今年入学した高1生が語る青春リアル
かける数とかけられる数
小2で習う掛け算に、かける数とかけられる数、が出てきますが、学校では文章問題で、先に来るのがかけられる数、後に、かける数がくることに徹底しています。
我が家の主人が、そんなものは聞いたことがない、高学年の算数や数学で、かけられる数もかける数もどっちだって答えは同じなんだから、いいんだ。どこの参考書にそんな事が書いてあるんだ、AXB=BXAだ、学校の先生が間違っている、おまえも嘘を言ってるだけだ、と申しています。。子供にもそんな調子で教えるので、子供もどっちが正しいのかと疑問を持ち始めてきました。学校では、5+5+5は、5が3回かけられている事である、ということを徹底し、特に文章問題では、5X3でなければXになってしまうのです。主人には、どのように説明をすれば、分かってもらえるのでしょうか。単位がかけられる数に相当する、かける数が数、に相当する、と説明すればいいのでしょうか。自習ノートなどのO付けを主人にお願いすると、逆でももちろんOにしてしまうので、結局先生から再度Xをもらい、帰ってくることもあり、困っています。主人は理数系卒、40歳近くです。かけられる数もかける数も習った記憶はないそうです。強気に、学校の先生も、教科書通りに合わせる私にも、おまえらが間違いだ、と言ってのけるのですが、この人に理解できるような説明ができる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。。
化学や物理の分野の計算は、高校でも大学でも会社でも、単位を付けて(少なくとも常に意識して)計算する事がほとんどです。
以下余談。
自分の中では、かける数とかけられる数の違いの重要性は低いと思っているのですが、それは、私が頭の中で単位を付けて、
2個/人×3人
3人×2個/人
この2つの差は美的感覚にしか過ぎないとおもっているからです。
式は文章題のなかにある本質(絶対的不変な部分)を伝えることしかできません。たし算を例にとってみればわかると思いますが2に3を加えるのかあるいは3に2を加えるのか、そのようなことにこだわると、どちらとも言えない状況に遭遇します。商品の個数や値段の求め方は、すんなり言葉の式に当てはめられる考え方だけではありません。そこに発想のユニークさがあり、算数、数学の楽しさがあり、またこれから発展していく数学にとって必要な能力だと思います。
算数を教えるときは色々な発想を生徒からひきだし、先生はその発想の豊かさを評価し(褒める)次に進むために必要な考え方を指導するべきだと思います。最終的には、言葉の式で締めくくるのが、もっとも良い授業だと思います。そしてテストでは言葉の式を使うよう指導するべきだとも思います。しかし言葉の式通りでなかったとしても間違いとするのは間違っていると思うのですが、皆さんはどう思われますか?算数の分野では間違いなのですか?数学の分野で、もし×を省略しないで式を書けと問われた場合はどうでしょうか?数学でも発想の自由さは認められないのでしょうか?
私は,この問題は,教師が「子供たちが混乱しないように」との思いをはき違えて,教条主義的になっているだけだと捉えました.
そもそも数学能力とは全く無関係だと思います.
例えば,単位云々の議論もされてきたようですが,そもそも,それは算数・数学の「純粋な」問題ではないでしょう?状況によって,物理学だったり,経済学だったり...まぁ,そんな大げさな話ではないのですが,厳密に考えれば,数学を応用した方面の問題だということです.
教師は,文章題を算数・数学は身近な問題にも対応できることを示すために作っているのだと思います.ですが,そうした時点で既に,難度に関わらず数学を「応用」して考えてみようということであって,すでに(基礎の)数学の話ではない.
単位を間違ってバッテンの問題も見受けられますが,私はそういう問題は数学能力のテスティングとしては欠陥だと思っています.
答えの単位を間違えたらそれは間違いです。単位を間違えるということは何を求めているのか理解していないと、みなしていいと思います。私の主張は掛け算の立式のもとにする数は考え方(数え方)によって変わるということです。その考え方の多様性が算数、数学の発想の宝の一つだと思います。




































