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【1218431】子供の出来の悪さを認められない

投稿者: 瞑想中   (ID:c2ls0mvYbsw) 投稿日時:2009年 03月 09日 11:54

中受を目指し6年になる娘がいます。5年半ばまでは手取り足取り勉強を見てやり、中の上くらいの成績をキープしていました。
テストや授業の増える5年後半から、家での復習時間が減り始めるにつれ
成績はどんどん降下。5年前期は58会った平均偏差も今は52になりました。
勉強はかなりやっていると思います。もう伸びしろはあまりないと思います。
この間はとうとう47という偏差値を取ってきました。
問題も難しくなってきているし 周りもがんばっていると思うので
この結果なのだと思います。



 小さいころから勉強習慣をつけ学校の勉強以上の勉強をさせてきたつもりでした。塾に入ってからもよく頑張っていたと思います。
この世の中 やはり出身大学はいつまでも尾を引いて大切だと思うので
せめてMARCHくらいの大学に入ってくれればよいと思っていました。
そして それは普通にやれば 偏差値55前後の学校に入って普通に
頑張れば報われるものだと思っていました。
娘のこの成績が私的に許せず いけないと思いつつも、時々
50を切るなんて人間じゃない!
55程度の学校に入れなければ人生真っ暗、負け組だなどの暴言も
吐いてしまいます。
娘はやってもやっても成績が下がる一方でモチベーションもすっかり
失せてしまいました。



夫はいい加減に自分の娘の能力をありのままで認めろ 何でわからないんだ
と私を責めます。中受はやめて地方の(埼玉とか千葉の奥地とか)ある程度
頭のよい子が私立に抜けていない公立に行かせたらどうかといいます。
でも、公立は内申次第 体育家庭科などがあまりよくない娘にとっては
危険な賭けになるだろうし、公立の進学率を見る限りやはりかなり私立の中堅
よりは劣る気がして気が進みません・・・。

私自身のことを言わせていただければ 親は中卒と高卒 あまり収入の
多くない家庭に育ちました。
公立でなければ大学には行かせられないからと言われ
地域で一番の公立高校 そして 国立大学に進みました。
努力すればものすごく難関な学校でない限り 普通に入れると思って
生きてきました。そして一流といわれる企業に入ることが出来、
楽しい会社生活を送ることが出来ました。今も裕福とはいえませんが
子供たちにいろいろな体験をさせてあげることが出来るくらいの
生活は出来ています。


やってもやっても偏差値が上がらない娘が信じられません。
何度見ても 暗記物などが完璧にならない娘も信じられません。

偏差値がすべてでないことも 40台の学校でもよい学校が
たくさんあることもわかります。
でも やはりどうしても認められないんです。
このままでは子供をつぶしてしまうと思います。
気分転換として ない時間をやりくりし
テーマパークに連れて行ったり 映画に連れて行ったりして
少しでも娘のモチベーションが上がるように努力しています。
あきらめたら終わりだからね いつかあがるように頑張ろうと
今は言い聞かせていますが。。。。

でもこの先ぼろぼろになりそうです。
こんな私は中受から撤退したほうがいいのでしょうか。
どうしたらありのままの娘を受け入れることが出来るのでしょう。。。。

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  1. 【1324903】 投稿者: 我が家にも  (ID:4tykHbAnwRI) 投稿日時:2009年 06月 11日 01:14

    同じような女の子がいます。
    だめですよ、手にかけちゃ。


    たっくさん悩みましたよ。
    私の場合は神経質な性格のせいか自分自身が一番気になりました。
    周りが認めてくれる方が後でした。
    病院巡りをしてもグレーな結果でしたが、
    現在、やっぱりそうだとみんなが思うほど、周りの皆さんとの成長とかけはなれてきました。


    勉強はそこそこできますが、人付き合いでいろいろあり、いじめられる娘をみて
    こちらの心が壊れそうになりました。


    でも、子供は屈託なく笑いますよね。
    こういう子って素直に努力するんですよね。
    そんな可能性のある子を手にかけちゃだめです。
    一生懸命生きている子を否定してはだめです。


