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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4219174】 投稿者: イワサキ  (ID:cUn7wfH1LWk) 投稿日時:2016年 08月 20日 07:35

    冷静にかんがえるとさん

    >これらの思想を維持・継承していくことが時間的民主主義、すなわち先人らの想いを忖度することであり、まさに伝統というものである。

    時間的民主主義っていい言葉ですね。さすがエデュのAIであり時空を貫いた言霊のレトリックを理解している在原業平のようである。
    古来の人々に思いを忖度し、現代まで連綿と続く伝統をしっかり踏まえる
    そして、伝統に裏打ちされた現状から未来を予測する。
    素晴らしいではないか、双方向で話を繋げ自分に足りない何かを学び、過去と未来の双方向を結び繋げる作業は何物にも代えがたい楽しさがあります。
    一方的に主義主張を語るだけならブログで語ればいいしね

    女子シンクロチームが銅メダルを獲得したが、テーマは天照大神である。
    風神雷神のテーマもあったね。
    何気ない日常生活の中で、神話に出てくる用語が多く使われている
    以前、冷静にかんがえるとさんの書かれた経済用語
    神武景気、イザナミ景気、イザナギ景気、岩戸景気など、すべて新聞を躍らせテレビでも語られている。そしてシンクロテーマの天照大神。
    我々の日常生活の中にすっと入ってきているものであり、無意識の中で、当たり前のように受け入れているものである。
    ステレオタイプのラベリング専門の輩がいまだに多いが、シンクロ女子チームは
    天照大神をテーマにしたので、極右、皇国史観なのであろうか?
    国民の多くはわかっていることである。
    五輪で金メダルを取った選手たちが、日の丸を見て涙を流し、君が代を歌う姿を見て、日本人に生まれてよかったと実感する今日この頃である。

    紙つぶてさん
    触発されて、未来も予測していくことになりました(AI)
    双方向で、語り合うのは楽しいことだと実感できた皆様には感謝しております。
    単なる酒飲みではない、きらりと光る書き込みをする紙つぶてさんも中々の人物だと思ってます。

  2. 【4219802】 投稿者: 「お聞きします」改め、「天夢」  (ID:dwvasPm7Rb6) 投稿日時:2016年 08月 20日 20:59

    うわ~
    すごく納得できる論説でした。
    ありがとうございました。
    時間的民主主義って調べてみたけど、ネットじゃ見つからない。
    冷静にかんがえるとさんの造語ですか?
    AIスレの方は難し過ぎて読むので精一杯です。イワサキさんもお詳しくてびっくりしました。やっぱり、勉強が必要ですね。

  3. 【4220571】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:rk8oMT9r6d6) 投稿日時:2016年 08月 21日 17:53

    イワサキ さん

    >ステレオタイプのラベリング専門の輩がいまだに多いが、シンクロ女子チームは天照大神をテーマにしたので、極右、皇国史観なのであろうか?

    さすがにこのご時世、そのような単純な見方しか出来ぬ者はいないと思うが、、
    今や東大入試の日本史でも記紀に目を通していないと解けない問題が出題されていますからね。

    >古来の人々に思いを忖度し、現代まで連綿と続く伝統をしっかり踏まえる
    そして、伝統に裏打ちされた現状から未来を予測する。
    素晴らしいではないか、双方向で話を繋げ自分に足りない何かを学び、過去と未来の双方向を結び繋げる作業は何物にも代えがたい楽しさがあります。

