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【3515619】「女性宮家創設」へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3549300】 投稿者: ことの素  (ID:L3QP57RhP5s) 投稿日時:2014年 10月 13日 23:17

    >その方のお話は「民族」ではなく郷土に焦点が当てられているように感じます。京都には京都、博多には博多
     の誇りや歴史伝統や文化があるのですからそれと同じではないでしょうか?

    あくまでも、その個人のお話ですので、私の前レス、彼女 彼ら(複数)から彼女(単数)に訂正させていただきます。過去アイヌ人はコタンで生活しており、そのエリアにはそれらが複数あり、又地域によりアイヌの風習、文化、
    言語の違いがあるからです。その全てがアイヌであるとの誤解があってはいけませんから・・・

    京都には京都、博多には博多の誇りという部分に関しては、大和民族は農耕民族であり、その地域に根付いて生活していたんじゃないでしょうか。それぞれの地域にある神社、寺を舞台(主体)として五穀豊穣、大魚追福、疾病退散,無病息災を祭司祭礼が行われてきました。

    日本には八百万の神がある様に、そのアイヌの方も、自然、動物、植物、身の回り全てのものに神が宿っていると考えています。極寒の地で食べるということが、主体に考えるのが当然な流れであって、その主体が己と同様に、その対象全てを己として捉えていました。

    文様には色々な意味が隠されています。悪い神からの魔除けとして描かれたもの、山、川等自然が描かれたもの、自然の神からの恵みで食すということでしょう。たぶん、後半に関しては検索しても出てこないと思います。

    アイヌの方(狩猟、漁労、採集民族であった)の舞台は何なんでしょうか?
    今住んでいる場所? コタン? 山? 川? 伝統? 文化? 風習? 民族? アイヌのその部族?
    こればっかりは、正直 本人でないとわかりませんが ・・・

    僕的には、京都には京都、博多には博多、そのアイヌの方にはアイヌのその部族の誇りや歴史伝統や文化があるのですから と思っています
                。。。

  2. 【3549302】 投稿者: 外野  (ID:GK8zRcsFMoo) 投稿日時:2014年 10月 13日 23:18

    ひまわりさん

    ある民族としてのアイデンティティが、征服・差別などという悲しい事柄に負の気持ちが昂められて強く認識されるということは確かにありましょう。

    ですが、いかがでしょうか。
    ひまわりさんの、京都への、広島への、帰属を希求する気持ち。
    温かいものがございませんか?


    ひまわりさんは優しすぎて、巣から落ちた雛鳥が息絶えている姿を、見るに耐えずに苦しまれるのだろう、と思いました。

  3. 【3549317】 投稿者: 外野  (ID:GK8zRcsFMoo) 投稿日時:2014年 10月 13日 23:36

    いつものことさん

    インターネットを、しみじみとありがたく感じております。

    質問させていただいてもよろしいでしょうか?

    日本国憲法に、日本人のアイデンティティと成りうるほどの求心力はありますでしょうか?
    様々な条件で異なる回答になるかとは思われますし、質問としても適切な形をとっているかどうか自信がないのですが。

    また、ふたつの可能性をお示しでいらっしゃいます。
    日本国憲法と他の一つ。
    どちらが、より日本人の帰属を欲するところになる、とお考えでしょうか?

    よろしければご教示くださいますと嬉しく存じます。浅学の身で失礼をも顧みず、申し訳ありません。

  4. 【3549404】 投稿者: 自由  (ID:oPgn44b5jPo) 投稿日時:2014年 10月 14日 06:49

    もう一度、いつものこと君が紹介してくれた民族の定義に戻ると、

    >「主観的要件、つまりアイデンティティを感じる集団であることが民族成立に共通する唯一のメルクマールという定義」

    ということなのだが、

    この定義にしたがえば、民族というのは、アイデンティティと感じる「実存」がベースになっているはずで、「他ならぬ私の人生」「私の物語」の形をとるのであろう。

    したがって、

    例えば、出雲民族であれば、
    アマテラスに征服されたオオクニヌシの悲劇があって、私はその末裔であるという物語があるのであろう。

    言うまでもなく、その物語は、あくまでもその人の「実存」であって、現代社会の人間関係とは何ら関係ない。ひまわり君が抱いた違和感は、そういうことではないだろうか。

    ところが突き詰めてみると、人生の意義というのは、すべて「実存」がベースになっていて、客観的な人生、客観的な幸福なんてないわけである。

    例えば、ある人の人生を語るときに、

    客観的な歴史的事実を羅列する・・○年に生まれて、○年に学校を卒業、○年に就職、○年に結婚、○年に子息誕生、○年にお亡くなりになった・・このように並べたところで、その人の人生を語ったことにはならない。

    その人の人生を語るというのは、その人の物語を語ることである。

    そのように考えてみた場合に、出雲民族という物語を否定出来るか、というとそれは難しいのではないか。

    また、出雲民族を例に出しただけで、これが大和民族という物語だとしても話は同じである。

    例えば、左翼が大和民族なんておかしい!と批判したしたら、大和民族の物語を信じる人達の誇りを傷つけるわけで、アイヌ民族批判と何ら変わらない。大和民族を信じようが、信じまいが、人の勝手である。

