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【1934980】私立中学の価値

投稿者: 自然体   (ID:KR1jc1G02kE) 投稿日時:2010年 11月 28日 08:25

この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。


2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝

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  1. 【1987849】 投稿者: 通りすがりの企業人  (ID:3SV/eJfEYEY) 投稿日時:2011年 01月 22日 12:36

    動機さま

    一つだけ、質問させてください。

    動機さまのような教育で、夢破れた人、夢も待たず安きに流れた人、どうするんですか?格差を固定化することになりませんか?

    ==

    以下、質問させていただく背景です。

    動機さまの主張は、「ゆとり教育」にきわめて類似の概念のように思います。その理念は高邁、子供を拘束から解放し、のびのびと興味の持てる分野を学ばせる。
    ゆとり教育は、国立大学の附属小学校で実験的に実施し、非常にうまく機能した。これを根拠に、全国に広めて、一気に破綻した、と、私は考えています。

    ゆとり教育導入の思想に関しては、責任者であった三浦朱門氏の、有名なインタビューがあります。長いですが、引用します。
    三浦さんは作家ですが、当時、文化庁長官をつとめる途中だったか前後だったか、公教育の責任者でした。もちろん、だれかが神輿をつくり、神輿に乗りやすい有名人を探したのでしょうけれど。


    以下引用=====
    「学力低下は予測しうる不安というか、覚悟しながら教課審(引用者注:教育課程審議会) をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本は どうにもならんということです。つまり、できんものはできんままで結構。
    戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、 できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて 彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な 精神だけを養っておいてもらえばいいんです。(中略)
    国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも 出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが “ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、 回りくどく言っただけの話だ」
    (斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋、ISBN4-16-356790-9、40~41頁)

    引用おわり=====

    動機さまは、東大でも医学部でも公立から、という話をされました。そのボリューム感は、同年代120万人の中の1万人(東大+医学部)から5万人(旧帝大、東工大、一ツ橋、早慶など含む)、まさに、三浦さんが、他の犠牲(または無視)のもとに引き上げようとした層のボリューム感と一致しませんんか。

    私は、恐縮ながら、動機さまは、強烈なエリート教育論者かつ格差論者かと思っておりました。どうやら違うかもしれない、もう少し一般の若者のことを考えているかもしれない、と最近感じるのですが、やることが同じなら、結果も同じになる。

    都立高校を荒廃させ、ゆとり教育で平均学力を下げ、昭和40年代より最近まで、一貫して、一般人が学力で成り上がる道を狭くしてきた、都立のオウンゴールなどではない、きわめて緻密に仕組まれた戦略だった、と考えているので。

    中国なら、動機さま路線+ゆとり教育でうまくいくだろうと思います。あの国、10万人くらい野たれ死んでもなにも気にしないし、人口に与えるインパクトもありませんから。日本は、選別切捨てを行うにはあまりに人口が少なく少子化していると思うのです。

  2. 【1987858】 投稿者: どんな道であれ  (ID:KDJYxryqhnA) 投稿日時:2011年 01月 22日 12:46

    根本的 様

    「与えられた環境を変えたいと思った」そのことが貴方さまとそしてお子さまの宿命であるのでしょう。
    真摯なお返事をいただきありがとうございます。

  3. 【1987889】 投稿者: 遺伝  (ID:pRwkbm0h3s2) 投稿日時:2011年 01月 22日 13:16

    ゆとり教育って、本当のホントに大失敗しただけですね。
    >できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。
    そんな施策ありましたっけ?
    エリート教育だって、公的には全然なされていないと思うんだけど。
    宿題も面倒なのはなくなったから、時間的ゆとりを利用して、
    経済的余力がある家庭は、塾とかに通わせやすくなったというのはあるでしょうが。
    学校が週休2日になって、先生だけがHappy & Lucky~ってことか…。

  4. 【1987924】 投稿者: 老眼  (ID:GqT2zqJzUBE) 投稿日時:2011年 01月 22日 14:10

    >「学び」(は)個人の成長のはなし。「適性」(は)社会的評価であって別のはなし。 これは「どちらも」必要。


    適性さんが言われるようにとらえるのが理解しやすいですね。
    主体(自分、その子)がどの位置にいるのかを知ることも様々な場面で必要になります。
    それを無視すれば、他から見れば、趣味や道楽に映るでしょう。
    ただ世のなかには、適性かどうかには無関係で、どれだけ学びつくしたかだけが問われるものもあるように思いますが、
    まあ、それは稀なことですから触れずにおきます。
    とことんの「学び」がなければ「適性」はこじんまりとしたものになってしまうと思いますがいかがでしょう。


    子供にとって見えにくいものは、位置づけの対象となる集合全体の質と量です。
    幼少期ほど実態をより小さくしかとらえられない傾向があるわけですから、
    本来のものをうかがい知れるような配慮をするのも親の役目。
    学年・学校・国内・世界
    どのレベルで物事を考えるのか、
    「学び」のレベルもあるでしょうし
    「適性」のレベルもあるでしょう。


    ここでも「意識」がキーになり、「変化しうるもの」と私は思います。

  5. 【1988027】 投稿者: じゃい子  (ID:KMc2X/2mhnc) 投稿日時:2011年 01月 22日 15:48

    地域、時代さん

    ええっ!動機さんは、



    >「動機様の’昔’と、動機様の子供さんの’今’が似たような環境」なんですよね。
    私は動機様のお子さんが「’今’の都立高校」に通ってらっしゃるのなら、カッコエエな。って思える。
    でも、そうではなさそうなので反発する。


    なのですか?