    おっしゃるとおりです。
    天夢さん、時間的民主主義なる概念は先祖の事を慮る我が国民性を表して、ラフカディオ・ハーンが「死者の支配」とも言っていたが、英国思想家のG・K・チェスタトンが端的に先人たちの意見を忖度することを時間的民主主義の拡大と述べています。例えば伝統的な教会の祝祭日を、数百年もの間受け入れてきた庶民の意向を合理的な風潮でもって廃止してしまうのは、この原理に反すると彼は述べています。
    以前に歴史スレで書いたが、我が国は近代的な高層ビルの一角にお社が鎮座している風景が当たり前で、先に触れた将門公の首塚しかり。
    デモクラシー拡大というと、例えばマイノリティらに選挙権を与えるといったように水平的拡がりを彷彿とさせるが、先人たちの想いを忖度するというのは、実は「タテ」の時間を遡るということ。そういった意味では我が日本社会は当にこの特徴を添えている、といっても過言ではないと思うところです。

  4. 【4220599】 投稿者: イワサキ  (ID:cUn7wfH1LWk) 投稿日時:2016年 08月 21日 18:19

    宮中祭祀に伴う代拝不可
    天皇陛下自らが、祭祀を行わなければならない祭祀。これは皇室典範にも規定されていない、政教分離なので、法律で規定することはできないのである。
    例えば、年初に行われる四方拝、これは代拝不可であり、例え摂政をおいたとしても、国事行為(皇室典範に定められた)は代行できるが、宮中祭祀はできない。
    年間を通じて多くの宮中祭祀(四方拝、神嘗祭、鎮魂祭、招魂祭、新嘗祭などまだ多くあり)は皇室典範には規定されていない宮中祭祀となる。
    年初に行われる四方拝では元日から三日まで寝ないでお祈りになられる。
    万が一寝てしまい、悪い夢でも見てしまえば魔訶事になってしまうからである。
    五穀豊穣、民の安寧をひたすらお祈りするわけである。
    80歳を超える天皇陛下が寝ずに祈ることは体力的にも厳しい、象徴としての務めをしっかり繋いでいきたい、これが天皇陛下の大御心である。

    皇室典範で規定を超えた部分、これこそが1500年以上にわたり繋がり続いてきた伝統、文化である宮中祭祀なのである。
    天皇はすでに1000年前には、政治的権力を失い、祭祀王として五穀豊穣、国、民の安寧をひたすら祈ってきた。ローマ法王やダライラマのような祭祀王である。明治に入り時の権力者により祀り上げられたが、政治を行ってきたのは元勲たち、そして昭和天皇に至っては、時の内閣がどうしても決められずにお願いした二回だけ、聖断を下している。2.26事件(岡田首相行方不明)、ポツダム宣言受諾時(終戦)だけであり、いずれも日本を救った。

    終戦時、GHQ(マッカーサー)はアメリカ本国の天皇を戦犯にしろ(世論調査70%以上)との要求をけり戦犯にはせず日本統治の精神的支柱にした。
    理由は、1500年以上の伝統文化の象徴である天皇の存在が、日本国の強力な縦軸(精神的支柱であり)であり、縦串(背骨)を抜けば日本国民が空中分解すると気が付いたからである。
    ただし仕掛けは、国民総意に基づく象徴天皇制として憲法に残した。
    (国民総意が無くなれば存在できない仕掛け)
    この強力な縦軸(日本国の伝統)は、昭和天皇崩御(大喪の礼)、東日本大震災のお言葉の際、今回の生前退位(譲位)の際しか姿を現さないのである。

    憲法、皇室典範の規定内に収まりきらない、強力な縦軸の存在、さてどうなるか?
    天皇陛下の大御心を世論調査では89%が支持している。
    国民総意に基づく天皇象徴制、国民の総意があるうちは安泰である。

    有識者会議では、国民そ総意に基づき譲位が認められるであろう。
    そして太政天皇を称し、仙洞御所に入られる。税金の問題もあり、赤坂御所(東宮)、あるいは、京都御所に仙洞御所を造営されてもいいだろう。すべて陛下の思し召しによる。

    皇室典範によって規定することのできない、祭祀をもっと国民に公開し、
    開かれた皇室を目指してほしい(宮中祭祀、祝詞、舞、所作などに日本建国のルーツを垣間見ることができると考えるため)
    大御宝と呼び、民を丁重に扱い、民のかまどの説話として、日本書紀にも記載されている、日本版、瑞穂の国の民主主義、国民の一人としては、有識者会議では今上陛下の大御心にぜひ答えていただきたいと強く希望する。