    正当な主張というのは、他人の物語をうんぬん言うのではなくて、例えば、

    >国家が国民に大和民族という物語を強制している。

    このような主張であろう。

  5. 【3549536】 投稿者: ふふ・・・  (ID:cAwJxRiYvP.) 投稿日時:2014年 10月 14日 09:55

    騎馬民族による征服、、、などというロマンのある話(?)とは違い、アイヌ民族、琉球民族という民族は現実に存在していた訳で、その国や地域を日本国が統合したのも事実。
    その事実のもとで、血の濃さはさておき、今もその民族の血は絶えていないのだとすれば、「アイヌ民族、琉球民族は現存する」と考えることに何の問題もないと私は思います。
    それをあえて排除し、「日本は建国以来、単一民族国家である」としてしまう方が、却ってお互いのナショナリズムを煽り、対立を生むことにつながり兼ねないと感じます。

    私は、自分のことを「日本人」だと考えていますが、「いや、あなたは大和系日本人です」と言われたら、それは、とても違和感を覚えます。
    何故なら、私自身はこれまで「(己の)民族」という概念を意識したこともないので、そこに「民族」という概念を押し付けられても困るからです。
    ですが、「あなたは、大和民族の末裔だ」と言われれば、「それはそうかも」と感じるだろうとは思います。
    ただ、それは、私の考えであって、みんながそうであるべきだとは決して思っていない訳で、そう考えると、アイヌ民族、琉球民族の末裔の方が、自らを「アイヌ民族」「琉球民族」と自称することを否定する理由も見つからないという思いに至ります。
    そのように考える方々は、私のように何も考えすに暮らしてきた人間と違い、善し悪しは別として、はるかに「民族(≒アイデンティティ)」というものを意識してきた方達なのでしょうし。

    確かに、どんな集合体にも(特に、迫害・占領された経験をもつような集合体には)過激・強引と思われる手法で自己のアイデンティテイを認めさせ、権利を主張する人達は存在する訳ですが、そう言う人達のことだけを見てその人達が存在する集合体全体(国や地域というレベル)を判断し、過激な人達のやり方に応じて排除したり対処してしまうと、そこには必然的に「対立」が生まれてしまうのではないでしょうか。
    私は、定義だとか学説云々という難しい話はわかりませんが、私の心が「受け入れるべきものは受け入れるべき」と言っておりますので。

    ちなみに、「受け入れるべきものは受け入れるべき」とは、決して、相手におもねるとか同調するという意味ではありません。
    却って、自己の意識、意見をきちんと持っていないと出来ないことかも知れません。
    私?、、、もちろん、出来ていませんが 涼

  6. 【3549758】 投稿者: 外野  (ID:48im.k/i9Qw) 投稿日時:2014年 10月 14日 13:37

    ひまわりさんのお返事もないのに、勝手なことを想像で書きますが。

    負の気持ちで強められるアイデンティティを利用する集団を否定するお気持ちがお強いのであって、民族の存在を否定されたいわけではないのではないか?という気がして参りました。

  7. 【3549832】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 10月 14日 15:12

    こんにちは。

    外野様

    私、なんだか頭がこんがらがってしまって、考えが上手くうまくまとまらず、「あれもこれも言いたい」気持ちが押し寄せてきてなんか「わー!!!」って感じです。

    でも、分かっているのは、ここで私がしていた事は「お話」ではなくて「これでもか、これでもか」と自分の言いたい事を吐いているだけでした。
    これはあかん、です。いつものこと様にも失礼な事をしてしまいました(毎回失礼な事をしているような気もしますが)(-_-;)


    外野様
    私とアイヌの血を引く方々の「民族」の定義や概念の了解のされ方そのものが違うのでしょうか?
    私は、彼らがアイヌの言葉や歴史・文化を消滅させずに今に残してくださっておられることは、先祖を大事にする意味で本当に大切な事だと思います。その伝統や文化を消滅させてはいけないと思います。

    彼らがそれらを継承する理由は、
    自分の中のルーツを大事にし、先祖を敬いアイヌ文化を消滅させない為でしょうか?
    それともアイヌ民族として生きるためなのでしょうか?

    後者はご自身がアイヌ様式で生まれ育たれたのであれば、アイヌ人として生きることは理解できるのですが、自分のルーツがアイヌ人であるという理由で、アイヌ人として生きることを選ぶことは、やはり正直なぜ?との気持ちは隠せません。
    ここは自分の気持ちに正直にしか書けません。

    でも、アイヌ民族を政治利用する団体は論外として(外野様この団体を許せないのは仰るとおりです)、純粋に自分はアイヌ民族として生きると主張する人がいらっしゃる方々に対して、「民族は存在しない」という私の主張は言いすぎというよりも私の考えを一方的に皆様に押し付けてしまいました。
    もうしわけないです。ごめんなさい。

  8. 【3549861】 投稿者: 外野  (ID:rSGh1x4UqN6) 投稿日時:2014年 10月 14日 15:48

    ひまわりさん

    お返事くださり、ありがとうございました。

    なんだか、私も、語りたくなってしまいましたが(いま、傾聴の修行中なんですよー、これが難しい(ToT))、今日は今からも雑事に追われ、夜は飲むと思うんです。明日の午後くらいに、私の考えも読んでいただけますか?理屈の通り道は違うのですけど、気持ちがご一緒みたいで、嬉しいです。

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