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【4338278】都内最難関親(筑駒、開成、桜蔭)の渋幕渋渋観

投稿者: 立川   (ID:BIyk5okJlGk) 投稿日時:2016年 11月 27日 13:57

渋幕・渋渋の優秀性はいまさら語るまでもありません。
10年で東大約3倍など数々の強さをみせつけ、校長・教師陣の能力は
国内トップといってもいいでしょう。

最難関の親は社会で成功し、論理的思考能力に優れる人が多いです。
そのような最難関校(灘筑駒開成桜蔭)の親は渋幕渋渋をどう見ているんでしょう。

渋幕・渋渋の良さは十分に理解してその上で偏差値の関係上やむをえず最難関校に進学させているんでしょうか。

それとも
別学伝統校の校風>共学・塾に頼らぬ面倒見の良さ、グローバル教育、etc
と考えて校風ドリブンな動機で最難関校に進学させているんでしょうか。

どっちが多数派ですか?

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  1. 【4342203】 投稿者: 無策  (ID:jrVTANkFWiQ) 投稿日時:2016年 11月 30日 12:33

    筑駒は無策だよ。何もしないよ。それが楽だから教員にとっても美味しい。
    生徒が優秀で鼻高々だからね。自分は筑波大でもね。
    だから迎合するだけで指導はできない。

    親はここを「無料の安置所」として使ってるだけ。
    「はいはい、受験勉強は東大生に教わるからイランイラン」
    そんな親子が日本のトップを牛耳っていく訳ですから、正しい倫理観は育たない。
    なんかズルしてること、自分たちが特権階級っぽいところに満足した変な人間になっちゃうよね。

    日本の将来を考えるとセコイエリートばかりで大変なことになる。
    でも、まあ、それはそれでいいのかな。

  2. 【4342280】 投稿者: もう  (ID:8rjBgsHTruI) 投稿日時:2016年 11月 30日 13:23

    ズルイとかセコイとか、子どもですか?
    いくらなんでも次元が低すぎませんか?

  3. 【4342284】 投稿者: まあ  (ID:PBfQr9Z4mBo) 投稿日時:2016年 11月 30日 13:27

    放って置くしかないね。妄想は止めようがないから。

  4. 【4342412】 投稿者: ↑  (ID:krDzGimSXRU) 投稿日時:2016年 11月 30日 15:24

    ↑みたいな負け惜しみは、黙ってるよりカッコ悪いな。まぁ手厚い教育はないし、休講多いのも本当だけどね。あと先生よりもホヤホヤの東大生の方が生徒に近くて教えるの上手いから、仕方ないし。
    セコイのも本当。
    筑駒が私立で開成がコクリツならそっちに流れるだけ。
    結局、天才はどこでもいいんだよ。

