- インターエデュPICKUP
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投稿者: タント (ID:adsyzSbggkQ) 投稿日時:2010年 03月 01日 22:39
この板は、皆さんで様々な学習法を体験に基づいて
披露して頂いたり、御意見いただいて、それぞれの
ご家庭で生かすことを考えています。
一般父母だけでなく、様々な立場からのアドバイス
も歓迎します。また、子供の学習に悩めるお母様や
お父様の書き込みも大歓迎です。皆さんで解決策を
考えましょう。
高学年のカテゴリーですが、お子様の年齢に関係なく
様々な方の、御経験やご意見を賜りたいと思います。
どこまで、この板を維持できるか不安ですが、皆さん
ご協力ください。宜しくお願いします。
(前回の板のようにレスポンス良くは出来ないと思います
申訳ないですが、お付き合い下さいませ。)
-
【1756675】 投稿者: もっく (ID:0GdCoA7ma4Y) 投稿日時:2010年 06月 07日 10:05
タントさん、お久しぶりです。
我が家もハーバード白熱教室にはまってます。
私は恥ずかしながら1回聞いただけでは意味がつかめないので、
録画して主人にわからない所を聞きながら観ているという状態ですが。
日々の暮らしは惰性で流れていく事も多いので、ここで錆び付いた頭を使おうと頑張ってます。
感想などお聞かせ下さい。
そういえば、少し前にセンターで倫理と政経がドッキングするとおっしゃってましたが、
公民で得点率が計算しにくくなって困る子も多くなるかも、ですね。 -
【1757072】 投稿者: タント (ID:ZliVocE.1cM) 投稿日時:2010年 06月 07日 15:55
もっく さん
私は米国の『正義』の考え方には、一家言を持っていました。
米国のハーバードで、分り易くロールズを持ち出して米国人
の手で『正義』について、生徒にも発言を求め授業を展開し
ていくサンデルの授業に毎回ワクワクドキドキして成り行き
を愉しみにしています。私は並行して、ロールズやサンデル
の書籍を購入して、自らの相対主義的考え方に思考を巡らし
て、米国人サンデルが説く道徳的概念を『正義』に必要不可
欠要素として米国人らしくない理論展開と、政治的な罪の償
いに関して言及するところが、やはり日本人として強く興味
のあるところです。過去の哲学者の主張に正義の在り方の変
遷や核心を見出す点において、サンデルの主張は重みを持つ
のですね。これからも当面は久しぶりに良いマイテーマを見
つけました。
NHKのJAPANプロジェクトの『日本と朝鮮』も良いでき
です。次回の三回目も愉しみです。 -
【1757091】 投稿者: タント (ID:ZliVocE.1cM) 投稿日時:2010年 06月 07日 16:14
↑
訂正
JAPANプロジェクトの『日本と朝鮮』でなく、
プロジェクトJAPANのNHKスペシャル『日本と朝鮮半島』ですね。
今年は、韓国併合から100年ですね。 -
【1760651】 投稿者: もっく (ID:cvqVekAL6is) 投稿日時:2010年 06月 10日 13:03
タントさん
さすがタントさん。恐れ多くなってきました。
私は外国で暮らした事もなく、それぞれのお国柄や特徴については
本からの知識しか無いので、タントさんの物の見方が目から鱗状態というか
そういう見方もあるのね、なるほど、すごいわ、です。
個人的にはアメリカ的な直截さよりもヨーロッパ的な老獪さが好きな
(かなり語弊のある表現ですね)私ですが、
過去の賢人をアメリカ人としてどう料理しているのか、現実認識はどうなのか、
という視点でもう一度録画を見直してみようと思います。
ごくごく単純な質問ですが、生徒に発言を求める際には必ず名前を言わせるのもアメリカ流
なのでしょうか、それとも「西洋」流なのでしょうか?
