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【7183209】中央大学法学部は都心移転によりどこまで復活するか?

投稿者: 英吉利法律学校   (ID:8XHqioRyTos) 投稿日時:2023年 04月 19日 10:36

みなさんの予想はどうですか?

私は、
出身学部別での司法試験合格者数は1位。
予備試験合格者数では2位。
国家公務員総合職の合格者数では早慶を抜いて1位。
民間は今より良くなる。
偏差値は普通に早慶上位レベルまで上がる。

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  1. 【7279433】 投稿者: 名無し太郎  (ID:IoDRSER.fhs) 投稿日時:2023年 08月 08日 20:40

    8月24日.25日、東京ビッグサイトで開かれる大学見本市イノベーション.ジャパンに中央大学理工学部、小松晃之教授が出典。
    人工血液ヘモグロビンナノ粒子をテーマとしたブース。

    技術概要
    生体内で血液と同じように酸素を輸送できる人工血液(人工酸素運搬体)ヘモグロビンナノ粒子を開発しました。
    従来のヘモグロビン製剤に比べ、合成(製造)は一切不要。
    酸素親和性粒子サイズは自由に調節できます。また従来製剤に比べ、長期保存安定性に優れています。
    血圧亢進などの副作用は全く見られません。
    動物実験により、高い安全性と有効性が実証されています。

    想定される活用事例
    赤血代替物(出血ショックの蘇生液、術中出血時の補充液)、脳梗塞治療薬(虚血部位への酸素供給液)、移植用臓器の保存液、再生組織細胞への酸素供給液、動物(ペット)用人工血液など、幅広い応用が期待されます。
    人類の健康福祉に大きな貢献をもたらすばかりでなく、我が国の技術的成長と発展を支える基礎医療技術の一つになります。
    市場範囲は先進国、新興国を含む全世界規模。

    期待大なり。

  2. 【7279434】 投稿者: 名無し太郎  (ID:IoDRSER.fhs) 投稿日時:2023年 08月 08日 20:43

    訂正
    X赤血代替物→赤血球代替物

  3. 【7279444】 投稿者: でも  (ID:KGzt3IMDoUY) 投稿日時:2023年 08月 08日 21:07

    8月24日.25日、東京ビッグサイトで開かれる大学見本市イノベーション.ジャパンに中央大学理工学部、小松晃之教授が出典。
    人工血液ヘモグロビンナノ粒子をテーマとしたブース。




    小松教授は早稲田理工の出身。
    中央はただの就職先。
    忘れないようにねw

  4. 【7279450】 投稿者: 油断も隙もない  (ID:QXON5q7DJHA) 投稿日時:2023年 08月 08日 21:24

    >小松教授は早稲田理工の出身。
    中央はただの就職先。
    忘れないようにねw


    早稲田大学名誉教授であった土田英俊教授が人工血液のパイオニアであるらしいね。
    その土田教授の研究室時代に小松教授は人工血液研究を始めたらしい。
    ちょっと隙を見つけると他人の手柄に便乗しようとする他の大学関係者は見苦しいとおもう。

  5. 【7279570】 投稿者: 通りすがり  (ID:Vrmlwa/tV6Q) 投稿日時:2023年 08月 09日 06:07

    >ちょっと隙を見つけると他人の手柄に便乗しようとする他の大学関係者は見苦しいとおもう。

     小松教授が早稲田大出身なのは事実だが、今は中央大理工学部の教授なんだから東京ビッグサイトに中央大学のブースとして出展するのは当たり前。それとも中央大学としての出展は止めろということか?あまりにも歪な考えだと思う。
     

  6. 【7279743】 投稿者: ジャイアンツ  (ID:lYlnoQTqPXo) 投稿日時:2023年 08月 09日 13:22

    このスレッドはいつまであるんや。もう4ヶ月。

  7. 【7279778】 投稿者: 名無し太郎  (ID:IoDRSER.fhs) 投稿日時:2023年 08月 09日 13:47

    読売新聞とヤフーニュースの共同企画。
    終戦直後、上海で姿を消した父 写真と記録から浮かび上がる“エリート貿易商”の別の顔

    戦中に上海で貿易商をしていた父親は終戦直後、南京に行くと言い残し、消息不明になった。
    父親について知りたいという長女の武井麟子さんからの投書から調査が始まったようだ。

    二枚の写真には、陸海軍の将官や貴族院議員らとの会合の様子と三度、首相を務めた近衛文麿の長男、文隆の誕生日会での面々の姿があった。
    上海の在留邦人名簿によると、武井直吉氏は日中が全面戦争になった1938年までに連邦貿易公司と輸出入業の会社を設立している。
    1904年(明治37年)生まれ、中央大学を卒業後の1926(大正15年)に中国に渡り、いつからか上海の租界で暮らした。

    貿易商の暮らしは、「多くの部屋があり、中国人夫婦のコックやお守りの人を雇っていた。母は200300足の靴や、毛皮のコートや絹のチャイナドレスを持っていた。」

    直吉氏は中国人から先生と呼ばれ、人望があったという。英語、ドイツ語、中国語などを
    話す語学の達人だった。
    自宅には軍の関係者が出入りし、移動には軍用機を利用していた。
    特務機関との深い繋がり、
    軍司令部参謀部嘱託という肩書があった。
    南京に設立した汪兆銘政権との関係もあった。


    中央法学部卒の須磨弥吉郎スペイン全権公使、諜報活動のパイオニアとして歴史に名を刻む人だ。
    六カ国語に堪能で外務省入りして、中国大使館に赴任、南京総領事を務めた。
    「この経験から情報の一元管理と総合判断の必要性を痛感、山本五十六海軍次官と共に奔走し、内閣情報部を設立した。」

    須磨弥吉郎の名を広く知らしめたのは、NHK特集の「私は日本のスパイだった 秘密諜報部員アルカサール ベラスコ」だ。
    須磨は東(とう)機関を設立して、ベラスコらを雇い、対米諜報活動に従事した。
    しかし、そのうごきは米国に筒抜けだったという結果だ。

    戦後、年老いたベラスコが懐かしく病床の三浦一等書記官を思いだす。
    力弱く、秘匿に拘っていた三浦氏だが、やがて重い口を開き、トウ機関、ベラスコについて語った。
    あの我々の夢、情熱は一体何だったんだと嘆くベラスコ。
    忘れられない番組だ。

  8. 【7279805】 投稿者: 田無  (ID:JvBUhQdwuZE) 投稿日時:2023年 08月 09日 14:31

    そんなことより“ちょっと隙を見せると・・・”は君のことじゃないのかね。俺の指摘にはやたら食ってかかったが、これにはえらいおとなしいな。これに君なりの反論はないの

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