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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14
皇室の弥栄を願います。
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【3538420】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:qzdppJB9Vt2) 投稿日時:2014年 10月 02日 17:41
あ、なんか面白い話になっている。さすがに「騎馬民族征服王朝説」は少数派じゃないかな、、古代ロマンの話としては面白いけど。でも派生説(厳密にはそうは言い切れないけど)である、三王朝交代説はけっこう支持されているんじゃないかと思う。
宮沢俊義先生の「国体観」が戦前・戦後で変わっているというのは聞いたことがある。少なくとも戦後において「国体」は天皇絶対、軍国主義、ファシズム等を正当化するスローガン的な役割を内包する言葉であるというご認識ではなかったか。戦前においては「国体」というものは神勅以来、我が国の統治体制原理を「万世一系の天皇」に求め、これを不変のものとして統治体制の根本である、というご認識であったように思う。
戦後の宮沢憲法の流れを受け継ぐ芦部信喜先生が、この「国体」というものにネガティブなイメージをお持ちだったことは想像がつくが、問題は「国体=天皇」という認識が妥当であるか否かとういう点に帰着するように思える。すなわち公法において統治権を問題とするならば、じっさい一般的な認識として「国体」と「政体」はほぼ同義と捉えるか、両者は実は峻別されるべきものとするか、という認識の違いということである。
「天皇」を公法の外にある、いわば形而学上の概念として存在するものとして認識するのは、この「国体」概念を公法に囚われない我が国特有の「真理(文化・宗教学的、あるいは日本人の琴線に触れるものとでもいうべきか)」を意味するということであり、その点において「天皇」はスーパー・パワーではなく、神秘的な力(ミステリアス・パワー)を有していると言えるのではないか。
対して立憲国家として憲法を重視する立場からはあくまでも「国体=政体」であり、宗教国家ならともかく、我が国で「天皇」を語るときには統治権(国家のあり方)の一形態として捉えるべき視座が重要であり、「国体」は「政体」に集約される。ここには統治機能とともに象徴機能も有していたとも思える先の憲法における「天皇」と、そこに象徴機能のみを認める現憲法の断絶がみられるのであり、さらにいえばその象徴機能さえも「新設」されたものという捉え方が妥当であるように思える。
芦部信喜先生は「国体としての天皇」は認めず「政体としての天皇」を、上記に述べた「新設された象徴機能」である点でお認めになっているのではないだろうか。 -
【3538425】 投稿者: ふふ・・・ (ID:/QCtT3JGgi2) 投稿日時:2014年 10月 02日 17:43
ちなみに、芦部先生は皇位継承者が「男系男子」に限られていることも(男女間の)法の下の平等に反するとして例外扱いなさっていますよね?
さて、では、こちらの例外を解消しようとした場合、どうなるかと言えば、皇位継承者は理論上「増える」ことになるのです。
そう考えると、芦部先生のお話は必ずしも皇位継承者を論理的に増やすこと(対象を拡大すること)を否定しているとも思えないのですよ。
私の解釈的にはね 笑 -
【3538449】 投稿者: 二俣川 (ID:bSlWQZ4.WWo) 投稿日時:2014年 10月 02日 18:11
私の提示した理由をよくご理解願いたい。
そもそも、憲法4条1項の「国事に関する行為」とは、憲法6条・7条の事項に限定された形式的・儀礼的な行為を指し、天皇が政治上の権能を有しないことを意味する。
また、天皇が国事に関する行為を行うといっても、むろんその内容を実質的に決定する力を有するものではない。
内閣の助言と承認が必要だからだ。憲法は3条でそれを明記し、7条でも重ねて明記している。
さらに、沿革的理由として、明治憲法における大臣助言制の採用も、皇室自律主義や統帥権の独立によって制限された事実も指摘できる。
その結果として、内閣の議会に対する責任は軽視され、逆に憲法外の機関(憲法上の根拠を有しない)である「元老」「重臣会議」に対する責任の方が大きかった。
以上からして、憲法は天皇の例外的存在としての地位を厳格に解しているものと考えられる。
ゆえに、憲法上の根拠なき行為を天皇が為すことは認められない。
それが、憲法の条文に適合する最も厳格な解釈であり、国民主権主義の趣旨にも合致する。
同時に、天皇の権威化を画策する政治的意図を否定することにも資しよう。 -
【3538460】 投稿者: 二俣川 (ID:bSlWQZ4.WWo) 投稿日時:2014年 10月 02日 18:23
>宮沢俊義先生の「国体観」が戦前・戦後で変わっているというのは聞いたことがある。少なくとも戦後において「国体」は天皇絶対、軍国主義、ファシズム等を正当化するスローガン的な役割を内包する言葉であるというご認識ではなかったか。戦前においては「国体」というものは神勅以来、我が国の統治体制原理を「万世一系の天皇」に求め、これを不変のものとして統治体制の根本である、というご認識であったように思う。
その通り。
宮沢先生は、戦後著した例の「天皇機関説事件」を論じた著書中で、「国体」なる概念自体を否定していた。
おそらく、憲法制定時にみられた反動派らによる「(国民主権になったとはいえ)依然として天皇が国と国民の象徴であることに変わりない、
との口実による『国体は変更されていない』との議論を封じる意図があったのではなかろうか。 -
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【3538468】 投稿者: 二俣川 (ID:bSlWQZ4.WWo) 投稿日時:2014年 10月 02日 18:33
>ちなみに、芦部先生は皇位継承者が「男系男子」に限られていることも(男女間の)法の下の平等に反するとして例外扱いなさっていますよね?
さて、では、こちらの例外を解消しようとした場合、どうなるかと言えば、皇位継承者は理論上「増える」ことになるのです。
そう考えると、芦部先生のお話は必ずしも皇位継承者を論理的に増やすこと(対象を拡大すること)を否定しているとも思えないのですよ。
趣旨の異なる概念を混同した意見だ。
性別による差別と例外的存在である天皇の権能の議論は(究極的には関連するとしても)、それぞれ整理・区別して考察すべきである。
ましてや、なぜ「こちらの例外を解消しようとした場合、どうなるかと言えば、皇位継承者は理論上「増える」ことになるの」かね。
皇位継承予定者を皇太子一家らに限定し、その代わりに女帝就任を認めれば、むしろその他無用な皇族らのリストラが可能ではないか。
逆である。 -
【3538553】 投稿者: 自由 (ID:WY8aQPLJmxI) 投稿日時:2014年 10月 02日 20:25
たった今、酔っぱらて、
昭和44年前、東大紛争以前の東大入学という先輩と二人で飲んで、天皇制について、論争して、今、帰るところだが、
二俣川君は、甘い 笑
君は全共闘世代と論争したのかね?
笑 -
【3538560】 投稿者: 自由 (ID:WY8aQPLJmxI) 投稿日時:2014年 10月 02日 20:30
二俣川君は、必死になって本を読んだのだろう。
二俣川君が必死になって本を読んだ物語を、私は否定しない。
笑 -
【3538574】 投稿者: シナモロール (ID:GhNsnPQsiQU) 投稿日時:2014年 10月 02日 20:46
>芦部先生は皇位継承者が「男系男子」に限られていることも(男女間の)法の下の平等に反するとして例外扱いなさっていますよね?
理屈はそうだろうが、そもそも法の下の平等に反する皇室制度の上に成り立つ下位の規定が今更、男女間の平等に反すると声高に主張されてもなんだかな?という感じだが。笑
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