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【4881957】公立で大丈夫な理由

投稿者: 動機が大事だよね   (ID:cGJ8QNKLKcA) 投稿日時:2018年 02月 13日 08:11

中学受験お疲れ様でした。しばらくゆっくりしてください。公立中学に不安を覚える親御さんがいらっしゃるようなので「全然問題ない」ことをお伝えしようと思います。

まず中学数学は受験算数のように難しくありません。おそらく算数で点が取れずに合格点に達しなかったお子さんが多数でしょうがあれは早熟な子がやるべきもので普通の発達段階の子供には難しすぎます。

公立中学で文科省教科書を渡されればその平易さにびっくりします。当然ですよね。標準的な発達段階の子供に分るように作られているのですから。塾で頭を悩ました受験算数から見れば信じられない簡単さです。どうしてあんな難しいことを親子でやらされたのかと実感します。

中学数学はちょっとやればすぐに出来る。先生もゆっくり教えてくれる。クラスで楽々上位で気分よく勉強できる。こうなれば好循環と成り数学は得意科目になります。そうなれば不思議と他の教科も伸びます。気がつけば地域トップ校合格も目の前でしょう。

一点突破、全面展開です。数学の目が開くので高校受験はどこでもOKになります。都立重点校も良し附属も良しで明るい未来が開けます。日比谷の校長が去年本を出しました。検索して読んでみてください。中高一貫私立に負けない授業やっているようです。 

お子さんが大学受験の6年後にはさらに都立復活が進んでいるかも知れません。公立中学に進んでも全く心配ありません。数学さえよく分かるようにしておけば高校受験は盤石ですよ。そしてそれは順を踏んでいけば誰にも分るものです。これが公立に進んでも全く心配ない大きな理由です。

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  1. 【4915658】 投稿者: あく きんのすけ  (ID:n1l8Y2rzAWc) 投稿日時:2018年 03月 07日 08:14

    動機さん、おはようございます(笑)。

    JQさん、コメントどうもです。
    よろしければ今年の西高の問題も解いてみてください。(大問4の問3)
    http://www.nishi-h.metro.tokyo.jp/09nyushi/mondai/30/30suugakuドットpdf

    「S=6となるのは、点Pと点Qが頂点Oを同時に出発してから何秒後と何秒後か。」の「S=6」を「S=3」に変えれば中学受験の問題になります。

    スレ主さんは受験算数というと特殊算しかご存知ないようですが、難問はたいていべたな特殊算ではありません。この問題の難しさの本質は(条件整理、場合分け)です。
    全国高校入試問題集(数学)をざっと眺めてみましたが、「点の移動」は頻出分野のようです。中学受験塾でもさんざんやらされる分野です。教育指導要領の範囲内で学力差をみようとすると、中学入試でも高校入試でもこういう問題を出さざるをえないのでしょうね。
    ですから、再度言いますが、中学受験算数が「曲芸」「趣味でやるもの」であるならば、高校受験数学もまたそうなのですよ。曲芸だろうが軽業だろうが、希望の学校に入りたければ身に付けざるをえないのです。
    不本意にも公立中に進学される方には「中学受験で勉強したことは無駄にならないよ。高校受験で似た問題が出題されるからね。公文で先取りした子よりも中学受験で鍛えた子の方がこういう問題には強いんだよ」と励ましてあげたいです。
    個人的にはこういうパズルを我が子に中3でいっぱい訓練させたくはないかな。

  2. 【4915665】 投稿者: 早い方がいい?  (ID:rDizmij09bk) 投稿日時:2018年 03月 07日 08:21

    受験算数、受験数学が役に立たないものだと仮定するなら、役に立たないものは高校受験まで引っ張らずにさっさと終わらせた方が優秀者にとっては良いということになりますかね。

    昔の都立伝統校は、今は名前だけ同じな受験予備校なので青春謳歌も本当?という感じですね。

  3. 【4915679】 投稿者: 実行済み  (ID:CVPITEJX3Dk) 投稿日時:2018年 03月 07日 08:26

    数学を学ぶと「必要条件」と「十分条件」という概念を獲得することになります。
    都立高校経由で東京大学に合格する人数は、一般には「学校群」で激減したと思われているようですが、実はそれほど垂直落下というほどではなかったようです。
    「日比谷131人灘132人で初めて抜かれ」「東大闘争時の混乱で1年入試が中止になり」「翌年久しぶりに100人を切って90人台になり」
    という経緯がありました。
    実は学校群初年度は、「100人を切った」年なので、今なら「都立大復活!」という喜びのあまり心臓が止まる人が続出したかもしれないくらい、合格者は多かったわけですね。
    もちろんこれは「1年待った」浪人生が相当いた影響もあったと思われます。
    当然ではありますが、学校群の影響はたいへん大きく、結局「日比谷以外に振り分けられた生徒は群内の他の2校に進学しなかった」可能性が高いです。
    都立が第一志望にならないという新たなシステムが発動したと評価することができるでしょう。

