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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14
皇室の弥栄を願います。
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【3528288】 投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 21日 15:37
いつものこと様
>いずれにしても、読み手の側からいえば、メディアが事実を伝えていると思ってしまうのはやはり、何とも、と思ってしまいます。僕が思うに、教育を修めることの一つの目的はメディアの偏り、嘘を見抜く、見抜くとまで行かなくても、なんかおかしい、調べてみようと思えるようになることだと思っています。
私も新聞社がニュースについての考え方や立ち位置はそれぞれあっていいと思いますが、「メディアは事実をつたえるもの」という姿勢は崩れないでほしいです。
いつものこと様が読み手側に「なんとも」と思ってしまわれることに違和を覚えます。
「読者がメディアを信じてしまって」ではなくて「読者は新聞とは真実を伝えるものだと思っているので新聞の作り手である新聞社を信用している」のだと思います。
疑って読み込まない読者がおかしいのでしょうか?
おかしいのは新聞社でしょうか?読者でしょうか?
報道とはそんなもんだからと、「報道側のストーリー」の存在ををそのまま許す事はちょっと違うのではないでしょうか?
読者の信用を裏切って「ストーリー」を書き続ける事は新聞としての価値はないものだと思います。
自由様の仰るように読解力をつける教育が必要だと思いますが、それと新聞社の姿勢は別問題だと思います。 -
【3528363】 投稿者: イワンのばか (ID:KmhH2fDwNd.) 投稿日時:2014年 09月 21日 17:32
>あなたにも私にも、多民族の血が混血していることであろう。 ゆえに、国籍に過剰にこだわることの不合理を感じる。
この文章はおかしな理屈で、
これを逆に読めば、
多民族の血が混血していなければ、
国籍に過剰にこだわることは合理的だ
となるが、
(以上、26ページ自由さんによる二俣川さんへのレスポンスから)
このような初歩的なまちがいをしておきながら、自分は論理的な議論をしている、などと錯覚しないように、論理の基本をおさえておくことが大切でしょう。
自由さんによる読み替えは、二俣川さんの主張の「裏」とよばれるものであり、もとの主張と等価ではありません。
つぎは、野矢茂樹「新版 論理トレーニング」(産業図書)の118ページから。
* * *
例1 平日ならば、上海亭は開店している。
これに対して次を、それぞれ例1の文の「逆」、「裏」、「対偶」と呼ぶ。
逆: 上海亭が開店しているならば、平日である。
裏: 平日でないならば、上海亭は開店していない。
対偶: 上海亭が開店していないならば、平日ではない。
この中でもとの主張から正しく演繹できるのはその対偶だけである。逆や裏を導くことは、その導出に蓋然性を含む推論としては成立しうる場合もあるが、演繹としては正しくないものとなる。 -
【3528367】 投稿者: いよいよ↑ (ID:wcE3T476RPU) 投稿日時:2014年 09月 21日 17:38
民団の仲間達の登場ですな
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【3528378】 投稿者: 自由 (ID:XSjBcKpAVeI) 投稿日時:2014年 09月 21日 17:51
イワンのばか君
>このような初歩的なまちがいをしふておきながら、自分は論理的な議論をしている、などと錯覚しないように、論理の基本をおさえておくことが大切でしょう。
そんなことは百も承知で、
最初は、「対偶」の文章を書こうとし、実際に書き始めたのだが、
あまりにもテクニカルであまり関心が無い人には印象が悪いこと、
要は、二俣川君が、多民族の血と国籍をリンクさせることの愚かさを表現すればよく、論理的帰結の正しさの問題ではないこと
から別の表現にしたのだよ。
ツッコミが、甘い 笑 -
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【3528395】 投稿者: 自由 (ID:XSjBcKpAVeI) 投稿日時:2014年 09月 21日 18:17
イワンのばか君
ちょっと丁寧に、補足説明しておくが、
「A である」 ならば 「B である」が正しければ、
「B でない」ならば「Aではない」も正しい。
という対偶の論理を、実際に、
>あなたにも私にも、多民族の血が混血していることであろう。 ゆえに、国籍に過剰にこだわることの不合理を感じる。(二俣川君)【正】
に当てはめて、どんな対偶の文章が出来るか、
自分でよく考えてみるとよい。
国籍に過剰にこだわることの不合理を感じないなら、
多民族の血が混血していないはずである。【対偶】
グダグダのヘンな文章である。
そう、そもそも、【正】の論理が、元々グダグダなのである。笑
よって、民族の血と国籍の因果関係のおかしさ
に話を切り替えた次第。
残念ながら、君の指摘は的ハズレである。
笑 -
【3528415】 投稿者: ことの素 (ID:7B4PdjTMHuE) 投稿日時:2014年 09月 21日 18:56
>私は、本当にこの国(日本)の国民はお[削除しました]さんであると考えている。
僕も そー思うんですよ。日本人は人がよすぎるというかー
ネットでは文字ですから。
リアル世界では ぐだぐだでも 表情 言葉の語気で 相手に訴えかけますからね
それも何十年にもわたってですよ
国歌斉唱で起立斉唱しない 先生も そーいうことなんですよ。
そーなっちやったんですよ
ではでは。。。 -
【3528552】 投稿者: 全知全能の神 (ID:VJSG9N9Ie8g) 投稿日時:2014年 09月 21日 21:37
胡座先生はどうなった?
まさか、教壇に立ってはおるまいな
笑 -
【3528707】 投稿者: いつものこと (ID:/pQ0pkmIMOQ) 投稿日時:2014年 09月 22日 00:43
自由さん
イワンのばかさん
お題からは少し脱線していると思いますが、ちょっとだけ。
>あなたにも私にも、多民族の血が混血していることであろう。 ゆえに、国籍に過剰にこだわることの不合理を感じる。
この命題の対偶は、自然言語では
>国籍に過剰にこだわることが不合理ではないと感じるならば、(あなたにも私にも)多民族の血は混血していないであろう
となります、これなら意味が通ります。
端的には、上記命題Bには一見述語が一つしかないようだが、実は~不合理である、という述語と、~不合理「である」と。~不合理であると「感じる」の2つの述語があり、どちらの否定を中心に考えるか、という問題ですが、自然言語を形式論理に当てはめることの困難さが現われているとも言えると思います。
また形式論理で言えば、命題Aの否定は「多民族の血は混血しているであろうとはいえない」であって、「~していないであろう」とは言えません。
二階(高階)述語論理・型理論などを用いるとこういう問題にも一義的な答えが出せるらしいですが、僕の理解は超えているのでご興味あれば。
ということで失礼します。
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