  5. 【4225713】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:lYRdhyYH8Ac) 投稿日時:2016年 08月 26日 21:37

    >皇室典範で規定を超えた部分、これこそが1500年以上にわたり繋がり続いてきた伝統、文化である宮中祭祀なのである。

    欠史八代、少なくとも第二代綏靖天皇から第七第孝霊天皇までは皇位継承者は第二子以降(異母弟を含む)、第一子は神祀りを担うことになる。仮に神武天皇以降の仮託であったとしても、統治権と祭祀権との分掌が慣例としてあったことが伺える。
    この統治権と祭祀権との融合が果たされたのが、第十代崇神天皇の御代からではないだろうか。
    三輪山麗づたいの部族集団個々の祭祀を束ね、大司祭的側面を帯びる統治者、漢風諡号が「神を崇める」というのも意味を持つことになる。疫病の流行、旱魃などに対して天神地祇を祀り、素朴な農耕儀礼である収穫儀式(ニイナエ)を王家の神事(ニイナメ)にまで高めたものと推察される(「歴代天皇総覧」 笠原英彦 著、中公新書)。
    稲作の生産性というものが統治の絶対的要件であり、歴史を俯瞰すると伊達政宗の千拓(仙台平野)、甲斐武田家の治水(笛吹川)、あるいは駿府今川家の丘陵開拓など「稲作を制する者、天下を治る」の通り、三輪山麗の地勢が有利であったことも併せ、古代にあってはこの生産性の高さを神事に結びつけることによって、王家の権威が高まっていったものと考えられる。

    ところで、この「ニイナエ」を母体として新嘗(ニイナメ)祭、そして大嘗祭への宮中祭祀の変革をみるわけだが、分けても新嘗祭と大嘗祭とでは基盤となる新穀の稲が奉られる「水田」が異なる。新嘗祭では書紀にいう「倭の屯田」、つまり直轄的な供御料田だが、大嘗祭では悠紀(東)・主基(西)両地方の斎田が用いられる(今上天皇の大嘗祭では秋田県、大分県)。稲作を通して両地方民が祭儀の骨組に参加する、公的・普遍的な天皇と国民との関係性を包摂する祭儀として、大嘗祭は成立したと言えよう。その意味で大嘗祭は我が国の成立史上、大きな道標として天皇ご即位によって体現され、一方でこの関係性を再確認する機会ともなり得る。>瑞穂の国の民主主義<として、少なくとも天武・持統朝以来から続いてきた守るべき伝統・文化の要と言えるものである。

  6. 【4226881】 投稿者: イワサキ  (ID:cUn7wfH1LWk) 投稿日時:2016年 08月 27日 21:41

    >伊勢神宮の社殿は現在みるような多くの神社のそれとは違い完全な掘建て式の高床建築であり、また多くの柱が床を支え、その上に板を組み合わせて壁を造る板倉形式を特徴とする。一般に、このような唯一神明造りにおいて柱は腐食しやすいので、一定期間ごとに造替(建て替え)が必要となる。

    出雲大社(大社造り)住吉大社(住吉造り)伊勢神宮(神明造り)
    古来の代表的な神社建築様式である、伊勢神宮神明造りは、巨木文化で巨木を地面に垂直に立て神聖な空間を仕切った名残であろう。
    弥生時代の高床式倉庫の柱の配置が似ておりこれが発展して神明造りになり、穀物の代わりに神宝を治めるようになったと言われているそうだ。