  4. 【4915709】 投稿者: 実行済み  (ID:CVPITEJX3Dk) 投稿日時:2018年 03月 07日 08:56

    その後都立の東大合格者総数はどんどん減って100人を割り込むところまで行き、安定期を経て現在「100人は超えた」くらいになっているのはご存じの通りです。
    この間の「日比谷」と「西」を比較すると推移は顕著に異なります。
    理由はどこにあると思いますか?
    これも、数学的に動態を分析すると難しくないという気がします。
    日比谷は地域の学校というよりは「日本の中心地にある日本一の高校」というイメージであり、「日本一東大に合格者を出している高校」だというのが志望動機として決定的だったからではないでしょうか。
    いわゆる日比谷全盛期、千代田区はすでに人口稠密な地域ではなくなっていましたが、それでも区内の中学校は生徒であふれかえるマンモス校になっており、習熟度別授業や手厚い補習で知られていました。「日比谷に○○人」というのを誇り、競う風潮もあったとも聞いております〈事実と異なるところがあったらぜひ修正してください〉。
    千代田区内の中学校の生徒の家族の居住地はどこだったのか?
    全国から集まっていたというのは誇張ではありませんが、それだけで麹町中や一橋中はマンモス校になりません。
    いろいろ聞いてみると近隣の区から来ていた例が多数あったようですね。
    学区だけ考えると移動する「必要」がない近場であっても、名門公立中が日比谷への近道だと憧れる、結構な人数があったということです。
    ただ、その層の日比谷「合格率」は特に高くなかったとも推測できます。数が合いませんからね。

  5. 【4915733】 投稿者: バラード  (ID:csLUf9DwGUc) 投稿日時:2018年 03月 07日 09:14

    個人的見方ですが、私は日比谷は十分復活? 改革のまず目標は達成したと感じています。今、ガリガリの難関大学向け指導ではなく、もはやアクティブラーニング(生徒が課題に対して発表し進行し討論したり 先生は補佐役)も行われて、次の授業に向けては各自が本読み、調べ、考えまとめて、プレゼン準備なとしてます。

    これはもう10年以上の重点校としての、進学指導から宣伝?(都)から現役志向から、ある意味成果が出て優秀な生徒が集まりだしたことだと思ってます。

    ただ、戦後の都立全盛時代(府立一中時代からの踏襲)と比べるには、あまりにも社会環境が変わっていて、都立5校が東大ベスト5で計600名、そのトップが日比谷、、、とはいきません。

    その代わり、私立御三家とか、国立付属とか、公立一貫とか、私立進学校、公立進学重点高校とか、一極集中でもなく、いろんな選択肢ができ、それぞれが経路を選んでいける時代、、、、つまらないグループ間争いや批判はやめたほうがいいです。それぞれで結果を出してますので。

    これで、優秀層の多くがかつてのように、高校受験で都立志望に偏ることはありえません。

    ようは分散化、学校の多様化、小中、中高、小中高、-大も入れた新スタイルももう出てきています。これはたぶん私立も国立(もうやってる)も公立も推進していきます。教育改革の先をもっと見据えたほうがよいのではと思います。

  6. 【4915747】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:wMI2ENtMUXQ) 投稿日時:2018年 03月 07日 09:26

    学校制度の中で入試なんてものがあるので、いかに入るかという手練手管というか、テクニックというか、手段が重要視されてしまいますが本来はやりたい者にはやらせて見る方がいいと思っています。

    松下村塾や適塾に入試は無かったのではありませんか? 誰かの推薦は必要だったのかな? 志のあるものが師について勉学に励む。これが本来の学問のあるべき姿で学校制度が出来ておかしくなった。

    やってみて駄目なら自分からやめていく。芸術系やスポーツは既にこうなっているんでしょう。学歴取得が生きていく上に有利だとなったのはいつからですかね?帝国大学が出来てからかな? 潜在力ある人物をいかに社会が見いだすかが究極の課題です。

  7. 【4915761】 投稿者: 実行済み  (ID:CVPITEJX3Dk) 投稿日時:2018年 03月 07日 09:42

    >>今、ガリガリの難関大学向け指導ではなく、もはやアクティブラーニング(生徒が課題に対して発表し進行し討論したり 先生は補佐役)も行われて、次の授業に向けては各自が本読み、調べ、考えまとめて、プレゼン準備なとしてます。

    バラードさま。
    ご自身はおいくつくらいか存じ上げませんが、高校生の頃の「世界史の授業」はどんな感じですか?
    庄司薫のエッセイを読んだ記憶によると、彼が日比谷にいたころの世界史の授業時間はまるっきりそういう感じだったようですよ。
    記憶による引用で申し訳ありませんが、各時間は生徒が交代で発表と言いますか、講義をする。
    福田章二少年が担当したのは古代ローマ史だったそうです。
    小説「クオ・ヴァディス」をモチーフにとうとうと話を進め、最後に「女子にもおすすめです。恋愛〈要素〉もあります」などと締めたんじゃなかったのかな。
    赤面するしかない「いやったらしさ」ではありますが、まあなにやらうら悲しいというか愛しさも感じますね。
    計算すると1950年代の前半になるのでしょうか。
    私は地方の名門ではない公立高校の出身ですが、同様のことはしたことがあります。
    19世紀のパリの都市構造がテーマで、オスマンのパリ改造を中心にやりました。
    2時間を勝手に使わせてくれた世界史の教師には感謝しています。
    ブランキ論を居眠りもせず聞いてくれていた同級生には、とりあえずごめんなさいと言っておきたい。
    「アクティブラーニング」なんて、逆にアクティブでない勉強など存在するのかと聞きたいくらいで、普通に実行する人は実行していた気もするんですけどね。

  8. 【4915780】 投稿者: つけ麺  (ID:VWq89qlPfgk) 投稿日時:2018年 03月 07日 10:05

    東大入試との親和性という観点から見れば、都立高校入試の問題より、いわゆる難関中学入試問題の方が、遥かに高いと思う。
    動機は都立から東大へのコースがどうとか言う前に、試験問題をちょっとくらい調べた方がいいと思うよ。

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