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【1787177】未だに靖国神社?

投稿者: そこまで言って委員会   (ID:GbXpJovx0M2) 投稿日時:2010年 07月 02日 20:33

そこまで言って委員会をみてたら、田母神さんが、管さんの奥さんに叱られたと話してました。未だに、戦犯を祭っている靖国神社に参拝してるから当然だけど。彼は面白いけど、子供っぽくって成長しない人だね。

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  1. 【2932320】 投稿者: 二俣川  (ID:i/34nXpTiXw) 投稿日時:2013年 04月 15日 18:18

    敗戦国から裁判官を選ぶことは現実的に困難だったのではないか。
    もう少し時間があれば可能だったとは思う。

    いずれにせよ、被侵略国のみならず、われわれ日本人にも災いをもたらした極悪人たちの処断は免れようはなかった。
    「戦陣訓」をでっち上げ、生きて虜囚の辱めを受けず、と召集兵のみならず民間人にまで自決を強いた東条英機。
    この男が、自らは自決にしくじり、敵国である米軍軍医に救命されたお粗末さを心から軽蔑する。
    なぜ、拳銃で頭を射抜かなかったのか。死ぬのが恐ろしかったのであろう。最低最悪な男だ。
    東条に逆らったためにフィリピンの最前線に送られた東海大の故松前総長先生は、いったいどうお感じになったことか。

    また、こんな男の娘がいまでもしゃしゃり出て、反動派のアイドルとなっていた。
    まさに、この親にしてこの子あり、だ。韓国の朴大統領のように、父親の過ちを世界や国民に謝罪すべきなのに。

  2. 【2932589】 投稿者: ひまわり  (ID:b5B.mOHxfMQ) 投稿日時:2013年 04月 15日 23:06

    二俣川様


    >なぜ、拳銃で頭を射抜かなかったのか。死ぬのが恐ろしかったのであろう。


    東条が使った拳銃は、コルト32口径です。
    娘婿の古雅少佐が自決に使った銃です。

    東条は、米軍が自分の遺体写真を見世物にすると予想して、心臓を撃ったそううです。
    東条は、かねてから、心臓の位置に印を付けて、義理の息子が命を絶った銃を使うと決めていたそうです。
    ですが、使い慣れない銃の為に、手元が狂ったのでしょう。

  3. 【2932626】 投稿者: 歴史通ですね  (ID:3zdeWdzvi06) 投稿日時:2013年 04月 15日 23:45

    >東条は、米軍が自分の遺体写真を見世物にすると予想して、心臓を撃ったそううです。




    なんというか「凄い」人だったんですね。
    やっぱり歴史に名を残す人は一般人とは違いますね。




    >東条は、かねてから、心臓の位置に印を付けて、義理の息子が命を絶った銃を使うと決めていたそうです。




    印を付けて・・・ひまわりさんは歴史に詳しいですね。

  4. 【2933209】 投稿者: ひまわり  (ID:b5B.mOHxfMQ) 投稿日時:2013年 04月 16日 14:21

    >歴史に詳しいですね。

    とんでもないです。
    恥かしいのですが、実際に研究検証をなさった方々の請売りばかりです。
    歴史は一方のみでの見方をするものではないと思います。
    子供たちの未来の為にも、歴史を学ぶ事はとても大切だと思います。


    二俣川様
    東条は、自決後の処置を続けるアメリカ軍人や記者たちの前で、
    こう述べたそうです。
    「勝者の裁判は受けたくない。勝者の勝手な裁判を受けて、国民の処置を誤ったら国辱だ」と。
    やはり、東条らは、日本人の手による裁判で裁かれるべきでした。

    「戦陣訓」ですが、あなた様もご存知でしょうが、東条の発案でも執筆でもありません。
    責任者ではあったのでしょうが、そのことで、自決を選んで失敗したことをずっと悔いてたといいます。
    それと、戦陣訓の一節のためだけで、人々が死を選ぶという解釈は、少々乱暴だと思います。
    戦場での状況や心境で検証すべきだと思います。

  5. 【2933255】 投稿者: ふふ・・・  (ID:quHplDDx8l.) 投稿日時:2013年 04月 16日 15:10

    >「勝者の裁判は受けたくない。勝者の勝手な裁判を受けて、国民の処置を誤ったら国辱だ」

    私は、東条英機を崇めるつもりも戦犯と言われる人達に戦争責任はないと言う気もさらさらありませんが、確かに、東京裁判は戦勝国による敗戦国への報復や見せしめと言った意味合いで行われた裁判であったのでしょう。
    ニュルンベルクも然り。
    そして、戦勝国に関しての罪・責任はなんら問われないという茶番でもあった。
    戦勝国にとっては、敗戦国に全ての罪をなすりつけることで、自分達の正当性を誇示する場でもあったのでしょう。

    日本国は敗戦に向かっているという現実が見えてきてからも本土空襲を繰り返し、原爆を2つも投下し、数十万という人々の命を奪ったアメリカが、何故、英雄視されなければいけないのでしょう?
    どうして、アメリカ人は世界の正義であるかのような顔をしていられるのでしょう?

