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【4211051】日本の古(いにしえ)

投稿者: 善人   (ID:iY3zXBxtWIE) 投稿日時:2016年 08月 12日 18:36

日本の古きいにしえをつぶやき語り合いませんか?

悪人、悪口不可
総合的な理由を勘案して問いかけに答えないことがあります
ご容赦下さい。

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  1. 【4231629】 投稿者: イワサキ  (ID:cUn7wfH1LWk) 投稿日時:2016年 08月 31日 20:22

    >さて、イワサキさん、歴史スレからお付き合いを頂き、ありがとうございました。おかげで随分勉強もさせて頂きました。私事で恐縮ですが、引き継ぎも終わり、いよいよ来週から新天地となり機上に赴くことになります。
    やはり我が国文化の神髄は「古(いにしえ)」抜きには語れない。
    微力ながら時には立場を利用して、この分野の発信にも努めて参りたいと思います。
    イワサキさん、他の方々の益々のご健勝を遠くから祈念させていただき、しばし我が身のバージョンアップに努めることと致します。

    冷静にかんがえるとさん
    栄転おめでとうございます。将門塚の書き込みを見て、うすうす感じてはいましたが、やはりそうでしたか(夏休み明けに書き込みを見て、将門塚行きました)国益を背負い最先端フロントでの仕事はさぞかしやりがいがあるのではないでしょうか?
    御身体だけはくれぐれもご自愛して頑張っていただきたいです。
    日本を忘れないように、細々ながら古(いにしえ)を書き込んでいきます。

    代々木、原宿と所用があり、帰りは車を返し、代々木口から原宿まで明治神宮を散策しました。学生時代はよく歩いていたので数十年ぶりかな。
    木造12Mの鳥居があり、木造で日本最大だそうです。
    また夫婦楠には木と木の間にしめ縄をぶら下がってるんだが、これは古来の鳥居の原型なのではないかとひらめいた。
    神社の神聖区域を区切るために鳥居が四方にあることは理解していたが、原始的には、巨木文化(御柱祭)から推測すると、巨木を二本建て、木と木と間にしめ縄をつるしたのが、鳥居の原型かもしれないと考えました。

    調べたところ、日本最古の神社と言われている奈良、大神神社の鳥居は木を二本建てしめ縄をぶら下げた鳥居が現存していた。大神神社のご神体は三輪山そのもので祭神が大物主命(大国主命の和魂)なぜか大和のど真ん中に出雲神がいるんだが。
    これは明らかに、巨木文化の名残、縄文の世では、山そのものがご神体であり
    神聖区域を区切るために山の入口、木と木の間にしめ縄を張った、これが鳥居の原型であり、古代シャーマニズムが現代まで連綿と伝えたものの一つなんだろう。大神神社の鳥居、出雲大社の巨大なしめ縄と建築物、諏訪大社の御柱祭、そして伊勢神宮の神明造り、これを見れば日本の古来からの信仰の変遷が見てとれる、日常生活の中には古来からの風習が沢山隠れていると思うと非常に楽しいと思った次第である。

  2. 【4231958】 投稿者: イワサキ  (ID:cUn7wfH1LWk) 投稿日時:2016年 09月 01日 06:36

    冷静にかんがえるとさん

    いやいや昨日は驚いたよ、八重洲で乾杯した後あなたの書き込みを発見をしたので、忘れ物したことにして一度オフィスに戻りレスしました。
    いろいろ勉強させてもらったのはこちらのほうです。
    あなたのような格調の高い書き込みをしたいなあと思いつつ、無理なので自分らしく書き込みは続けたいなあと思ってます。

    >ところで殯(もがり)の本質は遊部に顕れるように、復活儀礼であるというのが、折口信夫らに代表される民俗学的な見方であったと思います。
    これに対して鎮魂を目的に、死の確認作業的な意味を見出していたのが記紀など古代史研究者だったかなあ、という感想を得ています。 (冷静にかんがえるとさん)

    これなんだけど、両方の考えは承知してます。
    古来の考え、シャーマニズムでは、(卑弥呼の時代)身体が朽ち果てても魂はのこりこれを引き継ぐ作業だったと思う、想像するに新しい巫女に魂を乗り移らせるイメージ。宮内庁否定はしているが、殯(もがり)の際、ご遺体と添い寝するとの論説もあったはず。

    また大国主命や天照大神には和魂、荒魂(祟り、怖い魂)があり荒魂を慰めるお祓いこれが鎮魂のはじまりだと思う。
    八十島祭りの鎮魂などは、天皇家に災いをもたらさないように荒魂を鎮魂
    古来の祟りはすべて、祟られる側に何か隠し去りたい秘密がある、だからこそ秘儀にしている可能性が強い。