    悩みはつきません。親が先に死ぬのに・・・いつもそうおもいますが、
    でも軽度知的障害なら、少しずつ、生活に必要なことはちゃんと身につけて行ってくれますよ。


    私は隠しません、周りにも説明しています。
    恥ずかしいことじゃないからです。
    また、迷惑をかけないように、との配慮もありますが、
    何かの時は「気にかけてやってほしい」という願いもあるからです。


    障害、そんな言葉はまるで「人として不十分か欠陥」のような言われ方ですが、
    いじめっ子の方が人格障害でしょう。
    殺人者の方が大きな障害でしょう。


    こういう子たちってピュアですよ。
    落ち込んでいる暇はありません。でも時間が必要ですよね。
    私もひきこもりそうになりました。時間がたって、いろいろみえてきましたよ。


    手をかけたら、だめですよ。

    卑屈になるのは娘さんに失礼ですよ。
    堂々と親戚の行事にも参加しましょう。


    実は・・・多いんですよ、そういう子。ほら、すぐそこに、クラスメートにも
    いるはずです。お母さんみたいに認めて受け入れるママが少ないだけなんですよ。


    一人じゃない。

  2. 【1325106】 投稿者: 白樺  (ID:Dh5QzoJQ0fY) 投稿日時:2009年 06月 11日 09:26

    身体的・精神的障害のある人について

     地上人にとって常識であることが、あまりにも的外れということが往往にして存在する。身体障害者や精神障害者に対する見解の違いもその一つである。我々は、身体の不自由な人や精神薄弱者を目の前にすると、無条件にかわいそう、気の毒と思うものである。そうした同情心は人間としてごく当たり前の感情であろうが、スピリチャリッズムはそれについて次のように答えている。

     地上人は、とかく同情心だけでこの問題を見がちであるが、そうであってはならない。もし地上という短い人生だけが全てだとすれば、身体が不自由であったり精神が異常であることは大きな損失である。しかし、人間は霊界において永遠に生き続ける存在であり、肉体を持つのは一時的、ほんのわずかである。永遠の世界である霊界に行けば、身体の不自由は全くなくなる。
     肉体を持っている間の苦しみは、ほんのわずかなものにすぎない。しかも地上の苦しみは、霊界において何十倍もの幸せを約束するのである。霊界に入ってみると、地上時代の苦しみの体験が喜びを与え、地上時代の安逸な人生が後悔を生みだすことを、よくよく考えなければならない。障害のある人については、ややもすると同情心だけで眺めてしまいがちになるが、“霊界が本来の場”であるという、霊的視点を失ってはならないのである。
     さらにこの問題は、次のような点も含めて考えなければならない。現在地上でのこうした身体の不自由さは、実は再生に先だって、魂の成長のためにわざわざ本人が希望したものであることが多い、ということである。ゆえに「お気の毒と言う必要さえありません」とまで言っているのである。霊的視点に立てば、わずかな不自由は決して不幸ではないということ、それどころか、その後霊界に入って受ける喜びを考えれば、むしろ幸せと言うべきことなのである。
     我々は、そうした不自由・障害を持った人に対し心の中で、「地上の苦しみに耐えて、魂成長の道を歩んでください……」と祈ってあげるのがよい。それは同情の言葉を口に出して言うことより、その人をより深く愛することである。
     地上において本当に不幸な人とは、身体の不自由な人や精神に障害のある人ではなく、五体満足でありながら霊的真理を知らず、魂の成長とは“無縁な人生”を歩む人である。魂の成長にとって必要な苦しみの体験を避け、楽しみだけを求めて生きる人である。五体満足であるがゆえ何ひとつ不自由を感じずに、物質欲・肉欲の追求だけをしている人である。この世の富や名声だけを追い求める人のことである。

