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【1787177】未だに靖国神社?

投稿者: そこまで言って委員会   (ID:GbXpJovx0M2) 投稿日時:2010年 07月 02日 20:33

そこまで言って委員会をみてたら、田母神さんが、管さんの奥さんに叱られたと話してました。未だに、戦犯を祭っている靖国神社に参拝してるから当然だけど。彼は面白いけど、子供っぽくって成長しない人だね。

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  1. 【2952934】 投稿者: ん?  (ID:Sr8xMx.Kg3c) 投稿日時:2013年 05月 03日 21:37

    英霊をまつるということは認めないんですか?
    もしかして 英霊そのものも認めないということですか?
    戦争に加担したものは国のことなど考えていなかったということですか?

    はっきりした考えをお聞きしたい。

  2. 【2952968】 投稿者: キムチマン  (ID:HiqLVY/k6oI) 投稿日時:2013年 05月 03日 22:00

    敵の決めた戦犯など靖国には関係ない。
    そこに奉られる者は全て英霊。
    いろいろあったが過ぎた事は水に流すのが日本人。
    女の腐ったのみたいに済んだ事をいつまでもグチグチ言うのは日本人らしくないな。

  3. 【2953159】 投稿者: 紙つぶて  (ID:zHAplM2NdIo) 投稿日時:2013年 05月 04日 01:10

    二俣川さん、

    >違うね 。「遊就館」は異常。日本に都合のいい 一方的な言い分だけをこじつけてい る。

    二俣川さんは日本人でしょ?
    当時の思想、教育の中で(それが全て良かったとは言いませんよ)、民間兵も職業軍人も、父母のため、天皇のため、お国の為に散っていったのは事実なのです。
    たとえ時の権力者に操られたとしても、彼らは命と引き替えに戦って命を落としたのは綺麗事や虚構ではなく事実なのです。

    >学問的にも噴飯ものの内容だ。

    学問で全て片付けられますか?
    人の心を汲み取りましょうよ。遺品や遺書、思いのたけには叙情的なことがあってしかるべきです。遊就館は英霊の学術論文館ではありません。戦死した方々の遺したものを、陳列方法に異議があれど「噴飯もの」はないでしょ!


    >「朝日」も、社説でこの建物の中にある異常さに疑問を呈していた。

    そうです。戦時中の事象なのですから、人間の生き死にから沸き起こる感情がほとばしった異常な空気は当たり前です。

    >私は靖国を信奉する一般の召集兵の遺族を傷つけたくはない。しかし、彼らの遺志とは異なり 、多くの日本人は侵略戦争に加担してし まった。「英霊」なるものも靖国にはいないだろう。それは、権力者が国民を戦争に駆り出すために作った虚構な のだから。

    その兵士たちは、日本が侵略されないように戦ってくれた英霊ですよ。
    二俣川さん、あなたが如何に○○大学の○○先生が・・・、憲法学者の○○先生が・・・と、引用文を用いても、それはあなたの思想に合うチョイスをしているにすぎません。ものごとには必ず反面があり、反対意見を唱える諸先生もおられますもの。