    この説に対しては異議を唱えたい。巨木文化の流れから、大木を地面に4本たて
    神聖な区域を区切った(墓、祭祀場)、出雲北陸に見られる、四隅突出型墳丘墓
    これは四隅に巨木を立てていた名残でその空間を立体的に現した。
    四隅の巨木を建て板壁を張り屋根をのせたこれが社、この中で支配者の遺体を安置してもがり(数年放置して喪に服した、そしてこの支配者が死後の世界に行き神になり社の祭神になる)もがりは当初は屋根なしの屋外で行われていた(アイヌに風習あり、木を重ね担架のような形をつくり遺体を安置した)
    神社の屋根の鰹木に板を敷いたような物、これが社の屋根になったと推察する。
    (大相撲の土俵の上にぶら下がる屋根)
    このもがりを行った社が神の社になり、神社になった。
    この社に、五穀豊穣の御備えをし、収穫した米、籾殻などを奉納して祈った
    社が進化したのが高床式倉庫だと推論したい。

    弥生時代の国(村)々が稲作を始めた当初から社が高床式倉庫として使われるようになった思う。実際神社は、稲生る、稲成る、稲担うこれが稲荷神社の由来と思われる。古来収穫した種もみを社(高床式倉庫)に貯蔵して種もみから、苗をつくり地域住民が神社より分け与えられ田植えをした。奈良時代以降を行われている。地域には村の鎮守の神様が祀られ、現代まで盆踊りなど祭りは続いている。死後の先人たちを敬い、豊作を祈願するのが祭りの主流である。

    住吉大社の住吉造り、大嘗祭の建物に似ているとのことだが、これはそのものだと思う。以前書いた、難波津での八十島祭り、大嘗祭の翌年(即位翌年)に天皇が行幸しお祓い禊をうけた、鎌倉時代まで400年続き、伊勢神宮(斎宮)未婚の女子皇族が、天皇の代替わりには斎宮交代の際には京都に入る前に難波津に赴き必ずお祓いをしてから京都に戻っている。
    難波津とは生田霊神社、住吉大社のことであり、いずれも神功皇后にゆかりが深く、生田霊神社(生島神、足島神)は神武天皇に十種神宝を献上して踊った饒速日命(物部氏租)の子、宇摩志麻遅命に由来する説あり、十種神宝の(生玉、足玉)が生島神、足島神に由来する可能性も指摘されている。
    今も伝えわる宮中祭祀、鎮魂祭は宇摩志麻遅命の舞と同じと思われるが、現在も天皇家、宇摩志麻遅命(物部氏関係の、石上神宮、弥彦神社、物部神社)で行われている。鎮魂祭の魂振り儀では天皇の衣を左右に10回ふるそうである。

    この所作は八十島祭りで、難波津のお祓いで天皇の衣服を女官が降り、魂を憑依させるような鎮魂祭と同じことが行われていたらしい。調停の女官には生島巫女と呼ばれれる、専門の女官が数百年存在していた。
    大嘗祭に住吉造りの建物が建てられるのは、難波津の八十島祭りの名残(住吉大社)だと思われる。
    住吉大社は神功皇后が九州からの凱旋時に、建てた社である(五色塚古墳で記載ずみ)神功皇后に祟られないようなお祓いをやってきたのであろうか?

    記紀のヒーローは、大国主命、神功皇后、日本武尊であるが、記紀編纂者が、このこの三人に祟られないように、記紀では多くを割き、英雄にした。
    古代の祟りは、祟られる方に後ろめたいものがあり(讒言、だまし討ち、権限移譲)など祟られないように、出雲大社をつくり、霊を鎮めるために宮中祭祀に取り入れた、このような考えが古代史の謎を解く鍵になるのではないだろうか。

  7. 【4227173】 投稿者: イワサキ  (ID:cUn7wfH1LWk) 投稿日時:2016年 08月 28日 07:34

    冷静にかんがえるとさん

    歴代天皇総覧 笠原英彦 著、中公新書
    ちょうど同じ本読み終わってました。購買パターンが一緒かもしれない 笑
    アマゾンのお知らせメールで購入してたら、AIの初期モデルに支配されてるかもしれませんよ(私は本屋をぶらつくのが日課ですが、)

