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【3515619】「女性宮家創設」へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3659874】 投稿者: 自由  (ID:TryRK3UBqXE) 投稿日時:2015年 02月 07日 06:20

    >法律論を述べるが、それとは別に政治的見地による是非判断も否定しない。 ただ、結論としては、定住外国人らに対する参政権付与は、もはや避けることのできない時代の趨勢であると考えるということである。(二俣川君)

    これなんか、はあ?笑・・という感じだが、
    二俣川君は散々法律論を振り回して、議論で勝てないとなると、いまさら政治判断もあるまい。

    要するに、ギブアップだろう。笑

    参政権の性格が公務と権利であるのは、
    同じものを違う切り口で見たものであり、切り離すことはできない、不可分である。

    二俣川君

    >公務と権利のうち、権利の方は自然権だ!

    はあ???笑

    大丈夫か?

  2. 【3659888】 投稿者: 自由  (ID:TryRK3UBqXE) 投稿日時:2015年 02月 07日 07:21

    一番下に掲示した二俣川のレス、
    これまた、何を言ってんのか?笑 という感じだが、

    まず、最初に「冷静に考えると」君・・これは誤りで、語っていたのは「いつものこと」君である。

    さらに、

    >米国憲法の例による※ことと合わせ、 その本質として日本国憲法も立法権を通じた国民主権(人民主権と言い換えてもよい)を有しているとの ロックの自然法思想を肯定することに何の躊躇も不要なはずなのである。(二俣川君)

    と「日本国憲法を人民主権と言い換えてもよい」と、粗雑な愚論を書いたのは、
    二俣川君自身である。

    さらに、私は、杉原説、辻村説がおおよそ、何を言いたいのかは分かっていて、
    二俣川君のように本丸写しで、コピペ風に書けば、

    《文案》
    >フランス革命以来の憲法史において、「国民(ナシオン)主権」から「人民(プープル)主権」への歴史的な展開がなされたことを踏まえ、日本国憲法の選挙権の本質や実定法上の憲法解釈を、人民主権原理から再検討すべきではないだろうか?

    こんな書き方になるだろう。

    二俣川君の

    >日本国憲法も立法権を通じた国民主権(人民主権と言い換えてもよい)

    再検討であって、日本国憲法を言い換えてよいはずがない。
    二俣川君の意見は、無茶苦茶に粗雑である。




    【二俣川君のレス】

    投稿者:二俣川 (ID:apdUVnzkw.U)
    投稿日時:15年 02月 06日 21:06

    >日本国憲法はアメリカの憲法の影響を受けてるから、
    日本国憲法の「国民」を「人民」と言い換えてもいいんだよ!

    そのような粗雑な愚論を述べたことはない。
    ただし、杉原泰雄一橋大名誉教授や辻村みよこ東北大教授が、 斬新な論理構成でそれに近い結論を述べている。
    このうち、辻村教授の学説のさわりは紹介済みである。

    この部分は、「冷静に考えると」氏がご存じのようだ。

  3. 【3659966】 投稿者: 地方参政権賛成です  (ID:a/KBpGJyQYI) 投稿日時:2015年 02月 07日 08:56

    少なくとも民団が韓国からお金もらうのやめて、日本人を韓流ブームから嫌韓に変えた朴大統領に異を唱えたら
    賛成します。
    総連は残してきた親戚を考えるときびしいけどね。

    二俣川さんも保導連盟や済州島の大虐殺を逃れてやってきた子孫なんでしょ。
    なんでそんな国に今でも忠誠誓ってるの?

  4. 【3659989】 投稿者: 自由  (ID:TryRK3UBqXE) 投稿日時:2015年 02月 07日 09:12

    もうひとつ致命的なところを発見。

    >人民主権と言い換えてもよい。

    多分、これは辻村説のモノマネなのだろうが、
    辻村説では、選挙権=自然権なんて主張しているだろうか?

    星野→杉原→辻村 という流れの主権的権利の学説では、選挙権=自然権とは考えていなくて、「人の権利(生存権、自由権などの基本的人権)」と「市民の権利(選挙権)」を分けているのである。辻村説では、選挙権=自然権なんてあり得ない。

    二俣川君は、辻村説の言説の一部を丸写しするだけで、
    全く論理を追ってないのではないか?





