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【5108174】悠仁様の進路

投稿者: ポンポン   (ID:75kVklhHt.k) 投稿日時:2018年 09月 08日 02:05

夏休みのご様子が公開されて、健やかに成長されて
いらっしゃる様子を微笑ましく拝見致しました。
いよいよ来年は中学生になられますが、皆さんの
関心を集める進路についてのスレをまた立てます。

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  1. 【5235206】 投稿者: 前衛党  (ID:PNLI1N0bp9A) 投稿日時:2018年 12月 20日 17:02

    公平に見て、陸軍も海軍もどっちもどっち。
    TVや映画などで、東郷平八郎や山本五十六ら旧海軍指導層が好意的に描かれていることに違和を覚える。むしろ、故城山三郎が自ら従軍した海軍経験を手厳しく回顧しているのに共感できた。

    もちろん、77年前の無謀な太平洋戦争の開戦を決定したのは昭和天皇自身である。しかも、その3年後にはもはや敗戦必至であったにも関わらず、昭和天皇自身が戦争責任回避のための「一撃講和論」に固執し、戦争終結の機会を逸した。このため、その後1年間で日本軍の戦病死者が圧倒的に激増、また本土空襲、沖縄地上戦、特攻隊、広島・長崎への各原爆投下、ソ連参戦による満州での悲劇(残留孤児発生)といった惨劇が惹起した。すべて、天皇含む戦争指導部の決断力や責任感の乏しさによるものだ。

    そのような厳然たる史実を前に、どのような昭和天皇弁護も意味をなさない。
    我らが自ら、彼を公正に裁くべきであった。A級戦犯容疑者がCIAとの裏取引で釈放、その後首相に就任。さらにその孫がその祖父のなしえなかった野望―暗黒の戦前社会回帰―を公言するに至る信じがたい「喜劇」を前に、それを痛感する。われわれは、歴史から何を学んだのであろうか。

  2. 【5235224】 投稿者: ??  (ID:r7furs2VfJ.) 投稿日時:2018年 12月 20日 17:16

    >我らが自ら、彼を公正に裁くべきであった

    いかなる法的根拠で?

  3. 【5235233】 投稿者: それなら  (ID:2QQKHY17neo) 投稿日時:2018年 12月 20日 17:24

    やっぱり前衛党さんは文才がありますね。
    我が子は作文が苦手なので、家庭教師をして頂きたいくらいです。
    私は歴史が苦手なので知識があやふやですが、当時の開戦は何処の国も止む終えなかったのではないですかね。後半、日本は旧ソ連にカマをかけられたのでしょう?
    終戦が遅れた、それを懺悔しているからこその今上天皇・皇后陛下の平和活動が続いているのだから、もう許してあげてください。

  4. 【5235331】 投稿者: それなら  (ID:ztHMcem.wMA) 投稿日時:2018年 12月 20日 18:36

    前衛党さん、こんなブログ記事を見つけました。私は歴史に詳しくないので、何が本当なのか珍紛漢紛です。そうなんだ〜と頷くしかできません。


    太平洋戦争 は日本 vs アメリカ の戦争ではなく、 帝国陸軍 vs 昭和天皇+帝国海軍+アメリカ の戦争だった

    明治天皇をすり替えた薩長政権以降、それを仕掛けたユダヤ資本にとって天皇の派閥争いは日本をコントロールするいいネタであったであろう。他方、日本の中でもまっとうな民族派は脱金貸し支配に動き、そして薩長政権との対立を深めたであろう。ところがそのような国内の対立にうまく付け入るのが金貸しの常套手段。天皇と満州軍の対立は226事件へと発展し、ついには戦争へと突入していったのであろう。

    御巣鷹山事件の考察でも知られるnueqブログからの引用

    *****************

    「 太平洋戦争 」は、日本 vs アメリカ の戦争ではなく、 帝国陸軍 vs 昭和天皇+帝国海軍+アメリカ の戦争だったのです。その複雑怪奇な内容と推移を、僕の情報筋からの内容をまとめて、あえて簡略化して云うなら、226事件( 1936:昭和11年2月26日 )によって昭和天皇は極度のトラウマ状態となり、これが原因で上記のような構造へと導かれます。

