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【6858623】「理系5割」政府目標、文系が「刺し身のツマに」

投稿者: 急務   (ID:CE409ESJpY6) 投稿日時:2022年 07月 19日 19:13

◆「理系5割」の政府目標を憂う元学長 
文系が「刺し身のツマに」
三浦淳2022/7/18 11:00有料会員記事


 政府の教育未来創造会議(議長=岸田文雄首相)が5月、理系分野を専攻する大学生の割合について、2032年ごろまでに現在の35%から50%程度に増やす目標を掲げた。

政府が理系人材の育成を強化するのは、デジタルや人工知能(AI)、脱炭素などの分野の人材が「日本の成長と発展に不可欠」と考えているためだ。一方で、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で、日本の理系人材の育成は遅れている現状がある。

(政府は理系を専攻する学生を「5割」にするという目標を掲げました。記事の後半では、この目標についての賛否を紹介します。「文系が理系の刺し身のツマ程度になることで終わるんじゃないか」と指摘する元国立大の学長も登場します。)


https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ7G52YTQ7CUTIL02L.html


やっと動き出した日本政府、遅すぎる。

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  1. 【6883468】 投稿者: ブロックチェーン  (ID:fmdGYWPU8Rs) 投稿日時:2022年 08月 08日 16:57

    例えば、「工場制手工業」で生産物1単位を作るとしたら、5単位の労働力を投入しなければならない時に、「機械制大工業」では1単位の労働力の投入で済むとする。生産物の市場での価格が同じだとしたら、「機械制大工業」での生産物1単位は5分の1の労働力しか体化していないのに価値は同じになる。
    労働力1単位あたりの賃銀がその時代のその場所での相場で決まっているとしたら、「機械制大工業」の経営者は、5倍の収益を上げることができる。もちろん、資本論の世界では、減価償却は考えられていない。
    こういうことなんですね。ご理解ください。

  2. 【6883699】 投稿者: まぁ  (ID:3dIdPVghTQo) 投稿日時:2022年 08月 08日 20:12

    リベラルアーツ式だね
    入試方式なら北大前期の◯系総合とか京大の総合人間学部とか九大の共創学部がその手合い、広大のどこかの学科がリベラルアーツじゃなかったかな

    理系一括や学部一括だと進振りの問題が出てくるけど医療系学部や獣医以外を一括募集にするのは面白そう

    うちも「したいこと」があったのに学ぶ内に変わった
    最初、第1志望にしていた研究室が第3志望まで落ちててビックリしたわ

  3. 【6883703】 投稿者: 理系おやじ2  (ID:KP15MqwbRDA) 投稿日時:2022年 08月 08日 20:15

     例示いただきありがとうございます。

     製造コストの構造の一部の議論ですね。マルクスは労働者をコストとみなし、それを最小化しようとする資本家を敵視しています(その部分は感情的には理解できます)。一方、市場経済は無視しています。

     単なるつぶやきなのですが、市場経済において全く役に立たない(むしろ害悪ですらある)マルクス論が、社会学関連の方々の心をとらえてやまないのでしょう? もうマルクスから離れはいかが?と思うのですが....
     IT革命は、こんなのと無関係に絶賛急拡大中です。

  4. 【6883772】 投稿者: 市場経済  (ID:n4mdjtmJjHk) 投稿日時:2022年 08月 08日 21:17

    あなたのいう「市場経済」の中身が漠然としてよくわからない。しかしながら、それが新古典派経済学者が唱える完全な自由市場を想定するならば、そこに「勝者の呪い」的状況を惹起するので、市場経済自体が成立しない。むしろそれを想定すれば、皮肉なことに純粋社会主義に通じるとの考えがある。例えば、新古典派経済学者の祖ともいわれるワルラスの一般均衡理論は、社会主義による計画経済に親和性有すると指摘されてきた。ましてマルクスは、社会は物質的な利害関係=経済問題の固まりであると考えるに至り、最終的には経済学の研究に専念したものの、そこに至るまでに哲学や歴史学等の人文科学の知見を見事に備えていた。その意味で、基幹たる哲学のみならず、社会学や法学等の特殊科学にも多大の影響を及ぼしているといえる。