     もしあなたの家族の中に、こうした身体や精神の不自由な人がいるとするなら、これまで、とても他人には分かってもらえないほどの多くの苦しみを体験してきたことであろう。そしてそのことによって、「自分たちは何という不幸を背負い込んでしまったものだ!」と思ってきたかもしれない。が、そうした苦しみは家族の一人ひとりにとっても、魂の成長に必要あればこそ与えられたものなのである。
     その苦しみを通じて、人の苦しみ・悲しみを、より深く知ることができるようになったであろうし、何事もないごく平凡な人々に比べて、愛の深い人間へと成長できたはずである。ゆえにそうした苦しみは、本来感謝して受けるべきものである。
     何も地上だけの人生ではないのである。苦しいといっても永遠の霊界という観点から考えてみれば、ほんのわずかな期間にすぎない。またその不自由な当事者が、今味わっている地上の苦しみのゆえに、霊界では一般の人が考えも及ばないような喜びを手にすることができる、ということが分かれば、不自由な中で生きる我が子や身近な者に対して、そんなに悲しんで眺めることもなくなるであろう

  3. 【1325469】 投稿者: ハハハ、、甘い甘い  (ID:q8mySIfIOkc) 投稿日時:2009年 06月 11日 13:32

    我が家にも様 心配掛けてしまってすみません。
    夢をみたのです。恐ろしい夢を。
    その時に感じた深い絶望感、哀しみ、でもこれですべてが終わるという開放感。
    夢から醒めてあわてて子供の所に行き、すやすや眠っているのを確認した時の安堵といったら言葉では言えません。
    きっとさまよえる魂が私に警告しにきたのでしょう。

    そうね、一人じゃないです。どうもありがとうございます。


    白樺様 よく分からないけれど励まして下さってありがとうございます。


    この掲示板は受験用なのでもう私は見ないと思います。
    そんなに出来がよくなくても「平凡」であることは悪い事じゃないですよ。

  4. 【1326125】 投稿者: もっと下  (ID:Izl4JY6EfO.) 投稿日時:2009年 06月 11日 23:13

    たとえ障害があっても元気でしょう?
    笑顔を見せてくれるでしょう?
    ご飯をちゃんと食べられるでしょう?

    私の子供が去年ある病気を発病しました。
    死亡率は15パーセント。
    笑顔もなくなり、食事もまともにできません。
    もう、生きていてくれるだけでいいです。
    学校の成績とかそんなのどうでもいいです。

  5. 【1326265】 投稿者: 本当にそう  (ID:ZiEYTM0byAY) 投稿日時:2009年 06月 12日 01:06

    私は最初の子を重度障害のため死産しました。
    どんなに重い障害でも生きていてさえくれたら、と嘆きました。
    娘が生まれ、その存在に感謝していた頃の気持ちも忘れ、どんどん欲張りになっていました。
    母としての根本的な想いを忘れてはいけませんよね。
    もっと下様のお子様が健康をとりもどされますようにお祈りしています。

  6. 【1328556】 投稿者: 私も  (ID:fB2WBXsPvUo) 投稿日時:2009年 06月 14日 02:16

    本当に、母としての根本的な想いを忘れてはいけませんね。

  7. 【1329028】 投稿者: 私もです  (ID:ac23hB7FOzs) 投稿日時:2009年 06月 14日 15:10

    子供が軽度発達障害と診断されました。小六、女子です。

    学校の勉強は四年から個人塾に入れ、親が手取り足取り教え、ワークテストは八割〜九割はとれるようになりました。努力と反復で何とかなるもの(漢字や語句や計算)は大丈夫ですが、少し考えないといけないものは厳しいです。
    クラスの子は子供の特性をよくわかってくれていて、大きな問題はありません。一部の子からいじめられたり、バカにされたりしているようですが、本人にはよくわからないようで、学校には楽しく通っています。

    ずい分と悩みましたが、公立では面倒見きれない、特別支援学級にいれると今まで頑張ってやらせてきた事が無駄になると言われ、偏差値30代の私立をすすめられ、受験させる事にしました。
    首都圏在住ですので、漢字と計算ができれば何とか…という私立は数校あります。
    どうしても合わなければ、特別支援学級に転校させようと思っています。

    私も、子供の障害を完全に受け入れたとは言い難く、きつい言葉を言ったり、バトルの繰り返しです。
    でも、子供はとても真面目で素直。与えられた課題は時間はかかっても、きちんとこなし、私が散々罵った後でも、笑顔で「ママ、見て〜」とノートを持ってきます。

    諦める事はいつでも出来ます。 もう少し、頑張ってみようと思っています。

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