾、さらには自信をつけたAsean諸国である。したがって、そうしたあなたのお考えも、社会科学領域で一般的な要因間、変数間の関係に対する仮説の一つに過ぎないといえるのである。

    そこで重要なことは、日本経済をマクロ的に見た場合に「貿易立国」は過去の姿になったとの事実である。それは財務省「国際収支統計」における貿易収支と第一次所得収支の逆転でも明らかだ。そしてそれは、国内生産増大―輸出増大スタイルの変容を意味し、国内が主な収益源との性格の喪失を意味する。そうした生産性の停滞が、現在の日本に経済成長の起因が乏しい事情の一つになっているというものが、私の見立てである。

    そうした厳しい背景のもと、支配層は新たな収益源としての情報・通信分野へ「河岸を変えるべく」政権に働きかけ、その基盤整備の一環として官主導による大学等へのさまざまな働きかけを強めている。そして留意すべきは、そうした行政上の施策に常に経済成長・利益追求的観点が包含されているとの事実である※。これが、この国の教育行政を偏頗なものにしている原因である。

    ※たとえば、政府によるこの間の矛盾した一連のコロナ禍対策の数々をみよ。

  7. 【6257945】 投稿者: 投資立国  (ID:EvU2cD7YpGw) 投稿日時:2021年 03月 14日 01:06

    >私は過去30年以上にわたる世界の国内総生産におけるアジアのシェアー8%から30%を超過するまでに成長したーに着目している。この地域の経済は既存工業諸国の3倍以上の速度で急成長してきた。その原動力はー退潮著しい日本ではなくー中国はじめ韓国・台湾、さらには自信をつけたAsean諸国である。



    日本は、世界屈指の「製造業投資大国」であり、海外生産比率も上昇の一途。
    対外直接投資によって海外に設立された生産拠点が生み出す付加価値や輸出は、配当や特許使用料の支払、というかたちで日本経済の底上げに貢献することから、世界貿易および経済における日本の立ち位置は海外の生産拠点を視野に入れて考える必要がある。

    日本の製造業が対外直接投資によって生産拠点を設けてきた地域は専らアジアで、日本が「貿易立国ではなくなった」とするならば、アジアへの対外直接投資を通じて「貿易立国」から「投資立国」へと移行したからで、現地法人を含む日本企業全体としての輸出が増えているのであれば、依然として「貿易立国」となる。
    この場合「投資立国」は「貿易立国」の次の段階に来るものではなく、アジアを舞台とする新しいかたちの「貿易立国」

  8. 【6257960】 投稿者: 岡目八目  (ID:F7ZiPiLBS7.) 投稿日時:2021年 03月 14日 01:35

    >そして留意すべきは、そうした行政上の施策に常に経済成長・利益追求的観点が包含されているとの事実である※。

    「感性は作られている」私がクロカン(黒田寛一)の思想の中に見いだした中心的なテーゼはこの言葉に要約されます。
    そして、その作られてある自己の感性を客観的に俯瞰して、本来の姿から逸脱して、歪められた有り様をしていることを認識し、批判的に再構成して、疎外からの自己回復を試みる。
    飽くなき利潤追求、盲目的な経済成長の希求は、資本主義的な生産様式という下部構造によって偽造された上部構造としての感性であって、外部の強制力によって作られた偽りの感性である。
    「私は私の思想の根源を、客観的と呼ばれる物の内に、否、断じて私自身の物でもないものの内に基礎づけるのではなく、私の実存と最も奥深くで繋がっていて、言わば、神的なものの内に根を下ろしていて、例え全世界が崩れ落ちようとも、そこに絡み付いて離れることのないものの内に基礎づけることができるのだ。」
    キルケゴールのギーレライエの手記ですが、これも当時、よく引用されました。
    ここにおける「客観的と呼ばれる物」とは、資本主義的生産様式の下部構造によって規定された感性を意味します。
    この本来の自分のものではない感性を客体として退けて、本来の自己の主体を回復するというのがクロカンの思想です。

    その辺をきちっと説明しないと、エデュ民は戸惑いますよ。

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