    二俣川さんは、アメリカの罪をどのようにお考えなのでしょう?
    アメリカが空襲を繰り返し、原爆を投下したことは、敗戦を受け入れることを遅らせた日本国政府や軍人の責任であり、アメリカには人道的責任も罪もないというお考えなのでしょうか?
    ですが、そのアメリカが主導した東京裁判を肯定なさることから察するに、二俣川さんにとってアメリカは「正義」だったのでしょうね。
    悲しい考え方です。

  6. 【2935434】 投稿者: 二俣川  (ID:i/34nXpTiXw) 投稿日時:2013年 04月 18日 10:20

    >それと、戦陣訓の一節のためだけで、人々が死を選ぶという解釈は、少々乱暴だと思います。
    戦場での状況や心境で検証すべきだと思います。


    むろんそうだ。あなたは、陸軍分列行進曲をご存知か。西南戦争の時の政府軍(警察部隊)のために作られた曲であり。現在も陸上自衛隊などで使用されている。
    その歌詞からして、すでに天皇神格化が始まっている。そういう軍国主義的教育の前提の中で、あの戦陣訓が決定的な役割を果たしたのだと考える。
    その意味で、東条には大きな責任がある。天皇からの寵愛を縦に独裁を強いたのだから。

    東条がいくら逃げ口上や弁解を弄しようと、開戦の事実上の最高責任者として東条の罪は万死に値する。
    強固な防護ある大本営の地下司令部にいて「聖戦」を叫ぶ連中に対し、ガダルカナルやインパールのジャングルで餓死した召集兵の人々はなんと思ったことであろうか。

  7. 【2936363】 投稿者: 二俣川  (ID:i/34nXpTiXw) 投稿日時:2013年 04月 19日 03:13

    >アメリカが空襲を繰り返し、原爆を投下したことは、敗戦を受け入れることを遅らせた日本国政府や軍人の責任であり、アメリカには人道的責任も罪もないというお考えなのでしょうか?
    ですが、そのアメリカが主導した東京裁判を肯定なさることから察するに、二俣川さんにとってアメリカは「正義」だったのでしょうね。
    悲しい考え方です。


    米軍は、もはや瀕死の日本に対して原爆投下をする必要はなかった。
    ただ、マンハッタン計画では、当初から日本への核使用は決定済みであったらしい。
    また、保身に走った東条らのために終戦の決定が1年以上遅れてしまったことにも責任がある。

    極東国際軍事裁判を私は支持する。
    ただ、冷戦深刻化の政治的思惑から、米国が天皇の戦争責任を免罪してしまったことを遺憾に思う。
    本裁判の意義を傷つけてしまった。ゆえに、本裁判についての反動派からの開き直りの余地も残してしまった。

  8. 【2937323】 投稿者: 大日本人  (ID:5rIuwWKpoWc) 投稿日時:2013年 04月 19日 21:57

    中国戦線では、日本兵捕虜に対するシナ軍の扱いに対し、日本軍は「捕虜になるくらいなら自決した方がまし」という状況だったようです。

    >1937年の上海界隈でスイス人写真家によって撮影された写真は、すべて中国兵士による日本人捕虜と、日本の軍事侵攻に協力して逮捕された上海住民に対して行われた残虐行為を撮影したものである。

     上海に仕事で滞在し、中国人による処刑を見届けるよう言われたトム・シメンさんが隠していたそれらの写真は見るもおぞましいものである。しかし彼は息子にこれらの写真を公表するように言った。

     ジョン・シメンさんは「父は出版を望んでいた。病院生活での経済負担の資金源になるだろうと言っていた」と語った。


     ジョン・シメンさんは写真を公表するための出版社を探している。写真一枚につき3千ドイツマルクを支払うとの申し出もあった。しかしながら彼にとって最も重要なことは、父親が言っていた上海で起こった事を世の中に知らせることである。

     シメンさんは「奴らは楽しんでいたと思う。首が切り落されるのを待っていて、そしてそれでフットボール[サッカー]をした・・・考えただけで身の毛がよだつ」と語った。 (13sec./134K AIFFまたはWAVファイル) [首を切断された死体の写真]

     首を木の枠で固定して吊るし餓死するまでそのまま放置するなど、中国兵は様々な拷問方法で捕虜を虐待殺戮したとシメンさんの父は彼にそう言ったという。[拷問の写真]

     射殺され共同墓穴に捨てられた捕虜が多かったが、特に日本に協力した中国人に対しては、大きな刀によって首が切り落されたという。 [荷車の上の死体]

     「当時日本人に協力した者は、中国人にとっては日本人よりも更に悪いものでした。何故なら裏切り者だからです」とシメンさんは言う。


     シメンさんの父親は、中国出国に際してネガを破棄したそうだが、彼の妊娠中の母が写真を服の下に隠して国外に持ち出したのだそうだ。

     「これらの写真は日本と中国の一連の戦争において、1937年の上海での両国の関わりに関して、新たなスポットを浴びせるものとなりそうである」とシメンさんは語る。彼はまた、第二次世界大戦中ドイツのナチスによって行われた残虐行為とは対照的に、中国で起こったことの多くが未だ知られていないのが現状であるとも述べた。

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