  4. 【2953778】 投稿者: 靖国に眠る英霊のはなし  (ID:zbp.QUKNKA.) 投稿日時:2013年 05月 04日 15:06

    佐藤新平少尉の御霊は靖国神社に今も居られます。


    佐藤新平少尉は岩手県出身で、特別攻撃隊の第79振武隊所属。
    昭和20年4月16日に出撃、戦死。享年23歳でした。


    ●三月三十一日

    出撃までに、も一度兄の墓参りと思いしも時間なし。
    お父さん、お母さん、新平何一つとして思い残す事とてありません。
    唯御国の為に立派に[削除しました]る喜びで一杯なのです。
    唯一つ心配なのは、半年の間に二人の子供を失うお父さん、お母さんの事です。
    苦労ばかしおかけしたお父さんお母さんに、
    これからはうんと親孝行しよう……何時も兄さんと言った言葉でした。
    実はこの間かえった時も、ほゞ今度の事は解って居りましたが、遂に言い出せませんでした。
    だが、お父さんお母さん、新平は死んだとて魂はいつまでもいつまでも生きて居ります。
    兄さんと新平の魂は何時でもお父さんお母さんを見守って居りますよ。
    二人とも子供を失ったと言って悲観したりしてはいけません。
    兄さんだって随分と増産には働かれてのだし、
    新平だって今までに相当に空中戦士を養成しましたし、
    今度は軍人の最高名誉たる特別攻撃隊の一員として悠久の大義に生きるのです。
    こんな目出度い事はありませんよ。新平、米英艦船に命中の報が有りましたら、
    お父さん新平の陰膳相手でお酒でも飲んで下さい。
    そして余生を文夫や洋治相手に楽しく送って下さい。洋治と言えば名前も本当に小生とゆかりの深いものとなりました。


    ●四月一日

    お母さん江

    思えば幼い頃から随分と心配ばかしおかけしましたね。
    腕白をしたり、又何時も不平ばかし言ったり。
    眼を閉じると子供の頃のことが、不思議な位ありありと頭に浮かんで参ります。
    悪いことなどすると神様に謝らせられたり、
    又幼い頃「今日の良き日をお守り下さい」「今日の良き日を有難うございました」と
    毎日拝神のことをやかましく言われたお母さんでした。
    今日になり本当にあの頃からのお母さんの教育がどんなにか新平の為になった事でしょう。
    病気で心配をかけたり、又苦学の時も随分と心配をおかけしたり。
    苦学と言えば、家を出発する時、台所でお母さんが涙を流されたのが、
    東京にいる間中頭に焼きついて、あの頃どんなにかかえりたかった事かしれませんでした。
    お母さんの本当の有難味が解ったのは東京へ出てからでした。
    あれから余り家に居る事もなく、ゆっくりお母さんに親孝行をする機会のなかった事だけ残念です。
    軍隊に入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。一度は去年の休暇、二度目は去年の暮近く館林まで来ていただいた時、あの時は新平嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
    態々(わざわざ)長い旅をリュックサックを背負って会いに来て下さったお母さんを見、
    何か言うと涙が出そうで、遂、わざわざ来なくても良かったのに等と
    口では反対の事を言って了ったりして申し訳ありませんでした。
    あの時お母さんと東京を歩いた思い出は、
    極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい思い出となる事でしょう。

    あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平が奉られるのですよ……。

    手をつないでお参りしましたね。
    今度休暇でかえった時も、お母さんは飛んで迎えに出て下さいましたね。
    去年の時もそうでした。


    ●四月四日

    父上様へ

    お父さん、新平、日露戦争へ行かれたお父さんの子供として恥ずかしくない死場所を得ました。
    お喜び下さい。
    我が侭者の新平、子供の頃から何時も心配ばかりおかけし申し訳ございませんでした。
    御恩返しに、うんと親孝行しようと思っていましたが、
    結局何も出来ずにしまいました事をお許し下さい。
    随分大きくなるまでお父さんと一緒に寝た新平は、幼い頃お母さんに、お前はお父さんの子、文吾は俺の子等と言われたものでした。
    厳格な半面、子供の時から人一倍可愛がって頂いた新平は本当に幸福でした。
    酒に酔われて義太夫や踊をやられたお父さんの昔の姿がなつかしく思い出されます。
    どうぞお父さん何時までも御壮健で文夫や洋治を可愛がって下さい。
    書きたい事はいくらもありますが、今日はこれで止めます。