    象徴天皇ではないが、人間としての魂は弔い、シャーマニズム的な霊感は生き返らせ次の大王に引き継ぎ(乗り移らせる、復活儀礼)
    そして過去に起きた王朝交代の相手を鎮魂している。
    この三つを同時に行っているのではないだろうか。
    殯(もがり)とは関係なく一年の始まり祭祀、四方拝では天皇陛下が拝する神々、天皇陵は
    伊勢神宮、天神地祇(大国主命など天孫降臨以前に国を治めていた神)
    神武天皇陵、明治天皇陵、大正天皇陵、昭和天皇陵、武蔵氷川神社(出雲神)
    山城一宮(賀茂別雷神社と賀茂御租神社)、石清水八幡宮、熱田神宮、、常陸一宮(鹿島神宮)、下総一宮(香取神宮)である。

    上記祭神がだれであるか考えると秘密が暴かれるかもしれない。
    未だに出雲国譲りに関係する神々が主役のようだから、実際にあった出来事を
    話は歪曲してるかもしれないが、鎮魂していることは間違いないだろう。

  3. 【4233726】 投稿者: 天夢  (ID:Z1.HB2FsG3g) 投稿日時:2016年 09月 02日 18:34

    リオ五輪の閉会式で日の丸の赤い円が中心に寄っていく画面がありましたが、あれこそ天皇を戴く求心力を示した日本の形だと思います。世界中にこのような日本の心と文化を広めるのは、やっぱり海外に出た、それなりの方々の発信に期待します。天皇制について色々な意見がありますが、このような掲示板でどんなに声高に天皇を否定しても、現実に発信力を持った方々にかなうはずありません。
    >いよいよ来週から新天地となり機上に赴くことになります。

    ご決意と自信がひしひし伝わります。知識もさることながら、この文章力がホントに頼もしいですね。
    冷静にかんがえると さん、ご活躍をお祈り致します。
    イワサキさんとのトークが拝見できず残念ですが、抜群の知識を誇るイワサキさんの書き込みをこれからも楽しみにしてます。このスレ、ヤッカミとか醜い嫉妬をスルーして、ぜひ続けて下さい。私もロムを続けて参ります。

  4. 【4236458】 投稿者: イワサキ  (ID:3mag3i3XK0Q) 投稿日時:2016年 09月 04日 19:43

    天夢さん

    ありがとう。このスレッドでは粛々と書き込んでいくのでよろしく。
    日本全国には、85000から88000の神社があり、小さな祠(社)を入れれば
    有に10万を超えているそうである。
    日本全国津々浦々まで、至るところに神社があり、鎮守の森は、一つの村(集落)に一つは必ず存在した。
    魏志倭人伝によれば下戸が大人に道ですれ違った時には、柏手を打ち道の横
    草むらに隠れたそうである。我々が神社で柏手を打つ由来だと思う。
    道の横に跪いたのは参勤交代での庶民の所作と同じかな。
    この大人(支配層)が亡くなり社が建てられ祀られた。これが神社の由来、
    そして社の技術が高床式倉庫へと変化し、祭祀これがお祭りに変化した。
    祭りの際には、種もみ、収穫した穀物を御供えして五穀豊穣、安寧を願った。
    種もみから新嘗をつくり(村人総出でつくる)神様からの贈り物として配られ田植えをした、これが新嘗祭の原型だろう。稲生り、稲成り、稲を担うこれが
    稲荷神社の原型だと思われる。
    また律令体制(701年)太政官より上に神祇官がおかれ全国の神社を統括し、国の律、令は神祇官より全国の神社の隅々に通知された。
    税金や国の通達は神社を通じて行われたのである。稲作の五穀豊穣を願い、役所としての機能も果たした(公民館であり、警察であり、裁判所の役割)

    現代の日常生活においても、子供を授かればお宮参り(地域の氏神)を行い
    七五三にもお宮参りを行い、春、夏、秋のお祭り(五穀豊穣を願う起源)で御神輿を担ぎ、お盆になれば盆踊りに参加し、縁日を楽しむ。
    私たちの幼少期の思い出には、故郷のお祭りは欠かせないはずである。

    それぞれの神社の祭神が誰かなど気に留めることもなく、日常の一コマとして時が流れ記憶に刷り込まれていることであろう。これこそが、我国の歴史であり伝統なのである。時間をこえ連なってきた伝統こそが、私たち日本人の強力な縦軸であり背骨となっていると思う。このような伝統の裏打ちをしっかり子供たちに伝え繋いでいくことが、我々日本で生まれた日本人としての大切な使命であることは間違いないところである。

  5. 【4236574】 投稿者: 神社の神々  (ID:SLzSSHeSaSM) 投稿日時:2016年 09月 04日 21:27

    天武天皇が壬申の乱に勝ち、古事記、日本書記を編纂し、
    国号を日本と定めたときから、アマテラスほか数多の神々の子孫である
    天皇と私達日本人の世界が始まりました。

    その痕跡が日本の津々浦々にある神社に違いありません。

    天皇が日本国の象徴であるのは、自然なことです。

  6. 【4241112】 投稿者: イワサキ  (ID:X55V7tVXwUE) 投稿日時:2016年 09月 08日 17:37

    モバイル版、閉鎖?
    この書き込みはどうなるんだろう?