  5. 【6883868】 投稿者: ブロックチェーン  (ID:fmdGYWPU8Rs) 投稿日時:2022年 08月 08日 22:29

    >マルクスは労働者をコストとみなし、それを最小化しようとする資本家を敵視しています(その部分は感情的には理解できます)。一方、市場経済は無視しています。

    市場経済というのは、需給の均衡により価格が決まり生産と消費がバランスよく拡大していく経済という観点から経済現象を解釈していくシステムだと思うけど、マルクス経済学は、全く別のシステム、つまり、価値形態というあらゆるものを商品が最も純化した形態である貨幣による表示で表現できる世界に作り変えていくシステムを通して、経済現象を解釈していきます。
    例えて言うならば、英語の文法構造で事象を表現するか、日本語の文法構造でそれを表現するかの違いのようなものです。
    日本語に英語の文法構造による表現がないのは当たり前であるように、マルクス経済学には市場経済というシステムによる経済現象の表現はありません。
    また、マルクス経済学では、賃銀という労働商品の購入に当てられる可変資本だけが、剰余価値を生み出すという考え方に立脚しています。
    なぜなら、労働者だけが対象に能動的に働きかけて価値を生み出すことができるからです。生産手段の購入に向けられる不変資本は、価値の創出に受動的に関わるだけで、価値そのものを生み出しません。
    だから、本来、労働分配率は100%になるべきで、資本分配率が1%でもあれば、それは剰余価値であり搾取であるという考え方なのです。
    因みに、資本分配率がゼロになれば資本の増殖は止まり、資本主義は終焉を迎えます。
    これは、労働者が自らの労働力の単純再生産にすべての価値を使い切ってしまう世界で、ある意味で極楽、ある意味で地獄の世界です。
    なぜなら、投資を行うのは資本家だけですから。

  6. 【6883894】 投稿者: ブロックチェーン  (ID:fmdGYWPU8Rs) 投稿日時:2022年 08月 08日 22:43

    >例えば、新古典派経済学者の祖ともいわれるワルラスの一般均衡理論は、社会主義による計画経済に親和性有すると指摘されてきた。

    完全競争市場におけるパレート最適みたいなものだとすると、社会主義は理念の中だけの世界ということになりますよ。

  7. 【6884012】 投稿者: お答えする  (ID:n4mdjtmJjHk) 投稿日時:2022年 08月 09日 00:11

    そもそも新古典派経済学者らのいう「完全な競争」など、現実にあり得ようか。全ての市場参加者らが完全な情報に通じていること自体が非現実的だからである。また競争に勝つために、価格も極限までの引き下げを余儀なくされよう。しかも、完全な競争は最終的にはただ一人のみが勝者になり、独占する。皮肉なことにそれは、競争そのものの真逆な結果をもたらす。

  8. 【6884042】 投稿者: むしろ、  (ID:n4mdjtmJjHk) 投稿日時:2022年 08月 09日 00:52

    現実の市場経済とは、そこに錯誤や虚偽、隠蔽等の「ずる」があり、完全な競争でないからこそ、成り立つ世界であるともいえる。しかも既述の如く、何が合理的であり、何をして自己の利益と考えるかにつきその魅力度は相対的であり、価値観は多彩である。どれほど「文系に未来はない」と言われようと、嬉々として「役立たず」の哲学や文学を選ぶ受験生あるように。それらにつきそもそも、一つの基準で測定できるはずがないのである。それゆえ私は、資本主義の発展には利己心や金銭欲といったネガティブな動機が不可欠であると指摘してきた。「貪欲」という私悪が資本主義を発展させた。だが、新古典派経済学では、それが没却されている。だから先に、それと社会主義との親和性を指摘したものである。すなわち、市場の完全な自由競争の新古典派経済学とその市場経済とは縁遠いマルクス主義経済学とは奇妙にも、上記のような小ずるく貪欲な人間像を否定することを前提にするという点でいずれも共通する。

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