    226事件は、公表的には帝国陸軍:皇道派の青年将校たちが「 昭和維新・尊皇討奸 」「天皇親政 」をスローガンに企てたクーデター未遂とされていますが、これは事実のホンの一部分を取り上げたものにしか過ぎません。実際には、昭和天皇を捕獲:廃帝にし、一応公表上、昭和天皇の弟とされている秩父宮を新しい天皇に据えるべく起こした帝国陸軍最強の第2師団( 仙台師団 )に依るクーデターで、青年将校たちの決起はその先遣隊だったのです。先遣隊の暗殺&天皇捕獲に続いて、仙台から上野に秩父宮と共に向かっていた仙台師団は、帝国海軍陸戦隊が戦車隊まで繰り出して青年将校の先遣隊を完全制圧したため、プランを断念せざるを得なくなってしまいます。

    ここに昭和天皇の帝国陸軍トラウマが始まり、これにユダヤと日本に依る満州共同経営を日本側が一方的に反故にしたことが重なって、ゾルゲ事件や帝国海軍:特に山本五十六と米内光政に依る対米開戦と云う日本( = 帝国陸軍 )敗戦へのプランが策定・実行に移されることになります。

    つまり、

    1) 帝国陸軍の独走とそれを阻止したい天皇の戦い
    2) 満蒙支配権を巡る扶餘チュルク五族協和 vs 満州ユダヤ経営+世界鉄道( 帝国 )
    3) 支那利権を巡る列強の対立
    4) ユダヤ( コミンテルン )撲滅勢力 vs ユダヤコミンテルン世界帝国
    5) 白人支配からの解放を目指す「 大東亜共栄 」 vs コーカソイド( 白人種 )による有色人種奴隷支配のステルス化

    といった、国際的・国内的様々な要因を背景として、「 日本の第2次世界大戦 」が策定されていきます。

    真珠湾に対する攻撃は、日本海軍自らが戦後表明したように、まったく戦力的必要からはるかにかけ離れたものであって、これは戦略的には愚の骨頂であった。

    軍事のいろはの「 い 」は、補給 = ロジスティック。補給線が長く伸びきってしまえば、時間がかかる。 補給線を分断されやすい。「 無謀な太平洋攻略 」 とは、このことで、ワザと負けるために方針転換したと云っても過言ではないお粗末さです。

    海軍の行状は、アメリカに参戦の口実を与え、帝国陸軍の戦力を削ぎ、ワザと日本が負けるように振る舞った。としか言い様がありませんし、事実そのような意図を持っていた。とある筋より聞かされています。また、当時海軍内では、「 主敵は陸軍だ! 」とも叫ばれてたのです。

    そして、御前会議の内容は翌日にはアメリカ側に伝わっていました。その連絡ラインが、鬼塚英昭さんによると、吉田茂、樺山愛資( 貴族 )、駐日アメリカ大使:グルーのラインでリークされていたとのことです。 そしてグルー大使離日後は、吉田茂が直接ヨーロッパ経由で伝えていたものと推測されます。日本軍の暗号も、その暗号表が事前にアメリカ側にもたらされていたとしても別に驚くにはあたりません。

    ゾルゲグループに依る日独伊3国同盟への誘導と、ソ連をドイツと挟撃する戦略への誘導、それにヨハンセングループによる日本国内のトップシークレットの連合国側へのリークなど、昭和天皇を中心とする日本敗戦への綿密な深層潮流の準備がなされていたことが窺えます。

    ところが、太平洋戦争緒戦段階での日本軍の快進撃が、昭和天皇に色気を出させた様だ。 とある情報筋は伝えています。 もちろんその内容はアメリカ側に筒抜けです。
    これが、アメリカ側による停戦回避 = 過酷な日本攻撃と、2発の原爆を誘い込んだ可能性も指摘されています。

    予定通りに行けば、日本はドイツのようにアメリカとソ連で分け合う完全植民地となったことでしょう。

    ところが、ここで異変が起こります。アメリカの非ユダヤ勢力が、ルーズベルトのコミンテルン( マルクス共産主義 = インターナショナリズム )路線と、同じく隠れコミンテルンのチャーチル、それに共産主義のスターリンの密約よる世界乗っ取りにどうやら気づいたようで、これがルーズベルトの暗殺に動きます。ルーズベルト大統領の暗殺とトルーマン大統領の就任によって、対日戦略は大転換されます。 すでに共産主義国となったソ連、支那の赤化( 共産主義化 )への防波堤とするために日本列島の活用が新戦略として浮上します。

    こうして対共産主義防波堤として、日本に資金と技術を投下して日本の高度成長が始まりますが、旧帝国陸軍勢力と田中角栄+トウ小平による中国の原爆開発が推進されるに至って、アメリカは大方針を再度転換します。その象徴的事件となったのが、1976年のロッキード事件による田中角栄の失脚、及び1985年の「 御巣鷹山事変 」と、その直後のプラザ合意です。