    うちは、私が親から適切な塾や家庭教師をつけてもらっていました。
    ですので子供に対して手をそえたくなります。
    けれどですね。
    うちの 古典的人物の主人が(視点さんならきっと喜んで下さるでしょう)
    そうはさせなかった。

    子供は、そのおかげで逞しくならざるおえない
    (影で母は、手を貸してしまいがちですが)
    身なりも、精神も昭和チックな子供ですよ。

  6. 【1988051】 投稿者: 洗脳なんかできません  (ID:OBgKfUWY9zA) 投稿日時:2011年 01月 22日 16:13

    「中高一貫生のほとんど」が「かなり」であったとしても5割を下回ることはありませんよね。
    我が子の周囲、甥、姪(それぞれ御三家在学中)を見回してもそのような例は多く見積もっても数%といったところです。

    それと地方の公立から東大や医学部に現役進学する例を理想とされる方がいるようですが、実態をご存知ですか?
    当日点重視とはいっても、高得点者が多くいる高校ではやはり内申で差がつきます。
    中学の教師の中には生徒を内申でおどす人がいるのは事実です。(子どもの同級生が被害にあいました)
    やっとの思いで合格しても高1の夏休み明けには授業の速さについていけず脱落する子が何人もでてきます。
    また、東大や医学部に合格できそうな生徒の進路は本人の意思は尊重されにくいです。
    地元大学がいいといっても「もったいない」「もっと上を目指せ」といわれます。
    東大合格者の過半数が文三であったという高校も存在します。(一般的にはありえない選択です)
    確かに高校の先生が受験指導してくれれば金銭的にも時間的にも楽かもしれません。
    しかしその一方で生徒の意思が無視されたり軽んぜられることがあるのもまた事実です。
    塾仲間には公立の生徒もいるので、そうした話はよく聞きます。

    医師仲間との会話でも、子どもに跡取りとしての役割を期待しない、できないという人は増えています。
    勤務の大変さ、訴訟に巻き込まれる危険性、どれをとっても本人の強い意志がなければつとまりません。
    そうした実態を知らずに「親が洗脳して医学部受験をさせている」といった批判はやめてほしいものです。

  7. 【1988059】 投稿者: じゃい子  (ID:KMc2X/2mhnc) 投稿日時:2011年 01月 22日 16:25

    洗脳なんかできませんさんへ、

    親御さんがお医者さんであっても
    自由に子供の職業を考えるという方向が増えてきていますよね。
    今の時代開業医でもなかなか厳しいものがありますから
    私の存じ上げている方々の息子さんも私学であったり公立であったりした
    学校から、選択を本人にまかせていました。

    都心はどうなのでしょうか。
    親戚は、女子の一人っ子でしたが私立の医大に入れたと(後継ぎとして)
    喜んでました。

  8. 【1988084】 投稿者: 視点  (ID:4b.FmqGfp3Q) 投稿日時:2011年 01月 22日 16:56

    新しい方もおられるようなので、私の考えを書いておきましょうか。


    研究者や医者も含め、様々な分野で社会で活躍するのに「基礎学力」は必要だが、それを超える「曲芸」は必要ない。
    むしろ「曲芸」を身につけるため過剰な受験勉強をすることにより、他の有意義な活動ができなくなるという意味で有害。


    理Ⅲや京医に合格しようとすれば、有害無益なレベルの受験勉強を強いられるということでマイナス。
    理Ⅲや京医にあるのは「偏差値最高峰」という「ブランド」にすぎず、それに駆り立てるものは、子供の頃から洗脳された偏差値至上主義。


    どんな分野であれ社会で活躍するためには「基礎学力」以外に様々な素養が必要なわけで、無意味な「曲芸」を身につける時間があるなら、もっと有意義な活動をすべき。
    有意義な活動とは、部活で体力や協調性やリーダーシップを身につけるとか、益川さんのように物理や数学を極めるとか、古典文学を読みあさるとか、いくらでもある。


    では何故受験秀才が医学部に集中するのか。
    それは医師資格は、今の世の中、「受験能力」だけで得られる、一生食べていける(と思われている)資格だから。


    受験秀才は医学部に合格して資格はとれるが、医者としての適性は別物。
    医者としての適性とは、基礎学力以外に、他人を助けたいという志、患者の目線で会話ができるコミュニケーション能力、体力、手先の器用さ等、様々な要素が必要だが、それも受験勉強では身につかないものばかり。だから、そういう適性を欠いた受験秀才が医学部にあふれ、問題になっている。


    社会で卓越した活躍をしている人で、学生時代、その意識において「受験」や「偏差値」といったものの比重が高かった人はいない。
    「受験」や「偏差値」で頭がいっぱいの学生は、東大や医学部に合格しても、大学までの人になる。


    合格実績で評価される受験塾にとっては「偏差値至上」の洗脳は都合がいい。
    頭の中が「受験」と「偏差値」でいっぱいの小学生はいませんか?
    受験塾に洗脳されれば小学生などひとたまりもないし、小学生の時にされた洗脳は人格形成に致命的な影響を与えるわけで、やむを得ず中学受験をするにしても、子供が洗脳されないよう家庭がしっかりしないといけない。


    以上は一般的な傾向であり、理Ⅲや京医がダメと言っているわけではありません。
    全てを患者のために費やしている脳外科医の福島先生は理Ⅲ。
    高校3年の時に医者を志し浪人して理Ⅲに進まれています。


    私は、結果(=社会での活躍)で判断しますから、理Ⅲ卒や京医卒から、その偏差値に相応して、他の大学出身者を圧倒するレベルの研究者やノーベル賞候補者や福島さんのような医者がでているのであれば、上の意見はすぐ撤回します。

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