ご存知でしたら教えてください。
いつも日本ではまずありえないなあ、と思いながら見ているので。
韓国併合に関しては朝日新聞がこの間大きく取り上げていましたね。
実は、今たまたま独学で日本史の勉強をしていてちょうど明治期に入った所なので、
ここからは世界史も併せて帝国主義の潮流と関連づけて見ていこうかなあと思っている所でした。
私もぜひ見てみようと思います。 -
-
【1764378】 投稿者: タント (ID:ZliVocE.1cM) 投稿日時:2010年 06月 13日 19:48
もっく さん
今日も、夢中でサンデルのハーバード白熱教室を見ました。
コミュニタリアンの主張が明らかになってきましたね。
さて、今日の授業で生徒がルームメイトが経済学の授業で
カンニングしているのを見つけても大学に通報しないと云う
発言に生徒の殆どが賛成している点に於いて非常に興味深い
ものがありました。
もし、カンニングでなく殺人であれば生徒はどんな反応を
示すのか興味がありますね。そこで生徒の反応に変化があれ
ば、不変の原理に選択されるのではないと云う事が云えます。
また、身近な共同体の価値観に最終的には左右されると云う
ことについて、バルジャー兄弟の例をあげてサンデルが生徒
を刺激する。この問題は、常に私も考える。もし、自分の愛
する子供が少年に殺害された場合に、少年法に基づき刑に服す
ることなく釈放されたら、間違いなくこの手で少年相手に
復讐することが頭に浮かぶからである。これは、東野圭吾氏
の小説『さまよう刃』でも同じような課題を取り上げています。
法は平等か?法はその時の道徳観から変えられます。
ハードパ二ッシュメントかソフトパ二ッシュメントかの問題は、
ここ50年くらの問題点であり、結論は出ていません。
>ごくごく単純な質問ですが、生徒に発言を求める際には必ず名前を言わせるのもアメリカ流
>なのでしょうか、それとも「西洋」流なのでしょうか?
>ご存知でしたら教えてください。
>いつも日本ではまずありえないなあ、と思いながら見ているので。
これは、誰の発言かを明確にすることで、曖昧さを許さない個人
を重要視した米国流(欧州は体験がありません)の方法です。
勿論、成績も関係ありますけどね(笑)。言葉に責任を持たせ
て論点を明確にするためです。生徒は教授の主張に反する意見も
大事にします。今回の授業でも、サンデル教授はコミュ二タリアン
に反論ある生徒を集めて、教授はその側に立ち議論を深めます。
つまり、生徒が空気を読んで、サンデル教授を生徒が疑問なく
支持するのを防ぐのです。真実の追求には欠かせない態度です。
結果、面白い授業の展開を今回はみました。どう見てもイスラム
圏の生徒の主張と、カンニング擁護派の生徒の主張です。
カンニング擁護派の生徒はとても多く、イスラム圏の生徒の主張
にはどの生徒も一線をかくしていました。
さて、サンデルの主張に近いのはイスラム圏の生徒だと云う事に
、今後気付かされることでしょう(笑)。
来週が愉しみですね。
-
【1764579】 投稿者: タント (ID:ZliVocE.1cM) 投稿日時:2010年 06月 13日 23:01
空気を読む方々へ
私は自虐史観に洗脳されてませんので、
自由なご発言を歓迎しますよ。
老婆心ながら・・・ -
【1766548】 投稿者: もっく (ID:cvqVekAL6is) 投稿日時:2010年 06月 15日 11:32
タントさん
実はまだ今回のは外出していたため見てません。
ゆっくり見て感じた事をまとめたいなと思っています。
韓国併合についてちょっとだけ。
明治10年あたりまでをざっと見渡していると、
西洋に対する危機感と劣等感が伝わって来るような気がしてしょうがありません。
初期の「ナントカ令」の多さ。とにかく国としての形を成さないと
諸外国につけいれられてしまう、といった焦りもあったんだろうと思います。
西南戦争で一息ついて、議会制度、憲法と形が整ってきたら
次は西洋に実質的に追いつき肩を並べるにはどうしたらよいか、と考え始めて
やり方を検討したら植民地支配、領土拡張、というモデルがあった…
私の中では今のところこんな認識です。
もう少し思うところもありますが、(儒教の打破を韓国の人々が自力で出来たか?の問題とか)
どう書いてよいのやら、迷います。
主婦仲間ではこんな話も出来ず(政治系統はまずひかれちゃいますから)
このくらい書くだけでもなんかドキドキです。
日本人ですね…。 -
【1767285】 投稿者: タント (ID:ZliVocE.1cM) 投稿日時:2010年 06月 15日 21:49
もっく さん
朝鮮半島は地政学上、中国・モンゴル・ロシア・日本の重要地域なんです。
現在でも、米国と中国(ロシア)の地政学上の重要地域なので、分断国家のままです。
日露戦争の背景を下記に、http://wapedia.mobi/ja/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89#1.
