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【1378385】筑駒の特長

投稿者: 凡人   (ID:T8eOjFfLKDY) 投稿日時:2009年 07月 25日 23:09

 筑駒の入試の厳しさは良く知られているとおり。
 中学合格者130人で、鉄板組はせいぜい30~40人。あとの90人以上はもう一回試験をすれば入れ替わる可能性があるでしょう。要は確率の問題で、5割以上の可能性を持って入ってくるのはせいぜい100人くらいで、5割以下の合格可能性と言われて入ってくる子も30~40人はいるはず。
 しかし、その運良く入ってくる子たちも、筑駒が「合格」させている以上、これからの6年間を筑駒で学ぶ資格・能力を持っていると筑駒が認めていることに変わりはないのです。
 この学校の特長は、「密度」ではないかと思います。中学3クラス、高校4クラス。一クラス40人のなかに、今で言えば、数学オリンピックの優秀者が何人もいたり、〇〇オリンピッククラスが何人もいたり、囲碁や将棋の有段者が何人もいたり、模試の成績優秀者が何人もいたり・・・そのなかで鉄板組も幸運組もお互いに刺激しあって成長していく部分が大きいと思います。
 自分自身を振り返っても、超優秀な友人達の物事の着眼点、本質の理解の仕方、読書の傾向、勉強方法、はては暗記の仕方などなどetc・・・数え上げればきりがないほど、多くのことを近くの友人達から学び、その後の大学時代、社会人時代を生きる財産になっています。他にも人脈とか自信とか、ここに学ぶメリットはいろいろあるとは思いますが、何と言ってもここの特長はいわば「密度」と言えるのではないでしょうか。
 

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  1. 【1612123】 投稿者: 筑駒の英語  (ID:nMjqDnzQLJY) 投稿日時:2010年 02月 10日 23:25

    参考まで。

    http://www.yamikoma.com/modules/news/article.php?storyid=25


    http://www.modern.tsukuba.ac.jp/~ushiro/Methodology/Lecture/2003/1203.html

  2. 【1612124】 投稿者: 筑駒の英語  (ID:nMjqDnzQLJY) 投稿日時:2010年 02月 10日 23:25

    参考まで。

    http://www.yamikoma.com/modules/news/article.php?storyid=25

    http://www.modern.tsukuba.ac.jp/~ushiro/Methodology/Lecture/2003/1203.html

  3. 【1668766】 投稿者: 東京大学総長賞の受賞者一覧発表  (ID:0eT9.THH5iE) 投稿日時:2010年 03月 22日 23:19

    先輩たち、流石ですね。

    http://medical3d.buzzlog.jp/e144700.html

  4. 【1678615】 投稿者: 東大総長大賞まで!  (ID:AoL8HC5MjCg) 投稿日時:2010年 04月 01日 12:27

    この方、その後、東大総長大賞も受賞されたんですね!
    どんどん社会貢献につながる研究活動を進めて欲しいと思います。


    授賞式では、中高の同期の方が4人も揃ったようですね。
    みなさん、東大入学後も各分野で傑出した活動を続けておられるようで心強い限りです。
    日本のために頑張って下さい。

  5. 【1678845】 投稿者: 応援団  (ID:pHoFFDX01Ws) 投稿日時:2010年 04月 01日 16:44

    よしよし。あとは灘に継いで、ノーベル賞を是非!

  6. 【1679409】 投稿者: 筑駒の謎の答え  (ID:5m7yOspL2L6) 投稿日時:2010年 04月 02日 01:30

     設立時は、農業教育のための旧制の中学を設立すべく関係者は努力したようですが、敗戦後の学制改革に直面し、やむなく普通の中学校(普通課程2学級96名)として今から63年前の1947年(昭和22年)に設立されたとのことです。
     当時は校舎もオンボロで、時代背景もあるのでしょうが、書かれているように戦前からの正統な名門の附属大塚に追いつけ追い越せと、先生方も努力されたようです。
     昔の官尊民卑の風潮のなかで、一応「国立」。
     さらに熱心な先生方の努力の甲斐あってか、附属駒場中を卒業して日比谷、戸山、西などの都立名門校や附属大塚に進んだ方が多かったようで、その評判がまた入学希望者の増につながる、というのが中学開校初期10年までの状態だったようです。