    日本一のお母さんを持った新平は常に幸福でした。
    小雨の降る夕方、お母さんと一緒にかこちゃんのお母さんのお墓参りをした事、
    愛国婦人会の事で在郷を一緒に歩いた事、天神様へ成績の御知らせに行った事等
    楽しい想い出は次々とつきません。
    特攻隊の事も早く知らせて呉れゞば、手紙でも出して激励してやったのに、と
    お母さんは残念がるかも知れませんが、
    お母さんの気持ちは新平解り過ぎる位解って何時も感謝して居りますから、
    余計な事を心配しないで下さい。
    私としてはどうせ直ぐ解る事ですから、
    早く知らせて心配かけてはと思って知らせなかったのですから、悪く思わないで下さい。
    リウマチや、神経痛に充分注意して、
    天から与えられた寿命だけは絶対に生き延びなければいけません。
    文夫、洋治もお母さんがよく見守って立派な子供になる様鍛えて下さい。
    決して気を落としたりして、体をそこねられない様御注意下さい。

    お父さんの方が後になり変になりました。
    一足御先に失礼します。

    今晩、隊の壮行式があり、一寸酔って居りますので字も乱れて居ります。
    河野、小林先生にも宜敷くお願いいたします。
    小生必ずや大きな戦果を上げて見せます。
    沖縄沖の戦果に御期待下さい!!


    ●四月五日 朝

    出陣ニフサワシク快晴デス
 愈々本日十二時出発デス
    必ズ轟沈シマス
 御両親様ノ多幸ヲ祈リマス
              出陣ノ朝  新平

    御両親様

    遺書ハトランクノ中ニ有リマス


    ・遺書

    天皇陛下万歳
 大命ヲ拝シ、新平只今特別攻撃隊ノ一員トシテ醜敵艦船撃滅ノ途ニ就キマス
    日本男子トシテノ本懐コレニ過グルモノハゴザイマセン
    必中必沈以テ皇恩ニ報イ奉リマス
    新平本日ノ栄誉アルハ二十有余年ニワタル間ノ
    父上様、母上様ノ御薫陶ノ賜ト深ク感謝致シテ居リマス
    新平肉体ハ死ストモ魂ハ常ニ父上母上様ノオ側ニ健在デス
    父上様モ母上様モ御老体故呉々モ御体ヲ大切ニ御暮シ下サイ
    決シテ無理ヲナサラヌ様
    デハ
    日本一ノ幸福者、新平最後ノ親孝行ニ何時モノ笑顔デ元気デ出発致シマス
    親類ノ皆様方近所ノ人達ニ宜敷ク
                         新平拝

    御両親様      

     辞世

     身はたとへ敵艦船と砕くとも
     七度生きむあかきこころは
     ありがたき御代にうまれてやくだてる
     そのよろこびにわれはゆくなり
     
    御両親様へ

     うみやまにまさるめぐみにむくひなむ
     道をゆくなりいさみいさんで

    亡き兄さん江

     極楽の
     兄弟酒を
     偲びつゝ



    『知覧特別攻撃隊』佐藤新平少尉の日記(留魂録)より






    >違うね 。「遊就館」は異常。日本に都合のいい 一方的な言い分だけをこじつけている。



    反日外国人の考えはこのようなものか、と思った次第。

  5. 【2954064】 投稿者: 二俣川  (ID:i/34nXpTiXw) 投稿日時:2013年 05月 04日 20:49

    おあいにく様。私は先祖代々の日本人だ。

    すでに何度も述べているように、一般召集兵の遺族による靖国に対する思いは尊重する。あの無駄死が意味あるものと考えなければ、「やっていられない」だろうからだ。
    また、太平洋戦争中の戦死者・戦病死者のうち、半数以上がこの敗戦直前1年間で亡くなっている。たしかに、侵略戦争であっても、それを支持した人々からすれば「聖戦」であったかもしれぬ。
    しかし、多くの歴史家が指摘するように、1944年の段階ですでに日帝の敗戦は必至だった。したがって、その死は「聖戦」勝利に役には立たなかったことになる。
    すなわち、負けが明らかだったにもかかわらず、最後の1年間で多くの方々が無駄な死に追いやられたということである。彼らは、本来死ぬ必要は毛頭なかったのである。