から転記しておきます。参考になさってください。
1. ロシアと日本の対立の場となった朝鮮半島
大韓帝国は冊封体制から離脱したものの、満洲を勢力下においたロシアが朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。ロシアは閔妃を通じ売り払われた鍾城・鏡源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増したが、ロシアの進める南下政策に危機感(1861年にロシア軍艦対馬占領事件があった為)を持っていた日本がこれらを買い戻し回復させた。
当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった。1904年2月23日、開戦前に「局外中立宣言」をした大韓帝国における軍事行動を可能にするために日韓議定書を締結し、開戦後8月には第一次日韓協約を締結、大韓帝国の財政、外交に顧問を置き条約締結に日本政府との協議をすることとした。大韓帝国内でも李氏朝鮮による旧体制が維持されている状況では独自改革が難しいと判断した進歩会は日韓合邦を目指そうと鉄道敷設工事などに5万人ともいわれる大量の人員を派遣するなど、日露戦争において日本への協力を惜しまなかった。一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。
2. 日英同盟
ロシア帝国は、不凍港を求めて南下政策を採用し、露土戦争などの勝利によってバルカン半島における大きな地歩を獲得した。ロシアの影響力の増大を警戒するドイツ帝国の宰相ビスマルクは列強の代表を集めてベルリン会議を主催し、露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約の破棄とベルリン条約の締結に成功した。これによりロシアはバルカン半島での南下政策を断念し、進出の矛先を極東地域に向けることになった。
近代国家の建設を急ぐ日本では、ロシアに対する安全保障上朝鮮半島を自国の勢力下におく必要があるとの意見が大勢を占めていた。朝鮮を属国としていた清との日清戦争に勝利し、朝鮮半島への影響力を排除したものの、中国への進出を目論むロシア、フランス、ドイツからの三国干渉によって、下関条約で割譲を受けた遼東半島は清に返還された。世論においてはロシアとの戦争も辞さずという強硬な意見も出たが、当時の日本には列強諸国と戦えるだけの力は無く、政府内では伊藤博文ら戦争回避派が主流を占めた。ところがロシアは露清密約を結び、日本が手放した遼東半島の南端に位置する旅順・大連を1898年に租借し、旅順に旅順艦隊(第一太平洋艦隊)を配置するなど、満洲への進出を押し進めていった。
1900年にロシアは清で発生した義和団事変(義和団事件)の混乱収拾のため満洲へ侵攻し、全土を占領下に置いた。ロシアは満洲の植民地化を既定事実化しようとしたが、日英米がこれに抗議しロシアは撤兵を約束した。ところがロシアは履行期限を過ぎても撤退を行わず駐留軍の増強を図った。ロシアの南下が自国の権益と衝突するとボーア戦争を終了させるのに戦費を調達したため国力が低下してアジアに大きな国力を注げない状況であったイギリスは危機感を募らせ、1902年に長年墨守していた孤立政策(栄光ある孤立)を捨て、日本との同盟に踏み切った(日英同盟)。日本政府内では小村寿太郎、桂太郎、山縣有朋らの対露主戦派と、伊藤博文、井上馨ら戦争回避派との論争が続き、民間においても日露開戦を唱えた戸水寛人ら七博士の意見書(七博士建白事件)や、万朝報紙上での幸徳秋水の非戦論といった議論が発生していた。
1903年4月21日に京都にあった山縣の別荘・無鄰庵で伊藤・山縣・桂・小村による「無鄰菴会議」が行われた。桂は、「満洲問題に対しては、我に於て露國の優越権を認め、之を機として朝鮮問題を根本的に解決すること[3]」、「此の目的を貫徹せんと欲せば、戦争をも辞せざる覚悟無かる可からず[4]」という対露交渉方針について伊藤と山縣の同意を得た。
桂は後にこの会談で日露開戦の覚悟が定まったと書いているが、実際の記録類ではむしろ伊藤の慎重論が優勢であったようで、後の日露交渉に反映されることになる。
3. 直前交渉