  5. 【5235373】 投稿者: 前衛党  (ID:PNLI1N0bp9A) 投稿日時:2018年 12月 20日 19:13

    この当時の特殊な状況下で、今の時代のような厳密な法的根拠が必要であろうか。
    もっと、歴史性を踏まえたお尋ねを願いたいものだ。

    たとえば、私は次のように考える。
    ポツダム宣言受諾、降伏により明治憲法の基本原理は失われた。ゆえに、そこにある国民主権の要求を日帝政府(昭和天皇)が承認した限り、降伏と同時にそれに反する明治憲法の一切の条項は効力を失ったと解することができる(『八月革命』)。したがって、その時点で昭和天皇は明治憲法時代の主権者(統治者)たる地位を失い、法的に一般国民の立場に変わったと考えることができる。

    問題は、戦後の占領軍最高司令官による指令、あるいはそれに基づいて制定された法律と日本国憲法との関りであった。なぜなら、1947年に施行された日本国憲法は天皇を象徴とし、皇室典範21条から類推してそれゆえ象徴たる地位にある間は「刑事無答責」と考えられたからである。しかしながら、他方で連合国の占領管理の時期においては日本国憲法はまだ真の意味での法の最高法規ではなかった。いわば占領軍の指令等は超法規的効力を有していたといえる状態であった。

    したがって、昭和天皇を侵略戦争の戦争責任者として、われら日本人自身により裁判にかけられた時期は、連合国軍最高司令官の承認を前提に、敗戦後からサンフランシスコ講和条約によって日本が独立する1951年までであったと思われる。

  6. 【5235466】 投稿者: 法律屋  (ID:IkgEguw/nu.) 投稿日時:2018年 12月 20日 20:28

    >この当時の特殊な状況下で、今の時代のような厳密な法的根拠が必要であろうか。

    罪刑法定主義はマグナ・カルタ以来の法の常識だ。
    アシベ憲法みたいな薄っぺらの教科書には書いてないだろうがな。

    法学初学者レベルからやり直せ(笑)

  7. 【5235532】 投稿者: 前衛党  (ID:PNLI1N0bp9A) 投稿日時:2018年 12月 20日 21:27

    どこかで聞いたような面白い話ではあるが、史実に基づく具体的な論証なき限り、今はやりの「陰謀論」の類として専門家からは無視されてしまうことであろう。なにせ、日本近現代史の著作多いマスコミ出身のあの有名な某氏でさえ、学会からは半素人扱いなのであるのだから。やはり、長期間の史料批判の訓練を経ていないとacademicな歴史学の世界では門前払いになってしまうようである。

  8. 【5235584】 投稿者: 前衛党  (ID:PNLI1N0bp9A) 投稿日時:2018年 12月 20日 22:14

    お答えしよう。

    『罪刑法定主義』なら、法学入門のどの本にも紹介されているイロハのイだ。

    ただ、天皇制につきそれは不適切であろう。
    なぜなら、戦前の天皇制が国体の恒久性による永遠性と支配性—万世一系の皇室の永久的承継—を声高に唱え、「神勅」なる超越性と非科学性で以て明治憲法を制定したとの虚構による統治権で以て、臣民へ隷属を強いてきたからである。

    そうであったにも関わらず、なにゆえ戦争責任追及から逃れるために、今になり世俗的な罪刑法定主義なる実定法観念を持ち出すのかね。「現人神」であった昭和天皇であれば、お得意の「国体論」という原始的観念でもって、これまでと同様に改革の抑止、革命の否定、科学化の道の閉鎖を意味づければよいではないか。

    その意味では、さすがに国体の意義について解釈した戦前の大審院は肝が座っていた。
    「わが帝国は万世一系の天皇君臨し、統治権を総攬し給うことをもってその国体となし、治安維持法のいわゆる国体の意義またかくの如く解すべきものとす」と世俗的な法解釈の根拠にまで、論理の超越を悪びれもせず行っていた。

    それゆえに、たとえポツダム宣言受諾によって明治憲法3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」との規定が消滅したと解されても、戦争責任の追及の声に対しては上述国体論から超法規的に
    The King can do no wrongである、と開き直るべきであろう。

    昭和天皇が神様の子孫であるならば、それらしく堂々と振舞ってもらいたいものだ。責任逃れのためとはいえ、「罪刑法定主義」などという民草風情の論理でもって、自らを卑小化すべきではあるまいよ。

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