    【二俣川君のレス】

    >そのような粗雑な愚論を述べたことはない。
    ただし、杉原泰雄一橋大名誉教授や辻村みよこ東北大教授が、 斬新な論理構成でそれに近い結論を述べている。
    このうち、辻村教授の学説のさわりは紹介済みである。

    >したがって、憲法前文が、その後に続く103条に亘る憲法各本条の総論的規定であるとの通説的理解によれば、 「(人民の)投票する権利」との自然権を確認的に実定法化したとされる米国憲法の例による※ことと合わせ、 その本質として日本国憲法も立法権を通じた国民主権(人民主権と言い換えてもよい)を有しているとの ロックの自然法思想を肯定することに何の躊躇も不要なはずなのである。

  5. 【3660388】 投稿者: いつものこと  (ID:Uu8yeTNGzzA) 投稿日時:2015年 02月 07日 15:20

    自由さん

    >参政権の性格が公務と権利であるのは、 同じものを違う切り口で見たものであり、切り離すことはできない、不可分である。

    僕にはやはり参政権が公務であるということが納得できません。何点か貴見ご開示願えると幸甚です。

    ① 昨日もご紹介したとおり、通説では公務は義務とほぼ同義です。自由さんの言われる公務も同趣旨ですか(権利と対照させているので、義務といったニュアンスでないとおかしいと思いますが)。

    ② もし①に対しYesだとすると、その義務はどこから発生するのでしょうか?。なぜ、26, 27, 31条のように憲法上義務と明記されているわけではないところから義務が生じるのでしょうか。

    ③ 昨日も伺いましたが、義務だとすると、棄権は義務違反となります。僕は棄権について、道徳上の問題ではあれ、義務違反を問われる所以はないと思いますがどうお考えですか?。

    昨日も書いたとおり、参政権は実定法によって、今あるように規定された権利であるとすれば足り、公務性を持ち出す必要はないし、選挙権の行使が公務=義務であるというのは、国民の規範意識から現実として大きく離れていると思います。

    それゆえに、現在活発に活動している学者の中では二元説を取るものも少数になっていて、二元説に留まる者も、現状は権利一元説に向かう過程であり公務性は非常に希薄になっていると発言するに至っているわけです。

  6. 【3660418】 投稿者: 音速の貴公子  (ID:c4HNr7snCuU) 投稿日時:2015年 02月 07日 15:49

    私も権利なのに義務とはなんだね?という極めて素人臭い疑問を持ちながらも、憲法上義務だと自由さんが言うから仕方ないなとは思っていたのだが、まさか違うのかね?笑




    w

  7. 【3660498】 投稿者: 紙つぶて  (ID:NXeS0PE1lwc) 投稿日時:2015年 02月 07日 17:07

    二俣川さん、

    再掲申し訳ないのですが、二俣川さんからの返レスが削除され、ご意見がわからなくなりました。お時間ある時に再レスをお願いできますでしょうか?

    >選挙人は選挙を通じて国政に関して自己の意見を表明する機会を有する(参政の権利)。
    >他方、選挙人団という機関を構成して公務員の選定という公務に参加する(公務執行の義務)。 (二俣川さん)

    参政権は、国民が生来的人権を国家から確保するための手段(参政の権利)で、その為には国民は立憲主義に則る行政府、立法府の機関の設立をせねばならず、かつそれを維持する必要がある。それを実行を可能にするのは間接民主制なのだから国民は代表者に委任するかたちで国政に参加する責任がある(公務執行の義務)

    というのが私の理解です。全く違っていたらすみません。ですから国民には二元論は分断できるものではない両義的な関係だと思います。
    ウェーバー関連の本は一冊ですが、一応かじりました。

    付け足しますと、

    国民が選挙人団という機関を構成して公務員の選定をする「条件」で、参政権が実行力をもつことができると思います。

  8. 【3660522】 投稿者: 自由  (ID:TryRK3UBqXE) 投稿日時:2015年 02月 07日 17:31

    >通説では公務は義務とほぼ同義です。

    これは公務説の公務が、公務=義務と解されているということではないだろうか。

    二元説の公務は二元説=権利+αであり、このαは、国家法人説にもとづき集合概念の国民が選挙に参加する際の国民が背負うべきある種の拘束性ではないかと考える。
    だから、二元説の公務も義務から軽い拘束性まで、色々な考え方があるはずである。

    >選挙権の行使が公務=義務であるというのは、国民の規範意識から現実として大きく離れている

    前にも書いたが、

    選挙が公務であるとか、権利であるとかの源泉が、現実の国民の意識に起因するとすると、たしかに選挙に対する国民の規範意識は薄いが、じゃあ、国民の権利意識も同じで希薄だね・・となるわけで、そもそも、国民の意識を原因として、選挙を公務か権利かを論じるのはおかしくはないかと述べた次第。

    >現在活発に活動している学者の中では二元説を取るものも少数になっていて

    これは権利一元説の学者が、活発に活動しているということだろう。

    権利一元説は、二元説=権利+αのαを取り除いた形のもの、選挙権=100%権利を目指しているはずで、いままでの参政権概念とは異なる「人民主権の選挙権」を確立しなければならないはずである。

    国民主権から人民主権への移行により、主権のある国民と主権のない国民と分かれるはずで、民主主義との矛盾はどうするのか。いずれにしても、「人民主権の選挙権」は憲法改正をしないと実現不可能であろう。

    以上のように、現行の日本国憲法を前提にする限り、権利一元説の選挙権を不可だと考える。
    例えば以前に書いたように、EUのように、条約にもとづき、他国との間で相互主義、互恵的に市民権規定を設けて外国人参政権を認め、相互の国で憲法、法律を整備するなら、もちろん話は別である。

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