     なお、農業教育の方は、中学卒業生が出る1950年に附属高校が設置され、そこで悲願だった農業科が併設されたとのことですが、その後、高校における農業科は10年ほど存続し,最後の農業科卒業生が卒業したのは1959年度末だったとのことですから、高校における農業科の募集は7年ほど行われたことになります。
    (吉川洋東大経済学部教授による農林水産研究所への寄稿「駒場野」による)
    http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/review/pdf/primaffreview2005-17-1[削除しました]


     その4年前の1956年中学入学者から中高一貫化され、高校から都立や大塚に抜けなくなったため、その卒業生が大学入試を迎えた1962年あたりから東大進学者が増加しはじめ、1963年には東大合格者ベスト10入り。
     以降、都立高校に学校群が導入された1970年代には130人台(うち現役合格も100人近く)の合格者を出すに至っています。教育大附属ではなく、東大附属と言われたこの1960年代から70年代が、こと東大進学に関してはこの学校のこれまでのピークに当たると思われます。
     従って、生徒集めに汲々としていたのは昭和20年代前半の設立初期の頃の話ではないでしょうか。


     以前、四谷大塚の歴代トップという週間朝日の記事を見たことがありますが、四谷大塚が出来た1960年代後半から既にほぼ全員が筑駒(当時の教駒)に進学していました。当時の中学受験をする都内の小学生のトップ層はこぞって当時の教駒に進学していたと思われます。
     それが崩れるのが1978年に駒場の中学入試に悪名高い抽選が入ってから。その後、四谷大塚トップの進学先は開成、武蔵、(麻布もいたかも知れません)、筑駒と、バラバラになっていたように思います。


     従って、その後15年間くらいは、筑駒に合格しても私立御三家に進学する方がそれなりの数存在していた、筑駒と私学御三家の並立状態の時代だったと思われます。
     ここ10年くらいは抽選が緩くなったり、筑駒の教育に対する信頼感が増して来たりしているのかも知れませんが、また筑駒に首都圏のトップ層が集中して来ているように思われます。


     なお、吉川先生が書かれている農業との縁は今でも受け継がれ、中1と高1は1878年の駒場農学校開校以来、130年の歴史を有する日本農学発祥記念の地「ケルネル田んぼ」において毎年6月に田植え、10月に稲刈りを行い、収穫した米は入学式と卒業式の折に赤飯にし、新入生および卒業生に供されています。
     我が国は瑞穂の国。陛下もされる神聖なる田植えを都内の明治国家以来の伝統の田んぼで出来るとは何と幸せなことか。その伝統のお陰か、筑駒から東大理2に進学する者も伝統的にそれなりにいて、現在の日本のバイオテクノロジーを担う有力研究者には出身者が多いと聞いております。

  7. 【1679673】 投稿者: rom  (ID:D9EMXX6ywm6) 投稿日時:2010年 04月 02日 10:58

    灘に次ぐ、日本で2番目の難関校ですからね。
    関東ではトップです。
    多様な人材がいるのは羨ましい環境です。

  8. 【1679690】 投稿者: 通塾率は微妙  (ID:uNXWYPeAgQY) 投稿日時:2010年 04月 02日 11:19

    模試でいい点を取ると、特待扱いで予備校の所属になることが多いですからね。
    単純に通塾率と言っても微妙かと。
    理3以外だと、予備校には所属していても、基本は自学という合格者も結構いると思います。

    それから、どうして実績がいいか、ということですが、優秀な頭脳の出現率は日本のような単民族国家だと人口に比例します。
    当然、東京のような大都市圏では優秀頭脳の母数が大きい訳ですから、中学受験等でその頭脳が優秀そうな学校に集まります。私立にも、国立にも。
    灘の強さは、西日本一帯から(場合によっては東日本からも)広くその優秀頭脳を集められるからでしょう。
    一方、筑駒は高校ですら学区がありますから、そういう訳にはいきません。
    ただ、国立は授業料が安いですから、国立でレベルが高いところがあれば、生徒や保護者には大歓迎されます。

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