    摂関政治、院政時代にいかに幼帝が多かったか、3歳、5歳などで即位して
    15歳には譲位させられまた幼帝、時代によっては太政天皇(上皇)が三人も四人も存在した。治天の君たる上皇、法皇が院政を行うわけだが、明治時代に譲位が禁止された理由はこの弊害を除くためなのはよく理解できた。

    >素朴な農耕儀礼である収穫儀式(ニイナエ)を王家の神事(ニイナメ)にまで高めたものと推察される
    >新嘗祭と大嘗祭とでは基盤となる新穀の稲が奉られる「水田」が異なる。新嘗祭では書紀にいう「倭の屯田」、つまり直轄的な供御料田だが、大嘗祭では悠紀(東)・主基(西)両地方の斎田が用いられる(今上天皇の大嘗祭では秋田県、大分県)。

    奈良葛城地方の一領主から、畿内、日本全土を治めるようになり、
    律令体制後には、日本全国の米を奉納して祈ったんだろう。
    歴史事項と連動して、祭祀も変遷したことになる。
    これらの宮中祭祀が多く知れ渡り、興味をもつ国民が増えることを願います
    生前退位(譲位)には
    天皇陛下の大御心を理解する国民の存在が不可欠であり、
    国民総意に基づく象徴天皇制であることを皆様が認識することが
    実現の一歩となることでしょう。

  8. 【4231523】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:6Sqx2oVily2) 投稿日時:2016年 08月 31日 18:52

    イワサキ さん

    >神聖な区域を区切った(墓、祭祀場)、出雲北陸に見られる、四隅突出型墳丘墓 、これは四隅に巨木を立てていた名残でその空間を立体的に現した。

    なるほど、これはひじょうに興味深い論考ですね。
    古事記に何某の神話的コードを見出すとすれば、黄泉の国神話の生と死の峻別、
    千引石によって隔離された伊邪那岐命、伊邪那美命の領界を一部融合させること、つまり伊邪那岐命の禊ぎ祓いによる清浄化の結果、天照大神、三貴子が誕生したというように、現世が活気づき豊穣がもたらされる。

    ところで殯(もがり)の本質は遊部に顕れるように、復活儀礼であるというのが、折口信夫らに代表される民俗学的な見方であったと思います。
    これに対して鎮魂を目的に、死の確認作業的な意味を見出していたのが記紀など古代史研究者だったかなあ、という感想を得ています。
    もっとも仏教の受容により玄奘三蔵の弟子、道昭が我が国最古の被火葬者といわれ、天皇では確か持統天皇だったか、、「歴代天皇総覧」を見ると従来の宮室が御代毎の使用から藤原京が持統朝以降元明まで三代に亘ったことなどから、遷宮的な復活観念というものが、鎮魂を主たる目的に変化したのがこの頃からかも知れない。書紀の神代上(一書第五)にも「伊弉冉尊、灼かれて神退去りましぬ」とある。
    いったい仏教と古代神道の奥義が実はここに融合し、我が日本人の「死」に対する考え方が結実したのかなあ、と見ています。

    さて、イワサキさん、歴史スレからお付き合いを頂き、ありがとうございました。おかげで随分勉強もさせて頂きました。私事で恐縮ですが、引き継ぎも終わり、いよいよ来週から新天地となり機上に赴くことになります。
    向こうでは実務を少し離れ公共政策論などをやる予定ですが、古代史を含めた歴史への興味は持ち続けたいと思います。漫画文化、コスプレ・サミットもいいが、やはり我が国文化の神髄は「古(いにしえ)」抜きには語れない。
    微力ながら時には立場を利用して、この分野の発信にも努めて参りたいと思います。
    イワサキさん、他の方々の益々のご健勝を遠くから祈念させていただき、しばし我が身のバージョンアップに努めることと致します。

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