  5. 【4342427】 投稿者: 一応  (ID:Dw6czYIB5KY) 投稿日時:2016年 11月 30日 15:33

    筑駒の歴代校長は筑波大の生物学教授というのが慣例のようですが、教師の出身は色々で(東大や京大も含む)大学院卒です。
     
    ところで、無策様、色々書いていらっしゃる内容の根拠をよかったら教えてください。

  6. 【4342432】 投稿者: 一応  (ID:Dw6czYIB5KY) 投稿日時:2016年 11月 30日 15:40

    >結局、天才はどこでもいいんだよ。
      
    賛成です。
    何をもって天才というかは別として、優れた人材は日本全国に散らばっていると思います。

  7. 【4342447】 投稿者: 一応  (ID:Dw6czYIB5KY) 投稿日時:2016年 11月 30日 15:56

    余分な情報かもしれませんが、一応貼っておきます。

    筑波大学 人間総合科学研究科教授 インタビュー概要 (H22文科省)
    (才能教育について)
     教育課程改革の方向性としては、現場に任せていくという現場主義ということと、それぞれの生徒たちの学習スタイルを作っていくということが考えられる。
     それぞれの生徒たちの学習スタイルを作るという点で注目しているのは、アメリカで提唱されてきている才能教育(タレント・エデュケーション)である。以前はgiftedといういわゆるエリート教育だったが、それがうまくいかなかった。早修、先取りという形で早く大学院に進んだが、その後の追跡調査によると、あまり伸びていない。
     日本の進学校には早修がエリート教育だという誤解がある。それに対して80年代くらいからいわれているのがエンリッチメント(拡張教育)という考え方である。それは、IQのようなジェネラルな知性ではなく、八つくらいの知能の領域のうち、得意なものをのばして苦手なものをカバーするというものである。
     これまでの高校教育は、センター試験のように「まんべんなく」というスタイルをとってきた。しかし、生涯学習における学びのスタイルにはいろいろなものがあり、その基礎を培うという観点で考えると、今の高校の一斉学習の中で目指している「詰め込み」のようなスタイルは、生涯学習体系の中で社会の要求にうまく応え切れていないのではないか。
     筑波大学附属駒場中・高等学校で行事等においてリーダーを務めた生徒を追跡調査してみた。すると、行事の企画から丁寧に合意を積み重ね、チームで物事を作るよい訓練の場になっている。これを小学校からの流れの中で調査してみると、やがて特別支援教育の方法論と結びついてくる。特別支援教育においては個別の支援計画に基づいて教育活動を進めている。このようなスタイルはエリート教育とは対極にあるようにいわれるが、才能教育という目線でみれば、一人ひとりの学習のスタイルの特徴にあった個別のメニュー、教材、学習環境を用意したりするという点では共通する。これが、生涯学習の基礎を作ることにつながる。
     「紙キュラム」と名付けているのだが、ペーパープランの中だけで教育課程をとらえるのではなく、環境や人間関係やメニューや学習活動をいろいろ工夫していけば、より長期的な学ぶ力の基礎の部分が生み出せるのではないかと思われる。
     大学はそういう個性をもった生徒をとりたいと思っているので、推薦入試やAO入試を取り入れ、できるだけ丁寧な選抜を行っている。高校にもそのような試みが出てくればよいと思っている。
     文部科学省がいわゆるスペシャリティをのばす取組の中で、学校のカリキュラムを活性化させるようなプロジェクトを組んでモデル校づくり、教員研修を進めていることは、非常にいいことである。生涯学習の基礎を培う事例について、大学の研究者や実践家がパートナーシップをもって研究し、東アジアの新しい高校教育像を日本が開拓していくという方向性をもつべきだろう。
     才能教育はアメリカが発信であるが、これからはメードインジャパンというブランドを教育の面でも作っていかなければならない。高得点低学力の傾向が見える中国や韓国などの諸国はやがて息切れしてくるだろうから、大学と連携を図りながら、新しいモデルを現場の創意工夫の中で作っていければいい。そのような試みの中で、特別支援にもよびかけながら、認知を個性ととらえ、誰もがもっている能力やスタイルを見つけ出して刺激していくような教育課程改革が進められるとよい。
     その点で、高大連携は受験のバイパスというより、より長期的な学びを見通した新しいシステムになりうるだろう。大学のカリキュラムの工夫も必要になるが、連続性の中で得意な分野をのばしていくことができるだろう。

  8. 【4342518】 投稿者: どうも  (ID:7JcAMVLMm/.) 投稿日時:2016年 11月 30日 17:06

    妄想を巡らせている人間が居るようだが、筑駒の内情も全く知らずに書いている様子。(”自分は筑波大学でもね”とは・・・)また、”手厚い教育”とか”受験勉強”が筑駒を始めとしたトップ校の使命と考えているとしたら、何とも薄っぺらい。コース分けをしたりして6年間みっちり受験指導をしてくれる学校なら、他にいくらでもある。”無策”でなく、”無知”、とHNを変更してはどうか?

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