1903年8月からの日露交渉において、日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフらは、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さなかった。さらにニコライ2世やアレクセイ・クロパトキン陸軍大臣も主戦論に同調した。常識的に考えれば、強大なロシアが日本との戦争を恐れる理由は何も無かった。
セルゲイ・ヴィッテ首相は、戦争によって負けることはないにせよロシアが疲弊することを恐れ、戦争回避論を展開したが、これは皇帝達によって退けられた。ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。
日本側では、この提案では日本海につきでた朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断した。またシベリア鉄道が全線開通するとヨーロッパに配備されているロシア軍の極東方面への派遣が容易となるので、その前の対露開戦へと国論が傾いた。そして1904年2月6日、日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡した。
4. 各国の思惑
南アジアおよび清に権益を持つイギリスは、日英同盟に基づき日本への軍事、経済的支援を行った。露仏同盟を結びロシアへ資本を投下していたフランスと、ヴィルヘルム2世とニコライ2世とが縁戚関係にあるドイツは心情的にはロシア側であったが具体的な支援は行っていない。
5. 外貨調達
戦争遂行には膨大な物資の輸入が不可欠であり、日本銀行副総裁高橋是清は日本の勝算を低く見積もる当時の国際世論の下で外貨調達に非常に苦心した。当時、政府の戦費見積もりは4億5千万円であった。日清戦争の経験で戦費の1/3が海外に流失したので、今回は1億5千万円の外貨調達が必要であった。この時点で日銀の保有正貨は5千2百万円であり、約1億円を外貨で調達しなければならなかった。外国公債の募集には担保として関税収入を当てることとし、発行額1億円、期間10年据え置きで最長45年、金利5%以下との条件で、高橋是清(外債発行団主席)は桂総理・曾禰蔵相から委任状と命令書を受け取った。
開戦とともに日本の既発の外債は暴落しており、初回に計画された1000万ポンドの外債発行もまったく引き受け手が現れない状況であった。これは、当時の世界中の投資家が、日本が敗北して資金が回収できないと判断したためである。
是清は最初の渡航先であるアメリカでは銀行家からはまったく相手にされず、次いで4月にはイギリスで、額面100ポンドに対して発行価格を93.5ポンドまで値下げし、日本の関税収入を抵当とする好条件で、イギリスの銀行家たちと1ヶ月以上交渉の末、ようやくロンドンでの500万ポンドの外債発行の成算を得た。またロンドンに滞在中であり、帝政ロシアを敵視するアメリカのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフの知遇を得、ニューヨークの金融街として残額500万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得した[6]。第1回は1904年5月2日に仮調印にこぎつけた。
結果当初の調達金利を上回る6%での調達(割引発行なので実質金利は7年償還で約7%)となったが、応募状況はロンドンが大盛況で募集額の約26倍、ニューヨークで3倍となり大成功の発行となった。1904年5月に鴨緑江の渡河作戦でロシアを圧倒して日本が勝利すると国際市場で日本外債は安定し、第2回の1904年11月の6.0%(償還7年で実質約7.4%)を底として、1905年3月の第3回では4.5%での借り換え調達(3億円、割引発行なので償還20年で実質5.0%、担保は煙草専売益)に成功した。
結局日本は1904年から1906年にかけ合計6次の外債発行により、借り換え調達を含め総額1万3000ポンド(約13億円弱)の外貨公債を発行した。この内最初の4回、8200万ポンドの起債が実質的な戦費調達資金であり、あとの2回は好条件への切り替え発行であった。なお日露戦争開戦前年の1903年(明治36年)の一般会計歳入は2.6億円であり、いかにも巨額の資金調達であった。
国の一般・特別会計によると日露戦争の戦費総額は18億2629万円とされる
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