  7. 【4241340】 投稿者: 総理大臣  (ID:dfLcyLnl.AQ) 投稿日時:2016年 09月 08日 21:48

    愛読しています。

  8. 【4243769】 投稿者: イワサキ  (ID:3mag3i3XK0Q) 投稿日時:2016年 09月 11日 09:39

    総理大臣さん
    ありがとう。回復したようなのでぼちぼち書いていきます。

    冷静にかんがえるとさん
    無事赴任したかな?

    古来の天皇で神との諡号を与えられた三人の天皇
    初代、神武天皇(ハツクニシラススメラミコト、初めて国を治めた天皇)
    10代、崇神天皇(ハツクニシラススメラミコト,)
    15代、応神天皇、その母、神功皇后まで入れると4人になる。

    神武、崇神は初めて国を治めた天皇と呼ばれているため同一人物説が多くある。
    私の直近の書き込みでは、神社、祭神について書いてきたのでその観点から
    初代神武を祭神にした古来からの神社はほとんどない。橿原神宮(明治期)などあとからの創建が数か所、記紀以外では伝承で足跡を追えない。崇神天皇しかり、ただ実際の政事伝承などでは崇神あたりから具体的になってくる、大和大神神社、伊勢神宮の創建にも崇神天皇がかかわってるから、大和に初めてできた中央集権体制の初代の可能性あり。(纏向遺跡、歴博の鑑定で250年ごろ)

    それに比べ、神功皇后、応神天皇を祭神にした神社は極めて多く記紀に記された伝承にそって、九州北部から瀬戸内海、住吉大社、敦賀地方に多くの神社あり、
    有名な大所神社の祭神になっている。住吉三神プラス神功皇后、八幡三神(応神とともに神功皇后、)名を上げれば、九州香椎宮、筥崎宮、宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮など有名どころである。神功皇后は実在しないと片付けられているが、モデルになった人物は存在したのではないか?

    仲哀天皇、神功皇后が九州遠征時に巫女の信託を仲哀天皇が拒否し、琴を弾きながら音が亡くなり仲哀天皇隣の部屋で急死、その際、神功皇后のお腹に応神天皇が宿っていたと記紀に記されている。その際に神功皇后を助けたのが武内宿祢なんだけど、ここで明らかに王朝が入れ替わったと多くの識者が指摘している。
    そこから、瀬戸内海を上り、応神天皇の兄にあたる王子と戦い退け応神が王位についた。このスレッドでも書いた神戸、五色塚古墳で記載ずみ。
    この時のたどった経路は神武東征とほぼ同じで、紀伊に上陸して攻め上っている
    その際、住吉大社を創建している。
    以上の内容から、祭神として祀られている応神天皇(武神)現代の天皇家の実質初代ではと疑っている。

    実際、伊勢神宮よりも、住吉大社のほうが大事にされてきた記録あり。
    伊勢神宮に行幸したのは、持統天皇だけそして明治天皇までない。
    その代わり、天皇家の内親王(未婚)の女性を斎宮として置いた。
    住吉大社には、天皇即位(大嘗祭の翌年、八十島祭りで22回行幸、鎌倉時代まで記載ずみ)伊勢神宮の斎宮(内親王)も、天皇の代替わりには一緒に代わるのだが、伊勢から都に戻る前に必ず、難波津(住吉大社近辺)へ行きお祓いを受けてから都に戻る、斎宮制度が続いた時代には行われた祭祀である。

    時代が降り、継体天皇が王位に就く際、北近江敦賀から大王家を継いだのだが
    応神天皇五世と記紀にあるが、ポイントは応神天皇五世で、仁徳ではなく応神の子孫だから許されたのではないか?
    江戸時代に家康の直系が途絶えた際、紀伊から家康孫、吉宗が将軍になっている。これは家康の孫じゃないとだめなのと同じだと思う。秀忠孫ではだめ。
    応神実質の初代が故に応神五世が皇位を継げたと考えたい。

    時代が降り、769年道鏡が皇位簒奪を狙った、宇佐八幡宮信託事件
    なぜ、皇祖神の祀られる伊勢神宮に信託を得ずに、大分の宇佐八幡なのか?
    宇佐八幡宮の祭神が(神功皇后、応神天皇)実質の初代だからではないかと推察できる。持統天皇が作り上げた皇祖神天照大神の伊勢神宮は769年時には重みを置かれていなかっことがたわかる。

    斎宮制度の終焉近くの南北朝時代に、南朝の後村上天皇、長慶天皇が行宮をおいたのもこの住吉大社であり、長慶はここで即位している。

    古来の重要社は崇拝よりも、鎮魂に重きを置かれているようである。
    出雲国譲りの出雲大社(大国主)
    太宰府天満宮(菅原道真)
    住吉大社、伊勢神宮も本当は、鎮魂、荒霊を鎮めることが多くの目的かもしれない。

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