    では、国民に無駄死を強いた理由はなにか。
    東条らA級戦犯どもが、自己の保身のために戦争終結を決断できなかったからだ。
    「御稜威」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」「鬼畜米英」「聖戦」「神の国」「万世一系」など、非合理で手前勝手なスローガンで客観的事実を隠蔽し、
    国民を扇動してきた責任が問われてしまうことを恐れたのである。天皇ら支配層保全しか頭になかったのである。国民の命など、歯牙にもかけなかったということだ。

    そして、表向きには国民に「鬼畜米英」「神国不敗」「聖戦完遂」と煽っていながら、密かに仮想敵国であったはずのソ連までを頼り、英米との講和「仲介」まで期待した。お笑い草である。
    それ以前の、「独ソ不可侵条約」締結で大恥をかいた先例からすれば、悪友ドイツもソ連もともに日帝が信頼でき、かつ外交で太刀打ちできる相手ではないことは明らかであったはずではなかったか。
    当時の日帝指導部は、行き当たりばったりでまったく学習をしていなかったのである。

    沖縄の海底で眠る故佐藤新平少尉も、騙されたと今は無念な思いであることであろうよ。
    故人の思いを、都合よく政治的利用することはおやめなさい。

  6. 【2954083】 投稿者: 二俣川  (ID:i/34nXpTiXw) 投稿日時:2013年 05月 04日 21:04

    >たとえ時の権力者に操られたとしても、彼らは命と引き替えに戦って命を落としたのは綺麗事や虚構ではなく事実なのです。

    事実だ。権力者に騙され、侵略戦争を「聖戦」だと信じて死んでいった悲劇である。
    もっとも、「爆弾三勇士」は虚構だがね。


    >そうです。戦時中の事象なのですから、人間の生き死にから沸き起こる感情がほとばしった異常な空気は当たり前です。

    では、反動どもが口汚く批判する、南京大虐殺に関わる施設も、当然ながら貴殿は肯定なさるのであろうな。


    >二俣川さん、あなたが如何に○○大学の○○先生が・・・、憲法学者の○○先生が・・・と、引用文を用いても、それはあなたの思想に合うチョイスをしているにすぎません。ものごとには必ず反面があり、反対意見を唱える諸先生もおられますもの。

    当たり前だ。
    そもそも論証手法のひとつに、自己の見解と同旨の見解や研究者名を提示することは学問の世界ではイロハのイだ。
    また、私の見解の多くは斯界の定説(通説)を述べているに過ぎない。何ら目新しいものではない。
    知見乏しい層が、無知ゆえ誤解しているだけなのだ。本当にここは「教育」掲示板なのか、と首をかしげる毎日である。

  7. 【2954211】 投稿者: 遊就館  (ID:WFUgwDU.8pQ) 投稿日時:2013年 05月 04日 22:53

    >佐藤新平少尉の御霊は靖国神社に今も居られます。

    >あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平が奉られるのですよ……。




    佐藤新平少尉、立派ですね。
    今度、靖国神社に参拝するときには
    遊就館にも寄らせていただこうと思いました。

  8. 【2954227】 投稿者: 二俣川  (ID:i/34nXpTiXw) 投稿日時:2013年 05月 04日 23:07

    Do you hear the people sing?  民衆の歌がきこえるか
    Singing a song of angry men?  怒れる人々の歌を歌っている
    It is the music of a people  それは民衆の音楽だ
    Who will not be slaves again!  彼らは二度と奴隷にはならない
    When the beating of your heart  お前の心臓の鼓動が
    Echoes the beating of the drums  ドラムの鼓動と響き合うとき
    There is a life about to start  始まろうとする1つの命がある
    When tomorrow comes!  明日が来るとき


    レミゼラブル『民衆の歌(民衆の歌が聞こえるか)』(引用)



    Who will not be slaves again!  彼らは二度と奴隷にはならない

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